06.【氷菓子】「あちぃ」
尊はシャツの胸元を摘んで扇いだ。汗で張りついた布地が気持ち悪い。
「暑いなら、もっと冷房の温度を下げればいいだろう」
尊の向かいでノートパソコンをいじっていた了見が、呆れたように言った。
「やだよ。これ以上下げたらスペクターに文句言われるじゃん」
心底嫌そうに答える尊の様子に了見は首を傾げた。この船の電力は太陽光のほか、水力発電したものを使い、更に余分は蓄電池に補充して賄っている。冷房を多少弄ったところで、電力消費に大した影響はないはずだが。
「スペクターが?何故だ」
「あなたと違い繊細な了見様が冷房でお身体を冷やしては事ですからね。…だって」
似ていたかはともかくとして、自ら物真似をしておきながら尊は機嫌を悪化させ、ふんすと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「別に、私が暑かったから下げたのだと言えば済む話だろう」
そう口にすれば、尊はわかっていないなとばかりに溜め息をつく。
「そういう問題じゃないから。あいつは僕にいちゃもんつけたいだけなの」
スペクターは、身内以外に了見がパーソナルスペースへ入ることを許している人間の誰しもが気に入らないというだけなのだが、何故だが了見にはその情報が伝わらない。最近になって漸く彼に対してだけ妙な親バカ思考を持っていると気が付いてからは、訂正するのも面倒になり今日日に至っていた。
尊はそんな不貞腐れた感情も含め、部屋の中心に置かれた二人掛けソファの上にえいやと寝転がる。そういった行動こそがまさにスペクターに見つかると咎められるのだが、尊の抜けたところも最近可愛いと思い始めている了見は、敢えて注意する気にはならなかった。その甘やかしが連鎖を呼び、一層尊が厳しく当たられる原因にもなっているのだが、その辺は互いに気が付いていなかったりする。
「──あ、そうだ。アイス持ってきたんだ」
尊が思い出したようにソファから起き上がる。そういえば、今日船に乗ってきた時にやたら大きなに荷物を持っていたと思ったら、ついにその正体が判明した。尊のことだから、皆で食べろという気遣いなどではなく、毎度来訪の度に自分が食べるためのアイスを纏めて持ってきただけなのだろうが。
「これこれ。二本入ってるやつだから半分こしよ」
あっという間にアイス片手に戻ってきた男の手には、アイスの袋が一つだが、外装の写真だと持ち手が二つ付いていた。真ん中に圧をかけてから封を切れば、おそらく板状だったアイスキャンディーが二本になって出てくるのだろう。けれども割るのに失敗したのか、尊が袋から取り出したものは上の方の一部が片側のアイスにくっついて残ったままで、欠けた方のアイスは当然その分小さくなっていた。
「下手だな」
「うっさい。いつもはちゃんと割れるんだよ!ほら、あんたこっちな」
失敗に顔を赤らめながら手渡された了見の取り分は、その大きくなってしまった方だった。
「お前が食べたかったのだろう。私はそっちの小さい方でいいのだが」
そもそも、普段なら迷わず大きい方を取っているくせに。今日に限って遠慮がちな相手を不審に思っていると、尊が不意に距離を詰めてきた。かと思うと、了見が手にしたアイスのうち、本来尊の分であった部分を一気に齧って攫っていった。
「おい。私の分なのではなかったのか?」
「へへー。これでバランス取れただろ」
にっと笑う尊の笑顔に、了見は行儀が悪いと怒る気も失せて肩を竦める。
「まったく……」
「んー、つめたい!最高!」
了見は余分が欠け、代わりに歯型が残ったアイスに視線を落とす。
(これはある意味、関節キスと言えるのでは)
なんとも子供じみた思考だと思いながらも、ふとそんなことを過ぎらせつつ凝視していると、やけに神妙な顔をしてアイスを睨んでいる了見の様子から遅れて尊も同じ思考へと思い至ったのか、急にあたふたとし始める。
「お、ま!なんか、変なこと考えてないだろうな…!?」
アイスを眺める様を見ていただけで同じ思考に至る自分を棚上げにするとは恐れ入る。
「さて、な。妙なことを考えているのはお前のほうだろう」
鼻で笑えば、顔を赤くした尊がやっぱり両方とも自分で食べると逆上し出したので、了見はその手をひらりと躱す。
別に今更関節キスだなど、さして騒ぎ立てるような事柄でもないのだが。そうは思いながらも、了見は他人には理解されないであろう付加価値の付いた氷菓子にやたらと上機嫌になって齧り付くのだった。