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    oimo_1025

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    oimo_1025

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    いけるひと

    #了尊
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    桜に攫われる系のよくあるやつ。※尊の両親的なものが出て来て喋るので、無味寄りだとは思うのですが一応注意です。






    「――――ッ」
     尊が布団を蹴飛ばすのと意識が覚醒するのはほとんど同時だった。
     デンシティに住む大半の住民が眠りの中にいるだろうと思しき深夜のことだ。尊は時折、今のような寝苦しさに眠りを妨げられて飛び起きる。理由は大抵の場合が悪夢で、内容は過去の苦しんだ記憶であることもあれば、全く無関係ながら嫌な気持ちになるもの、嫌だったことは記憶しているが起きた瞬間に内容が飛んでしまっているものまで様々だった。
     悪夢全ての起因がロスト事件の後遺症によるものばかりというわけでもないが、それでも少なからず悪夢を見やすいことについて、その頃の影響は幾許かあるようにも思う。だとしても、昔よりはずっと回数は減っているから尊自身としては「今日は見ちゃったか」と思える程度にはなってきているのだが。少なくともこの街に来て様々な経験を経た今は、膝を抱えて自分を責めるようなことはしなくなっていた。
     尊以外の住人のほとんどが寝静まっているアパートの気配を感じながら、尊はそっと布団を抜け出した。とりあえず起きたついでに用を足し、水を飲む。だがやれることはそのくらいで、こんな時間に他にすることなど、あるはずもなかった。
     吹き飛んでしまった眠気の波は一向に訪れず、特別テレビを観たいとも思わない。かといって尊はいそいそと勉学に励むほどの勤勉さも持ち合わせてはいなかった。仕方なしにデッキの調整でもしようかとデュエルディスクを引っ張り出す。現状ではおそらく一番楽しくて、一番時の流れを早く感じられる作業だった。
     手にしたディスクは小さな駆動音をたてるだけで、起動しても少し光を帯びるだけで静かなものだ。うんともすんとも、反応がなくなってしまったその空の入れ物には慣れたつもりだったけれど、こんな夜にはどうにも一抹の寂しさを覚えてしまう。
     
     ――――ごぉお。
     
     そうしてカードを手に触れようとした時だった。突然屋外で強い風が吹いたのか、空気が建物や配管の隙間を抜けていく大きな音に驚いて顔を上げる。すかさずベッドを離れた尊はカーテンのかけられた窓辺に立ち、少しだけ隙間を空けるとそこから外を覗いてみた。
     デンシティは尊が暮らしてきた田舎とは違い、深夜であっても完全な暗闇になることはない。尊のいるアパートの窓からでも、街灯によって50メートル先くらいまでなら、立っているのが知り合いならば誰だか判別がつくだろう。その程度の明るさは保たれていた。
     港の方に行けばもっと暗いのだろうが、暗がりがそれほど得意でない尊にとっては正直ありがたい。
     ひとつ言うのなら、家が密集しすぎていて少し緑が足りないか。それを来たばかりの頃に不霊夢にも話したら、彼には「キミの実家の周りは海や山と自然ばかりだったからな。落ち着かないのも無理はない」と指摘され、実際そうなのだが田舎者扱いされて憤慨したのを覚えている。
     そんな木々の過疎が目立つ無機質な道路沿いの窓辺には、どこから流されてきたのか桜の花弁がびっしりと硝子面に貼り付いていた。
    「この辺に桜なんかあったっけ……?」
     記憶を巡らせてみたところ、公園や学校近くの街路樹で桜はよく見るものの、近所で見た覚えはなかった。しかし遠くから流されてきたにしては、窓に付いている量が些か多すぎる。だとすると、この桜は一体どこから流されてきたのだろうか。
    「……」
     ――きっと、変な時間に目が覚めてしまったせいなのだろうと思う。
     尊はおもむろに窓を離れ、寝間着の上に外出用のブルゾンを羽織るとそのまま思い立ったように外へ出た。
     どうしてか、その桜の所在が無性に気になったのだ。どうせすっかり目は覚めてしまっていたし、いっそこのまま夜の花見でもしてやろうとかとさえ思い始めていたのもある。デンシティでも未成年の深夜外出が許されていないのはもちろん、いくら街灯が明るいとはいえ、自分が夜の暗闇を好まないということもなぜかこの時は頭から抜け落ちていた。
    「うわ、風つよ」
     ごうごう、ごうごう。
     外に出ると台風とまではいかないが、そよ風などとはとても呼べない強さの強風に煽られる。尊はブルゾンの前を閉めて、いくらか前傾姿勢を取り、風の抵抗を減らしながら夜の街を練り歩き始めた。
     強い風の割にはゆらゆらと踊るように流されていく桃色の花弁たちを見失わないように辿っていく。
     ひらひら、ふわふわ。
     シティの深夜の街を一人で歩くというのが新鮮だというのもあるけれど、こんな子供の一人遊びのような理由で街を歩き回るというのも久しぶりな気がして、少し楽しくなってきた。比較的近所でありながら通ったことのない道を一回、二回と曲がりながら、尊はふと、歩いているその道の光景に見覚えがあるのに気が付いた。
    (……あれ?)
     初めてアパートに行こうとした時に迷って通った道だったろうか。
     ――いや、あの頃の尊にはもう不霊夢がいた。尊が道を間違えれば彼はすぐに「違うぞ尊、そちらではない」と指摘をしたから、迷うことはなかったはずだ。
     不霊夢がいなくなってしまった頃にはもうよく使う道くらいは覚えていたから、覚えのある道ならこんな感覚にはならないだろう。
     だからこのなんとなくの気配は、少なくともこの数ヶ月で体験した感覚とは確実に異なっていた。あるとしたら、それは。
    (なんだろう、もっと。もっと……むかし、に)
     
     ――――ざわ。
     
     風に煽られる木々のざわめきと共に、吹雪のように桜の花弁が降り落ちてくる。それらは尊の周囲で小さな竜巻でも起こったように、くるくると舞い躍っている。眼鏡の隙間からでも目に入ってきそうな花弁に、思わず目を瞑って風が止むの待っていると、耳を抜けていく風切り音とは別の、奇妙な音が混じって聞こえてくるのに気が付いた。
    「――る、」
    「ッッ!」
     それが人の声だとわかった瞬間、尊の全身が強張った。
    (え、やだ。どうしよう目開けたくない)
     視認してしまったら最後な気がして、ぎゅうっと一層きつく瞼を閉ざす。耳も塞いでみたところ、そちらは直接語りかけてきているかのように、物理的な干渉をすり抜けてきた。
    「――目を開けて。ねえ」
     嫌だと言っているだろう見てわかってくれ。言葉にはしなかったが、そういう気持ちを持って首を横にぶんぶんと振り回す。
    「お願い。お願いよ。こっちを向いて」
     ――――たける。
    「……、え?」
     その名前を紡ぐ音は、尊の記憶の奥底に確かに眠っていたものだった。
     
    「――尊」
     穏やかで優しい女の声に、名を呼ばれた
    「――尊」
     温かみのある力強い男の声に、名を呼ばれた。
     
     まるで吹き出し口を堰き止められでもしたかのように、尊を呼ぶ声と共にぴたりと風は吹き止んだ。その気配に怖々と瞼を開いた尊の眼前には、いつの間にか大きな桜の木が聳えていた。
     恐ろしく感じるほど夜の暗がりの中で淡く艶やかな光を放ちながら美しく咲いている満開の桜の木。けれど尊の意識が向いたのは桜ではなく、その下だった。
     妖光を放つ桜の下には懐かしい。――懐かしい気がする、二人の姿を見た。
    「…………おかあさん……おとう、さん?」
     もう何年も口にしていなかった呼称を絞り出した声は掠れて、震えていた。おぼろげに眠っていた、いくら思い出そうとしても上手くいかなかった、幼い頃の記憶が突然、鮮明に呼び起こされる。
     
     ――ここは昔、尊が家族で来たことのある場所だった。
     文字を覚えたばかりの尊が名前を書けるようになった頃のことだ。その頃は嬉しくて様々な物に名前を書き連ねて、家族で遊びに行った先にあった桜の幹にも、拾った先の尖った石で辿々しく名前を書いた。
     そうして木を傷付けたことを母にはひどく叱られて、わんわんと泣いた日のことを思い出した。今の尊の背丈だと少し見下ろすくらいの位置に、ぼんやりとその傷が残っている。
     ずっと忘れていた、遠い遠い、記憶の話だ。
     それがなぜ。どうして。
     尊を残して逝ってしまったはずの二人が今、この木の下に。
    「尊、こっちへいらっしゃい」
    「おいで尊。一緒に遊ぼう」
     両親は尊に手を差し伸べる。尊は、両親の顔を見つめたまま動けなかった。
     おかしい。二人はもういないはずなのだ。あの日、ロスト事件で行方知れずになった尊を探して、事故に遭って。だからこれはきっと、自分の心が見せる幻だ。――そう思うのに、尊は背を向けることも手を跳ね除けることもできずにいた。
    「尊、早くしないと置いて行ってしまうぞ」
     父が笑う。
    「ほら尊、行きましょう? 今度こそ、ずうっと一緒よ」
     母が微笑む。
    「……っ」
     尊は一度強く唇を噛み締め、背筋に走った得体の知れない感覚によろめいて、ふらりと一歩後退る。
    「なぜ逃げるの?」
    「尊。父さんと母さんがわからないのか?」
     一歩ずつ、ゆっくりと両親は近付いてきた。躊躇いがちな尊よりも迫ってくるのが早い二人の姿はどんどん大きくなって、やがて間近に迫ってくる。眼鏡のレンズ越しに見るその顔は、尊の記憶にある家の仏壇に飾られていた、写真の姿そのものだった。
    「――お父さん、お母さん……」
     ぽつりと盛れ出した声に両親は歓喜した。目の前までやってきた二人は尊の手をそっと握り、それからきつく抱き締める。
    「あぁ、尊! 会いたかったわ。私達の尊」
    「こんなに大きくなって……母さんに似てきたな」
     桜の香りに紛れて両親の匂いがした。尊の目頭が熱くなる。鼻の奥がツンとして、胸がいっぱいになった。ずっと忘れていたはずの、置き去りになったはずの感情に戸惑いながらも、尊は二人の背中に腕を回して応える。
     
     本当はずっと抱き締めてほしかった。
     ごめんなさいと謝りたかった。
     愛していると、伝えたかった。
     
    「――、」
     しばらく無言のまま三人で抱き合って。それから口を開こうとして。尊はそれを、ピタリと止めた。そして両親の体をぐい、と手で押し退ける。
    「尊……?」
    「どうしたんだ、そんな顔をして」
     両親が戸惑ったような表情を浮かべている。おそらく、尊も同じような顔をしていた。それに尊は首を横に振って、否定してみせた。両親を、ではない。自分の感傷をだ。
    (違う。これは、違うんだ)
     尊は誰よりも知っている。この10年で理解してきた。
     両親がもういないことを。二度と叱ってもらうことも、抱き締めてもらうこともできないことを。
     そして両親は、そんなことを望まないはずだ。命が尽きるまで自分を心配し、探してくれた二人なら。少なくとも、こちらへ来いなどとは、絶対に。
     
     ――だから。これは違うのだ、と。
     
    「……ごめん。僕はあなた達とは一緒に行けないんだ」
     
     きっと、両親ではない『なにか』だった。
     
     尊の言葉に、二人は信じられないと言わんばかりに顔色を変える。途端に「母だったもの」が尊の手を掴もうとするのを、咄嗟に後ろに下がりながら払い除けた。
     尊の拒絶に、母の姿をしたなにかは穏やかな雰囲気など捨て去って怒りを露わにする。
    「どうして!」とヒステリックに叫びながら、今度は父であったものが尊を捕らえようと両手を広げて向かってくる。それを同じように振り払おうとした瞬間、腕に着けたデュエルディスクから突然炎が噴き上がる。
    「は……え?」
     あまりの光景に尊は絶句する。炎は尊の体を燃やすことはなく、両親を模したなにかと、奥にある桜の木だけを焼き焦がしていった。
    「ぎゃああああぁ!!」
     肉の焼けるいやな匂いと桜の甘い匂いが混じって気分が悪い。桃色だった木々は黒い煙を上げ、燃え盛る赤色へと変わっていた。
     
     ――――怪我はないか? 尊。
     
    「――、」
     ひくりと喉が戦慄いた。、悲鳴を上げて転げ回る両親の似姿を眺めながら呆然と立ち尽くす尊の前には、いつの間にか見知った小さな相棒の姿があった。彼はいつも口うるさいくせに、今は尊に向かって穏やかに微笑むばかりで、何も語らない。
    「……ふれ、」
     いむ。
     名前は最後まで紡げなかった。その名前だって、消えてしまった尊のパートナーにだけ許された名前だった。だからきっと、呼ぶことは許されない。
     ――それでいい。
     そう言って、不霊夢の姿をしたなにかは慈しむように微笑んでいる。
    「……ッ」
     きっと、これも偽物だ。不霊夢はあの時失ったし、リボルバーとの戦いの最中に最期の残滓も失われたはずだった。けれど、あの不霊夢からは両親のような違和感を抱かない。自分の中で直感のようなものが、彼は大丈夫だと告げていた。
    (不霊夢……)
     近寄ることも逃げることもできず、のたうち回って黒いなにかに姿を変えていく両親だったものを眺めながら、せめて看取ってやろうと尊はその場に立ち尽くす。
     その時だった。
     派手に轟く雷鳴と共に白いコートの裾を翻し、それは空から飛来した。尊と不霊夢の間に降りた男はゆっくりと立ち上がり、尊を振り返る。
    「無事か、穂村」
    「……え、リボルバー……!?」
     思わずシリアスな空気にそぐわない、素っ頓狂な声が上がってしまった。彼が現れたこと自体にも驚いたが、特に驚いたのはその格好だった。どうしてリンクヴレインズでもないのに、彼はアバター姿なのだろう。それを問うと、リボルバーは苦虫を噛み潰したような顔をして、わざとらしく溜め息を吐いた。
    「――まさか気付いていないとはな。ここはリンクヴレインズだ」
    「……はぁ!?」
     言われて初めて、尊は注意深く辺りを見回し直す。確かによく見れば、見覚えのある街並みこそ広がってはいるものの、それはところどころ綻びていた。リボルバーがいる時点でそうとしか認めようもないのだが。つまり、これはVR空間であり、尊はいつの間にかログインして、知らぬ間にこの空間に誘われ歩いてきてしまったということになる。
    「……だったらなんで、僕のままなんだ?」
     リンクヴレインズにログインしているのなら、尊の姿はソウルバーナーに変わっているはずだ。なのに尊は尊の姿のまま、そこに存在していた。どういうことだと首を傾げていると、リボルバーは静かに言った。
    「私はリンクヴレインズへの不正アクセスを検知して、その実行者がお前であることを突き止めた」
     気付いたリボルバーはさぞ不審に思ったことだろう。尊が理由もなくそんなことをする人間ではないと理解している点を差し引いたとしても、だ。尊が不正アクセスができるようなハッキング技術など持たないことを、彼はよく知っているのだから。
    「更に解析したログイン履歴はアバターではなくお前自身ときた。異常だと認識するには十分だろう」
    「それで来てくれたの……」
     そういえば、彼は今一人だった。いつもなら右腕のスペクターが傍らにいるのだが、今は見当たらない。それだけ急いで駆け付けたのだろうか。
    「……不本意だが、それが私の使命だからな」
     不服そうに言うリボルバーに、尊は思わず苦笑した。どうやら彼は、本当に尊を心配して駆けつけてくれたらしい。恐らくだが、きっと彼は不霊夢や不在の遊作の分まで尊に気を回してくれているのだろう。
     助かりはしたけれど、少し過保護すぎるような、けれど嬉しいような恥ずかしいような。そんな気持ちになって誤魔化すように頬を掻く。そしてふと、リボルバーの登場によって意識から外れてしまっていた不霊夢に視線を戻した。
    「……あれ、いない……?」
     残されていたのは焼け落ちた桜の木と、両親の姿を模していたなにかの消し炭だった。先程までは確かにそこにいたはずなのに――まるで最初からいなかったかのように、そこにはなんの気配もない。
     反射的に不霊夢を探して駆け出そうとしたところを、不意にリボルバーに右手を掴まれ止められる。そして尊の正面に立った男は神妙な表情を浮かべながら、静かに呟いた。
    「今を生きる者は、その生命の続く限り、奔流を外れて逝った者に交わることはない。決してな」
     それは尊に言い聞かせるようでいて、彼自身にも語りかけているような。そんな言葉だった。
    「……わかってるよ」
     わかっている。だからこそ、いつか彼らと同じ場所に辿り着いた時に恥ずかしくない人生を歩みたいと尊は思うのだ。リボルバーが自分の父親や、犠牲にしてきた全てのものに対してそうであるように。
    (僕はまだ、生きているんだから)
     きっと人間は望んだ理想通りに生きていくことはできないものなのだろうけれど。それでも生きていかなければいけないのだから、せめて胸を張れる生き方をしたいと思う。だからやはり、こんな場所で立ち止まっているわけにはいかなかった。
     頷いた尊を見て、リボルバーは僅かに目を細めた後、おもむろに尊の眼前に開いた手のひらを突き出した。
    「え、なに?」
    「……馬鹿め。帰るに決まっている」
    「でも、どうやって……って、うわっ!?」
     リボルバーが翳した手から眩い光が発せられ、尊は瞬間的に目を開けていられなくなる。恐らくは強制ログアウトをさせるためのコードなのだろう。それと同時に尊は意識が保てなくなり、感覚が遠のいた。
    「あまり、――――るな」
    (……な、に……?)
     遠くなっていく声は、上手く聞き取れない。
     ただ、翳される手の光の隙間から覗いたリボルバーの顔は、「お前に会えて良かった」と口にした、あの時のような。ひどく優しいものだった。
     
     
     
     目を開けると、そこには見慣れた天井があった。視界の端に映るカーテンからは眩しい陽光が漏れており、外からはチチチ、と鳥の囀りが聞こえてくる。
     朝だ。
    「……夢?」
     ぼんやりと呟いてみるも、すぐにそれは違うと思い直す。なぜなら布団の上に投げ出していた左手には尊を守ろうとした炎の熱が。右手には、あの世界で掴まれた男の手の感触が、確かに残っている。あれは夢なんかじゃない。
    「……なんだったんだ、一体……」
     呟きと共に深く溜め息を吐く。中々恐ろしい目に遭ったのだと理解はできたが、湧き上がってくるのはなぜか不快感よりもどこか、安堵するような気持ちが強かった。
    (……胸がざわざわする)
     なんだかとても、落ち着かない。妙に気分が高揚していて、いつもなら目を覚ませばまず二度寝を貪ろうとするのにそれさえ忘れてベッドから飛び起きる。登校するにはまだ早すぎたけれど、じっとしているができなかったのだ。
     手早く身支度を済ませて家を出ると、外はまだ薄暗かった。早朝特有の冷たい空気が肺を満たしていく感覚に少しだけ頭が冴えたような気はしたが、逸る気持ちは治まらない。そのまま足早に歩き出しながら、学校へ向かうはずの足はいつの間にか別の場所へ向いていた。――夢の中で見た、桜に誘われたあの道を。
     
     
     
     しばらく歩いて到着したその場所には、現実でも変わらず一本の大きな桜の木が立っていた。しかし辺りを見渡せば、あの時とは違って人の姿がある。そしてその人影の正体に気付いた途端、尊は思わず足を止めた。
    「……鴻上」
     そこに立っていたのは、今度こそ了見だった。彼はじっと桜の花ではなく、幹の辺りを眺めて立っていた。突然背後からかけられた尊の声にも驚いた様子はなく、むしろ予見していた素振りでゆっくりと振り返る。そして声の主である尊の姿を認めると、わざと一段落としたような声音で口を開いた。
    「穂村か。……体はなんともないのか」
     そう言って気遣わしげに尋ねてくる彼に、尊は小さく頷いて返す。了見がこうしてここにいてこのように尊に問いかけるのだから、やはりあれはただの夢ではなかったのだと改めて確信する。
    「……なぁ、鴻上」
    「……」
     了見は答えない。けれど嫌とも言わないのなら勝手にしてやろうと、尊は一方的に言葉の続きを押し付けることにした。
    「助けてくれてありがとな」
    「…………なんの話だ」
     尊の言葉にぴくりとだけ眉が動いたが、それだけだ。どうやらシラを切るつもりらしい。
    「べつに。僕が勝手にそう思っただけだけど?」
     仕返しとばかりにわざとらしく惚けて見せると、了見は先ほどよりもいくらかわかりやすく眉を顰める。
    「……助けたのは私ではなかっただろう」
     了見の言葉がなにを指しているのかは、もちろん理解している。尊を捕らえようとする両親の姿をしたものから尊を救ったのは、了見ではなく、不霊夢だった。
     確かにそうなのだが、それはあくまでも物理的な話だ。
    「……こういう時って、素直にお礼受け取っておくものじゃない?」
    「押し付けがましいのも無粋ではないのか」
     消えてしまった人に対して遺された者ができること。命ある者の責任。尊に与えられた、生かされた命の向かう方向を示したのは了見だった。
     両親に、不霊夢に恥じないよう生きたいと思ったからこそ、連れていかれるのを拒めた。それは間違いなく了見との、リボルバーとの戦いから得られた成長だ。
    「……ちぇ。いいよもう。僕が勝手に思ってる分にはいいんでしょ」
    「…………」
     無言は肯定と受け取った。ほっと胸を撫で下ろす尊だったが、それで気が抜けたのか、急に空腹感に襲われる。思えば朝食も採らずに出てきてしまった。一度空腹を感じるといても立ってもいられなくなり、勢いに思い立った尊の口は自然と動き出していた。
    「ねえ、こんな時間からこんな場所にいるってことは、時間あるんでしょ。奢ってやるから朝ご飯付き合ってよ」
    「断る。なぜ私がお前の都合に付き合わなければならないんだ」
     絶対に断ってくるだろうとは思っていたが、予想通りに即答の拒絶だった。けれど今日の尊は――普段だって怯みはしないのだが――その程度で怯むような男ではない。むしろ、嫌がられると余計に燃えてくるほどだった。
    「僕が来るのをわかってて、こんな場所に立ってる奴が悪いでしょ。いいから付き合えよ。あんたのことだから、遊作のことも探してるんでしょ? そっちの話も聞きたいし」
     この男のことだから、きっと独自に調べてはいるのだろう。なにも言わないということは見付かってはいないのだろうが、痕跡の情報くらいは持っているかもしれなかった。――それに、遊作のことがなくても、だ。今日はなんだか、無性にこの男と話してみたいなと、そう思ったのだ。
    「おい、待て……!」
     有無を言わさず腕を掴んで歩き出してしまうと背後で小さな溜め息が聞こえたような気がしたが、無視を決め込む。それに腕力的には尊が多少上でも、同じ男だ。振り払いたいならいくらでも方法はあるだろうに、なんだかんだと手を振り解かないあたり、本気で抵抗されていないのは丸わかりだった。
    (ほんと、めんどくさい奴)
     そんなことを思いながらちらりと振り返ると、丁度こちらを向いた了見と目が合った。その瞳は朝の淡い光を受けてか、不思議な色合いを帯びているように見える。その色を見ていたら、夢の終わり際の声がふと耳の奥に蘇ってきたのだ。
     
     ――――あまり、心配をかけてくれるな。
     
    「…………は?」
     聞き取れなかったとばかり思っていた言葉が突然浮上してきて。それもなんだか、思っていたのよりもずっと、ずっと。
    (なんだ、なんだこれ!?)
     一気に顔に熱が集まった気がした。理由はわからないが、心臓がとにかく早鐘を打っていて、煩いくらいに暴れている。
    「強引に引っ張ったと思ったら立ち止まって、今度はなんだ」
     よくわからない感情に戸惑う尊だったが、了見の声で現実に引き戻される。
    「……っ、なんでもない!」
     訝しげにこちらを見てくる男に顔を覗かれそうになり、尊は慌てて歩みを再開した。なんだか今は、顔を見られたくない。そんな気持ちになっていた。
     後ろから聞こえてきた呆れを含んだ溜め息さえも、今は気にしている余裕がない。
    「どこへ行くつもりだ」
    「まだ、決まってないけど……」
    「……ならば、こちらだ」
     ノープランの尊の考えなし加減にまた呆れを見せた了見は、たまに寄る店がある。そう言いながら尊を進行方向と逆側に引っ張り始めた。すると前後が逆転した上に了見が振り返ったものだから、結局尊は顔を見られてしまう。
    「……ふっ。なんだ、その顔は」
     了見は尊の顔を見るなり揶揄するような笑みを浮かべ、視線で方向だけ示すと先を歩いていく。お前のせいだよとも言えない尊は小さく唸りつつも、他に提案できるプランがあるわけでもなく、黙って着いていくしかなかった。予定は少し変わってしまったが、了見がその気になったようなので、まぁいいか。と尊は気楽に考えることにした。
     ――けれども、連れていかれた店のメニューを開いて、その平均価格に震え上がることも。結局了見に財布の世話をされる羽目になることも。まだこの時の尊は、予想すらしていないのだった。
    「迷子になるなよ」
    「手まで掴んどいてなると思う? お前こそ道に迷ったとか言わないでよね」
     背後に立つ桜には、夢の中の様なおぞましさはない。ひらひらと花弁を風に揺らされながら、今までもずっとしてきたように、そこに佇んでいる。
     その幹の一辺には、いつかの子供の苦い爪痕を遺したままで。その木はじっと、離れていく二人を見送っていた。


     
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