今夜はカレーエプロンを身に付け、台所に入る。
今日は兄上と僕しかいないし、久しぶりにカレーでも作ろうかな。確かさつま芋もあった筈だから、じゃが芋代わりに入れてもいいかも。きっと兄上、喜ぶだろうなぁ。好物を頬張る時の兄を思い出し、くすくす笑いながら棚の中にあるカレールーを取り出そう…として、ふと気付く。あれ、カレールーがない。いつもはこの棚にストックがあって、昨日も夕食の手伝いをした時に見掛けた筈なのに。おかしいな…と振り返ったその先に、兄が立っていることに気付く。その右手に握られた"それ"を目にして、思わず僕は叫んでしまった。
「あ、兄上…!?何故兄上がカレールーを…?」
「うむ、偶然今朝見つけてな!」
今晩、お前に作ってやろうと思っていたのだ。
にこにこと笑う兄が、意気揚々と台所に入ってくる。カレーを作る前に米を炊かねばならんな!と笑いながら炊飯器を開けた兄の腕に、僕は慌てて縋り付いた。
「兄上っ!お気を確かに!」
「俺は至ってまともだ!案ずるな、今日こそ作れる気がする!」
「ぜ、前回もそう仰っていましたよ!」
僕を腕にぶら下げたまま、兄は拳を握って任せろ!と笑うが、何一つ安心できない。前回もそう宣言した後にコンロを全焼させ、危うく火事になるところだった。結局は兄が鎮火してくれたけど、コンロは暫く使えなかったし、ご近所さんには「何だか焦げ臭いですね」なんて笑われるし、もう思い出すだけで頭が痛い。兄上、いいのです。僕に料理を作ってくださろうとする、その気遣いだけで千寿郎は涙が出そうです。お願いですから火は使わないで!そんな切実な願いも空しく、僕の体はふわりと宙に浮いた。気付いた時には兄の腕に抱えられ、そのまま台所の奥まで連れて行かれる。そしてコンロの前に立ち止まったところで、僕は兄の意図に気付いてじたばたと暴れ出した。
「こら、暴れるんじゃない。危ないぞ」
「だ、駄目ですってば!コンロは駄目です!」
「うむ!俺は使えないから、」
お前が代わりにつまみを捻ってくれ。
コンロに目線を落とし、万事解決!といった顔をしている兄に脱力する。兄上、そういうことじゃないです。以前コンロを焦がした時、父上は兄上にコンロ使用禁止令を出した。焦げ臭い台所で『頼むから一人でコンロは使うな…』と項垂れた父の言葉を、兄はどう曲解したのだろう。僕がコンロのつまみを捻ったところで、兄上は火力が足りんな!なんて言って勝手に火力を上げるのに。前回もそれで料理もコンロも黒焦げになったのに。
そう言って、兄を止めたかったけど。器用にも僕を抱えたまま野菜を取り出す、兄の横顔が優しくて。本当に僕に作ってあげたいんだな、と思うと不覚にもぐっと来た。その気持ちは分かる。僕も兄上に美味しい料理を作ってあげたいと思うから。脳裏に項垂れた父上の顔が浮かんだが、楽しそうな兄を前にすると自然と僕が折れていた。
「…勝手に火力、上げませんか?」
「あぁ!今回はお前の火加減に任せる!」
「その台詞も前に…まぁ、分かりました」
不穏な言葉に少し嫌な予感がしたけれど、兄の熱意に圧されて僕は頷いた。何も兄は料理が苦手な訳じゃない。野菜を切るのだって上手だし、味付けだって至って普通で美味しい。ただただ、火加減が出来ないだけだ。そこをコントロールしてあげたら、案外美味しい料理が出来るかも。そう自分を納得させ、僕は冷蔵庫の上を指差した。今日はさつま芋も入れませんか、そう提案した時の兄の笑顔が眩しくて。料理っていいなぁ、なんて改めて思った。
おしまい
今夜はカレー
(今日は腹が減ったな!ルーは全部使おう!)(あはは、兄上そればっかり)
台所破壊神な兄と、台所最終防衛ラインな千くんが書きたかった。
多分普段は千くんがカレーを作るのを、後ろから見守るのが兄上の仕事。千くんが『今日は何人前にしますか?』って聞いたら、兄が『今日は腹が減ったから、全部入れてくれ!』って返すのが定番のやり取り。兄が殆ど食べると思いきや、三分の一は千くんのお腹に入る。食べ盛りだからね。