黎明の先に※最終決戦後の千くん、不死川さん、冨岡さん(+宇髄さん)
三月に一度の恒例行事。
生き残った者たちで集まり、互いの近況と昔話をつまみに酒を呑む。かつての同僚二人と、同僚の弟と。奇妙な四角関係は意外と続くもので、気付けば季節は二巡目に差し掛かっていた。
「おーい、邪魔すんぜェ」
だだっ広い屋敷の玄関先、昔ながらの扉に向かって声を掛ける。
もうかれこれ五度目の会合になるが、いつだってこの屋敷が集合場所になっていた。別に他所でも構いやしないが、目の届かないところで弟を連れ出すと煩そうなやつがいるので、毎回満場一致でここになるのだ。脳裏に浮かんだ快活な笑顔に『お前だよ、お前』と突っ込みを入れ、目の前の扉が開くのを待つ。が、いつまで経っても扉は開かない。時間は間違えてねェ筈…と、もう一度声を掛けようとしたその時。音もなく扉が開かれ、続けて現れた男に俺は顔を引き攣らせた。
「――不死川、久しぶりだな」
「…何でオメェが出てくんだ」
「?煉獄弟は今手が離せない。料理中だ」
「あっそ…」
俺を出迎えたのは旧友の弟ではなく、いけ好かない元同僚だった。
もはや条件反射で悪態をつけば、元同僚…冨岡は額面通り受け取っては馬鹿正直に説明してくる。続けて「鮭大根も作ってくれた」と穏やかに笑った冨岡に、嫌味を言う気力も無くなって、そのまま家に上がり込む。野郎と並んで歩く気はないので、冨岡を置いて足早に廊下を進んでいく。後ろでは冨岡が「不死川は足が速い」なんて頓珍漢なことを言うので、余計に脱力してしまった。
(…相変わらず、気に食わねェ)
頭がイテェ。冨岡と話すといつもこうだ。一言二言話しただけなのに、凄まじく体力を削られる。話が通じねェし、絶望的に気が合わない。たまたま鬼殺隊で一緒になっただけで、たまたま同時期に柱になっただけ。鬼がいなけりゃ、話すこともなかっただろうな。そんなことを考えながら、勝手知ったる煉獄家の廊下を歩いていく。
…出来ることなら冨岡でなく、いつものように煉獄の弟に迎えてほしかった。
成長期真っ只中なのか、会う度に身長が伸びる様を見守るのは楽しい。幼かった顔立ちは季節を巡るにつれて大人びて、少しずつ少年を脱しようとしている。そんな弟分の成長が楽しみだと思う反面、本来ならばこれは煉獄が見るべき一面だったとも思う。まるで若竹のように成長する弟を傍で見守り、いずれやって来る巣立ちの日を待つ。明日も知れない日々の中、その日を夢見ていただろうに。
だからこそ、煉獄の代わりに弟の成長を見守ってやりたいと思う。困っていれば手を貸してやって、自分の思う道を進ませてやる。あいつが出来なかったことを、今度は俺が引き継いでやりたいと思う。あと何度会えるか分からないが、あと季節が二巡するくらいまでは見守ってやれる筈だ。そっから後は宇髄に任せるしかねェな、なんて笑ったところでふと気付く。そういや、宇髄はどうした。
「…宇髄、今日来ねぇのか」
「あぁ、奥方が産気づいたらしい」
「へェ。二人目か」
そういや、前回そんなことを言っていたような気がする。
鬼殺隊で唯一の妻子持ちの男は、美人の嫁さんを三人ももらっていた。最初は何だコイツと思ったものだが、四人、いやチビを入れて五人で仲睦まじく過ごす様を見ていると、案外いいものだなんて思う。今後は更に家族が増えるなんて、いい事尽くしじゃねェか。長生きするだろう友人を思い、知らずの内に口の端は緩んでいた。
そんな近況報告を交えながら、親子二人では広すぎる屋敷を冨岡と歩いていく。この前偶然村田に会っただの、竈門たちが俺に会いたがっているだのを聞きながら、適当に相槌を打つ。どうでもいいけど、村田って誰だ。脳裏に前髪を真ん中で分けた男が浮かんだが、顔が思い出せないので打ち消した。そして一言二言俺の近況を語り、台所に続く角を曲がろうとしたその時。立派な重箱を二つ抱えた金髪が、パタパタと足音を立てて俺たちの前に現れた。昔一つに括っていた髪は、兄と同じく一房だけ後ろで結われている。金と赤が混じった瞳は大きく見開かれたが、俺たちふたりを見渡すと優しく細まった。兄の面影を残しつつ、また違った成長を遂げる煉獄弟が眩しくて。つい昔のように髪をかき混ぜるように頭を撫でれば、少年から青年に変わりつつある煉獄弟は、照れくさそうに口を開いた。
「不死川さん、こんにちは。お変わりないようで安心しました」
「おう。また背ェ伸びたか」
「あはは…炭治郎さん達にも言われました」
もう少し、伸びるかなぁ。
自分の頭を撫でながら少し上を見た弟は、きっと兄を思い浮かべているのだろう。幾分か伸びたとはいえ、煉獄弟の身長は兄には届かない。今くらいが丁度いいんじゃねェの、とは思ったが、嬉しそうに「宇髄さんには伸びしろがある、と言って頂きました」と笑うので、敢えて何も言わなかった。
「煉獄弟、重箱は俺たちが持とう」
「ありがとうございます。でも見た目ほど重くは、」
「いいから、お前は先に行っとけェ。料理が冷めるだろうが」
恐縮する弟から重箱を奪い取り、二つのうちの一つを冨岡に押し付ける。
片手では持ちにくいのでは…と心配する弟をよそに、冨岡は慣れた手つきで重箱を抱え直した。真顔のまま「不死川の分も持ってやろうか」と冗談を宣う腐れ縁に蹴りを入れ、大きくなった背をぐいぐいと押してやれば、弟は根負けしたように笑って歩き始めた。そして元来た道を戻り、これまた広い縁側に辿り着く。抱えた重箱を床に降ろし、風呂敷を解こうとした俺たちを止めたのは、煉獄弟の穏やかな微笑みだった。
「…今日はあの桜の下にしませんか」
「あの桜って…庭の桜かァ?」
「はい。偶にはいいかな、って」
「俺は構わない」
形のいい指が差した先には、庭の隅に植えられた桜の木があった。どちらかというと紅葉の印象が強いこの屋敷には、一本だけ桜が植えられている。去年はその桜をつまみに縁側で酒を呑んだものだが、今年は桜の下がいいらしい。別に縁側にこだわりがある訳ではないが、どの季節も縁側で飯を食ってきたのに、今年だけどういう風の吹き回しだ。何か含みがありそうな弟に問いかける前に、冨岡が返事をしたので有耶無耶になってしまった。この野郎…鮭大根が冷めるのが嫌なだけだろ。宇髄とは別の次元で自由人な冨岡に悪態をつけば、首を傾げる本人の横で煉獄弟がくすくす笑った。
「実はもうお酒も用意しているのです」
俺たちの草履を地面に並べた弟は、微笑みながら桜に近付いていく。よく見れば桜の木の根元には酒と盃が置かれていて、花見酒の準備は万端だった。相変わらず、気の利くことで。準備の良さに舌を巻きながら、浮かれた冨岡と共に庭を歩き出した。庭の隅に一本だけ植えられた桜は、今がちょうど満開のようで、風に揺られて花弁が舞い散っている。あまりに吹きすさぶものだから、一足先に桜まで辿り着いた煉獄弟など、花びらで隠れてしまいがちだ。こんなに花びらが舞ってる中、酒なんて飲めんのかァ?なんて思ったが、折角酒を用意してくれた弟の厚意を無下にも出来ない。ま、記録的寒波の冬に酒を呑んだ去年よりマシか。そう考えなおし、こっちこっち!と笑って手を振る弟に手を振り返した、その時。ひと際強い風が吹き、一瞬目を瞑ってしまう。そして次に目を開いた時、煉獄弟の後ろに見える人影に息を呑んだ。
(…煉獄)
突風で思わず目を閉じた弟を庇うように、よく似た男が自分の羽織でその身を覆っていた。全身はうっすらと透けているのに、その表情だけははっきりと見える。背丈が近付いてきた発展途上の体を見つめ、慈しむように見守るその眼差しは、鬼殺隊では見せたことが無い表情だった。やがて風は落ち着き、目を閉じていた弟はゆっくりと瞼を上げる。その肩にはまだ炎の羽織が覆っているのに、煉獄弟は振り返ることをせず、ただ俺たちに向かって手を振るだけだ。まさか俺だけが見えてんのか?と隣を見たが、かつての同僚も同じく絶句していた。俺たちにだけ見えて、煉獄弟には見えていない。煉獄本人も分かっているのだろう。緩んだ表情を引き締め、いつものように笑って首を振った。気にするな。聞こえる筈のない声が聞こえたようで、つい唇を噛んでしまう。お前が一番悔しいんじゃねェのか。そう言ってやりたくなったが、弟の肩に手を置いた煉獄があまりに優しく微笑むもんだから、ついこんな約束をしてしまった。
「――心配しなくても、見守っててやるよ」
俺と冨岡と、ついでに宇髄が。
勝手に冨岡の名前を出せば、隣でふっと笑った気配がした。コイツ、こんな風に笑うようになったのか。いけ好かないと思っていた元同僚の新たな一面を垣間見て、俺まで笑ってしまった。ずっとは見てやれないが、俺が生きてる間は見守ってやるよ。だから安心しなと手を挙げれば、かつての炎柱は目を伏せて満足そうに微笑んだ。そして再び訪れた春の嵐の後、目を開けた先には煉獄はいなかった。懐かしさと、切なさと、それを超えた感情が胸を駆け巡る。それをぐっと抑え込み、度々訪れた突風に首を傾げる煉獄弟に向かって、俺たちは歩き出した。
「…今日は、一段と美味い酒が飲めそうだなァ」
なぁ、煉獄。
そんな俺の独り言に応えるように、桜の花びらがひらりと舞った。
おしまい
黎明の先に
(若い芽を見守る人たちの話)