栄養素 足先がかじかむ冷え切った夜、眠れないファウストは温かなガウンと共に部屋を後にする。フィガロの屋敷にきてしばらく。生活には徐々に慣れてきたものの、薄暗い廊下は夜更けはまた違う景色を見せていた。
手元で明々と光る灯りだけを頼りに、ゆっくりと階段を降っていく。目指す場所はキッチンだ。
「……寒い」
空いた片手を首筋に当てると、刺すような冷たさが広がる。まるで氷を素手で掴んだみたいだ。今は履き物で隠れた足先も、きっと同じぐらい冷え切っているだろう。
今日は、外での訓練だった。フィガロの教えは分かりやすくもあるが、それと比例するぐらいに厳しいことも多い。身体中の穴という穴から体液が出たこともある。あれは、本当に死ぬかと思った。
短期間で強くなりたい。長寿と逆行した無謀な願いをしたのはファウスト自身だ。どれだけ厳しくても、しっかりかじりついていくつもりである。
それに分かりやすく成長を実感することができているのだ。文句などおこがましい、むしろ感謝でいっぱいだ。
「……はぁ」
寒い、寒い、本当に寒い。ガウンを裾をぎゅっと握り締めると、小刻みに手が震えた。風と雪によってガタガタと揺れる窓のようである。天気は昼からずっと荒れたままだ。
今日の訓練は、そんな寒空の下で行われた。魔法で身体の温度を一定に保ちながら、師匠と共に歩き、戦い、また歩く。精神も体力も消費していくこの訓練により、ファウストは身体をとことん冷やしてしまった。
夕食でのエネルギーも、身体を清めたときの温かなお湯も、全て一瞬だった。燃やすもののない身体は、ひたすらに冷えていくだけ。眠って体力を回復させようにも、寒すぎて眠れない。完全な悪循環だった。
それなら、せめて温かなものを物理的に身体にいれたい。もう、熱を帯びていれば何だっていい、この寒さから解放されたい。
ふらふらとした足取りのまま、キッチンへ足を進めると、ぼんやりと光が漏れていた。消し忘れだろうか、それとも誰かいるだろうか。
そのときだった。
「どうしたの?」
気配なく出てきた師の姿に、ファウストはピンと背筋を伸ばす。夜だからだろうか。いつもよりも少しだけ気だるげな師匠に、ファウストは肩をこわばらせた。
「あの、お湯を作ろうと思って」
「お湯? どうして」
不思議そうな顔のまま、フィガロはファウストをじっと見つめる。
「その……寒くて」
「……寒い?」
フィガロの手がそっとファウストの頬に触れる。温かな指先にくすぐったげに身を縮めると、今度はぎゅうと握られた。
「……あの」
ファウストの冷たくなった手を、フィガロはゆっくりと揉んだ。恥ずかしさからだろうか、少しずつ身体に熱が篭っていく。
「あはは、ここまで冷えちゃったらお湯じゃどうにもならないよ」
手を離した師匠は、にこやかに笑う。ポッシデオ。その言葉と共にフィガロの手には形の整ったシュガーが転がっていた。
「ほら、口を開けて」
「は、はい」
ゆっくりと口を開けると、フィガロの指先で顎を少しだけ上に持ち上げられる。ころりと舌先に溶ける甘さは、冷えた身体をじんわりと包み込んでいく。
顔から外された手は、ゆっくりと頭を撫でる。そのまま腰に戻っていく手をほんやりと眺めていると、フィガロは軽く笑った。
「よく眠れるといいね」
「は、はい! ありがとうございます!」
キッチンの壁にもたれかかりながら、フィガロはゆらゆらとファウストに手を振る。
解けるように溶けていくあたたかな甘さ。
どうしても、消えてしまうのが惜しい。