ブリデにエア無配/なるみか「…………あ」
「……んぶぅ、っ、……んぁ」
ふと思い出した事があって足を止めたら、背中に『ぽすっ』という軽い音と共に痛くはない程度の衝撃があった。
肩越しに振り返ると、鼻を押さえたみかちゃんがほっぺを膨らませている。
「なるちゃん~、急に足止めんとって~」
「ごめんなさいね。あぁもう、泉ちゃんに渡してって言われてたものがあったのに。さっき渡し忘れちゃったわぁ~……」
体育の時間の前に、更衣室に向かっている途中だった。
体育服への着替えは、更衣室でなくても別に良い。めんどくさい人は教室で着替えたり、部室で着替えたり。とりあえずは着替えさえできたらどこでもかまわない。
男ばかりだからぶっちゃけどうでも良いなんて皆思っていたらしいけど。今年からは女の子が、転校生ちゃんが来たので、特に隣の2―Aはそういう訳にはいかなくなったみたい。普段からそういうデリカシーを持っていないからダメなのよね。この学院の男の子達は。
謝りつつみかちゃんとまた歩き出す。そんなに勢いよくぶつかったようには思えなかったけれど、鼻を押さえているみかちゃんの手をどかしてみれば、少し赤くなっていた。
「なるちゃんの背中、かったいわ~……」
「ちょっとぉ……ついこの間も光ちゃんにそんな事言われたのよね……」
涙目で言われる言葉に少し複雑な気持ちになりながら、更衣室に到着する。
制服を脱いで、つい自分の肩や二の腕を眺めてしまう。
「筋肉がつきやすい体だから嫌だわぁ……マッチョなんてなりたくないのに……」
筋肉もだけれどフツーに贅肉だってつく。気を抜くとすぐに体型が変わってしまうから、そうなったらまた泉ちゃんにお小言を貰う羽目になる。
こちらの二の腕を見ていたみかちゃんが、着替えた体操服の半袖を捲って肩の辺りまで露にした。
「ん~……おれ筋肉ぜんぜんつかんねんなぁ……」
「白っ! ていうか、細っっ。それはみかちゃんは元々お肉がないからよ」
「……? お肉なかったら筋肉つかへんの?」
目の毒なほどの細くて白い二の腕を見ながら言えば、不思議そうに首を傾げて聞いてくる。
「つかない事はないけど、限度はあるわね。お肉があればそのお肉が固くなって簡単に筋肉になれるけど、お肉自体がなければ固くなるものがないじゃない」
「つまり、なるちゃんの背中がかたいんはお肉が……むぐぅ」
「何ですって?」
せっかく分かりやすく説明してあげてるのに、悪気もなく何か言いかけるので顎の下の方から頬を掴んで阻止する。
指でほっぺをブニプニ潰して遊ぶと、やめてぇや~! と困り顔になるのがかわいくてもっとやってしまう。みかちゃんのほっぺは白くて柔らかくてマシュマロみたい。いや、案外伸びるからお餅かしら。
そのうちみかちゃんからほっぺを掴む腕に猫パンチみたいな攻撃があって、痛くはないけど力が緩んだ隙に逃げられた。
また膨らませているほっぺは、指で遊んだからかピンク色になっている。
それより普段あまり肌の露出がない子だから、その白い二の腕を早くしまってくれないと、見慣れないせいか何だか落ち着かなくなってきてしまうんだけど。
「みかちゃんはなぁに? もっと筋肉質になりたいの? アタシはそのままで良いと思うわ~」
「でもなぁ……こないだもお師さん支えきれんかったやん。だからもうちょい、ちからもちになりたいんよ」
んん……と唸るみかちゃんに、それこそそんな努力は不要だと思う。
騎馬戦で、人に触られたくないのかどうか知らないけど、自分より小さいみかちゃん一人に馬の役をやらせるなんて意味がわからない。思い出すだけでムカムカしちゃう。
「そもそも、どうせ騎馬戦ならみかちゃんが上に乗れば良かったのよ。あ、でも危ないから上はダメって事だったのかしら」
「お師さん、憎き天祥院に神の裁きを~! って張り切っててん」
「ただの怨恨じゃない。許さないわ……」
楽しそうに笑うみかちゃんだけど、それなら同情の余地なし。そんなのでかわいいみかちゃんに力仕事させるなんて本当に呆れる。
「お師さんやなるちゃんみたいに、細く見えても案外ちからもちさんっていうんがええなぁ~」
「……そうよ。そういえばあの人、みかちゃんを片腕で運べるほどの筋力あるじゃない」
そう思うとますますみかちゃんに自分が乗るっていう発想自体が意味がわからない。
以前見た光景を思い出して余計にムカムカしていると、みかちゃんがキョトンとして首を傾げた。
「……? それいつ? さすがに片手でおれは運べへんのんちゃう?」
「アンタが寝てたんだか意識飛ばしてた時の話よ。軽々と持ってたわよあの人……」
いくらみかちゃんが細いとはいえ、意識がない高校生男子を片腕で運べるって相当なんじゃないかしら……。
そうは思うのにみかちゃんはそれを聞いて、さすがお師さんやと笑っている。
何でアンタが嬉しそうなのよ……とため息混じりにその白い二の腕を掴む。
食べても身にならないし、あまり気を使ってもいなさそうだけど日焼けもする気配もない。女の子が羨む事てんこ盛りなみかちゃんの腕は、透き通るような肌の色をしている。
「みかちゃんて、日に焼ける事なんてあるの?」
「あるで~! でも日に焼けると赤なって痛いんやんか」
きっとそれ、赤くなるだけで肌の色も変わらずにすぐに引くやつだわ。羨ましいったらない。
「せやからな、体育祭ん時にお師さんがジャージ貸してくれたやろ?」
ドヤ顔で言われて、また面白くない。
あれは驚いたわよ。そりゃあもう、みかちゃんはお師さんがめっちゃ優しいだの臨時メンテナンスだのウキウキご機嫌だったけど、周りは驚愕だったわよ。
下は青い二年生のジャージを履いてるのに、上は三年生カラーの緑色のジャージを着てるもんだから目立つ目立つ。
借り物競争だからてっきり三年のジャージがお題なのかと一瞬思ったけどあきらかそうじゃなさそうで、大事そうにガラスケースなんて運んでたし。
見ている人間みんなざわついてたのに悪目立ちしてる事に気づいてないし、本人が全然そんな事気にしてないんだからびっくりしたわ……。
むしろあの人、そういう事しない人だと思ってたんだけど。
あれが周りへの牽制なら、そういう事もするんだっていうのが意外だし、むしろ無自覚にそんな事してるんならこのユニットなんなの? 天然なの? って頭が痛くなっちゃう。
でもきっと泉ちゃん辺りなら、天然に決まってんでしょって即答しそうだけどね……。
「……なるちゃん?」
どう見ても彼ジャーだったわよとまた小さく息を吐いていたら、みかちゃんが心配そうに上目遣いで呟いた。
どうせ、アタシがどんなに心配したって。どんなにやきもきしたって。結局は、お師さんの元へすぐに帰って行ってしまうんだし。それでもアタシだって心配くらいしても良いじゃないと思っていると、もう一度。みかちゃんが名前を呼んだ。
視線をアタシの顔と掴まれたままの二の腕との間で往復させていて、ようやくずっとみかちゃんの腕を掴んだままだった事に気がつく。
「……みかちゃん。この時間、ジャージ交換しましょ」
深く考えもせずに口をついて出た言葉に、みかちゃんの金色と空色の瞳がぱちぱちと瞬く。
戸惑うみかちゃんの肩にアタシのジャージを半ば無理矢理掛けさせると、え? えっ? と、みかちゃんはさらに瞬きを繰り返した。
「え? な、な、なんで??」
「ヤキモチよ。お師さんのジャージが良くてアタシのがダメなんて言わないわよね」
「ぅえぇぇっ!? え、ええけど……なるちゃんおれのジャージ着るんやったら、つんつるてんになるんちゃうん?」
言ってる傍から勝手にみかちゃんのジャージに片腕を通せば、手首にちょっと足りないくらいなので着る事は諦めて肩に羽織る。
「これなら良いでしょ」
ふんって鼻で笑えば、しばらく困惑していたみかちゃんも諦めたのか肩に掛かっていただけだったジャージに袖を通す。
手の甲まで来る袖を口許まで持ってきて、それから嬉しそうに。ふふ~ん、と笑う。
「……なるちゃんの匂いや~」
めっちゃいい匂いする~。と萌え袖でご機嫌に言ってくれるみかちゃんに。天使という言葉が頭を過る。
かわいいは正義だわ……と、おもわずみかちゃんをぎゅうっと抱き締めていれば、お前ら何やってんだ! 授業始まるから早くしろよと、晃牙ちゃんと真緒ちゃんの声がハモって聞こえていた。
* * *
静かな室内に、微かな衣擦れの音と人の動いている気配だけがしてる。
さっきまでお風呂上がりで保湿してくれたり髪を乾かしてくれてたりしたお師さんは、今は脚や腕をマッサージしてくれていて。気持ちよくてウトウトしていたら、影片、と呼ばれた。
「……んぁ?」
「右腕だけがやけに張っているね。何か特別な事でもしたのかね」
言われても特には思い出せずに唸ってたら、一日の行動を聞かれるので一生懸命今日やったことを思い出そうとする。
今日は……授業受けて……校内バイトで落ち葉広いがあって……そのあとすこぉしだけ商店街のケーキ屋さんのお手伝いに行って……。
それぞれ細かくどんな事をしていたのかもつっこんで聞かれて、おれの話を聞いていたお師さんが、それだね。と小さくため息を吐いた。
「落ち葉広いの時、どうせ熊手を右手でずっと持っていたのだろう?」
「あ、ほんまや……! お師さんすごいなぁ~! なんでわかるん?」
「むしろ、何故君は自分で分からないのかが理解できないね。本当に不思議で仕方ないよ」
てっきり褒められたと思って、それほどでも~言うたら、褒めてはいないと怒られた。
舌打ちしながらも、お師さんは右腕を念入りに揉んだり擦ったりしてくれる。
おれよりもおれの体のことを知っているお師さんのメンテナンスは、めっちゃ気持ちいい。してもらうの好きやし、次の日にはものすごい体が軽くなる。
なのに、なんでなんやろ? 何がちゃうんやろか……? おれはそれが不思議でしゃあないから、あんな、って。お師さんを見上げてみる。
「何だね」
「お師さんにメンテしてもらうんはめっちゃ気持ちいいのに、なんでなるちゃんにさわられるんはなんかちゃうんやろ?」
う~ん……って首を横に倒して聞けば、おれを見下ろすお師さんの顔がなんや変な顔になった。
「…………何かされたのかね」
「うん? 別になんもされてへんよ」
お師さんがなんでそんなこわい顔するんかわからへんくて、反対側に首をコテンって倒して見上げていれば、さらに微妙な顔をされる。
「でも君、今」
「なるちゃんとな、手ぇつないだり、なるちゃんに頭撫でられたりするとな。うれしいんやけど、なんか変やねん。ドキドキすんねん。これなんかおれがおかしいんやろか?」
お師さんのメンテはこんなに気持ちいいし、ホッとしたり元気になるだけやのに。なるちゃんは特になんかおかしいことをしてるわけでもないのに。
不思議やわ~……何がちゃうんやろ……。
うぅ……なるちゃんが悪いわけでもあらへんし、ヘタになるちゃんに言うて嫌われてると思われたないし、こんなんよぉ言わんわぁ……。
おれより何でも知ってるお師さんやったらわかるやろかと聞いてみる。
なかなかなんも言うてくれへんからじーっと見とったら、なんやめっちゃ嫌そうに眉間に皺寄せて、お師さんが軽く咳払いをした。
「……そうだね、何かの病かも知れない」
「や、やっぱそうやの!?」
否定されずに難しい顔で言われるから、半泣きになってまう。
そうしたらもう一度、そうだね、と頷きながら腕を引いて立たされる。
「だから、まだそれは鳴上嵐には言わない方が良いだろうね。そして君は一刻も早く休むべきだ」
「うぅ……、り、了解やで……」
「それから、影片」
もう行けとばかりに背中を軽く押されるので部屋に戻ろうとすると、ドアノブに手をかけた辺りで呼び止められた。
「洗濯物は出しておきたまえ」
一瞬何のことやろって振り向いたら、また咳払いをされる。
「体操服だよ。君が後生大事に抱き締めて帰ってきた。誰かに借りたのだろう? ならば洗って返さないと」
言われて、ぶわわ~っって。耳まで一気に真っ赤になったんちゃうって、見てへんけど自分でもわかってもた。
「んぁ……せやけど……」
「早く出したまえ。夜遅くに洗濯などしたくないからね」
ためらってたら、チッチッと舌打ちされる。
「それとも、洗いたくない理由でもあるのかね?」
ドアのとこでオロオロしとるおれのとこに、お師さんが歩いてきてまう。
おまけにおれごとドアを開けて、先に廊下に出ようとするから、慌ててその腕を掴んで止める。
「お、お師さん……! まってや~!?」
「ノンッ! 借りた物を洗って返さない理由が分からないね、この粗忽者が」
止めてもおれを引きずったままお師さんがおれの部屋に向かってるんがわかって、いやや~ってさらに腕にしがみつく。
そうこうしとる間にもうおれの部屋の前まで来てもて、必死にお師さんの腕を引っ張っとったら、盛大にため息を吐かれた。
「そんなに嫌だと言うのなら、理由を言いたまえ」
「ぅ……やって……、洗ってもうたら……」
一応は言い訳を聞いてくれそうで、どない言うたらええんやろと、もじもじしながら声も小さくなる。
言葉を続けるか悩んでたらお師さんが容赦なくドアを開けようとするから、また、いやや~! って泣きそうになりつつ、お師さんの腕をぎゅ~って掴む。
「…………そしたら……、なるちゃんの匂い、消えてまう……」
震える声でなんとか言うたら、鼻で笑っておれの頭を指で押しやられた。
のけ反ってる間に結局おれの部屋からなるちゃんのジャージが回収されてもて、お師さんの後ろを追ってこうとしたら今度は鼻先に指を突きつけられて、ノン! と止められる。
「ならば、次は君の匂いをつけて返せば良いだろう」
自信満々に言うお師さんやけど……。
そんなんでなるちゃん喜ぶはずないんちゃうん……?
そう言うたら、それはどうだろうねと笑われる。
「……おや、君は僕の言う事を信じられないとでも?」
「そ、そないなことあらへん! お師さんの言うことは絶対や!」
どうやってもジャージを持ってこうとするお師さんにドヤ顔で言われるから、胸をどんって叩いていつも通りの言葉で返す。
せやけどどうにも半信半疑でおったら、お師さんが。ぽふぽふって、おれの頭を手で軽く叩いた。
…………これ、撫でてくれたんやろか……?
いまいち何されたんかわからへんくて見上げれば、早く休みたまえと部屋の中に押し込まれる。
おれよりもおれのことをよく知ってるんやし、お師さんが言うんやったらそうなんやろか……。
とりあえずお師さんにお洗濯をお願いして寝ようとする。ドアを閉めようとするお師さんに、おれの匂いってどんなんなん? とためしに聞いてみれば。
突然お師さんは、カカカカッと笑った。
「君の匂いは、この家の柔軟剤の匂いに決まっているだろう」
そう満足そうに言い残して、お師さんはドアを閉めて去って行った。
そっか~。せやんな~……ってベッドに潜ってムニャムニャしながら思ってたおれは、しばらくしてようやく気づく。
それ、おれの匂いっていうより。
お師さんと同じ柔軟剤の匂いってことやん……?
あれ……? それつまり、おれの匂いちゃうんちゃう? お師さんの匂いやん……?
と思いつつも。
もうだいぶウトウトしてきてたおれは、そうツッコむこともできやんと。
なるちゃんと一緒に、ガーデンテラスでお茶をしながらおしゃべりする夢を見るんやった。