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    amakasuS

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    A+くらいでもだもだするシルレス。

    温室のシルレス 春の日差しを受けた温室に、ゆらりと揺れる若草があった。
     しなやかな百合の葉のように伸びやかなそれがひと筋の髪と知れたのは、ひとかたまりだった翠緑が吹き抜けた風に光の筋となってほどけたからだ。そのくらい、その色は草木に馴染んでいる。
     夢で染めたようなアネモネや、雲を千切り取って丸めたようなスズラン。瑞々しい露の気配に囲まれるその女性は一草の妖精がごとくに見えたが、遠くからそれを眺めるシルヴァンは鍛えられた審美眼で眼前の光景に感じ入るよりも前に、五年も前の話であれば、もっと早くに彼女と気づけたろうにと別の感慨を抱いていた。
     それはあまりに自然に上がって微笑み湛えた口角のせいであり、見慣れぬ修道女の衣装を淑やかに身につけていたせいでもあった。ふたつの違和感は彼女持ち前の静かなまなざしと相まって、また、祈るように両脚を床に折った姿勢もあって、この世の者とも思えぬ超然とした空気感を醸し出していた。
     あれを先生と呼んでも良いものか。シルヴァンは幾分かの気後れを感じていつの間にか握っていた手を腰の飾り布に擦り付ける。ここ数節でベレスは鉄で鉄を穿つような強固な無表情――彼女の個性とも言える要素が曖昧になるほどの朗らかさを身に付けていた。物言いこそかつての恩師そのままではあったが、見る者全てを戸惑わせない、、、、、、、ずっと自然な美しさがそこにある。それは特に、ディミトリの復調が果たされてからはより顕著に現われていて。
    「シルヴァン?」
     知らず息を止めていたと彼が気付いたときには、木の実型の瞳がシルヴァンに向けられていた。鳥のように傾げられる小首に、何か召集かとの問いを見たシルヴァンは、特に何もと首を横に振ってから、その間にごく彼らしい笑みに表情を整える。彼がいくら緊張しようが彼女の何が変わるわけでもないのだと、そんなことは、日々の上官と副官してのやりとりでせめても知ってはいた。
    「温室の世話でもしてたんです?」
     最近はあまり出入りしているのを見かけなかったから、やっと手にした休日で一気に世話をしてやろうという心づもりなのだろう。問えばベレスは軽く頷いて、人差し指と親指で挟んだ何かで石床を擦ってみせる。ベレスの膝の傍の革袋には黒々とした種が転がり出ていて、どうやらそれを懸命に削っていたようだった。温室の硝子に跳ね回る種を削る小さな音は終わる気配は全くない。
    「種まきの準備ですかね。手伝いますよ」シルヴァンは粗い煉瓦を引き寄せる。
    「見回り中じゃないの?」
    「交代してきたとこです。てか、あんたなんで修道服なんて着てるんですか。誰かと思いましたよ」
    「うっかり全部洗ってしまって、今日だけ借りた。でも君が分からないなら変装にはいいかもしれないね。今度から休日はこれにしようか」
    「緊急時に困るんで止めてください」
    「それもそうだ」
     種を削る作業に集中していたシルヴァンは、ふと耳に入った音にふしぎな柔らかさがあった気がして視線を上げた。ところが同じ作業に没頭しているベレスの口元に微笑みはなくて、その目もまた手元に注視されている。
     懐かしい横顔を見つけた。シルヴァンがそれをじっと見ていると、それに気付いたベレスは彼にちらと視線を向け、しかしすぐに作業に戻ってしまった。顔を向けぬままでの流し目は、色気よりも冷たさの方が先に立つと評判だったあの頃とやはり同じで、幾度となく教壇から零された『ちゃんとしなさい』という呆れ声が耳の内に蘇る。そんな対応にシルヴァンはどこかほっとするものを感じたが、すぐに腹の据わりの悪さを覚えた。昔と同じはまあいいが、すでに表情を我が物とした彼女から向けられる草木に帯するよりも無愛想な横顔は、とても喜べるものではないだろう。
    「……覚えてます先生? 前に俺が言ったこと」
    「うん?」
     ただのちょっかいであることを自覚しながら、シルヴァンは元教師の横顔に呼びかける。
    「むかーしお茶にお呼ばれしたときに言ったじゃないですか。先生はもうちょっと笑ってもいいと思いますよって」
    「ああ。笑ってみたら君が残念そうな顔をした時ね」
    「いやあのときは俺の言いなりになる女が本っ当に受け付けなくてですね……いや、すみませんでした」
    「悪いことをした」
    「いやいや、いやまさかあんたがこんなに表情豊かになるとは、あのときは思ってもみなくてですね……で、最近はよく笑ってるあんたを見て、やっぱり良いもんだったなあと反省してる訳です」
     そう、と落ちる音に反して、すらりと伸びた睫毛の上で眉が寄る。意図が読めないから反応は保留。そんな様子だ。
     シルヴァンはそこで会話を打ち切られなかったことに内心感謝して、種を削る手を止めた。
    「で……ですね」
    「うん」ベレスもまた手を止める。
    「前のがっかり顔撤回しますんで、……俺にも笑ってくれません?」
    「それはそれで君の言いなりじゃないか」
     即答だった。
     シルヴァンは思わず空を仰いだ。続けられる「君の女性への嫌悪感はそんな一朝一夕で変わるものじゃないだろう」の指摘ももっとも。実際、彼の女性への嫌悪感はたったの五年で抜けきれたものでなく、それどころか戦時のいざこざでいっそう傷は深さを増している。反論しようのない完敗であった。硝子越しの青い空が目に染みる。
    「ええ、いや、そりゃあ、そのお……だからほんっとすみませんて……」
     俺の馬鹿と昔の己を罵るが、それで解決するものもない。シルヴァンが空を仰いだまま片手で顔を覆っていると、やがて隣からまた種をごりごりと削る音が始まった。放置か。まあ放置だよな。放って置かれる切なさと大仰なポーズしか取れない情けなさで手の平の内側に湿度を生みそうになったとき、ふ、ふ、と、隣から忍び笑いが漏れて来た。
    「いや、あんた、何笑ってるんです」
    「ああ……すまない。うん。意地悪を言うつもりじゃなかった」
     シルヴァンがそっと手の帳を外すと、草木を慈しむようなあたたかな微笑み、ではないものの、眉の角度から玄妙極まりない仕方なさをあふれ出させるベレスが彼を見ていた。
     シルヴァンはその無駄な肉を持たないながらも女性らしい柔らかさを保つ丸い頬をつついてやりたい気持ちになったが、かろうじて耐え、代わりに子供っぽく口を噤んで、鎧の肩を軽くすくめた。
    「ほんっとあんた表情増えましたよねえ。あんなに鉄みたいだったのにさ」
    「実は自分でも驚いている」
    「そんなことってあります?」
    「ある」
     ベレスは力強く言ってから、すこし考えて、「まあ、種みたいなものだったんだろうね」と外皮を削り終えた種をしげしげと眺める。
    「種の中にはこうして手を加えてやらないと芽吹かないものもある。多分、その類だったんだ。二十になるまでジェラルトの懐に収められていた私は、厚い革袋に包まれて目を醒まさずにいた」
     種にしては腕っぷしが強すぎたような気もするが。シルヴァンがベレスの言に頷くこともできずにいると、ベレスは早口に傭兵の水で育ったのは剣技の種だったんだと言葉を添えた。
     また種削りを再開し始めたベレスの隣で、シルヴァンは今見聞きしたことをゆっくりと反芻する。ベレスの言う種とはつまり生まれ持った才能のようなもので、それは勝手に芽吹くものであったり、外的な要因で無理矢理目覚めさせられたりするものなのだ。なるほどと、シルヴァンに特に異論はなかった。彼は短い学生生活のなかでも、壊滅的なセンスを持った同級生がベレスに叩き直されたところ、見事な才能を発揮し始めたのを目の当たりにしたこともあったし、彼自身隠していた理学への興味を引っ張り出されたこともあって、才能とは今見えているものに限らないのだという実感は持っていた。しかし、
    「身を削る過去があればこそ今があるだなんて言説は、俺はどうも苦手ですね」
     シルヴァンは右手を伸ばして、固い殻を削るベレスの手を止めていた。
     自分の殻。叩かれ続けて砕けた中身。困難が美しい今を作るというなら、自分は、あの日々がなかったならば輝くものを得られないのか。
     うなじの毛が逆立つような憤りに思わず零した低い声色に、ベレスの睫毛がゆるりと動く。問うような気配にシルヴァンはすみませんと軽く横に首を振る。今のは決してベレスの否定ではなかった。それは彼の経験から導かれた拘りであって、彼女の言うことは大枠正しい。
    「ほら。俺が家のことで削られて花開いたのは女扱いの才くらいなんで。やっぱ、辛い思いなんてしない方がいいですよ」
    「……確かに君のそれに関しては。もっとすくすくと育っていればもうすこし」
    「もうすこしって何です」
    「女性に困ることもなかっただろうと」
    「困らなかったの前提で話してましたけど!?」
     そうだね。そうだった。君は色男という触れ込みだった。心のこもらない追従はいかにも興味がなさそうだったが、それでやっとシルヴァンは離し時を失っていた手をようやく開く。強すぎた言葉と思わず触れた温もりを誤魔化すための軽口は、ベレスの応答でもって完全に役目を終えていた。
    「付き合いいいですよねえ、ほんと」
    「休み時間にわざわざ来る君ほどじゃないよ」
     ベレスは奉還された自由を喜ぶでもなく肩をすくめる。そしてまた作業に没頭するのかと思いきや、そのまま首を前に傾げた。
    「悪かったね」
     ベレスは言った。
    「思えば、他人に苦しめられた君の前で言うようなことではなかった。私にとっては殻が割られたのもそう悪いものではなかったから、何も考えずに口にしていた。許して欲しい」
    「いや頭なんて下げないでくださいよ!? うっかり色んなものを思い出しちまっただけで、そこまで怒ってはいないです」
    「そう? 表情が出るようになってから喜ばれることが増えたから、そう思えば、思わぬところで割られてしまっても悪いことではなかった
    うかなと――」
     ベレスが動かす指先で種か石とコツンとぶつかり、ころん、ころりと転げて落ちた。一瞬覚えた違和感にシルヴァンはベレスを伺う。
    「どうしたの?」
    さっぱりした口調は影を感じさせない穏やかなもの。しかしシルヴァンはそこに疑問をぶつけた。
    「削れた、割れたって、いったい何があったんです。どこのどいつですか、あんたに揺さぶりかけやがったのは」
     削られた種。それは取りも直さずベレスの硬直しきった顔面が一度砕かれたことを示している。
     シルヴァンの腹の底からこみ上げた何かが彼の首から上を熱くして、ついに頭に至ったときに、ベレスは普段は下がり気味の睫毛を上げて――ついでに急に攻撃的になった目の前の男をどう処理したものか迷っているような眉の角度で小さな唇を動かした。むむ、とか、ええ、とか、いくつかの助走を試してみてから、
    「いろいろあった」
    「ざっくり来ますね!?」
    「だって五年も六年もあるなかでのことだ。一言にはくくれない」
     君だってそうだろう。ベレスは仕方なさそうに肩をすくめる。そう言われてしまえばシルヴァンに返す言葉はない。ベレスのいない間に何があったか。そんなことは一昼夜でも語り尽くせない。
     しかし五年と六年では大きく違う。失われた五年はともかくとしても、残った一年は士官学校時代に属するものか、それとも再開後に属するものか。どちらかで展開は大分違う。シルヴァンが無言の内に思索していると、ベレスはまた種を持ち上げ、しげしげとそれを検分したかと思うと、陶器の器に敷き詰められた、たっぷりと水の染み込んだ布の上にそれを載せた。
    「……まあ、少なくとも君が怒るようなものではないよ。それに、その出来事はただ表面を割ってみただけだ。割れただけならそのまま枯れてしまったかも知れないけれど、その後芽が出ているのだから、なんだかんだ、与えられる水も合っていたんだろう」
    「教師の水です? それとも軍師の?」
     シルヴァンはベレスの語る出来事が起こった時期を絞り込もうと食い下がったが、ベレスはさあと瞬いただけだった。忸怩たるものを感じたが、あまりしつこくするのもよろしくない。真上から射していた日差しも、二人の間にすこし影を生むくらいには傾いていた。シルヴァンは密かに嘆息してから、あまり作業の捗らなかった煉瓦を片付け始める。
    「もう行く?」
    「そうですね。そろそろまた交代してきます。でもまあ安心しましたよ先生。あんたが一皮剥けた時期は置いておいてもここ暫く大将があれでずっと顔が暗かったでしょう。安心感とかもいい水のひとつかも知れませんね」
     それはあるかもしれない。こくんと素直に動いたベレスの首肯にすこしだけ気が晴れて、シルヴァンはやっと満面の笑みを取り戻す。
    「さって、俺はもう行きますが、先生まだ作業するんです? 途中で飲み物でも取ってきましょうか」
     木々の陰にいただけに気付いてなかったが、こうして立ち上がってみれば、天窓からの陽の熱が鎧の肩を無慈悲に焦がす。ベレスがあとどのくらい作業をするつもりか知らないが、なんだったら夕方に仕切り直してもいいくらいの陽気だ。ベレスが温室仕事のために汲んできたらしい水瓶には砂埃やら木の葉が浮いてるし、飲み物の一杯でも持って来なければ倒れてしまいかねない。
     思わぬところで副官根性――というよりも世話焼き魂をくすぐられたシルヴァンの提案に、ベレスはじっと考え込むように唇に手を当てた。
    「水がいい。いつもありがとう」
    「おうさ、了解です」
     任せて欲しいと快諾を響かせて、シルヴァンはその場を離れる。
     この時間なら食堂に水を求めるよりも、井戸から汲み上げた方が冷たいだろう。いや、途中で騎馬演習所に寄ればイングリットがいるだろうから、先生のためとひとつ魔法で氷を作って貰おうか。身体にいいのはぬるま湯なのだと聞いたことはあるけれど、暑い日にはやはりキンと冷えた水の方が身体に浸みる……。
     数十歩歩いたところで、ふとシルヴァンは温室を振り返る。
     そのときにはもうベレスの視線は手元の種に向いていて、
    「……まあ、まさかそんなこともないよな」
     種を見つめてはそっと水に沈め続けるその横顔に赤みが見えたのは、きっと燦々と照る陽のせいだった。
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