「 ……龍水、やりすぎ。そこまでする必要はないだろ? 」
言葉と同時に、髪を掴んでいた手の感触が消える。視線を上げると、龍の手を彼の麒麟が払い除けたところだった。
「 ……ごめんね、大丈夫?……ああ、真っ青だ。千空、どこか彼を休ませられるところはあるかい? 」
頓着なく袖で汗を拭いながら、助け起こしてくれる。
「 あ"ぁ、そこの長椅子使ってくれ。手間かけるな、羽京 」
砕けたいつもの口調。……どうやら、この二人は顔見知りらしい。状況がわからず、ようやく起こした身体を羽京と呼ばれた麒麟が支えてくれた。
「 ……えぇと……?」
そんな二人の様子を、半ば呆れたように、半ば興味深そうに眺めながら、龍が口を開いた。
「 ……麗しき同族愛だな 」
言葉に、羽京が深いため息をつく。
「 君がやりすぎなんだよ、龍水。……途中から完全に悪役ムーブ楽しんでただろ?悪ノリしすぎ 」
指を突きつけてお説教モードに入る自らの麒麟に、龍の側は全く悪びれた風でもなく。
「 はっはー!すまんな!こういうシチュエーションは新鮮でついな! 」
などと豪快に笑っている。
「 謝る相手が違うだろ?あとでちゃんとゲンにも謝りなよね 」
「 言い出したのは貴様と千空だぞ 」
水を向けられて、千空は立ち上がるとまっすぐこちらに歩いてきた。
「 あ"〜、ご協力実におありがてぇが、俺も羽京も乱暴しろとは言ってねぇぞ 」
そう言って、乱れた髪をくしゃりと撫でてくれる。その向こうで、隆国主従はまだお説教中のようだった。
「 なんだ俺一人が悪者か 」
「 そうだよ、反省してよね」
完全に取り残されてしまって、ゲンは戸惑ったように千空に視線を投げた。
「 ……あの? 」
千空はどうにもバツが悪そうに頭を掻く。
「 これでわかったろう? 」
それをフォローするように、背後から声がかかった。
「 麒麟は自分の王にしか額づけない。そういう仕組みの生き物だ!ゆえに偽りの誓約など不可能だからな!貴様のそれは杞憂というものだ、安心しろ!」
言葉の意味を咀嚼して、すっかり見抜かれていたのだと気づく。その憂慮を解決するために、千空は隣国の主従を頼ったのだ。
自分の不甲斐なさに、返す返すも穴があったら入りたい心持ちになる。
「 だから何で君がえらそうなのさ 」
すかさずツッコミを入れて、羽京がこちらを振り返った。
「 ……ごめんね、女仙たちから聞いてるよ。大人になってからこっちに戻ってきた麒麟は、君が初めてだったし、君は要領よく一人でなんでも熟せてしまうタイプだったから、基本的なこととかちゃんと説明が出来てなかったんだね」
少し話そうか、と誘われるまま、ゲンは露台に出た。
露台で椅子を勧められて、腰を下ろす。夕刻の涼やかな風が頬に心地よい。
「 ……えっと、王気とか、天啓ってお告げみたいなものだって聞いてたんだけど、違うの?」
同じ麒麟と会話するのは、迎えに来たあの女性を除けば初めてで。
彼はまず、一番気にかかっていたことを訊いた。羽京はああ、やっぱりと心得顔で頷く。
「 うん、実はね。麒麟によって色々なんだけど、具体的にこれってわかりやすい出来事は、何ひとつ起こらない 」
それは、あまりに衝撃的な事実。では、どうやって麒麟は王を見分けるのか。
「 ……何ひとつ?」
ようやく問い返すと、羽京はその表情を覗き込むようにして再度頷いた。
「 そう。何ひとつ。……王気も同じ。これと言った定型や、お告げがあるわけではないんだ 」
決まった形や、啓示があるわけではない。しかも個人差がある。
「 それは光のように感じるかもしれないし、逆に闇のように感じるかもしれない。あるいは覇気のように感じるかもしれないし、反対に安穏とした空気に感じられるかも知れない。他とは異なる際立った気配。
……あえて言うなら、直感かな。何かがそちらにあるとか、この人だという直感 」
「 ……直感 」
── 俺が麒麟だったら、千空ちゃんを王に選ぶのに。
確かに、そう思った。
そしてそう思ったその日に、蓬山からの迎えが現れた。……つまり、そういうことなのか。
「 あとね、これは本当に、最初に世話係の女仙がちゃんと説明してなくて申し訳なかったんだけど 」
そう言って、羽京はそっとゲンの額に触れる。ざわりと嫌な気配がして、反射的にその手を払った。
「 今のでわかったと思うけど、麒麟は角に触られるのが嫌いな生き物だ。……力の源だからね。だから麒麟は他国の王への最敬礼を免除されてる。──それを許すのは、自分の王に対してだけだ 」
……王に対してだけ。角に触られるのが嫌い。確かに、今しがた言いようのない不快感があったけれど。
でも、熱を出した時も、そして蓬山で会った時も、千空の手はいつも心地よかった。
「 ……うん。だからもう、わかるよね?」
察したようにそう問いかけて、羽京はやわらかく笑った。
「 君はちゃんと、君の王様を選んだんだよ 」
結局、麒麟は天意の器。偽りの王など選べない。
その言葉に、ようやく肩の荷が降りる。
脱力したように椅子にもたれかかるゲンに、羽京は今度は少し人の悪い笑みを浮かべた。
「 千空は全部知ってたよ。もともと聡い人物だからね。いろんな情報を整合して気づいたみたい。……自分が王だってことも、君の悩みも 」
あとは、ちゃんと本人と話すといい。
そう背中を押されて、彼は自らのあるじのもとへ戻った。
「 ……えっじゃあお忍びでこっちに来てた時に千空ちゃんと知り合ってたんだ、ゴイスー偶然!」
広間に戻ると、両王の馴れ初め話なども交え、情報交換に大いに賑わった。
あんな廃墟同然の区画で、これまで素材や食材、そして精度の高い情報をどう仕入れていたのか気になっていたが、なるほど王や麒麟に伝手があれば格段に効率が上がる。
もちろん、表だって他国の隆盛に関わるような支援は出来ないため、あくまで個人として発明品やその製造方法との物物交換を行なっていたとのことだった。
千空の生存力の高さに、改めて感嘆してしまう。
「 はっはー!まあ、ともあれ収まるべきところに収まったようで何よりだ。改めて、隆からもお祝い申し上げる 」
祝賀の言葉を受けて、千空も相好を崩す。
「 おう、これからは国同士、世話になる部分も増えると思うが、よろしく頼むぜ龍水 。
差し当たって、官庫に備蓄が足りてねぇ。そっちの国に余剰な穀物はあるか?」
「 貴様らは実に運がいい 」
龍水はにやり、不敵に笑った。
「 隆では今年は例年にない豊作で、価格が下がって困っていたところだ。
千空、貴様の提案どおり、宝玉を代価として貰い受けよう。あとから必要な量を言え」
「 おう、助かるわ。後から地官に必要量のデータを出させて、計算が終わり次第、秋官から見積もりをそっちに送る。代価の宝玉のリストはこれだ。目を通してくれ 」
そう言って、先日取りまとめた宝玉類の一覧を差し出す。ざっと視線を走らせると、龍水は必要なものと量をさらさらと書き込んだ。
「 これでどうだ?」
それを横からひょいとさらって、一通り目を通したゲンは、書類に更に数値を書き加えた。
「 まだまだ復興まで時間もお金もかかるし、せめてこれぐらいでお願いしたいかな〜 」
先程までのしおらしさは何処へやら、すっかり自分のペースに持ち込んでいる宰輔に、興味深げな視線を投げて龍水はまた笑った。
「 フゥン、いいだろう。即位祝いだ、残りは出世払いにしておいてやる 」
「 流石〜!五百年続いてる国の王様は度量が大きくて助かっちゃう!」
その様子を眺めながら、千空はゆったりとした笑みを刷く。
蓬山での契約を経て、生国に降ってからしばらく、ずっと硬い表情を浮かべていたゲンの、それは久しぶりに見る笑顔だった。