【HQ】asanoya SS③ 西谷の朝は早い。どんなときでも毎日六時きっかりに目が覚めて、隣でぐっすりと寝こけている恋人の無精髭でざらついた頬にキスをする。そしてベッドから静かに出ると、素早く身支度を整えて朝のランニングへと向かうのだ。それから一時間ほどして戻る頃には東峰も起床して、西谷が汗を流している間に寝ぼけ眼を冷水で洗って髭をあたり、揃ってさっぱりとしたところで一緒に朝食を取る。それが弾丸ツアー中に自然と作られた二人の朝のルーティーンだった。
今朝もおはようのキスを交わすと二人は昨晩ホテル近くのスーパーで買い込んだ朝食を広げた。サンドイッチにヨーグルト、サラダなどを平らげながらその日の予定を相談する。すでに前日までに予定が決まっていることが大半だったが、時折どちらかの提案や天候不順、あるいは喧嘩などの理由から計画が頓挫したり、強引に変更されることもあった。
日本語ガイドツアーに参加して、ブダペスト市内を観光する今日の予定に特に変更はなく、朝食もひと段落してインスタントコーヒーを啜っていた東峰がそうそう、と声を上げた。
「夜はグヤーシュにしない? ハンガリーの牛肉スープなんだって」
「気になるお店でもありました?」
「いや、今日の日本は土用の丑の日らしいから。せっかくだし俺たちもウのつく牛を食べようかって思っただけ」
そういえばこの国じゃ牛ってなんて言うんだろう、と東峰はスマートフォンを触っている。土用の丑の日、と五秒ほど考えてから西谷はようやく合点が入った。鰻などのウがつくものを食べて精をつける日ということはぼんやりと覚えていたが、あまり年間行事を気にしない西谷家では縁が薄いイベントだったうえに、日本を離れて久しい西谷はほとんど忘れかけていた。それらしい思い出といえば、随分昔にどこからか生きた鰻を貰ってきた祖父が鮮やかな手つきで捌いて蒲焼にしていたことくらいだろうか。ウといえば、と思いついた西谷はテーブルの上に身を乗り出した。
「だったら俺を食べればいいじゃないですか」
「西谷を? なんで?」
東峰はまだ頭が完全に起きていないのか、ぽかんと口を開けている。もどかしく思いながら親指を己に向けると「マイネーム!」と西谷は主張した。
「ニシノヤユウでしょ、俺にもウがついてるんだから、旭さんは俺を食えばいいじゃないっすか」
「ええ……それって精がつくどころか俺の精力搾り取られるやつじゃん……」
あからさまなセックスアピールに動揺を見せるどころか、本気で辟易とした顔をする。西谷も冗談まじりだったとはいえ、そこまで言われると正直面白くない。
「じゃあその牛のスープをじゃんじゃん飲んで、どっかでウコンでも探して、俺が搾り取りきれないくらいいっぱい精力つけておいてくださいよ。絶対食べてもらいますからね」
「無茶苦茶いうなあ」
意固地に迫る西谷に、東峰は苦笑する。こうなるともう、今夜の予定は決まったようなものだ。
その夜、西谷は宣言通りに美味しく食べられて、ほんのちょっぴり自身の言葉を反省した。