藍にまつわるひとかけら その2「……なあ目玉」
「ん?なんじゃ?」
「楽しいか?」
おんぶ紐で背負った鬼太郎の頭の上から注がれる視線があまりにも熱心なものだから、小鍋の中身の出来上がりを確認しコンロの火を止めた水木はつい尋ねてしまった。
「楽しいぞ。いくつになっても学びは大事じゃからのう」
「学びねえ…」
水木が作っているのは鬼太郎に与える重湯だ。学びが必要なほど複雑な手順などないというのに、と思い、ああと納得する。
一緒に暮らしているとはいえ赤の他人が作ったものだ。口では学びと言っているが、赤子に害はないか父親として心配しているのだろう。
もちろん水木もそうならないよう気をつけているが、目玉の心配も尤もなので口を挟まないことにした。
「ふむ…煮炊いて終わりというわけではないのじゃな」
「赤ん坊に米粒はまだ早いからな。ざるで漉して、汁だけを与えるんだ。ちゃんと人肌まで冷ましてやらねえと」
「人肌…」
肩に軽い感触。それが移動したかと思えば、不意に水木の首にぺたりと何かが触れ。
「ひっ!?」
「ううむ……これが人肌か?些か熱い気もするのじゃが…」
「ば、かお前、いきなり触るな!」
真面目な口調に勢いを削がれなければそのまま目玉を肩から叩き落とすところだった。
跳ねる鼓動に深呼吸を繰り返しながら、水木は自己嫌悪に陥る。
「すまぬ、驚かせてしもうたのう」
「…いきなりはやめてくれ。手元が狂ったらどうするんだ」
──その手があいつのものだったら。
そう、一瞬でも思ってしまった己の浅ましさを恥じるように、作業を再開した。
どんなに名残惜しくとも、夢である以上目覚めの時は来てしまう。
気だるげな身体を白い胸に預けその冷たさに浸りながら、水木はふと呟いた。
「……もし俺が、このままずっとここにいたいって言ったら」
お前はどうする?
そう尋ねる声は、自然と小さくなっていった。
好いた男と二人きり。夢の中でずっと一緒にいられるなら、どんなに幸福だろう。
うら若き乙女じゃあるまいしなんて笑い飛ばすには少しだけ、ほんの少しだけ、心が弱っていることは否定できない。
目玉と鬼太郎と過ごす時間は仕事で疲れ時にささくれ立った心を癒してくれるには十分のはずで、それでも寂しいと思ってしまうのはただの自分勝手な我儘だ。
記憶が戻ったと正直に話せば。心の奥に閉じ込めている想いを曝け出してしまえば。
水木が身体を預けている白い胸がなくとも、満たされる毎日を送っていたのかもしれない。
けれど、それは絶対にありえないし、あってはならない。
胸を掻きむしりたくなるほどの寂寞にこの先ずっと苦しむのだとしても、この事実も想いも表に出してはならないのだから。
「…冗談だ、気にするな」
見上げると、案の定男は困ったような表情でこちらを見つめていた。
そりゃあそうだ。男に笑いかけながら、口には出さず自嘲する。
夢だというのに、男は水木の言動に時に現実味を帯びた反応をする。どうせならとことん都合のいいように動いてくれればいいものをなんて考えてしまうのと同時に、本物のあいつならきっとこうするなんて確信もあった。
忘れるなということなのだろう。
この景色も、このぬくもりも、現実では叶いもしないまやかしなのだと。
「ゲゲ郎…」
目が覚める前にもう一度と、男の頬に手を当てて口づけをねだる。
応えてくれる仕草に安堵しながら、心の中で水木は思った。
この男は優しい。
優しいからこそ、残酷だ。