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    @karaka_mayoさんのイラストを拝見して思いついた話です。5_16

    5. クロードの兄弟は増減を経て現在は八人だ。姉妹を含めると十五人になる。パルミラの王家ではブリギットやフォドラと違い女子に継承権はない。王女が産んだ息子にも娘にも継承権はない。父親が王でなければ王にはなれないのだ。クロードの父は子供の数も妻の数も平均的で即位する際に幽閉せねばならない兄弟が存在しなかったこと以外、特に変わったことはない。母后として後宮内を取り仕切っている祖母の辣腕ぶりの現れと言えるだろう。
     後宮で爪弾きにされているため血縁者を嫌うクロードだがそれでもお気に入りの先祖がいる。本人と話す機会がなく胡散臭い肖像画しか見たことがないから気に入ったのかもしれない。一人は曾祖父で彼は弟が王となってから三十年近く王宮に囚われていたが王位についた。軍事的な成功はおさめていないが法学校や巨大な公衆浴場を国中に作り今でも人々がそこに集っている。もう一人はクロードから数えて八代前の王だ。彼はパルミラ王家に伝わっていた"兄弟殺し"を廃止した。かつてパルミラでは王が即位する際、反乱を起こされないように王位継承権がある兄と弟を年齢を問わず全員殺す風習があった。乳児であろうと幼児であろうと例外はない。それを哀れに思った八代前の王は兄弟たちを全て王宮に閉じ込め彼らの子供たちから王位継承権を取り上げた。今では王子の息子も王にはなれない。王になれるのは王の息子だけだ。
    -これが最善の策でないことは承知の上だが少なくとも最悪の策ではない。子孫のうち誰かがもっと良い策を考えつくことを望んでいる-という発言が記録に残っている。
     今では兄弟殺しと同じく幽閉も厳密には実行されなくなってきた。王位を継ぐ前の段階で母后が判断しある程度刈り込んでしまう。ここ数代で一番上手く行ったのはやはりクロードの父だろうか。
     歴史を紐解けば数世紀前には幾度も王位をめぐる酷い内乱があった。クロードは平民に迷惑をかけないため兄弟殺しに手を染めた者、兄弟を殺したくないと方針を変えた者、生き残って王になった者の血を引いている。どの道を行くのかクロード自身にも分からない。
     クロードは眠りが浅い方なのでいつものように窓掛の隙間から入る月明かりに照らされて起きてしまった。窓掛を完全に下ろせば光は遮られるが風が入ってこない。暑気払いに冷たいものを食べてもその後で汗だくになるようなことにふけってしまえば意味がない。風と引き換えに月明かりが差し込む件については甘受するしかなかった。
     一方でローレンツは白い瞼を下ろしたままでいる。負担が大きい方だしこれまでの数年を思えば眠れる時に眠っておいた方がいい、と規則正しく呼吸する身体が判断しているのかもしれない。水を飲み終えたクロードは白い額に滲んでいる汗をそっと拭ってやった。奴隷商人たちが彼の顔に傷をつけなかった理由は彼の商品価値を下げないためだとわかっている。それでもクロードは彼らの選択に感謝した。合理的な判断は時に思いもよらぬ喜びを生む。大して整えずとも綺麗な形をした眉からは力が抜けていていつもより幼く見える。白い瞼の裏側では懐かしい故郷を見ているのだろうか。
     パルミラの者はフォドラと一括りにしてしまうがフォドラは広い。ローレンツの故郷と母の故郷は近いのだろうか。そんなことすら知らないのだ、とクロードは気がついた。曽祖父は地図が大好きで三十年近くずっと見知らぬ土地の地図を熱心に眺めていたという。先の見えない環境でも好奇心が尽きなかったのかいずれ来る時のために備えていたのか。どちらにせよとんでもなく強靭な精神の持ち主と言える。自分とは縁のない土地、と嘯いて切り捨てていたのはクロードの弱さの表れだ。

    「強くならなきゃな」

     誰からも聞かれていないと確信が持てなければこんなことは呟けない。一方、傍で眠るローレンツの心はまだ折れていなかった。圧倒的な現実は善悪の基準を捻じ曲げていくものだが数日前の彼は毒を使うな、と己より遥かに立場が上のクロードに言えたのだ。自分の国が彼の良さを消し去ってしまう前にローレンツをフォドラに帰してやることが望ましい。
     ローレンツはクロードと出会った瞬間に逃してほしいと懇願してきたが逃亡奴隷は厳しく取り締まられている。フォドラに帰すならばその前に解放してやらねばならない。奴隷は奴隷自身が金を貯めて自分で自分を買い取るか主人の善意で解放される。初めて奴隷を買った者は良い機会だとばかりに遺言を書き換えるのが常だ。遺族が奴隷の取り合いで揉めぬよう自分が死んだら手持ちの奴隷を解放せよという文言を加えるのが通例であることから分かるように善意はいつ発動するのか分からない。
     ローレンツは祖母が買い付けクロードにサーキとして与えたから主人はクロードだ。しかしクロードはまだ三つ編みを切り落としていない。現時点で彼を解放したければ祖母の許可が必要だ。祖母が亡くなるかクロードが成人すればローレンツは名実共にクロードのものとなるが明日にでも故郷のフォドラへ帰りたがっているローレンツからしてみればどちらも待っていられないだろう。
     生まれて初めて肌を重ねた相手が自分に対して強く望むものが別離であるという事実はクロードを落胆させた。

     女官長を上手く誤解させたものの追い詰められたクロードが何を仕出かすのかローレンツには全く制御出来ない。先日強く意思表示はしたが聞き入れるか聞き入れないかはクロードに委ねられたままだ。
     ローレンツは朝を告げる銅鑼の音で目を覚ましたが傍のクロードはまだ眠っている。いつものように身支度を整え厨房へ朝食を取りに行った。
     麺麭が焼き上がる匂いは嗅いでいるだけで心が浮き立つ。薄切りにした乾酪と麺麭それに卵の炒め物を銀色の盆に乗せて下がろうとしたローレンツに料理人が声をかけてきた。味見をよくしていることが一目でわかる体格をしている。

    「果物も持っていけよ」

     緑色の葡萄を一房指でつまみ上げている。今が旬なのか召使いたちは皆、銀の盆に葡萄を手に取っていた。一粒が小さいので口に含んで皮を指でつまみ出すしかない。ローレンツが躊躇していると料理人が皿に桃をよそってくれた。彼が親切なのは以前鍋を取り落として火傷をした時に偶然居合わせたローレンツがライブをかけて治してやったからだ。

    「なんだ、甘くて美味いのに苦手なのか。じゃあ桃の煮たのを持っていくといい」

     礼を言い受け取った皿を丸い銀色の盆に乗せる。召使たちは皆、自分の主人のため食事を運ぶので朝は大忙しだ。主人に食べさせる前に毒味もせねばならない。見慣れない者が皿や盆に近付かぬようローレンツが辺りを警戒していると顔を見たこともない新顔の召使が料理人頭にあれやこれやと注文をつけている。よほど不審そうな顔で見ていたのか料理人がローレンツの疑問に答えてくれた。

    「あれはシャハド様とその御母堂の近侍の者たちだよ」
    「御母堂も壮行会に出るのか?」
    「親孝行なのさ」

     地方で太守をする息子と共に後宮を出た母親は息子が王になると再び後宮に戻ってくる。逆に招かれでもしない限り後宮には入れない。自分の母が自分こそが後継者であると母后へ強く訴えかける機会を与えたシャハド王子は確かに親孝行だ。

    「凱旋の下調べか」
    「そうだ、試食もなさる」
    「地方の料理人が作るものに飽きたのだろう」

     料理人はローレンツの言葉を聞いてにやりと笑い奥へと下がっていった。確かに無駄口を叩いていると上役にばれないうちに戻った方が良い。

     増改築が繰り返され迷路のようになっている後宮の中を召使たちが忙しそうに行き来していた。朝食も含めて主人の朝の支度を終わらせねばならない。遺伝なのか体質なのかローレンツは寝つきが良く夜中に目が覚めたり朝に中々起き上がれなかったりということはないがクロードは違う。廊下から声をかけたが二度寝でもしているのか反応がない。仕方ないので一度、銀の盆を床に置き扉を開けた。クロードは王子でありながら召使がいない。母の件があって以来遠ざけてしまったからというがローレンツですらこういった些細なことで不便さを感じる。
     いつものように絹の絨毯の上に直接、銀の盆を置くとローレンツは寝台に目をやった。薄掛けに包まり身体を丸くしているのだが褐色の足だけはみ出ている。南の温かい海にはこういう貝がいるらしい。

    「朝食を持ってきた」
    「もう少しだけ……」

     ローレンツは召使がいる暮らしもいない暮らしもフォドラで既に体験している。今のクロードと同じ年頃の時に親元を離れフェルディアの魔道学院に入ったしその後はガルグ=マクで士官学校に一年間通った。だからこそ分かるのだが身の回りの世話をする召使がいればローレンツが食事を取ってくる間にクロードを起こして着替えも済んでいただろう。何度か起きるように声を掛けたがぶつぶつ言うだけで動こうとしない。仕方がないので薄掛けを引き剥がし脇の下に腕を入れて身体を起こすと褐色の腕がローレンツの広い背中に回された。まだ眠いのか体が随分と温かい。

    「君、僕が来る前までどんな風に過ごしていたのだ?」
    「つまんなかったよ。思い出したくもない……」

     呆れ声はきちんと拾われ胸元に答えが吸い込まれていく。母が昏睡状態になり召使を遠ざけ何でも一人でせねばならない孤独な日々は確かに辛かっただろう。だがその前の暮らしぶりはどうだったのだろうか。ローレンツは今のところ王の足音しか聞いていない。王はクロードの母のことは本当に愛しているのだろう。多忙な中、何度か時間を割いて昏睡状態になった彼女の見舞いに来ている。だが王はクロードの部屋まで足を運ばない。病室に王の侍従が先触れでやって来た時点でローレンツは控えの間に下がってしまう。親子三人水入らずで過ごす時間が必要と思うからだ。

    「今日は久しぶりに稽古をつけてもらえるのだろう?」

     シャハド王子が王宮に顔を出しているからか内廷に兄弟で集まり手合わせをすることになっている。クロードは弓兵だが斧も少しは使えるのだという。ローレンツも参加出来ることになっていた。おそらくクロードの父と手合わせすることは叶わないが顔くらいは見られるはずだ。

    「大将自ら先駆けしてたら問題だろ……」
    「兵たちに自分が何を命じているのか理解していない大将の方が問題だ。それだけ屁理屈が言えるならもう目は覚めているのだろう?」

     クロードは二度寝から目を覚ました。一度目は朝を告げる銅鑼の音ではなく銅鑼の音で目を覚ましたローレンツが自分から離れる感触で目を覚ましている。水差しから桶に水を注ぐ音や顔を洗い口を濯ぐ音を聞いて彼が消え失せたわけではないことに安心し再び眠りの世界に逃避していた。扉を開ける音や朝食を乗せた銀の盆を絨毯に置いた音で眠りの世界と現実を隔てていた泡が弾けていく。剥き出しになった意識にローレンツの声が直接届いて徐々に目覚めるのは心地よかった。
     今日は彼のいう通り身内だけで手合わせをすることになっている。パルミラの民草はフォドラと同じく男女共に武器を手に取るが後宮に入るような女性は基本、武器を扱えない。だから健在だった頃の母ティアナは例外中の例外だったのだ。百戦不敗のナデルと武芸で渡り合い王が狩猟へ行く際は必ず同行していた。そんなティアナの息子であるクロードは周囲からかけられた期待の量が違った。弓だけは期待以上の成果を出せたが他の武器の腕は芳しくない。きっと今日も-

    「ほら、ぼんやりしていないでさっさと朝食を食べたまえ!冷めてしまうぞ!」

     毒味と時間節約を兼ねて先に朝食を口にしていたローレンツに急かされる。思考は過去に囚われ身体は寝台に座り込んでいるならばそれはぼんやりしていると判断されて当然だ。クロードは大きく伸びをするとようやく寝台から下りた。食事に特に異常を感じなかったローレンツはもう朝食を終えつつある。
     少し冷めた朝食の麺麭をちぎりながらクロードは内廷での手合わせがどんなものなのか改めてローレンツに説明した。後宮に住む王子は武装が許されていないし太守をしている王子であろうと外部から王宮へ武器を持ち込むことは王の護衛たちが許さない。だから王宮の外で実施される訓練のように本物の武器は使えない。防具は本物だが武器はクロードの父である王が訓練用に用意した刃が潰してあるものしか使えないし弓や魔法を人に向けて構えることも禁じられている。

    「政変を防ぐためか」
    「まあな。それでも毎回必ず怪我人は出る」

     もしクロードの腕っ節が強かったら出征の機会が巡ってくるように兄弟たちを半殺しにすることも可能だったはずだ。しかし残念ながらクロードにそんな武勇の腕はない。

    「刃が潰してあっても棍棒で殴られるのと変わらないのだから怪我人が出て当たり前だ」
    「怪我をしないで終わればそれでいい」

     手合わせを楽しみにしていたローレンツは少し不満げな顔をした。身体についた傷跡から察するにフォドラでは軍にいたのだろう。だがクロードは有無を言わさず言葉を続けた。

    「これ以上看病する相手が増えるのはごめんだからな」

     よりによってクロードからそう言われてはローレンツも善処するしかない。

     ローレンツに急かされたので約束の刻限より少し早く着いたが内庭の庭にはまだ生きている全ての兄弟とそのお付きの者が揃っていた。この有様では正確な開始時刻を伝えられていなかった可能性もある。急ぐ羽目になったクロードはローレンツに鎧を着付けてもらうことにした。誰のものともわからないあれがサーキか?という声がする。

    「サーキに鎧の着付けまでさせるとはな」

     既に身支度を終えたシャハドがクロードに声を掛けてきた。久しぶりに仲の悪い兄弟が父の前で勢揃いしている。辛うじて保たれている均衡を破ってもシャハドには取り繕える自信があるらしい。後宮から出てしばらく経つというのに継承位が一番低い弟の事情までよく知っているものだとクロードは呆れてしまった。礼法に従うならローレンツは作業を中断し王子であるシャハドに平伏せねばならない。クロードはまだ籠手をつけていない手の甲で額の汗を拭った。うんざりするような晴天の下、見ればわかることをわざわざ口に出すのは単なる嫌がらせでしかない。

    「手を止めるな」

     クロードは膝をついて脇の革紐を真剣に結んでいるローレンツに兄を無視するよう命じた。次は手の甲を守る籠手をつけてもらわねばならない。

    「おまけに礼法に従うことも許さない。顔を見ることを許す。昼も夜もカリードに仕えて忙しいのではないか?」

     クロードと違いシャハドには既に妻も愛姫もいる。だが彼はローレンツの白い頬を掴んで自分の顔を見せた。夏の午前中で既にかなり眩しいというのにシャハドの目が一瞬大きく開く。クロードは兄の焦茶色の瞳がローレンツの薄い唇を捉えているのだと気がついた。胃の腑が鷲掴みにされたような感触がする。

    「答えることを許す」

     シャハドの虫の居所次第でローレンツは無礼打ちされてもおかしくない。シャハドはいつもクロードのお気に入りを壊してしまう。握りしめた拳は汗で湿っていた。

    「シャハド、お前の母は息災か?」

     頬を掴まれたローレンツは初めてクロードの父の声を聞いた。先ほど弟のサーキに礼法を守れと言ったシャハドはローレンツが慌ててそうしたように父親に対して膝をつき掌を胸に当てるしかない。

    「はい、私と共にこちらに招かれております」
    「では母の許しなしにサーキを迎えてはならない」

     クロードの父は後宮に凱旋を果たしたシャハドの母とは顔を合わせていないのにクロードがサーキを迎えたことは知っている。彼のおかげでローレンツは顔を背けることを許されたが軽んじられていると感じたシャハドの怒りはクロードへ向けられるだろう。

    「カリード、まだ朝が弱いのか?ナデル、カリードの着付けを手伝ってやってくれ。先に始めているから」

     わっと王子とその侍者たちの間から歓声が起きた。安心してクロードを爪弾きに出来るからかもしれない。

    「右手の籠手を付けてやってくれ。俺は左手の籠手を付けるから」

     肩に触れ立ち上がるように促してくれた手の持ち主とローレンツが会うのは二度目だった。一度目は奴隷市場で今回が二度目だ。彼は現状について何を思うのだろう。大きな手をしているが器用らしくローレンツと同じ頃合いで籠手の革紐を結び終えた。

    「坊主、王の御前だ。兄君に弓を向けるなよ?」
    「さっさと負けて引っ込むよ」

     クロードが視線をやった先には武器が積まれているが目ぼしいものはもう殆ど残っていない。木で出来た訓練用のものか壊れかけのもの、壊れたものばかりだ。

    「そう思い通りに行くかねえ……俺は先に行くが二人ともさっさと武器を選んで王の下へ行け」

     そう言うとナルデールことナデルは足早に王の下へと向かっていってしまった。クロードは碌な斧がないせいか不満そうだがローレンツは内心でほっとしている。王主催の手合わせは怪我人が多数出ることが前提の催事らしいがローレンツはとにかく王族相手の加害者になりたくない。殺傷力が低い訓練用の槍か壊れた槍の方が都合が良かった。
     クロードの父はまだ十歳にも満たない幼い息子を相手に数を数えながら訓練用の木剣で打ち合いをしている。ローレンツの身にも覚えがあった。クロードも他の兄たちも身に覚えがあるのかその微笑ましい光景を眩しい顔で見つめている。歳が離れた弟は可愛いが後ろについている母方の親戚たちが問題だ。幼気な彼も刃を潰した剣を持てるようになればクロードに対して兄と似たような態度をとることだろう。

    「ふふ、初めて百まで打ち合いが出来たな!」

     目標を達成し王である父にそう褒められて気が抜けてしまったのか地面に座り込んでしまったがクロードの末弟はとても嬉しそうにしている。子犬のようにひたすら愛らしい姿を見てローレンツが微笑んでいると王は次々と息子たちに声をかけていった。与えられた課題はそれぞれに相応しく達成できた者は喜び達成できなかった者は神妙にしている。残るはクロードとシャハドだけとなり王がどちらに先に声を掛けるのか当事者たちも含めて皆が気にし始めた。

    「シャハド、供の者と二人がかりで膝をつかず、槍を取り落とさず五百までだ。部隊を展開する時に孤立してはならない」

     先ほどローレンツにちょっかいをかけてきた時とは違いシャハドは神妙な面持ちをしている。王は既に刃を潰した剣を手にしていた。味方の部隊が救援に来るまで生き残れるようにしておけと言う課題らしい。確かに王には中途半端な蛮勇を見せつけるよりも大切なことがある。だが息子が有利になるよう槍を持たせ二人を相手に教え諭すような態度を崩さない王は伸び盛りの息子たちより確実に強い。供の者はどうしても遠慮があるので差し引くとして柄が長い分だけ有利だと言うのにナデルが数を数えるごとに息子が振るう槍の穂先を避け王が数歩踏み込むことが増えてきた。刃を潰してあることだし籠手を嵌めているのだから踏み込まれた瞬間に左手で殴ればよいのにとローレンツは思ったがシャハドは考えつかないらしい。あと少しで五百に届こうと言う時、王が手にしていた剣の鋒がシャハドの籠手を強く突き彼は槍を取り落としてしまった。

    「シャハド、惜しかったな。だが大部隊を用意して孤立しなければ良いと言うだけの話だ」

     王はナデルから受け取った水を飲むと槍を取り落とした息子に優しく声をかけた。

    「父上、不出来な息子をお許しください」

     不遜な態度は形を潜め汗だくのシャハドが王の前で跪いている。

    「ああ、シャハド!そんなに落ち込まないでくれ」

     王はわざわざ地面に膝をつき意気消沈する息子の手を取った。

    「週末の宴でおばあ様に好物を食べさせてもらうといい。私もお前のためなら喜んで馬を潰そう」

     嵐の中の小舟、というのが親子のやり取りを目にしたローレンツの脳裏に真っ先に浮かんだ言葉だった。先ほど軽んじられたかと思えば心の底から心配され昔からきちんとお前のことを見ているよ、と訴えかけられる。これでは心が泡立ち落ち着くことがないだろう。ローレンツの父はその辺りが一貫している人物で父と話している時に心を乱されるようなことはなかった。父は今頃何をしているのだろう。故郷の家族のことを考えるだけでローレンツの心は締め付けられシャハドに対する憐憫の情は陽の光を前にした霜のように溶けて消えた。
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    DONE #クロロレ春のこども祭り2021重力から自由になったと思った矢先、クロードは全身に強い痛みを感じた。跳ね起きようとしてマヌエラ先生から身体を押さえられる。押さえられた拍子に視界がぐるぐると回りやがて上下が定まった。

    「落ち着きなさいクロード!貴方は飛竜から落ちたの。下敷きになったローレンツも骨折したわ。二人とも信仰魔法で治したけれど大怪我だったから落ち着くまで時間がかかるわ」

     落ち着く、とはなんだろうか。信仰魔法の主な副作用は吐き気と眩暈だ。先程マヌエラが起きあがろうとしたクロードを止めたのはせっかく治したのに目眩を自覚せず歩こうとして転倒されては無意味になってしまうからだろう。

    「ああ、それで視界がぐるぐると……それとローレンツが下敷きって??」
    「ローレンツも無事だから落ち着きなさい。目眩を起こしたまま歩くのは本当に危ないの。人によって体質の違いがあるけれど一日か二日は絶対安静よ」

    「せんせい、もうしわけないのだがおけをぼくのてもとにいただけないだろうか?」

     反対側の寝台から声変わり前の高くてかわいらしい子供の声がした。医務室の寝台には全て幕が掛かっていて互いが見えないようになっている。

    「ああ、 1753

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    MAIKING「説明できない」
    赤クロと青ロレの話です。
    4.遭遇・下
     犠牲者を一人も出すことなく野営訓練を終えて修道院に戻ることが出来た。ローレンツのほぼ記憶通りではあるが異なる点がある。ベレトが金鹿の学級の担任になったのだ。正式に採用された彼は既に士官学校から学生の資料を貰っている。だがグロンダーズで行われる模擬戦を控えたベレトはここ数日、放課後になると学級の皆に話を聞くため修道院の敷地内を走り回っていた。

     ローレンツはあの時、模造剣を配ろうとしたのは何故なのかとベレトに問われたが予め野盗達に襲われているのを知っていたから、とは言えない。言えば狂人扱いされるだろう。

    「歩兵の足が早すぎたからだ。補給部隊が本体と分断されたら敵に襲われやすくなる」

     食糧がなければ兵たちは戦えない。敵軍を撤退させるため戦端を開く前に物資の集積所を襲って物資を奪ったり焼き払ってしまうのは定石のひとつだ。ローレンツの言葉聞いたベレトは首を縦に振った。

    「それで足止めして予備の武器を渡したのか。装備をどうするかは本当に難しいんだ。あの場合は結果として合っていたな。良い判断をした」
    「ありがとう先生。そう言ってもらえると霧が晴れたような気分になるよ」

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