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    ベルジャン(2009/10/17)

    Omnia sol temperat 01※捏造設定あり ベルナルドの時計・家族について








    十二時のカフェテリア。
    デイバンの中でも上流区画にある、公園に隣接した小さな店のテラスで、ベルナルドはじっと時計を覗き込んでいた。
    吹き抜ける風はまだ冬の面影を忘れていない。春になれば緑であふれるはずの目の前の公園も、冬を越してきた針葉樹の葉ばかりが目立つ。冷え冷えと体温を奪っていく気候のために、テラス席にいるのはベルナルド一人だけだった。
    ひゅうと風が吹くたびに髪が揺れる。時計を握る手のひらから体温が失われていき、いつしか指先は氷の様だった。
    この席に座ったばかりの頃には空の中天にあった太陽も、いつのまにか随分と西に傾いている。

    十二時のカフェテリア?
    時計は変わらず真昼を指している。けれど、時間は過ぎていた。
    止まったままの針を置き去りにして――動かぬ針を睨むベルナルドも、置き去りにして。

    「馬鹿らしい」

    薄い唇が、言葉を吐いた。冷たい風に体温を奪われてしまった男の吐いた言葉は、三月の風よりも尚冷たく罅割れていた。
    馬鹿らしい。何がだろうか。ベルナルドは自分から離れた言葉の後を追って、意味を考える。
    時を刻まぬ時計の無価値さが? 
    動かぬ時計を見つめ続ける愚かしさが?
    かじかんだ手のひらに文字盤を覆い隠すようにして、握りこんだ。動かぬ針は見えなくなる。けれど、彼の耳は馴染んだ秒針の進む音が聞こえないことを変だ、おかしいと喚きたてる。小賢しく隠してみたところで意味は無かった。その時計が動かないことを、ベルナルドは忘れることはできない。
    口汚いスラングが、引き結ばれた唇を内側からこじ開けてこぼれ出た。最悪の気分だ。





    その時計は、父の形見だった。

    ボス・アレッサンドロが未だ組織の頂点に立つよりも前、つまりはCR:5という愛しきファミーリアすらも存在しない頃から、チクタクと弛まず時を刻み続けてきた。
    高価なものではない。
    ベルナルドの父はただの数字屋だった。アレッサンドロから帳簿を任され、それを滞りなく処理することか彼の仕事で、身の丈に似合わぬ野心も、欲もありはしなかった。彼が身につけるものは常に、彼の知る常識に照らし合わせて異常ではない値札が貼られたものだった。
    時折、磨き布を広げては、彼は高価でもなければ特別でもない、行きずりの時計屋で見繕って購入したその時計の手入れをしていた。細かな歯車を整備する、器用な指先をベルナルドは今も覚えている。
    彼の残したものも、そう多くは無かった。いくばくかの金と、本。そして、この時計。
    けれど彼はマフィアだった。マフィア――いや、コーサ・ノストラ。
    野心も欲も無い男。笑ってしまうほど、マフィアというには似合わない。そんな男は、豪雨のような銃弾を全身に浴びて、それでも尚立ちはだかったまま死んだ。血の杯を交わして忠義を捧げた男の、幼い息子をその背に庇って。
    トスカニーニの増援が駆けつけたとき、赤く染まったその場所には二つの音が響いていた。息絶えた男の腕の中で、惨劇を生き延びた幼子の泣き声と、途絶えた鼓動の代わりにリズムを刻む針の音。
    笑うしかないほど、見事な男の死に様だった。
    アレッサンドロからその時計を渡されたかつてのベルナルドは、オメルタに命をかけた男の血を、丁寧に、丁寧に拭った。そしてキリキリとリューズを巻く。ゼンマイ仕掛けの鼓動が途切れないように。父が貫いたオメルタの誇りを、その息子の義務として途絶えさせぬように。

    亡父の歩んだ道を追いかけ、自らの手首にCR:5の刺青を刻んだ。忠臣の息子を何かと気にかけてくれたアレッサンドロに引き立てられ、若くして構成員に昇格した頃には、オメルタの誇りも、針の音も、ベルナルドの魂に深く染み込んで別つことのできないものになっていた。
    古びた時計を見た友人や女たちから、新しいものを買ったらどうだと勧められることもあった。もしくは高価な腕時計を贈られることも。ぴかぴかに輝く新しい時計を買うだけの金も十分にあった。けれど、ベルナルドは笑って古びた時計のリューズを巻き続けた。精緻な装置に触れることは楽しく、いつしか記憶の中の父と同じように器用に歯車の手入れをするようになった。
    チクタク、チクタク、刻まれる秒針の音。
    その音は生涯、ベルナルドと共に在る。彼の誇りがある限り。彼がオメルタと共に生きる限り。

    けして、途絶えることは無い――――はず、だった。




    何かを飲み下しかねて、忘れ去られていたカップを手に取る。ぐいと呷って気分を変えようとし、しかし芳醇なはずの漆黒の液体は気づけばすっかり冷め切って、苦いばかりの泥水だった。口に含んでしまったことを後悔しながら、けれどどうしようもなくてベルナルドは苦い水を嚥下する。喉の奥にまとわりつくような不快感が、いつまでも後味を残していた。
    不愉快だ、まったくもって不愉快だ。顔が歪むのを自覚して、ベルナルドは押し黙って手のひらで口元を覆った。
    向かいの公園には、肌寒い風をものともせずにはしゃぐ声がちらほらと聞こえる。見知った顔などあるはずもないが、誰かにこの歪んだ表情を見られるかと思うだけでも怖気が走った。

    苦い水が呼び覚ます、苦い記憶。
    それこそ本物の泥水を啜った、屈辱。

    『……っ、ぐ、かはっ、 やめ……』

    無様な声。腹を蹴り上げられて込み上げた吐瀉物に咳き込む。その顔は自分が吐き散らしたもので汚れている。
    奴等は看守の目を眩ますために、囚人服で隠れた場所ばかりを集中して殴る。その代わりのように、汚泥で顔中を汚しては嗤った。

    『あ……っう、くぁ、……ヒッ……!』

    引き攣る悲鳴。容赦のない痛みに呻くたびに、下卑た罵声が嘲笑う。
    ズタ袋に詰め込まれて、伝わってくるのは痛みと奴等の声だけだった。暗闇の中で、幾度も眼が潰れてしまったのではないかと恐怖に駆られた。単調だが気紛れな暴力は終わりが見えず、耐える心は磨耗した。

    首を振る。
    くだらないことを思い出すな。すべては最早過去のことだ。過ぎ去って遠い、忘れるべき瑣末ごとだ。
    時計の針の音がしない。手の中の文字盤を、痛いほど強く握り締める。白くなった指先の間から、チクタクと針の音はこぼれてこない。あの音さえあれば、煩わしい過去の亡霊のうめき声など届きはしないというのに。

    ベルナルドの手のひらの中、時計の針は止まっている。
    きつく結んだ指の中、証の時計は壊れている。


    『――――――、ぁ、たす、け――』


    檻の中で、朽ちて壊れた誇りと共に。

    ガチャリ、耳障りな音がする。
    鬱陶しいものを薙ぎ払うかのようにテーブルに叩きつけた拳。反動で揺れたカップの中で、黒い水がゆらゆらと波打っていた。

    檻の中、多勢に無勢のこの環境では仕方がなくとも、甘んじて受け入れているわけではけして無い。この屈辱を忘れない。きつく食いしばった唇の内で、鋭い牙を研ぎ澄ませて待つ。報復を。復讐を。暗闇を生き延びて、必ずや生まれてきたことをも後悔するほどの地獄をくれてやろう。屈従は膨れ上がる殺意を覆う殻であったはずだった。だったのだ。だというのに、振り下ろされる殴打の嵐で罅割れた殻の隙間から、じわじわと恐怖が染み込んできた。真っ暗な中で与えられる痛みだけを追う日々は、いつしかベルナルドの中の大切なものを侵食し、腐らせていった。
    思い出したくもない記憶。けれど、いつの間にか脳が勝手に再生のボタンを押している。
    サンドバッグの様に乱雑に蹴り飛ばされ、踏み躙られる。湿気た黴の臭いが充満する狭い部屋の中には下卑た嘲笑がこだまして、おそらく誰にも届かなかったはずだ。けれど、ベルナルドだけは知っている。己が発した言葉だから。
    たすけてくれ、と。
    幾度も繰り返し聞かされる自分の声。罅割れて震えた、無様な声を自分の声だと聞き分けることがつらかった。惨めに床に転がされた芋虫は、あの時確かに大事に抱えていたはずの誇りを落とし、壊したのだった。

    ファンクーロ、スラングが口を突いて飛び出し、ベルナルドは苦々しく唇を引き結んだ。下唇を噛んだ歯が柔らかな皮膚を裂いて、舌先に淡く血の味がする。泥の様な味のコーヒーよりは、鉄臭い血の方がよほどマシかもしれない。ふとそんなことを考えたが、無様で臆病な男の血は踏み躙られた泥水よりも不味かった。無作法に唾を吐いてしまいたい、品のないヤンキーの様に。けれどそれをできない自分を知っていたから、ベルナルドはもう一口、飲みたくもないコーヒーを無理やりに飲み下した。味はやはり最悪だ。
    乱雑にカップを下ろすと、陶器のソーサーが悲鳴を上げる。イタリアからわざわざ取り寄せられたコーヒーカップは、繊細で美しくベルナルドの好みに合っている。柄の部分に細工の施されたスプーンも、食器だけでなく穏やかで居心地の良いこの店自体、かねてからのベルナルドのお気に入りであった。
    なにをするにも胸の奥の鬱々とした影が消えない、そんな中わざわざこの店を訪れたのは、ここであれば沈み込んだ精神が少しは浮上するのではないかと――もう一度、止まった時計のリューズを巻くことができるのではないかと、そう思ったからだ。

    出所した日、チェストの引き出しの中から取り出した腕時計は、止まっていた。
    コーサ・ノストラの誇りを胸に抱く限り、止めぬと誓ったはずの針が、止まっていた。
    当たり前だ。何ヶ月もリューズを巻かずに放置していれば、ぜんまい仕掛けの時計はいつか止まる。ただの物理法則だとわかっていたが、ベルナルドにはどうしても、あの時壊れた自分の誇りと共に、この時計も壊れてしまったのだと思えてならなかった。
    だから、リューズを巻けば再び動き始めるはずの時計を、いつまでも止めたまま、動かせずにいる。

    怖いのだ、結果を知る事が。
    リューズを巻いて、もしもそれでも動かなかったとしたら――、と。
    いつの間にか、この時計が再び動き出すことと、壊れた誇りを取り戻すことがベルナルドの中で同義になっていたのだ。

    出所してもう幾日も経った。早いもので、ベルナルドはすっかり仕事に復帰し、瞬く間に再び重要な仕事を任されるようになった。所詮はマフィア、裏社会で生きるベルナルドにとって、一度くらいのオツトメの経験は体外的にはなんの傷にもならない。昔気質の古いソルダード達など、これでようやくお前も一人前だ、などと笑って肩を叩いてくることもあったほどだ。
    ベルナルドを取り巻く環境はなんの問題も無い。ちらほらと、時期幹部の噂も囁かれるようになった。口にする誰もがまだ若すぎると笑って話題を終わらせるその噂を、現実にして見せる自信もあった。
    けれど外側が固まれば固まるほど、内側で壊れたままの姿を晒している残骸が気になって仕方が無い。
    毎晩眠りにつく前に思い知らされる。ライトを消すことができなくなった。毛布を頭まで被って眠ることができなくなった。夜毎魘される悪夢にいい加減けりをつけなくてはと、ベルナルドは壊れた腕時計を持ち出した。
    午前中いっぱい悶々としてみても結局踏ん切りがつかず、少し気分を変えて見ようと家を出た。
    だが結局は、何も変わらなかった。問題は場所などではない。場所などでは何も変わらない。もしそれだけのことで変化が訪れるのなら、狭く汚い檻の中を抜け出したときに空は開けているはずだ。
    その程度のこともわからないだなんて。
    自分の愚かさに嘲笑がこぼれる。だがその奥で、もう一人の自分が違うだろう、と凍った声で囁いた。
    違うだろう、お前はそんなことは重々承知していたはずだ。それでも尚、切れると判っている蜘蛛の糸にすがり付いているのだろう。
    組織でも年にそぐわぬ冷静さと分析力を謳われる彼は、自身の思考をもその洞察の対象としてつぶさに読み取る。けれど二十歳を過ぎていくらも経たない青年にとって、眼を逸らしたい己の暗部を無理やりに見てしまう習性は些か重過ぎるものだった。

    ほんの数時間の間に、酷く肩が凝った気がする。重くのしかかる圧迫感を吐き出すように、ベルナルドは深々とため息をついた。
    いつまでも、間抜けに座っていたところで何も変わらない。
    時刻を知るために時計から眼を逸らす、という奇妙な行動をして、ベルナルドは傾いた太陽を確認した。随分と傾いてはいるものの、空はまだ色付いてはいない。
    夜には仕事がある。そろそろ立ち上がるべきか、と判断して身じろいだ。長い間じっとしていた身体は硬く強張っていて、肩や首の関節が音を立てた。時計を握り締めた手を開こうとして――まるで死者の手のように、その指先が白く、冷たく固まっていることに気づく。握りつぶさんばかりの強さで握り続けていた所為だろう。最早乾いた苦笑いしか起こらずに、ベルナルドは反対の手を使って硬直した指を一本一本開いた。
    現れた時計をテーブルの上に置いて、そっと手を離す。
    止まった文字盤が眼に入るのが厭わしく、ベルナルドは眼鏡を外して目頭を揉み解す。言い訳のためだけでなく、事実眼の周りの筋肉も酷く硬くなっていて、指が触れる場所と閉じた瞼の裏がじわりと温かく感じた。
    今夜もきっと、悪夢に魘されるのだろう。
    浅い眠りが習慣となってしまった身体は小さな疲労を積み重ねていっている。いつか仕事で失敗をしでかすその前に、きちんと決着をつけねばならない。失敗をする前に、そして、誇り無き身でコーサ・ノストラを名乗ることを息苦しいと感じ始めてしまう前に。


    先が見えない暗闇の中。
    だからこそこんなにも踏み出すことが恐ろしいのだろうけれど、だからといって怯えてばかりでは意味が無い。
    時が経とうと、何も解決などしない。
    ベルナルドの内側の問題を、救い上げてくれる人間など何処にもいないし、何よりもこの時計が止まっている限りはベルナルドの時間も止まっているのだから。
    いつかきっと、と奥歯で悔しさを噛み潰しながらベルナルドは仰のいた。真上を見上げた視界には、傾いた太陽は入ってこない。あとどのくらいで夜が来るだろうか、止まった時計は動かずとも毎夜訪れる暗闇にうんざりとしていたベルナルドは、近づいてきた気配に気づかなかった。
    瞬きをして再び目を開いた瞬間、レンズを挟まないぼやけた世界いっぱいに金色の光が飛び込んできてベルナルドは酷く驚いた。


    「なあ、それ、俺が直してやろーか」


    いつのまに太陽が昇りなおしたのだろうか。
    眼鏡をかけなおしてもう一度見上げれば、そんな錯覚を抱かせる鮮やかな金髪の少年とぴたりと眼が合う。
    いつの間にかベルナルドの間近に立ち、仰のいた彼を覗き込んでいた少年は年頃の子供らしく溌剌と瞳を輝かせて、歯を見せて笑った。

    「貸してみろよ。ちょちょいのちょいっと、直してやるぜ?」
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