Io voglio mangiare DOLCE「カジノ? ああ、いい調子だぜ?」
熱々のチーズがたっぷりと乗ったピッツァを喰いながら、俺は片頬を上げてみせた。ちょこんと乗ったオリーブが落っこちないように、自分の顔を皿の上まで持っていってあーん、と食いつく。溶けたチーズと、ジューシーなトマトの酸味がコンボをきめて快楽中枢を刺激する。旨いモン食ってるときって、なんだってこう幸せなんだろうな。
メシのうまさにはテーブルを共にする相手の顔ぶれっつーのも大いに関係するが、今はそれにもまったく問題ない。
CR:5の本拠地――つまりボスである俺の屋敷の一室で、俺と向かい合わせの席についている男の名は、ベルナルド・オルトラーニ。
我等がCR:5の筆頭幹部にして頭脳担当。デイバンの街中を走る電話線から全ての情報がこいつの元に集約して、こいつは即座にその全てを判断して返事をする。電話線をこいつの指示が流れて行き、デイバンはその指示に従って動く。言っちまえばデイバンの脳ミソそのものなのかもしれない。
マフィアつーもんに過剰な憧れを抱いたアホな餓鬼の妄想みたいな奴だが、妄想じゃあない。ていうか、妄想だったら困る。主に俺がだ。
なぜなら、こいつはCR:5の新参ボスたる俺の右腕なのだから。
「そうか……あのごたごたからまだ日も浅い上にお前はまだ就任したてだからな。こういったことはしばらく俺が受け持とうかと思っていたが、余計な心配だったらしい。流石はラッキードッグってことかな、ハニー?」
「いやぁん、ダーリンのおかげよぉん」
しなを作って、高い声を出してふざけるとベルナルドは愉快そうに笑う。
ベルナルドたちの逮捕と、俺の大活躍による脱獄劇、そしてGDの連中との抗争に一区切りがついてから、約3ヶ月。デイヴの死によってあの腐ったプッシーみたいな嫌味臭せぇ攻撃は止んだが、敵対していたヤクザどもが、手打ちをしてすぐにはいオトモダチですとはいきやしない。下っ端どもの小競り合いや、そう見せかけたい誰かの仕掛けを蹴散らしながら、俺たちは同時に荒らされたデイバンの地盤を馴らし直してきた。幹部達は表面上はコーサ・ノストラの男らしく泰然と、しかし水面下では馬車馬もかくやというハードスケジュールをこなしていた。それはもちろん、二代目ボスたる俺も同じ。こっちは外面を取り繕うのも必死のへろへろになりながら、主にはデイバンの有力者に顔を売ったり、先代のボス・アレッサンドロ親父と一緒にGDとの会合に臨んだりと、俺は二代目ボスとしてのいわば威厳付けの仕事に追われていた。
自分の仕事もこなしながら、俺の補佐として様々な手配ごとをしてくれていたベルナルドが、一束の書類を持ってきたのは一月前。その書類には、ボスの直轄地で経営されている一軒のカジノの名前が記されていた。
「ラッキードッグがカジノの経営――はは、そりゃ繁盛するさ。幸運の女神に愛された男の賭博場なんて触れ込みに、惹かれない男はいないからね」
ルキーノのところの地下クラブみたいに、一握りのアッパークラスだけが入れるような場所じゃない。貧乏人はお断り、だが、財布を厚く膨らませる札束さえあれば入れる。血筋も地位も関係ない、元手があれば、あとは運と実力だけが勝負の店。
それが、俺がボスになって初めて持った直接のシマだった。
「まあ、もともとが普通に繁盛してた店だしぃ? これでボスが俺に代わって落ちぶれたりしたらとんでもない無能ってコトだろ」
「そんなことはないさ。ああいう場所はサービスや経営以前に、掲げた看板に書かれてる名前って奴が大きく影響してくる店だ。ラッキードッグの名前をつけた店が今にぎわってるなら、それはお前の実力って事さ」
「そういうもんかねぇ」
ガキみたいにシャツの襟にチーズをつけちまわないよう苦闘している俺とは違い、スマートに、優雅に、これぞピッツァを食べる男の見本型です! ってな風に綺麗に食事をしているベルナルド。親指の爪の先に、わずかについたソースを薄い舌先がちろりと舐め取る。舌の赤い色に思わず眼を引かれた俺に気づいたベルナルドが、にやりと唇を上げて笑いやがった。
「どうしたんだい、ハニー? ピッツァよりも――食べたいものでもある?」
「いーや。十分おなかいっぱいですよっと。ごちそうさん、ベルナルド」
「残念。お前が食いたいっていうなら、なんだってすぐに準備してやるんだがな」
肩を竦めて、ベルナルドは誘うように笑ってみせた。
食べたいもの。
確かに、言えばベルナルドは容易くかなえてくれるだろう。チーズたっぷりのピッツァでも、最高級のフレンチでも、ダウンタウンの酸化しきった油で揚げたフリットだろうと……他にも、目の前のベルナルド自身だろうと、だ。
眼鏡の奥の瞳に、昨日の夜も散々間近で拝んだケダモノの光が見える。もしもーし、オルトラーニさーん、なんか本性透けてますよー?
――ったく、エロオヤジが。真っ昼間から盛りやがって。
最後のピッツァを口の中に放り込んで、俺は椅子を引いた。
「もう行くのか?」
「おう。ちょっとカジノに顔出してくるわ。看板に書かれた名前を、もうちょい大きく書き直してくるさ」
ついでに、ラッキードッグのキャラクターでも作って描いてきてやろうか。どんな絵がいいかな、と訪ねると、ベルナルドはいくつかの犬種をあげた。いや、ラッキードッグだし、犬なのはいいんだけどさ。
「チワワ? スピッツ? ポメラニアンや……ああ、フレンチブルなんてどうだ?」
なんで全部小型犬なんだよ、おい。溜息をついて髪を掻きあげようとして、指先を染めていたソースに気づく。汚れた指先をつい昔の癖でスーツの裾に擦り付けそうになって――危ないところでオーダーメイドの店に並んでいた価格表の、ずらりと並んだ0の数を思い出した。指先は行き先を探して彷徨って……このテーブルクロスも、知らねぇけどきっと高いんだろうな。
事態を察したベルナルドが苦笑しながら差し出したナプキンで手を拭った。笑うな、馬鹿。
「仕事熱心なのは嬉しいね。ボスの責任感かな?」
「ハン、俺の右腕は飛びっきりだからな――片腕だけムキムキじゃ、見てくれ悪ぃだろ?」
他のところも鍛えねぇとな。
言って、俺はシャツを捲くり上げ、左腕を曲げて力瘤を作って見せた。むくりと筋張った筋肉が浮かび上がるが、色白な肌と控えめな隆起はまあ、なんだ、カポの風格じゃねえよなぁ。
な?
自虐的に首を傾げた俺に、とびっきりの右腕がくすりと微笑う。
その表情がひどく甘くて、優しくて、もぞもぞと落ち着かなくなったのを振り払うように、踵を返した。豪奢な部屋の出口へと歩いて――
……ふと思い立って、方向転換。
まだ椅子に座ったままのベルナルドのところへ歩いていき、太腿の上に尻を乗っけて、しなだれかかる。手触りのいい髪に手を突っ込んで、束の間感触を楽しんでから、
「ねえ、ダーリン? アタシのこと愛してるぅ?」
「勿論だとも、マイハニー」
それじゃあ、と俺はお綺麗な顔に自分の面を近づける。顔だけなら100点満点、生え際もまだぎりぎりセーフのマイダーリン。でも眼が減点だ……えっろい、ケダモノの眼。純情可憐なお嬢様のお相手にゃ不釣合い。でもまあ、幸運がとりえのお犬様の相手には――ちょうどいいかもな。
チュ、と軽い音を立てて、俺はベルナルドの眼鏡の縁にキスをする。ちょっと不満そうにベルナルドの顎が上がったが、キスの代わりに指を添えて、つ、とくすぐった。
「ディナーの後にはドルチェが食べてぇなぁ、ダーリン」
チョコレートよりも甘ぁーい、ドルチェがさ。なあ、ベルナルド?
脚を撫でてきた手の甲を音を立てて叩いて、立ち上がる。
「ハニーのお望みとあれば、どびっきりのものを用意しなくちゃな」
俺が示唆した“ドルチェ”の意味をすぐに汲み取ったベルナルドは、とびきりセクシーに笑って、俺の手首をとってキスをした。命に繋がる血管が通った場所に唇を寄せたまま、ベルナルドは俺の眼を見上げてくる。薄く開けた唇から差し出された舌先が、浮き出た血管に沿って皮膚を這った。背筋を駆け上る電気みたいなものは、確かに快感。
赤い舌先――俺は、その甘さを知っている。
「お仕事頑張って帰ってきたボスに、極上ドルチェのご褒美、待ってるぜダーリン」
ひらりと身を離して、俺はお仕事に向かうために扉へと歩き出す。ご褒美をねだったからにゃ、そこそこ真面目に働かないとね。
背中を押すベルナルドの挨拶に見送られて、俺はデイバンの街へと向かった――。