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    ベルジャン 下とジャンの仲のよさに嫉妬するベルナルド (2009/12/04)

    Chi cerca trova.「あいつ、変わってるよな」

    とある晩秋の昼下がり。デイバン市街の一角、港と鉄道を見下ろす高台にあるCR:5の本部で、二代目ボスジャンカルロ・ブルボン・デル・モンテは思い出したように呟いた。
    それを聞くのは筆頭幹部ベルナルド・オルトラーニ。
    ベルナルドは、指先につまんだお化けカボチャ――ジャック・オー・ランタンのデコレーション・クッキーを弄びながら呟いた恋人に、何のことだい? と首を傾げる。
    忙しかったハロウィン・パーティを終えた、平和な昼のコーヒータイムでの出来事だった。

    ボスの座を退き顧問に就任したアレッサンドロのいつもながらの破天荒ぶりや、幹部たちそれぞれのシノギについて。また、幹部を差し挟まずにジャンの名と彼の直属の部下たちで進めている幾つかの事業の進捗など、上がる話題は仕事に纏わるものが多かった。ジャンが今の地位について、もうすぐ一年。初めはベルナルドに教えられるままに仕事を進めていくしかなかったジャンも、カポとしての仕事ぶりが随分と板についてきた。
    ここのところの眼を見張るようなCR:5の躍進は、ラッキードッグの幸運もあるが、何よりもジャンの努力の賜物だろう。日に日にカポとしての階段を上っていくジャンを見守るのは楽しい。
    けれど同時に、一抹の寂しさも感じずにはいられない。
    雛鳥のように後をついてくるジャンに、一から仕事を教えていく――自分がいなければ滞ってしまう山のような仕事を抱えて、頼りにしていると全幅の信頼を向けられる。そこに留まっていてはいけないとわかっていながらも、向けられる絶対の信頼は心地よくベルナルドを惑わせた。
    勿論、ジャンが仕事を覚えたからと言って、ベルナルドに向ける態度が変わったようなことは無いのだが。
    変わったことといえば――今のように、ふとした瞬間に自分ではない人間の話題が口の端に上ることが多くなった。元より友人の多い、明るい性格のジャンだったが、CR:5のボスに就任してからは段違いに彼を取り巻く人間の数が増えている。ジャンの周囲に立ち入ることが許された有力者や直属の部下などは、当然ベルナルドも把握している。だが、人好きのする性格のこのカポは、出会ったばかりの相手とまるで数年来の友人のような気安い関係になるのに時を必要としない。すとんと相手の心を掴んで、掌握してしまう。
    カポの素質としてはこの上ない美点だが、そんな男を恋人に持つ身としては、時に複雑な気分にもなろうというもの。
    まして、まるで関係の無い話をしていた会話が途切れた合間、ぽつりと思わせぶりに呟かれたりなどしたらもう駄目だ。
    あいつ――と、穏やかな瞳に過去を映し、好奇心と苦笑を浮かべてジャンが言うのは、いったい誰だろうか。
    ジャンがカポとして頂点に君臨する組織、CR:5。デイバンの街を牛耳り、同時に庇護を与えるコーサ・ノストラ。市長も警察も差し置いて、事実上のデイバンの支配者たるこの組織には、実に多くの人材が集っている。

    傲慢、豪快、磊落。燃える炎のような鬣を持つ、獅子の覇気を備えた艶やかな男、ルキーノ・グレゴレッティ。
    狂犬にして忠犬。ボンドーネ家の若き総帥であり、CR:5の誇る最高戦力でもあるナイフ使い、ジュリオ・ディ・ボンドーネ。
    コーサ・ノストラのファミーリアとしての繋がりを下らないと切って捨てながら、幹部の中でもっとも多くの兵隊たちに慕われている最年少幹部、イヴァン・フィオーレ。

    異例の若さを誇る幹部たちを筆頭に、有能で、時には風変わりな者たちが勢ぞろいだ。変わっているな、と言われるような人間には、心当たりがありすぎる。
    自身もまたその幹部の一員であることは棚に上げて、ベルナルドは考え込んだ。
    誰も考えも及ばぬような方法で、広いデイバン中の情報を全て吸い上げる仕組みを作り上げた魔法使いのような男は、彼のボスであり、同時に恋人でもある青年の脳裏に浮かぶ名前を読み取ろうと眼鏡の奥で目を細める。
    ルキーノもジュリオもイヴァンも、「普通」という言葉からは縁遠い人間たちだが、今更ジャンがそんなことに言及するとは考え難い。顧問に就任したアレッサンドロは破天荒さでは幹部たちの上を行くが、十代の頃からCR:5の構成員だったジャンにしてみればそれこそ、今更だ。
    では――もっと他の、部下たち?
    ボス就任後、それまでフリーで動いていたジャンにも直属の部下が出来た。自分を初めとする幹部たちが、それぞれ信頼できるものを選任した精鋭たちだ。いずれは幹部にも伸し上がるだろう有能な者たちだ。彼らの中には確かに、些か灰汁の強い者もいる。変わり者、と周囲に言われている者もだ。だがこちらも、常に傍にいる部下たちにジャンはすっかりと馴染み、慣れ親しんでいる。
    唐突な呟きには、疑問が生じる。

    最近、誰かとジャンは会ったのだろうか――?
    あいつ、と呼んで眼を細める程度には親しく、更にどこか言動の奇矯な相手と。

    幾つかの顔を脳裏に浮かべては流し、そして閃いたのは、サングラス越しの胡散臭い笑み。

    「もしかして、ラグトリフの事かい?」

    ラグトリフ・フェルフーフェン、ベルナルド配下の掃除屋。
    変わり者と言う言葉にぴたりと嵌る。嵌りすぎるくらいの男。そして、つい昨日もジャンと顔を合わせている。
    ジャンはその通りと頷き、弄んでいたクッキーをコイントスの要領でピンと弾いた。くるくると綺麗に真上に飛んだそれが落ちてくるのを、彼は器用に口でキャッチする。束の間垣間見えた舌先、赤い咥内に、思考とは無関係に意識が吸い寄せられる。他愛ない会話をしながらであっても、ずく、と身体の奥で何かが蠢くのを感じた。こんな些細なことで、熾き火が煽られる。一度ジャンに触れてからと言うもの、我慢の効かない、盛りのついたガキにでも戻ったような気がしていた。いや、真実真っ盛りの若造だった頃よりも、酷いのではないだろうか。
    和やかな昼下がり、漂うコーヒーの香気に相応しい穏やかな表情を浮かべた面の皮、その下の欲望を夜までの我慢だと宥め透かして、ベルナルドは会話を続ける。

    「確かに変わった男だが、あいつがおかしいのはいつもの事だろう?」
    「はは、確かに掃除屋がアンタみたいにカッチリとスーツ着こなして、革靴鳴らしながら普通の仕事してたら逆に気持ち悪いな」

    本部へ訪れるときも変わらずフード付のジャケットを羽織って着膨れた姿と、間延びした笑みと口調。確かに奇異だが、最早ラグトリフという男はそういう人物なのだと認識されてしまっている。
    変な男。――変であると言うことが、彼にとっては普通なのだ。
    ラグトリフに出会った人間はまず驚き、次に掃除屋という特殊な職業を知って、そんな職についている人間ならば多少なりと奇異な人種なのではないかと想像をする。そして正に、な独特の性格にペースを乱されて混乱し、いつの間にか違和感を覚えなくなっているのだ。
    ジャンよりも少しだけ、ベルナルドは彼について多くの事を知っていた。
    それが生来の彼の性質なのか――もしくは、意図して身に纏っている態度なのかは、わからなかったが。

    蛍光オレンジのお化けカボチャを口に放り込んだジャンは、口の中に広がった砂糖のきつい甘さをコーヒーで流し込む。
    甘いものは嫌いではないが、甘すぎるものは得意ではない。ベルナルドは、ジャンの口の中に消えていく極彩色の砂糖の塊を、ほとんど畏怖するような顔で見送った。
    そして同時に、目が痛いようなパステル・オレンジのクッキーよりも尚甘くしたコーヒーを――最早コーヒーではなく、ただの黒い砂糖水になった液体を好む男を連想する。
    ジャンも同じように――いや、元より彼がラグトリフの名を出したのは、この菓子の甘さが原因だったようだ。テーブルに置かれたポットの中から新しい菓子の包みを取り出して開きながら、「やっぱり変わってるよな」と繰り返した。
    開かれていく包み紙。テーブルの真ん中に置かれたポットを境界に、ジャンの方には山積みで、ベルナルドのほうには慎ましく一枚だけ。カラフルな紙の山にまた一枚が積み重なった。パクリと一口でカボチャを平らげて、止まることなく伸びる手に、苦笑したベルナルドはカボチャを模したファンシーなポットを彼の元へと押し遣ってやる。

    「グラーツェ、ダーリン」
    「プレーゴ、マイハニー」

    飛ばしされたウィンクを受け取って、ベルナルドは口角を上げる。
    甘すぎる菓子の群れは、ベルナルドの口に入れば胃もたれを齎しかねない天敵だ。だが、ジャンの唇に吸い込まれた彼らは、喜怒哀楽を素直に伝える恋人の、鮮やかな表情を上機嫌に蕩かせる魔法の種になる。
    ハロウィンの日、滅多に味わえないたくさんの菓子に笑み綻んでいた子供たちと同じように、ジャンカルロの表情もまた嬉しげだ。

    と、その柔らかな表情にわずかな疑問の色を浮かべて、ジャンカルロは指先で触れた菓子を見下ろした。
    甘すぎるほど甘い菓子――その先に見ているのは、ハロウィンの日に誕生日を迎えた掃除屋。
    ジャンは、ラグトリフに接した人間が必ず一度は目を見張る、ベルナルドからしてみれば悪癖としか思えない習性に言及する。

    「あいつ、コーヒーにはいつも溢れるくらい砂糖とミルクを入れるよな。甘いの、好きなのかね」
    「甘いのが好きなんていうレベルじゃないね、あいつは。せっかくのコーヒーの風味を殺す天才だよ。あいつが飲み終わったコーヒーカップを見たことがあるか、ジャン? 底に、固形のままの砂糖がじゃりじゃりと残っているんだぞ?」
    「はは、ベルナルドからしてみたら信じらんねえんじゃねえの? 俺でも、あそこまで大量だとちょっと遠慮したいわ」
    「その通りだよ。せっかく良い豆を使っているというのに、あれだったら最初から砂糖水を出してやりたいくらいだ」

    常々思っていたことを吐き出して、ベルナルドは憤然と肩を竦める。一息入れようと手元のカップを口に運べば、薫り高い香ばしさが鼻をくすぐった。ローマ法王をも虜にした、悪魔の飲みもの――この苦味こそが何よりの味わいではないか。

    「あんたは甘いの、あんま好きじゃないよな」

    話題の主の掃除屋ほどではないにしても、苦いブラックコーヒーよりはミルクを多めに入れたカフェ・オレを好むジャンが、ベルナルドの拘りを眺めて笑っていた。
    その視線に気付き、肩を竦めて笑みを返す。

    「嫌いじゃあないよ。脳の活動の為にも糖分は必須だしね。ただ、あまり量はいらないな」

    良いものを、最高のものを少しだけでいい。
    ジャンという一部の例外はあれど、その哲学は今もベルナルドの中で変わっていない。
    甘いものが嫌いだなどとは言わない。ジャンのお気に入りで、最近では木曜日の夕食会で定番のドルチェとなったリモンチェッロの酸味が爽やかなジェラートなどはベルナルドもいつも楽しみにしていた。
    だが、酸味の利いた檸檬酒の変わりに蜂蜜をかけたいとは思わないし、ジャンやジュリオのようにホールを抱えて食べたいとも思わない。
    それは個人の好みだ。
    ルキーノが顔に似合わず甘いカクテルが好きなことも、ジュリオが山盛りのジェラードを黙々と平らげるほど大好きなことも、イヴァンお気に入りのホットドッグのパンチの効いた味わいも、すべては好み。人それぞれ。構わない、と思っている。
    ならば当然、ラグの嗜好も彼の個性であるはずなのだが――ベルナルドがコーヒーを自らの嗜好品としていることもあり、どうしてもあの大量の砂糖とミルクは、容認しがたいものがあった。最初から甘いジュースでも頼めばいいものを、と思ってしまう。

    だが。

    「まあ、あいつに限っては仕方が無いと解ってはいるんだが」

    頭では分かっていても、感情が納得できないんだ。やれやれと溜息をついて、ベルナルドは嘆く。
    「へ? なんで?」
    仕方が無い、と言う理由が分からずに首を傾げたジャンに、ベルナルドは自分の知るラグトリフという男の過去を話した。
    彼と、このデイバンと言う街の外でわずかな間共有した時間を。そして、そのときに見たあの男の――満身創痍の、傷だらけの姿を思い出しながら。

    「大戦中、前線で大怪我をしてね。その後遺症で、奴は味覚障害を発症している。それに、確か視力もかなり低かったはずだ――何事もないかのように動いているから、ぱっと見には判らないがね」
    「は? え……、はぁああぁぁぁぁ!? 前線って……まさか、あいつも元軍人なのかよ! 全っ然見えねえぇぇぇぇ!」 

    ジャンカルロは思わず齧ったばかりのクッキーを噴き出しそうになり、慌てて口を手で押さえた。
    それを見ていて逆に噴き出してしまったベルナルドは、肩を揺らしながらハンカチを差し出す。
    確かに、ラグトリフという男ほど軍という集団組織に似合わない印象の人間はそうそういない。あの頃も、ラグトリフは一人異彩を放っていた。豚の群れを率いている姿は容易に想像できるが、彼が英軍の兵卒として銃身を抱えて戦車に突撃していく姿など、誰が思い浮かべられるだろう。
    自ら見知っているベルナルドですらそうなのだから、ジャンの驚愕は押して知るべしだ。
    ジャンはしばらくうんうんと唸った後、あきらめた様に両手を挙げた。お手上げのポーズだ。

    「あんたも大概元軍人には見えねえけど、あいつは更にその上を行くなあ」
    「俺も、見えないかね。幕僚本部とか作戦参謀とか、似合いそうだと言われたこともあるんだが」
    「ああ! ソッチ系ならわかるわ。似合いそうだ……でも、お前って士官だったっけ?」
    「残念ながらしがない一兵卒だよ」
    「それが想像できねえわ。今なら、実は若くして上級士官でしたーとか言ってもうっかり信じるやついそう。……でも、ラグトリフはなぁ……軍とか、思いっきり集団行動じゃねーか。あいつがどっかの集団に馴染んでる様子が想像できねえぜ……」
    「まあ、あの当時から異彩を放っているヤツではあったよ」

    長い付き合いではあっても、過去の事をつぶさに語り合うようなことは少ないせいだろう。ジャンは垣間見えたベルナルドとラグトリフの過去の関わりに好奇心を如実に宿した瞳を輝かせる。そして、ふと首をかしげて、
    「つか、味覚障害って、アレ? 味がわかんないってヤツ?」
    いまいち想像がつかない、と呻いた。
    食べることも飲むことも大好きなジャンは、口にするものの味が分からないなんてつまらな過ぎるんじゃねえの? と考え込んでいた。
    ラグトリフの味覚障害は、完全になんの味も分からなくなっているわけではない。
    極端に味覚が鈍くなり、通常の食品では味付けが薄すぎて感じられないが、濃く味をつければなんとか感じ取れるらしい。それこそ、あのコーヒーに大量の砂糖とミルクを入れるように、だ。ただし、甘いという味はわかっても、砂糖の甘さと蜂蜜の甘さを区分けするほどの繊細さは無いらしい。
    以前聞いたところ、それでも慣れればあまり不便は無いのだと言う。
    嗅覚には異常が無いから、風味や香りは感じ取れる。人間の味覚などいい加減なものだから、蜂蜜の香りを嗅ぎながらクッキーを食べればハニー・クッキーの、ココアの風味を感じながらクッキーを食べればココア・クッキーの味がするのだそうだ。今のジャンよりも若かった自分も、そんなものなのかと驚愕したのを覚えている。
    ジャンはかつてのベルナルドと同じように、そんなこともあるもんなんだな、と腕を組みながら天井を仰いでいた。

    のらりくらりとした態度に似合わず、組織の中でもずば抜けて強いラグトリフは、護衛としてジャンの周囲に侍ることも多い。
    思いがけない衝撃の事実に頭がいっぱいになっているジャンを見て、ベルナルドは最初に感じたなんともいえぬ感慨を取り戻す。
    『私と一緒のときは、私のことだけ見ていて欲しいの』
    そう口にしたのは誰だっただろうか。ナスターシャは、喩え思っていても素直に口に出すことを良しとするような女ではなかった。あれは確か、一夜だけを共にしただけの行きずりの相手か。最早顔も思い出せない誰かの、かつて聞き流した言葉が蘇る。
    まさか、自分があの女の立場になる日がこようとは――思ってもみなかった。

    苦笑しつつ、感情に折り合いをつけようと苦心している時だった。


    「じゃあ、味薄かったかな?」


    ジャンが、最初の言葉のようにポツリ、呟いたのは。
    「何がだい?」
    ベルナルドは首を傾げる。
    ジャンは自分が声に出していたことを意識していなかったようで、束の間驚いた顔をし、そしてこめかみを掻きながら、恥ずかしそうに頬を赤らめて切り出した。

    「ん? ああ、いや――ハロウィンの日、あいつの誕生日なんだって言ってたろ? プレゼントだって、工場の残飯処理の権利書渡してさ。お前、そんなの突然言うもんだから俺なんにもプレゼント用意してなくって、仕方ねえから、厨房借りてクッキー焼いたんだよ」
     


    ……クッキー?
    …………なんだって……ジャンが、焼いた?

    「ジャン……それは、つまり……まさか」

    普通の甘さで作ってしまった。味覚障害なんてあるんだったら、全然味がしなかったかもしれない。
    大丈夫だっただろうかと眉根を寄せるジャンを見ながら、けれどベルナルドはそれどころではなくなっていた。
    「旨いって言ってはくれたんだけどなぁ」
    ぼやきを聴いた瞬間、なにかが沸騰したような錯覚を覚える。

    手作りクッキー?
    それを、ラグトリフの誕生日プレゼントに?

    つまり、俺も食べた事がないお前手作りのクッキーを、ラグトリフは昨日独り占めして食べたのだと。
    そういうことだろうか。
    カヴォロ――唇の中で、舌が囁く。声にはならなかった罵声は、向けられたラグトリフにしてみれば理不尽なものだろう。だが仕方が無い。理性で殺せる程度の可愛らしいものならば、嫉妬と言う感情は七つの大罪には含まれなかったはずだ。

    ラグトリフ、彼には日頃世話になっている。
    彼の誕生日を祝うのはなんの問題もない。というか、自ら率先して祝いの品を進呈している。ファガーソン製靴裁縫工場の利権に関しては、普段利潤を産まない権利には興味を示さないベルナルドがわざわざそこと指定して求めたがために何か裏でもあるのかと要らぬ勘繰りをされた挙句に値段を吊り上げられそうになったりもした。そんな手間隙をかけてまでプレゼントを用意したほどだ。
    ジャンが彼の誕生日を祝う――これも問題はない。本人は意識していないが、その何気ない気遣いが自然とできるところがジャンの大きな魅力のひとつなのだから。

    だが、クッキーだなんて。
    手作りの菓子だなんて。
    俺ももらった事のない、そんなプレゼントだなんて――それは些か、サービスのしすぎではないだろうか。

    手作りの菓子。
    これほどに気になるのは、それが恋する少女の典型的なプレゼントとしてまず浮かんでくるアイテムであるからかもしれない。

    「お前が焼いたクッキー、ね。ジャン、どういうわけか、俺はそのクッキーを食べた覚えが無いんだが」
    「だって最近焼いたのなんてあいつの誕生日ン時ぐらいだし。当たり前じゃん」
    「ラグトリフが食べていて、俺が食べていない。――当たり前、ねえ?」

    ベルナルドは、ジャンの指先からするりとカボチャのパイを奪い去り、それをひょいと口に入れる。甘い――甘ったるい、安モノの菓子だ。普段ならばけして口にする類の味ではないが、そんなチープな甘さもジャンと一緒のひと時に味わえば極上のドルチェに変わる。
    だが、所詮は既製品だ。
    どこの誰とも知らない工場の人間が作った、型どおりの製造工程を踏んで出来上がった、世界中で何千人もが同じように口にする出来合いの菓子。
    比べられるはずが無い。

    世界で一番愛しい恋人の、手作りのクッキーとだなんて。

    「なんだよダーリン。もしかして妬いてんのけ?」
    「その通り。妬いていちゃいけないかい? ハニー」

    さらりと口にしたベルナルドにジャンは眼を見開き、バツが悪そうに唇を尖らせる。
    その顔には、こんな些細なことで嫉妬を――そういった意味合いなどまるでないと分かっている相手に対してでも堪えられないベルナルドへの苦笑と、そう言われてみればどうにも誤解されるようなことをしてしまったのかと不安になりかけている戸惑いとがある。そしてその下にうっすらと透けて見える、ベルナルドが示す嫉妬と独占欲を受けての無意識の満足感。
    ジャンへの恋情に振り回されて、ベルナルドが情けない姿を見せるたび、ほんの一瞬だけ、ジャンが浮かべる表情だ。
    くだらない嫉妬と、自分でも分かっていながら抑えられない。
    調子に乗ってしまうのは、ジャンの見せる、この表情のせいかもしれない。

    絡み付く視線の意味合いには気付かず、自身が浮かべた表情にも気付かないままに、ジャンはカボチャのポットからまた一枚、クッキーをつまみあげる。ひょいと口の中に放り込んで、指先についたかけらを舌を出して舐め上げた。
    空き紙を放り捨てながら、たいしたモンはつくってねえよ、と言った。――そういう問題じゃないんだけどね。

    「ティーンのオンナノコじゃあるまいしさ、CR:5のボスが趣味はお菓子作りでーす! なんて言われてもキモいだろ。アレはほんとに苦肉の策だったんだからな。大体、男の手作りクッキー食って嬉しいかよ」

    嬉しいとも。
    嬉しくないはずがないだろう?
    何故そんなことを思うのかと不思議にすら思いながら、ベルナルドはジャンの手を取る。
    取って、引き寄せて、唇を――

    「この指が――作ってくれたものなら、例え毒入りの菓子だって喜んで食べて見せるとも」

    唇を、這わせた。爪の先の繊細な部分へキスを、そして僅かに開いた口唇から覗かせた舌で指をなぞり上げる。
    「――っ、ばっ……! 指自体舐めてんじゃねーよ、エロオヤジ……! あと、毒入りは食うな。つか作らねえよ!」
    びく、と反応したジャンは、頬を紅潮させて肩をいからせる。
    ベルナルドは笑みを浮かべながら、手の甲に浮き出た骨の感触を唇で辿り、口付けを手へと滑らせた。

    たとえ毒でも――と。
    口にしたその言葉は比喩でもなんでもない。

    ジャンが与えてくれるものは、すべからくベルナルドの宝だ。
    優しい夜も、腕の中の温もりも、胸を満たす幸福も――すべてはジャンがくれたものだ。
    ジャンの手が与えてくれるものを、ベルナルドはけして拒絶しない。そんなことが出来るはずがない。なぜならば、そもそもベルナルド自身がジャンのものなのだから。
    彼が与えてくれる全てが、ベルナルドにとっては砂糖よりも蜂蜜よりも甘い極上の菓子になる。
    そして同時に、彼から甘い菓子を与えられる度、まるで中毒患者のように欲求が暴走しだすのだ。もっと欲しい、それが欲しい、お前が欲しい、俺にちょうだい――俺以外には、あげないで。

    「ラグトリフには食べさせて、俺には食べさせてくれないなんて酷いんじゃないかい、ハニー?」

    冗談めかした軽口の下に、欲望と言う名の獣を押し隠す。

    時折、恐ろしくなるのだ。
    この感情を見せることが――拒絶されることが、ではない。
    その逆。
    どれほど甘い餌を与えられてもすぐにもっとと欲しがる貪欲なこの獣を見せて、もしもジャンが受け入れてくれてしまったら。そうしたら、きっと自分ではもう止められない。溢れ出して暴れる欲望のままにジャンを抱いて、溶けて混ざり合ってしまいそうなほど深く抱きしめて、片時もその身体を離せない。
    愛されれば愛されるほど、不安はいや増していく。
    愛されていると知れば知るほど、愚かな欲望は強く、大きく育っていく。

    いつか殻を破って現れてしまったこの欲望が、ジャンを傷つけてしまうことが何よりも怖い。

    だからどうか、とベルナルドは願う。
    こいつを刺激しないで欲しい。こいつの――俺の、望むままに愛を与えて。餓えることがないように。不安に怯えることがないように。目覚めてしまわぬように。いつも満腹のまま、その腕の中でやわらかにまどろませていてくれと、身勝手な願いを。




    「あーもう、馬鹿だなこのおっさんは!」

    ジャンは勢い良くソファから身を起こすと、そのままテーブルを越えて身を乗り出した。ベルナルドの膝に手をついて身体を支え、間近に顔を寄せ、睨み上げる。
    ベルナルドが言葉にしなかった思考を、聡い彼は全て読み取っているのではないだろうか。上目遣いに強い光を宿した金の瞳は、呆れちまうぜと口にする言葉と裏腹にどこか優しい。
    菓子から移ったバニラとバターの匂いを漂わせたベルナルドに甘い男は、聞き分けのない恋人を叱りながらその頭を鷲掴んだ。くしゃくしゃと髪をかきまぜられて、ベルナルドは、されるがままに頭を揺らしながらも嬉しそうだ。
    それも当然だろう。
    ジャンからのすべてを甘受すると言ってのける男が、これほどに愛情に満ちた手を厭うはずがない。
    ジャンの眼は、ベルナルドが欲しくて欲しくて堪らないと希う、優しい色に満ちている。


    「毎晩たっぷりアタシを食べてるってのに、まーだお腹がすくのかしらダーリンは。そんなに大喰らいだったっけ?」
    「前にも言っただろう? お前だけは、どれだけ食べても足りないのさ」

    蜂蜜色の甘い視線に、自分のそれを絡めて見つめあい、そしてすぐ間近で誘惑の赤い色を晒していた唇をベルナルドは啄ばんだ。

    「恋は、人を愚かにするものなんだよ」
    「ったく、つくづくダメオヤジだよな、アンタ。――わかったよ、クッキーくらい、いつでも焼いてやるって」

    大事なダーリンのためにガンバルわ、と。
    ジャンは笑う。
    仕方がねえなと笑いながら、ベルナルドに約束を与える。
    欲しかったものを手に入れて、ベルナルドの胸中の獣が腹を満たした。 

    「グラーツェ、愛してるよハニー」
    「愛されてるわダーリン。 まったく、おねだり上手でやんなっちまうぜ」

    けれど、満ちたと思ってもすぐに足りないとわめきだす。
    お腹はいっぱい。でも、ドルチェは別腹だ。
    麗しいシニョーラ達の魔法の呪文。自分が唱える日が来るとは思わなかったが――

    「ねえ、ジャン。もうひとつおねだりさせてくれないかい?」
    「欲張りオヤジめ。何だよ?」
    「お手製のクッキーはまたの機会まで我慢するけど、他のドルチェが欲しいんだ。甘いものが食べたくてね」
    「あんた甘すぎるの苦手って言ったじゃん。まあ、いいけどさ」

    甘いものを、と言われ、ジャンはテーブルに広げられた菓子の山を見下ろした。真ん中に置かれたポットの中から綺麗にラッピングされたキャンディーを取り出して、ジャンは手ずから包装紙を剥ぐ。
    はい、あーん――と、唇の間近に差し出されたそれを、しかしベルナルドは受け取って、ジャンの口の中へ放り込んだ。

    「む、ン? う……っく、」

    そして、追いかけるようにキスをする。
    欲しかったものはこれ。
    舌を絡ませ、歯列をなぞり、すべて奪うようにして、味わう。

    それは、菓子よりもなお甘い口付け。

    「お前とのキスだけは、どれだけ甘くたって大歓迎だとも」





    恋は人を愚かにする。
    まったく、その通りだ。

    深く合わさった唇が離れると、すっかりと馬鹿になったベルナルドの頭をジャンが勢い良くはたく。
    クッキーひとつに嫉妬して、我侭にキスをねだって甘えてくる、そんな大馬鹿が筆頭幹部でCR:5は大丈夫なのか?
    歯を剥いて、だがその直後再び伸びたジャンの手は、ベルナルドの後頭部を支えて引き寄せた――甘いものが好きなのは、ベルナルドだけではないと言うことだ。

    いつかジャンが焼きたてのクッキーを差し出してくれる日を楽しみに、ベルナルドは恋人の身体を抱きしめる。
    抗わずに身をゆだねたジャンは、ベルナルドの舌に奪われた飴玉を取り返すべく、唇に攻め入る。
    戯れ、遊び、再び熱い口付けを交わしながら二人は互いの甘さに酔い痴れた。


    二人は気付いていないようだが、彼らはラグトリフを笑えはしないだろう。
    掃除屋の砂糖たっぷりのコーヒーだって、このキスほどには甘くないだろうから。

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