全部 30%「あざ?」
ん。宇髄は数度、灰を落とした。また、たおやかな紫煙がくすぶっている。
「呼吸法ってのはな、言っちまえば肺に負担をかけるブーストだ。それを四六時中やって、さらにその上段階。血管や筋肉を収縮させたり、心臓を一時的に止めたり、って芸当が当たり前になってくる。ンで、体温が上がる」
たいおんが、あがる。
カナヲは宇髄の話を茫然と聞いていた。血管や心臓の操作。そのようなものが可能なのだろうか。いや。
不可能ではないのだろう。
実際、そういった事例があると次兄が言っていた。次兄・胡蝶しのぶが。
「体温を呼吸で上げると、痣が出るらしい」
とんとん。宇髄が自身の頬を示す。どうやら、痣は頬に出るらしい。あざ、アザ。
「まあ、言っちまえば寿命の前借だ。生物にとって、酸素はガソリンであり毒だ。どんな生き物も、心臓が大体20億回打つと止まる……なんて話もあるがな」
はふ。何度目だろうか。宇髄は喋りながら煙を吐いた。煙がカナヲにまとわりついて、思わず噎せた。
「悪ィ、んで……ああ。痣の話か。最終決戦で痣を出した柱が居んだよ。んで、二人生き残った」
宇髄が煙草を咥えたまま、指を二本立てる。右手でひとつ、左手で一つ。
「一人は、水柱の冨岡義勇。もう一人が、風柱の不死川実弥」
片方づつ、指をわきわきとさせながら宇髄は語る。トミオカ、シナズガワ……不死川?
「……気づいたみてえだな。シナズガワ・サネミ。玄弥の兄ちゃんだ」
やはり。不死川という名字は珍しい。一緒にかき氷を食べた玄弥の顔が浮かぶ。彼も関係者だったのか。でも、兄がいると言っていた。兄? 兄は大正時代の人間では? 痣、痣の人間がどうなるのか。
「痣を出した人間は、二十五で死ぬ。当時……大正のはじめか。冨岡も不死川も、二十一だった」
「にじゅう、いち……よねんで、しぬ」
「そーだ。だが」
大池が漣をたてる。ざわざわ、ざわざわ。
「生きてるんだよ」
「冨岡も、不死川も」
ひゅう。風か呼吸かわからない。ただ、空が動いている。湿った空気をカナヲは吸い込み、吐き出した。
「いきて、いる」
「ああ。そうだ。生きている。二人とも……異形に成ってな」
「イギョウ、」
「冨岡は人魚、不死川は鶴天狗に成ってなア……確か、そろそろ百と二十五歳くらいになんじゃねえかな」
カナヲは気が遠くなった。ひゃくねん。百年。四季を百回積み重ねる重みと、人ならざる者になってしまった重圧。それを一瞬で思考して、百年という時の重さに眩暈がした。
くらり。
呼吸を一つして、落ち着く。
「で、その二人は」
「ここのカミサマだ」
「は」
「カミサマだよ。輝利哉様から聞いてンだろ。大池と森は神社だ、って」
神社、ジンジャ。そうだ。輝利哉さまがおっしゃっていた。確か相続税対策のために
『そう、私が提案した神社の一部だよ』
提案、した、ジンジャ……? 神社は神を祀っている。ならば、この神社の神は、氏神さまではなく、生きた異形だというのか。
「あり、えない」
「ありえんだよ。人魚のミイラとか、鬼の手とかを祀ってる神社があるだろ。それと同じだ」
はふ。今度は雑に息を吐いて、宇髄は煙草を消した。
「冨岡ァ」
大池に向かって、声を放つ。とみおか、トミオカ。水柱で人魚になった、ここのカミサマ。
ややあって、水面が波立つ。ちゃぷり。女の頭が、水面に出ている。枯れ枝のような、きちりとした指先が、濡れ縁を掴む。
ざあ。
びしゃ
べしょ
這い上がってくる。
魚が、這い上がってくる。
うす暗い月夜の中で、星海のようなきらめきを湛える大池から、人魚が、揚がってくる。
ウロコまみれの手、水かきのある指間、わきばらには蠢くエラ。その一つ一つがじっくりと動きながら、木製の縁に上がってくる。
「う、ずい。か」
「栗花落が怯えてんだろ。考えろ」
水をたっぷりと含んだ毛。顔がゆっくりをうごいて、その目がカナヲを捉えた。
「ツ ユ リ、」
人魚の唇が動く。僕の名を呼ぶ。
「ツ・ユ・リ・カ・ナ・ヲ」
「は、ッ」
僕は、思わず返事をした。
人魚の指が、僕の額に触れる。
かり。
右手の爪の先が、額のまんなかを、かり、とひっかいて。
そのまま 沈 み 込 ん で い る 。
あ。
あああ。
ああ
身体が動かない。水の中にいる。沈む。沈んでいる。呼吸ができない。何をすればいい。
脳が、弄られている。
僕の視界には、人魚の手が見える。ヒトのものではない、異形の手。どこかできいた。水柱は右腕を失ったと。
翌日。僕は布団の上で目が覚めた。今日は、八月の十三日。盆の入りだ。夕方には迎え盆に行き、森の墓地で火をともして、消さないように帰ってくる。そうして、母屋の仏壇のロウソクへ灯を移す。
そこから四日間。屋敷の先祖が、皆、帰ってくる。
「カナヲ、ご飯は」「しのぶ兄さん。今行きます」
僕は布団から跳ね起きて、ぱたぱたと階段を降りた。