膝枕で耳かきを「なんだこれは」
夜遅くに仕事から帰ってきたウォロが、満面の笑顔でシマボシの目の前に出してきた物。それは──…。
「耳かきです!」
「知っている」
竹で出来ていて白い梵天のついている、ヘラ型のオーソドックスな耳かきだった。
「シマボシさんに、耳掃除してほしくて!」
ウォロはふわふわの白い梵天を指でそっとなでながら、購入した理由を教えてくれる。
「……唐突だな。自分でやらない理由は?」
「好きな人の膝枕で耳かきをしてもらう……男のロマンですよ‼」
たまたまそのネタを知ったのか、虎視眈々と狙っていたのかは不明だが、膝枕で耳かきというシチュエーションを体験してみたいという好奇心が原動力なのはよく分かった。
「耳の健康を考えると、むしろ耳かきはしないほうが良いのだが」
「そ、それはそうなんですけど……ちょっとだけでいいので……」
ウォロはしょんぼりした表情で、上目遣いに乞い願う。
「……ダメですか……?」
「う」
シマボシは、ウォロにこの表情をされると弱い。なんとなく罪悪感を感じてしまって、逆らえないのだ。
「今日か?」
「ええ、ぜひとも!」
「……分かった。じゃあ風呂の後に」
「やったぁ! ありがとうございます!」
がばりと抱きついてきたウォロが、シマボシの頬にお礼のキスをする。どさくさ紛れにシャツの裾から手を入れようとしたので、シマボシはぺちんとその手を叩いて牽制した。
「ふふふっ」
風呂から上がってきたウォロは、ウキウキした気持ちを全面に放出していた。
「楽しそうだな」
「初めての事って、ワクワクしませんか?」
和室で正座するシマボシの膝に、ウォロは頭を乗せた。
「……膝枕って初めてしてもらいましたけど、これはなかなか良いですね。温かくて、ふかふかで」
ウォロの手がシマボシの頬に伸びるが、彼女はその手を取ると邪魔だと言わんばかりに下ろす。
「最初は、綿棒でなぞる程度にするからな」
「はいっ!」
「……向こうを向いていてくれ」
「はいっ!」
ウォロは子供のように元気に返事をすると、シマボシの身体と反対側を向く。
つつ…っ
シマボシは綿棒でそっと耳穴をなぞり、汚れを拭った。
「……ん…っ」
「!」
ウォロが小さく声を上げたため、シマボシは綿棒を耳穴から抜く。
「痛かったか?」
「い、いえ……むしろ…気持ち、イイです……」
普段より少し上擦った声で彼が答えた。
「分かった」
特に問題は無いようなので、シマボシは掃除を再開する。
「……ぁ……」
時折、熱を帯びた声がウォロの口から漏れた。次第にその表情が蕩け始める。
「ウォロ?」
「……ぞ、ゾクゾクって、します……」
「ああ…耳には迷走神経が通っているから、独特の快感を得る事もあるそうだ」
つつつ…っ
シマボシは淡々と綿棒を動かし、丁寧に汚れを拭った。
最後に梵天でそっと耳穴を撫でると、ウォロの身体がびくりと跳ねる。
「……っ!」
「こんな感じでどうだろうか?」
膝の上に頭を乗せたまま、シマボシの方を向いたウォロの顔は赤く染まっていた。
「ふ、ふわふわがソソソソで、ゾワゾワってびくーんてします……」
表情同様に語彙力も蕩けたらしく、感覚で感想を述べるウォロに、シマボシはやや引く。
「大丈夫か」
「今までに体験した事の無い、快感……も、ものすごく興味深いです…」
「……そ、そうか」
他人への耳かきをした経験のないシマボシだったが、ウォロは非常に満足しているらしい。
「…は、反対側もお願いしていいですか……?」
「最初からそのつもりだが」
「ありがとうございます」
ウォロは礼を述べると、今度はシマボシの身体の方を向いて膝枕に頭を乗せる。
「シマボシさんのお腹…」
隙あらば手を出そうとするウォロに、シマボシは小さくため息をついた。
「下手に手を出すと、うっかり綿棒で鼓膜に穴を開けかねんからな。大人しくするように」
「……はひ……」
シマボシに牽制され、ウォロは両の腕を下げて体の横にピタリと付ける。
「続けるぞ」
「お願いします」
了解の声を合図に、シマボシは新しい綿棒で丁寧に汚れを拭い始めた。ウォロは少し慣れたのか、今度は目を細めてうっとりとした表情でシマボシに身を委ねている。
「痛くないか?」
「……はい…。気持ちイイです…」
表情と同じ、とろんとした声でウォロが返事をした。
「分かった」
シマボシは綿棒で傷をつけないよう、丁寧に彼の耳を掃除していく。
「……ふ…ぅ……っ」
時折、ウォロが静かに脳内を侵食する興奮から逃れるように息を吐いた。
普段はニコニコと──時には意地の悪い──笑顔を浮かべている男が、耳まで真っ赤に染めて与えられる快楽に抵抗しつつも蝕まれつつある表情はそそるものがある。
枕を重ねる時に『ジブンがこんなに前戯に時間をかけるの、アナタにだけですよ』と言った彼の気持ちが解る気がした。
──とはいえ、耳かきはやりすぎると病気になるからな。
少しの嗜虐心を理性で抑え付けながら一通り掃除を終えると、梵天を優しく滑らせて仕上げを施す。
「終いだ」
「……」
ウォロは起き上がらなかった。頬をほんのりと赤く染め、視線はぼんやりと定まらない。
「ウォロ?」
「……す……っごく、気持ち良かった……です」
まさに夢見心地といった表情で、ウォロが呟く。
「それは何よりだ」
「耳かきしてる時、シマボシさんにくっついてる訳ですけど」
「ん?」
「……すごく、イイ匂いがして」
「そうか?香水の類はつけていないが」
ウォロは彼女の柔らかな腹部に、頭をそっと押し当てた。
「シマボシさん自身の匂い…じゃないですかね……すごく…ホッとして、少し眠く……」
そう言いながら見上げる銀灰色の瞳は、いつもと違って幼子のように無防備だった。
「……今週のキミは、だいぶ忙しそうだったからな。足が痺れない程度の時間ならこのままの仮眠を許可する」
「……あり、が……とご……」
礼を述べ終わる前に、ウォロは夢の世界へと落ちていく。
「……今日も、お疲れさま」
シマボシは彼の頭をそっと撫で、小さく微笑んだ。