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    calabash_ic

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    キラウㇱは門倉を穴蔵へ招き入れたい

    #キラ門
    Kirawus/Kadokura

    あなぐら 1/キラ門 見れば見るほど、どこにでもいるただのジジイだ。そう言ったところで誰も否定はしないだろう。箸を握る手には血管が浮かんでいるし、背中は脂肪がついて丸い。頭頂に畦のように残る黒髪もなんだか間抜けだ。長いこと一人でいてこれだけは上手くなったのよと教えてくれた、アイロンを掛けたはずのシャツの襟元だって、夜になればくたびれている。柔らかそうな腹、筋肉の落ちた手足。くたりと垂れて落ち窪んだ目には鋭さも残っていて、それなりに苦労の多い人生だったのだろうと窺える。そこまで考えて、急に自分が恥ずかしくなり、キラウㇱはまばたきをして視線を逸らした。どんな言葉を並べたってそのジジイに欲情している自分がいるだけだ。歯の噛み合わせが悪いのか、いつも下唇を突き出している。それをキラウㇱは食んでみたい。唇の裏まで味わって、歯列をなぞり、その奥まで。それから、とキラウㇱは考える。もしも自分が冬眠をする動物だったら。もしそうだったらキラウㇱは、門倉を穴蔵の中に招き入れたかった。
      
     この部屋を訪れた回数も両の手で数えられなくなってもうすっかり慣れてしまった、と思っている。門倉の住むアパートは寒くて薄暗い。積まれた本やアイロン台などが壁際に寄せられていて、角にテレビがあり、白熱灯の真下に炬燵が置いてある、それだけの部屋だ。ふたつある座椅子のひとつは新しく、キラウㇱの為にと門倉がわざわざ購入したものだった。暖かい場所なら他にいくらでもある。キラウㇱの家に招いたっていい。そうは思いながら、門倉の「お前が来るって言ってたからさあ、買っちゃった」という言葉のせいでなんとなくこの部屋に来てしまう。二階の角部屋、隣室はずっと空いている。真下も雪で滑った車が突っ込んで以来空室のままだという。呆れて「もうちょっとまともなところ借りられるだろ」と言うと、門倉は「まあな……まあ、いいんだよ、俺は」と言葉を濁した。そういう、自身にどこまでも無頓着なところは好きになれなかった。どこか捨て鉢で、この男に優しくしたい気持ちを蔑ろにされている気がして腹が立ったが、その奥に滲む下卑た欲を自覚して口を噤んだ。
     門倉は南蛮漬けを箸で摘んだところだった。月に一度か二度、店を閉めてから余った惣菜を持って門倉の家を訪れ、酒を飲むだけの関係が続いている。どうせ週の半分はキラウㇱの店に来るので、金曜日の帰り際に「家に行ってもいいか」と訊くのだ。門倉がそれを断った事はなかった。勢いで声を掛けた一度目より明確な理由が必要な気がして、二度目はずっと緊張した事を覚えている。三度目、四度目、と繰り返すとその緊張も忘れてしまった。店を挟んで反対側の自宅まで徒歩で帰るのは少し億劫だったが、泊めてくれと言ってみた事はない。奥にもう一部屋あって、おそらくそこに布団を敷いているのだろうが、暖気が逃げないように襖を閉め切っているので覗いた事もなかった。年代物のアイロンや揃っていないコップ、一人暮らしには大きいサイズの炬燵に、門倉がわざわざ口にはしない思い出を想像するのが、趣味が悪いと思いながらもキラウㇱは好きだった。嫁と娘に逃げられたのだと言った。それ以上の事は知らない。たった一人で、とにかく死ぬまでは生きようかと決めているような男だった。
      
     父親に頼んで穴を掘ってもらった事がある。故郷の村で、幼いキラウㇱは好奇心に満ちていた。父親から冬眠についての話を聞いて、どうしてもやってみたいとねだったのだ。野生動物の真似をするのが好きな子供だった。数日の後、父親は庭の隅に積んであった土に横穴を掘り、木材と段ボールで補強を施し、キラウㇱの為の穴蔵を作った。冷えるからと母親に上着を重ねるよう言われ、更に毛布に身体を包んで寝転んだ。木材を蹴飛ばさぬよう、慎重に。土と枯れ草の匂いは心地良く、満腹で、眠気もあった。穴の中は自分の呼吸音で満ちていてたしかに寂しさもあったのに、不思議と、ずっとここにいてもいい、と思ったものだ。やがて冬がやってきて雪の重みで穴は潰れてしまったが、キラウㇱは今でも、俺のあなぐら、と時々思い出す。
     
     門倉に出会ってからは特にそうだった。今でも鮮明に思い出せる穴蔵へ彼を連れ込みたいのだ。門倉の手を引き、あの寂しい穴の中へ潜り込んでしまいたい。想像の中で指を絡ませ、身体を折り重ねた。欲には正直な自覚がある。腹が減るように、眠くなるように、湧き上がってくる門倉と穴蔵の中で抱き合いたいという欲はキラウㇱの下半身をじくじくさせた。それは若い頃に覚えのある衝動とよく似ていて、けれどはるかに具体的な欲望で、この年齢になってまさかこんな気持ちになるなんてとしばらくキラウㇱを悩ませた。門倉が思いの外スキンシップを好む人間だった事もそれに拍車を掛けた。酔えばキラウㇱの頭を撫で、働き者の手だなと言って古傷とたこだらけの手に触れる。門倉を大切な友人だと思う気持ちに偽りはない。そもそも三十代も半ばを過ぎると新しい友人は得難いものだ。遠い故郷には幼馴染がいるし、それなりの頻度で会える友人もいるにはいるが、日常の些事を共有したいと思う相手は門倉以外にいなかった。例えばいつか彼がこの狭い部屋で孤独死したとして、それを見つけるのが自分であってもいいとすら思っている。それでも親愛というだけでは片付けられない欲があって、間違いよ起きてくれと思いながら酒を煽るので、キラウㇱはいつも少し飲み過ぎる。
     
     今日もやはり飲み過ぎていた。懐かしい映画がやってると言って門倉はテレビが見やすい位置に移動した。キラウㇱには馴染みのない、暗い雰囲気の映画だった。普段向かい合って座っているので、炬燵の角を挟んで隣にいるだけで随分と距離が近い。広げた惣菜もあらかた片付けてしまっていて、缶に半分ほどビールが残っているのもわかってはいたが飲み切る気にはならなかった。煙草と告げて立ち上がり、ついでに空の食器をシンクに下げ、換気扇の下で一本を味わう。吐き出した煙と共に体内のアルコールが吸い込まれていくような気がした。先程まで炬燵で温められていた足先がフローリングに熱を奪われていく。フィルターぎりぎりまで吸った煙草をシンクの底で押し潰して、立ち上がったついでに用を足す。置き去りになっていたトイレットペーパーの芯を台所のゴミ箱に投げ入れ、ふと玄関を振り返った。門倉の革靴やサンダルと並んで少しだけ大きな自分の靴がある。いつまでも割り箸じゃあなと用意してくれた箸。キラウㇱの為の座椅子。キラウㇱがいつのまにか門倉を生活の一部にしたように、門倉もキラウㇱを受け入れてきたのかもしれなかった。 
     浮遊感の残る足取りで炬燵まで戻る。映画の中で喚く男の声が右耳から入り、左耳へと通り抜けていった。門倉はテレビの画面から目線は外さないまま、手元の湯呑みを手慰みにさすっている。その指に手を伸ばした。白い線の入った爪。中指のペンだこ。指先は柔らかく乾燥しているのに掌の内側にだけ湿り気がある。甲にちょぼちょぼと生えた毛がなんとなく情けない。お世辞にも唆る男ではない。それでも。
    「どうした」
     咎めるでもなく、子供をあやすような調子だった。テレビに飽きた子供が父親の手で遊んでいるようだとでも思われたのだろうか。殊更幼く見られるとわかっていながら唇を尖らせた。
    「門倉の家は寒すぎる」
     ふいに門倉の腕が伸びてきて、キラウㇱの肩に周り、ぐいと引き寄せられた。門倉の上半身が一気に近付く。首の横の太い血管が門倉の同じ箇所に触れた。目の前に門倉の肩があって、半纏の少し埃っぽい匂いが鼻先をくすぐる。炬燵の天板が肋骨に食い込んでいて少し痛い。門倉はぼそり「お前さんはあったかいもんなあ」とだけ言って、何事もなかったかのように身体を離した。
     一瞬の出来事に動けないでいた。触れ合った首筋が強く脈打っている。混乱する頭で、これだけでは足りない、と強く思った。
     酔いに背中を押され、入ったばかりの炬燵から足を抜く。座椅子から降り、膝立ちで門倉のすぐ真横まで移動した。無意識のうちに正座になる。換気扇の下で冷めたはずの頬が燃えるように熱い。
    「もう一度やってくれ」
     門倉は困ったように頭を掻いて、それから腕を伸ばしてきた。先程の事など忘れたみたいなゆっくりさで、キラウㇱの頬骨を掠め、もみあげに触れ、耳を通って、後頭部の髪を撫で付ける。その動きで鉢巻が少しずれた。うなじに触れる掌に力が込められて、今度は優しく引き寄せられる。門倉の肩に倒れ込むような形になったので正座の踵から尻が浮いた。背中を撫でる手が優しい。半纏の肩に顔を押し付けて吐き出した息には酒と煙草が強く匂っている。しばらく深呼吸をしてから、キラウㇱも門倉の背中に腕を回して、半纏の布地をぎゅっと掴んだ。温かくて心地が良い。瞼の裏にあの穴蔵が浮かんだ。俺のあなぐら。あの中にこの人を連れていけたら。そうして、それがキラウㇱの気を少し大きくさせた。
     ええい儘よと首を捻り、耳の付け根、もみあげの途中に唇を押し付けた。耳の凹凸に沿って鼻の先が歪む。濃くなった体臭の中にうっすらと古い油のような匂いが混じっていて、これが加齢臭だろうかとふと思ったが、そんなことはどうでもよかった。少しでも嫌がる素振りをされたら自分は身を引いて、酔ったのだと謝ろう。祈るような気持ちで息を殺す。それでも門倉が腕を緩めなかったので、またほんの僅かに首を捻って、先程よりもいくらか優しく、今度は頬に口付けた。そんなに近くに着地するつもりはなかったのに、口角の窪みが触れ合っている。もうキラウㇱは動けなかった。あと数センチ動けば唇が触れてしまう距離からどうしたらいいのかわからず、門倉の皮脂が唇に滲んでいく感覚だけを必死に追いかける。頭の芯が熱を持ったようだったけれど、その熱も、門倉が僅かに身を引いた瞬間に押し寄せた後悔によって掻き消された。つい数十秒前までの火照りや勢いはすっかり失せてしまっていた。咄嗟の謝罪など口から出てこない。顔を見るのが怖くて、伏せた瞼の裏に涙が溜まる。せっかく良い友人になれたのに、と思ったところで、上唇を軽く吸われた。目を開ける。
    「あー……違ったか?」
     門倉とまともに目が合った。いつの間にか肩に置かれていた手が二の腕を滑り降り、ぎこちなく手を握る。声の出し方を忘れてしまった。
    「キラウㇱ?」
     動けないまま、顔中が熱くなっていくのを感じていた。どうしたらいい、と訊いてみたかった。門倉、どうしたらいい。今すぐ手を引いて穴蔵に潜り込みたかった。
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