大雪の夜に／キラ門　どどどどど、と長い轟音が家全体を震わせたので、その振動で門倉は目を覚ました。屋根の雪が塊になって滑り落ちたのだ。次いで隣の部屋から足音が始まり、廊下を軋ませ、玄関の重い扉をくぐって出て行った。雪を踏む足音が壁に沿ってぐるりと回る。まだ床に入って三時間かそこらだ。瞼の重さに逆らわず眠ってしまおうかと思ったが、慌ただしい身支度の気配がしたので布団から這い出た。
　照明の眩しさに何度か強くまばたきをする。姿をはっきり捉える前に「悪い、起こしたか」と声を掛けられた。
「いや……なに、どうしたの」
「排気筒が埋まってる。起きたならお前も手伝え」
　雪国に暮らしていれば仕方のない事もある。話している間にもキラウㇱは分厚いジャケットを着込み、ブーツの紐を結び終えていた。はいよと返事をして門倉もジャケットを手に取る。元々はキラウㇱの物だった厚手のダウンジャケットは、いつのまにか門倉の雪掻き用になっている。ポケットには軍手が入ったままだ。
　雪は止んでいた。真っ暗な空の下、街灯の明かりが雪面のほんの僅かな凸凹を拾って影を作っている。近所では誰も起きていないのかしんと静かだ。寝ている間に除雪車が通ったらしく、家の前に重そうな雪の塊がいくつも落ちていた。排気筒は家の裏手にある。屋根から雪が直接落ちる場所ではないが、どうやら落ちた雪が山になり、それがとうとう排気筒の上まで雪崩れたようだった。
「あー……こりゃあ危ねぇな」
「門倉は排気筒の周りを掘ってくれ。俺はこの山を崩すから」
　明らかに掘りやすい方を指示したのは門倉に気を遣ったのだろう。門倉だって雪が積もる地域の出身だし、普段から職場の駐車場の雪掻きもやっている。ここでいや俺がそっちやるよとでも言えれば格好が付くのだろうが、明日も仕事だしなと考え直して甘える事にした。体力面でも筋力面でもキラウㇱが門倉を上回っているのは事実だ。柔らかい雪にスコップを差し込み離れた場所へ放り投げていく。キラウㇱの切り崩している雪山は、昼間に溶けた表面が夜になるたびに凍るので、プラスチックのスコップを押し込むには骨が折れるのだ。白い息を吐きながら黙々と雪をどかす。靴の中に雪が入り込んできても何も思わなかった。一刻も早く布団に戻りたかったけれど、寒さで頭が妙に冴えてしまっている。上腕から背中、腰にかけての鈍い疲労が筋肉痛になるのはきっと明後日だ。
　掘り起こした雪に土が混じるようになったので手を止めた。頬に打ち付ける風にもいつのまにか雪が混じっている。キラウㇱを振り返ると、山は半分ほどの高さまで削られていた。朝まで降り続いたとしても排気筒が埋まるほどにはならないだろう。視線に気付いたのかキラウㇱが手を止める。
「もうそろそろいいだろ」
　帽子からはみ出た髪が凍って、耳飾りかなにかのように重く揺れている。門倉の頭や肩にも雪が積もっているのか、軽く叩いて払われた。
「門倉は先に寝てていいぞ。おやすみ」
　お前は入んねぇの、という疑問を込めてキラウㇱの背中の雪を払い返した。防水加工の効いた布地の上を滑り落ちていく。
「この辺り、一人で住んでる爺さん婆さんが多いだろ。排気筒だけ確認してくる」
「え、お前、普段からそんな事してんの？」
「当たり前だろ」
「他には？」
「他に、って……別に大した事はしてない。時間があったら玄関前の氷を割ってやるくらいだ」
　はぁ、なるほどね、と溜息が出た。こういう奴なのだ。同時に、玄関フードに時折置かれている土産菓子にも合点がいった。あれはキラウㇱへの礼だったわけだ。
「なんだ」
「いやぁ、良い男だなと思ってさ」
　スコップを手にした背中に「早めに戻れよ」と声を掛けてから扉を閉めた。靴下が雪でぐしゃぐしゃに濡れている。背中にも汗をかいていた。シャワーもおざなりに、もうすっかり温度を失っている布団へ潜り込む。真っ暗な瞼の裏にまだ雪がちらついている。
　眠りに落ちていく直前、遠くで扉の開く音がした。何事もなく帰ってきたのだろう。良い男だな、と再度思った。