Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    calabash_ic

    @calabash_ic

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 21

    calabash_ic

    ☆quiet follow

    #キラ門
    Kirawus/Kadokura

    愛しい老眼/キラ門 キラウㇱは甘える事を躊躇しない。さっぱりした性格でべたべたくっついているのを好むわけでもないが、根が素直な男なので甘えるのも上手だった。リズムの合わない生活の中で、例えば帰宅時に珍しく門倉がまだ起きていた時など、膝に跨り肩に額を擦り付けて、大抵は五分ほどで満足してあっさり離れていく。
     その晩もそうだった。座椅子で本を読んでいた門倉の姿を見つけるなり近寄ってきて、手から本を引き抜き、代わりに膝に乗り上げた。抱えるように頭を引き寄せて、シャンプーの匂いしかしないはずの頭皮を嗅ぐ。門倉の老眼鏡がキラウㇱの胸に当たって音を立てた。キラウㇱの指先が耳の形をなぞりながら下りて、門倉の顎を持ち上げ、真正面から向き合う。老眼鏡の奥を右目、左目、また戻って右目、とじっくり観察し、微かに眉を寄せて遠くを眺め、また門倉の顔に目線を戻して、そこで何かに気が付いたようだった。「ちょっと貸せ」と老眼鏡を奪って自分の耳に掛ける。再度門倉の顔を覗き込んで、それからキラウㇱは、ふん、とひとつ鼻を鳴らした。
    「老眼だ」
     
     キラウㇱも次で四十三歳になるので、老眼の症状が出始めていてもおかしくはない。それなのに驚いてしまったのは門倉の方だった。二十代の頃から白髪が生え老けて見られていた門倉とは対照的にキラウㇱの髪は黒々としているし、体躯や性格も相まって、どこか若々しい印象を保っている。それでも老眼か、と門倉はその晩から何度も不思議な気分になった。早くに老眼の入り始めた同僚が「視力の良い奴のほうが早く老眼になるんだよな」と悔しそうに笑っていたのを急に思い出しさえした。当の本人はどこ吹く風で、まあ必要なら門倉のを借りれば済むしな、と言った。

    「お前も老眼鏡作ったら?」と提案したのはそれからしばらくしての事だ。書かなければいけない書類があると老眼鏡を持っていかれ、本を机に伏せてから三十分以上経っていた。こういう甘え方をされるのを門倉は悪く思っていない。門倉、と名前を呼んで老眼鏡に手を伸ばしてくるのを可愛げがあるとすら思っている。けれど、門倉の老眼鏡はいまいちキラウㇱに似合っていないのだった。安いというだけで選んだ銀色のメタルフレームは見れば見るほどキラウㇱの顔から浮いていた。キラウㇱはちらりと目線だけで門倉を見る。
    「門倉は何歳で作ったんだ」
    「あー……四十五歳くらいだったかな」
    「じゃあまだ作らない」
    「なんで?」
     かといって放置していればどうにかなるという類のものでもないが、本人がいらないと言うのであれば仕方ない。ゆっくりではあるものの老眼は進行していく一方で、けれど名を呼ばれて似合わない老眼鏡を手渡すのにもすっかり慣れてしまった。
     
     
     
    「門倉」といつものように手を出されたのは輸入調味料コーナーの陳列棚の前だった。正月も終わったばかりだというのに落花生やらチョコレートやらで騒がしい店の入り口をくぐり抜けて辿り着いた、一人では来る事のない一角だ。門倉には読めない文字の書かれた瓶が並んでいる。キラウㇱが棚から調味料を手に取り、それから当たり前のように名前を呼ぶので、門倉は困ってしまった。門倉は元々近視だ。近視自体も運転に支障のある程度ではないし、加齢による老眼と飛蚊症があるとはいえ、仕事と読書以外で老眼鏡を必要とする程ではない。キラウㇱのように食品の原材料ラベルを読むような事もないので、普段は老眼鏡を持ち歩いてはいないのだ。なんとなく焦りながら言い訳じみたそれを説明するとキラウㇱは一言返事をして、しばらく考えてから携帯電話を取り出した。それからカメラを起動し、ズームを最大限にして原材料ラベルを大きく写し出す。
    「これなら見えないこともないな」
     そう言ってやりにくそうにしながら様々な瓶の表示を確かめていく。鼻に力が入っているので、鉢巻の下で眉が寄せられているのだろうとわかる。その不自由そうな横顔を見ながら門倉はこの後の予定を決めた。
      
     キラウㇱの手を引き、店を出て少し行った先の角を右に曲がる。老眼鏡を作りに行こうと言うとキラウㇱはまだいらないと言い張ったが、もうすぐお前の誕生日だろと押せば頬を赤らめて大人しくなった。しばらく真っ直ぐ進むと眼鏡屋がある。門倉が初めて老眼鏡を作った店だった。重い扉を押し開けると暖かい空気が迎えてくれる。見知った店員に「連れに老眼鏡を作ってやりたいんだけど」と告げ、キラウㇱを残して離れた。はっきりした顔立ちだからセルフレームが似合うのかもしれない。意外とがさつだから丈夫な方がいい。黒縁より他の色がいいだろう。茶色か青色が似合うだろうか。そんな事を考えながら店内を見て回る。しばらく店員と話していたキラウㇱもいつのまにか隣に来ていて、不安そうに門倉の顔を覗き込んだ。 
    「俺が門倉の眼鏡借りてたの、迷惑だったか?」
    「そういうんじゃないんだけどね」
     お前さんが不便してるのは嫌だし、どうせなら似合うのがいいだろ。そう言うと、キラウㇱはあからさまに安心した顔をした。いくつか見繕ったフレームを手渡し、試し掛けさせては顔を眺める。シールの貼ってあるレンズの向こうにある目が嬉しさを隠せていない。俺が選んじゃっていいの、と門倉が訊くと、キラウㇱは小さな声で「それでいい」と言った。
     選んだフレームを店員に預けると門倉はお役御免だった。レンズの度数を決めるのに一時間程かかると言うので、荷物を置きに一旦車へ戻る。喫茶店へ入り本でも読んでいようかと思ったが、そういえば本も老眼鏡も持ってきていないんだったと気付いて、静かにコーヒーを啜った。
     眼鏡屋で会計を済ませ、キラウㇱと共にまた車へと戻る。車のドアを閉めた途端にキラウㇱが口を開いた。
    「遠視だって言われた」
    「あー……遠視?」
    「遠視だと老眼が早いらしい」
     詳しい事は門倉にはわからなかったし、キラウㇱもやはりわかっていないようだった。ただ助手席に座る門倉の手を何度か握り、照れ隠しのように「一週間で出来るって」と付け加えた。
     
     受け取ってきたばかりの眼鏡を掛けて、キラウㇱが目の前に立っている。大きな目が更に拡大されて、老眼鏡のはずなのになぜか幼さが際立って見えた。
    「どうだ、似合うか?」
     悪くないんじゃない、と素直に感想を伝えれば得意げに門倉を見下ろす。口角が上がりっぱなしだ。本を傍に置き、胡座の膝を軽く叩いて見せると遠慮なく跨ってくる。可愛くて素直な男だ。互いの老眼鏡がぶつかってがちゃがちゃと鳴るので、キラウㇱは門倉の老眼鏡を頭の上に押しやってしまった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺☺☺☺☺
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works