いつになく良く回る口から吐き出されるのは己を責める言葉たち。靴を揃えろだの、脱いだ服を床に放置するなだの、食事をした後の食器をシンクに入れろだの。一々小言が口うるさい女のようで相手にするのすら面倒になってくる。
気付いたんならお前がやればいいだろ、なんて言葉を吐いてしまったばかりに五条の苛立ちは増してしまった。
「お前がやらないから僕がやるハメになってんだろっ!言ってもお前がやらないからっ」
「口うるさく何度も言われたんじゃやる気も起きねぇよ」
「当たり前のことしか言ってねぇだろっ!ここは僕の家でもあるんだから!やる気云々じゃなくてそういう習慣を付けろって言ってんの!」
「あー、はいはい」
「甚爾っ!」
「悪かったって言ってんだろ。女みてぇにキーキー騒ぐなよ」
その瞬間。空気が変わった。とても…冷たいものに。流石にマズったか…と今更思っても、もう遅い。怒り、苛立ち、興奮で声を荒げていた五条はそこには居らず、口を閉ざし雰囲気も視線も冷たくなった彼がこちらを睨みつけていた。
彼は無言のまま…こちらに向けていた体をクルリと反転させて何も言わずにリビングを出ていった。そして数秒と待たずに次いで玄関の扉の開閉が聞こえた。
「……ッチ 面倒臭ェ…」
そう零した言葉は本音でもあった。五条の態度に関してと、火に油を注ぐ真似をしてしまった己の行動に対して。
深く考えなくとも、あれは相当怒りに満ちてしまっている。追いかけて改めて謝罪の言葉を口にしたとしても逆効果。つまり今は放置したほうが身のためでもある。どれくらいの時間で五条の頭が冷えるかは一切検討もつかないが、今の自分にできることは何もないと判断した。
※
五条が自宅を出て行って一週間が経過しようとしていた。
リビングのソファで…テレビも点けずに携帯の画面を睨みつける男が一人。
正直なところ、五条が出て行って一日、二日は何も気にすることなく生活していた。任務を割り当てられることもなく、彼が甚爾に用意した携帯が鳴ることもなかった。しかし…だらけきった生活も、同じことを繰り返せば飽きがくる。
そして、困ったことが多々見つかった。パチンコや競馬の為に外出する際、玄関に散らばった靴がスムーズに履けない。入浴をした際にシャンプーやボディソープの中身がカラとなり、ストックしてあるはずの詰め替え用がどこに収納されているのか分からなかった。同時に着替えを持ってくるのを忘れて寒い廊下を歩くハメになった。料理を平らげ、テーブルに放置した食器は乾燥してしまい洗う頃には食べカスがガビガビとなり中々汚れが落ちなかった。洗濯機も自分で回さなければいけないし、食糧だって買い足さなければいけなかった。
「……………」
ここまで来れば五条が苛立っていた原因がなんなのか、理解した。一つひとつの行為は些細なことだ。しかし毎日、毎回同じことを繰り返されたらそりゃあ誰だって苛立ちを覚えるだろう。
五条がやってくれるから。どうせ五条が気付いてくれるから。
彼に甘え、自分で行動しなかった男の末路がこれだ。
電話をかけてみても留守電に切り替わるだけ。メッセージを送ってみても既読になるだけ。折り返しの電話やメッセージの返事もない。
甚爾の携帯に入っている連絡先は彼のしかない。だから五条の教え子や学長、後輩、同級生、補助監督に連絡する手段が甚爾にはなかった。呪術高専に乗り込んで彼を待ち伏せしたり、関係者に話を聞く手段はあるにはあるが……言っても、まだ一週間だ。高専に乗り込むのは最終手段だな…と考え直す。
気分転換になるかも分からないが、甚爾は重たい腰を上げて外出した。行き先はもちろんパチンコ。静かな部屋で時間を過ごすよりかは騒がしい店内にいた方が余計なことを考えないで済むからだ。
結果は言わずもがな……。五万もドブに捨てたようなもの。荒々しく玄関を開けて、出迎えたのは外出する前と変わらない静けさのみ。
いつもの癖で。いつものように雑に靴を脱いで……そこで甚爾は止まった。振り返って下を見れば靴はあちこちに飛び、綺麗に揃えられていた五条の靴までも乱していた。
「……………」
甚爾はしゃがみ、手を伸ばす。散らばった靴を揃えるために。ものの数秒で終わった行為。簡単だからこそ、後回しにしており…気にも留めていなかった。
自分しかいないというのに少しだけ居心地の悪さを感じた。口をへの字に曲げ、リビングへ移動する。冷蔵庫の中身はほぼカラに近い。カップ麺も底を尽き、今日の夕飯はどうするか…。幸いにも冷凍食品のパスタが一食だけ残っておりそれをレンジで温める。
たった一品。しかもとても満腹とは程遠い。
そうだ。五条と食事のタイミングが合えば料理はいつも五条が用意してくれていた。手料理の時もあればコンビニ弁当だったこともある。だけど、二人でいる時に冷凍食品やカップ麺が食卓に並ぶことはなかった。品数だって、最低でも三品はあった。
下準備から、片付けまで……全部五条がやってくれた。
思い出しているうちにパスタを食べ終え、席を立つ。食器をシンクへ運び、水に漬けておく。
「…………」
シャワーを浴びる為に浴室へ向かおうとするがその前にクローゼットに足を運ぶ。着替え一式を持ったところでシワの寄ったベッドシーツが目に入った。軽く唇を噛んでから、甚爾はシーツを取り替える。途中、新しいシーツが何処にしまわれているのか分からなかったため探す手間が増えてしまった。
ようやく見つけ出して、新しいシーツを敷き、使用済みのシーツも手に取って脱衣所へ。洗濯籠へシーツと自身の着替えを放り込んで、簡単に入浴を済ませる。
体はサッパリしても胸の内に秘めるモヤモヤは晴れず、甚爾の表情はまだ若干険しいままだ。だが手を止めることはせず、ガシガシと雑に頭を拭き、片手で洗濯機を操作していく。
洗濯、乾燥が終わった衣類たちを元あった場所へ片付ける。
大したことはしてないのに、何故か任務の時よりも気疲れしてしまった。寝るにはまだ早い。しかし起きていても碌なことを考えない為、就寝してしまった方が良いとさえ思ってしまう。
隣を見ても、誰もいない。今日も、五条は帰ってこなかった。
※
タクシーに揺られながら、五条は行き先を変更しようか迷っていた。
甚爾にキレて、感情のまま家を出て…タイミング良く重なった出張に出向いて。任務が終わっても自宅に帰らず高専の教員棟で寝泊まりをした。
苛立ちは上手く隠すことが出来ず、何度か生徒たちに指摘されてしまう始末。
甚爾からの連絡は度々あった。でも電話を取ることも、メッセージを返すこともしなかった。冷静になるため、と自身に言い訳をしたが半分は意地にもなっていた。
二週間ほど経過して、やっと落ち着きを取り戻したのだ。が、間が空きすぎてしまったため、今更顔を合わせるのはやや気まずい。だからと言ってこれ以上引き伸ばすわけにもいかない。怒りはとっくに鎮まり、今あるのは焦りだった。
「………ただいま」
あっという間に自宅に到着。久しぶりに回すドアノブ。玄関を潜っても、出迎えはなかった。期待をしていたわけではなかったが、やはり少しだけ寂しかった。帰ることも、連絡を寄越すこともしなかった己を、甚爾は呆れている可能性もある。
ふと、甘い香りが鼻を掠めた。
その香りに釣られてリビングまで足を運ぶ。目に飛び込んできたのはテーブルいっぱいに、山積みになっていたお菓子だった。有名ブランドのロゴが入った紙袋や、ビニール袋。その中身は全て五条が好んでいるチョコやクッキー、和菓子、ケーキ。
これをできる人物は、この家に一人しかいない。もしかしてと思い立ち、今度は冷蔵庫の前に移動。予想通り、冷蔵庫の中身もほぼほぼケーキやらで埋め尽くされていた。
「………こんなに食べれないっての…」
呆れ一割、困惑一割、嬉しさ八割。圧倒的に嬉しさが勝り口に出した声は若干震えてしまっていた。
「………………悪かった」
「…とーじ」
音もなく、五条の背後に立って腕を腹に回して抱きついてきたのは甚爾だった。額を肩に押し付けられて見えるのは後頭部のみ。腹部に回された腕に自身の腕を添えて彼の名を呼ぶ。
こんなにしおらしい彼を見るのは初めてだった。いつも、自分以上に適当で高圧的で、ワガママで、自分勝手で。
今回の喧嘩だって、甚爾の適当さが原因で発展したようなものだ。それを反省している、らしい。心から悪いと、思っているらしい。
謝罪の言葉と、大量に買い込まれたお菓子たちは詫びの気持ちなのだろうか。
「僕も…意地になってた。ごめんね」
こちらも謝罪を口にすればようやく甚爾が顔を上げる。その顔に手を添え直し、二人して距離をゼロにする。久しぶりに合わさるだけの口付けは擽ったくて…でもやっぱり嬉しさの方が大きかった。
シャワーを浴びて、ソファではなくカーペットの上で寛ぎ、賞味期限が近いものから消費していく。風呂から上がった五条の髪を乾かして、先ほどと同じように背後にべったりとくっつく甚爾。
二週間も自宅に帰らなかったということが、甚爾には堪えたらしい。部屋は綺麗で、洗濯籠に衣類は入っておらず、シンクも綺麗だった。そういえば玄関の靴もキチンと揃えられていた。五条が放った、直して欲しいところ…やって欲しいことを、甚爾はやってくれた。
歩み寄ってくれている……実践してくれる事実が単純に嬉しかった。
「甚爾」
「…………」
「美味しい?」
「…ん」
名を呼んで、開かれた口にお菓子を食べさせて、感想を聞いて、返事をもらう。口数がやけに少ないがそのことに疑問は抱かなかった。
用意してもらったココアは五条が好む甘さであり、好きなものに囲まれている空間が心地良い。
好きなもので腹を満たして眠気が訪れる。甚爾の手を引こうとしたら逆に体ごと持ち上げられて寝室に連れて行かれた。
体がマットレスに沈み、その上から覆い被さってくる彼を受け入れて角度を変えながら何度もキスを交わす。首を腕を回せば差し込まれる舌。段々と息が苦しくなってくるが離してしまうのが勿体ない。
「寂しかった?」
「………」
「僕は寂しかったよ。自分から出ていっておいてあれだけど…」
「…坊」
「甚爾も寂しいって思ってくれた?」
「……ああ」
直接的な言葉はなくとも肯定してくれるだけで今は満足だった。
服の下に忍ばせてくる手に期待しながら五条も首に回させたままの腕に軽く力を入れて甚爾を引き寄せた。