昼下がりの侵入者 戦いの合間の僅かな休息日の昼下がり。
アバンの使徒各人にとの配慮から設けられた自室で、ダイは手持ち無沙汰に過ごしていた。
連日の激しい戦闘の最前線に立つ身であり、身体を休めるべきと分かっているのだが、ただ一人でぼうっと過ごすのはもったいない。
腹も満たされ、うつらうつらとしてきた頭で、彼は今何をしているだろうか、と思う。
明日はどうなるか分からない身。
どうせなら彼と共に過ごそうかと、そう思い立ったダイは、今にもくっつきそうな瞼をこじ開けると、立ち上がり部屋を出た。
向かうのは、少し前に恋仲になった、一周りほど年の離れた長兄の所だ。
仲間にはまだ知られていない、秘密を共有する仲。
とはいえ、まだ恋人の真似事のような事しかしていない関係。
それでも、僅かな時間を縫って互いに寄り添う時間は心地良く、こんな穏やかな瞬間がずっと続けばいいと思える。
ダイにとって、ヒュンケルはそんな存在になっていた。
彼の部屋は、ダイの所からはそれ程遠くなく、あっという間に扉の前に着く。
彼の部屋の扉を叩くのは、初めてではない。
仲間であるのだから、誰かにその姿を見られようとも何らおかしくはない。
だが、まだこの秘密は自分達だけのものにしておきたい。
そう思うと、扉を叩く手にいつも緊張が走るのだった。
コツ……コツ……。
「ヒュンケル……いる……?」
明朗快活なダイにしては随分と控えめに、声をかけた。
返事はない。
「……入るよ……?」
そう言ってそろそろと中を覗くが、部屋の主は不在のようだった。
「……なあんだ、いないのか」
部屋にこっそりと入り込み、ぱたんと扉を閉める。
部屋の作りは、ダイのそれと変わらない。
ベッドと、小さな机と椅子があり、机の真正面には小さな窓がある。
熱心な彼はアバンの書を読んでいたらしい。
机の上には、ページが開かれたままの師の本があった。
ベッドの上には珍しく無造作に彼の外套が投げ出され、部屋の隅には彼の武器である鎧の魔槍が立てかけられていた。
得物を置いたまま、彼が長時間不在にすることはないだろうと判断し、ダイはそのまま部屋で彼を待つことにした。
ベッドにぽすんと座る。
何とはなしに、ダイは鎧の魔槍に視線をやった。
戦闘時は鬼神の如く槍を奮う彼だが、ダイと二人きりの時は、その骨ばった手でまるで壊れ物を扱うかのように優しく頬を撫ぜる。
その仕草に堪らない擽ったさを覚えて、ダイが子猫のように頬擦りをすると、彼はいつも困った様な表情で僅かに笑みを浮かべるのだった。
昨夜見た彼のその顔を思い出し思わず熱を覚えたダイは、ふるりと頭を振ると、パタリとベッドに横になった。
──早く、大きくなりたい。
そうダイは思う。
大人、まではいかなくとも、せめてポップぐらいに。
そうしたら、彼は、もっと色々な事を教えてくれるだろうか。
そっと触れるだけの口づけが嫌いな訳ではない。
でも、もうちょっと、恋人らしい事もしてみたい。
まだ子供のダイを気遣って、大事にしてくれている事は嬉しいけれど、もっと彼に近づきたい。身も、心も。
そんな事を考えているうちに、一度は遠ざかった眠気が、再び押し寄せる。
段々と視界が狭まっていくのを認識しながら、ダイは気づく。
──あ、この匂い……ヒュンケルの……。
そうして、ダイの瞳は閉ざされたのだった。
ヒュンケルは飲み物の入ったカップを片手に、自室へと向かっていた。
部屋でアバンの書を熟読していた所、喉の渇きを覚え、食堂へと向かったはいいものの、そこで休憩中だった侍女らに捕まったのだ。
使徒の中でも人気の色男が、武器を携えておらず、誰かと連れ立っているわけでもないという奇跡的なチャンスを、年頃の侍女達が見過ごすはずもなく。
ちょっと飲み物をもらうだけのつもりだったヒュンケルは、侍女らの質問攻めに遭うはめになったのだ。
──やれやれ……ああいうのはどうも苦手だ……。
ややげんなりとしながら、ヒュンケルは食堂を後にした。
ようやく自室のある階に辿り着き、ふとダイが何をしているのか気になった。
彼の部屋の扉の前に立ち、軽くノックをする。
「ダイ……いるか?」
返事はなく、念の為扉を開けて確認するも、姿は見当たらず。
修行に行ったか、はたまた他の仲間の所にでも行ったか。
僅かな寂しさを感じながら自室に向かい、扉を開けた所で、ヒュンケルは瞠目した。
ベッドの上の存在を確認し、静かに扉を閉める。
コトリとカップを机に置くと、ヒュンケルは改めてベッドの上の小さな塊を見下ろす。
小さな塊──もとい、ヒュンケルの小さな恋人は、彼の外套に包まり、すよすよと眠っていた。
安心しきったように、微笑みを浮かべ眠りにつくその様に、ヒュンケルの顔も思わず綻ぶ。
──おまえも、オレと同じ気持ちだったのか?
互いに、相手が何をしているだろうと考えていた事に、心が温まる。
一周り近く年の離れたこの弟弟子を護ってやりたいと、自分を健気に慕うその様に応えてやりたいと思ったのは、そう以前の事ではない。
ダイは暖かな日向のように、ヒュンケルの心をそっと包み込む。
凍てついた寂しい土地に、種が蒔かれ、芽を出し、花が咲くような。
何をするわけでもなく、ただ側にあるだけで、満たされていくような。
彼といると、ヒュンケルはそんな気持ちになるのだった。
しかし──
──これは、どうしたものか……。
まだ幼い彼に負担はかけまいと、恋人らしいことといえば触れるだけの口づけで終わらせていたものの、物足りなくなってきたのか、最近ダイはこうしてこちらを煽るような真似を時々する。
意識的にか、それとも無意識的にかは判断出来ないが、恋人が自分の衣服に包まれ、無防備な状態を晒している状態がどういう事が分かっているのか。
こちらは、まだ、理性的な恋人であろうと努めているというのに。
──少し、分からせておかねばならんか……。
一つ溜息をつき、薄く開いた柔らかな唇のその向こう側を味わうため、ヒュンケルは、彼を起こさぬよう、そっと身を屈めたのだった。
終