藍色の祈り 目を覚ますと、そこは知らない土地だった。
(なんで、おれはここにいるんだ?)
知らないやつらがおれを囲み、何やら話しかけてくる。
「おまえら……誰だ? どうしておれは……」
おれがそう言うと、周りのやつら──特におれよりも多分少し年下だろう少年は、ひどくショックを受けているようだった。けれど、おれ自身、自分が何者なのかも、どうしてここにいるのかも分かっていないのだ。
いつの間にか、場所はどこかの小屋に変わっていた。おれの知り合いらしきやつらは、おれのことで大層深刻に話をしている。そのうち、先程の少年──大分背の小さなやつだから小っちぇえやつとでも呼んでおこう──が、ベッドに座るおれに近づいてきて、話しかける。そいつが言うには、おれはどうやら勇者の仲間の魔法使いらしく。
(冗談だろう? おれが、勇者様の仲間だって?)
頭が猛烈に痛み、おれは頭を抱えて顔をしかめた。
すると、小っちぇえやつが、手に持っていた布をおれの額に巻いた。黄色いバンダナだ。見たことがあるような、ないような。
「……ありがとよ。いいのか? おまえの大事なもんじゃねえのかよ」
何となくそんな気がして、おれがそう礼を言った。なのにそいつは、その途端物凄い顔をしておれの胸倉を掴み、外へとおれを連れ出した。
雨が降り、ぬかるんだ地面へとおれは放り出される。
(こいつ、おれより小っちぇえくせに、なんて力だよ!)
地面に尻を着いて驚くおれに、そいつは杖を突き出した。
「この杖をとれよ! そして……思い出すんだ!! おまえの必殺技を……!!!」
(必殺技……? こいつは、一体何を言ってるんだ?)
おれは、酷く困惑した。
「出来ないはずないだろ!? おまえは、おれにも使えない呪文、メラゾーマだって使えるじゃないかっ!! メラでもヒャドでもいいから……やってみせろよーーーッ!!!!」
小っちぇえやつは、そう目一杯に叫ぶ。けれど、おれはいたたまれず、そこから一目散に逃げ出した。
メラ? ヒャド? そんな呪文、おれには使えない。おれはただの臆病で弱い人間だ。そんな大それたことが……出来る訳ねえ。
気がつけば、また場所が変わっていた。
そこは、戦場だった。戦場など見たことはないが、地面があちこち抉れ、人々が倒れ伏しているのだから、きっと戦場という言い方で間違ってはいないのだろう。
おれは、城らしき建物の前に立っていた。少し離れた場所に、恐ろしい怪物のような男が立ち、こちらを睨み付けている。
(ああ……多分おれは殺される)
本能的にそう思った。
けれど、そんな中で一人だけ地面に足を付けて立ち、おれを庇おうとする者がいた。あの、小っちぇえやつだった。
そいつは既に全身傷だらけで、あちこちから血を流していた。立っているのもやっと、そういう状態だ。
怪物の男は、おれを狙っている。そんなおれを庇えば、こいつもタダじゃ済まない。そう悟ったおれは、小っちぇえやつにそこをどくように言った。
本当はおれだって恐ろしい。死ぬのは嫌だ。ガタガタと身体が震えだす。逃げ出したいのに、余りの恐怖に脚は鉄の塊にでもなったかの様に動かない。
小っちぇえやつは、そんなおれを安心させるように笑った。
「心配するなよ。すぐに終わらせてやるからさ……」
そいつはおれが額に巻いたままの黄色いバンダナに気づき、さらに言った。
「その、バンダナ。ちゃんと持ってろよ。おまえのトレードマークなんだから さ……」
(え? おまえの大事な物じゃ、なかったのか?)
驚くおれを突き飛ばし、そいつは怪物に向かっていった。
武器も持たずに、素手で一体どうしようというのか。
小っちぇえやつは、怪物の攻撃をひらりと身軽に躱し、そして……怪物の肩に飛び乗った。両手の指先を怪物のこめかみに当て、そこに全神経を注いでいる。
おれは……この光景を見たことがある。覚えていないけれど、酷く悲しい光景で。
おれがそのことを必死で思い出そうとしている間、小っちぇえやつは仲間達と言葉を交わしていた。そして、最後におれの方を振り返る。
あいつは笑っていた。まあるい瞳からぼろぼろと涙を流しながら。
「……おれが死ぬところを見ても、まだおかしな顔してたら……うらむからな……」
(ダメだ……! おれが、何かをしなくちゃいけないのに……! おれが! 何とかしなくちゃいけないのに……!!!)
怪物男の叫び声。目が眩むほどの眩しい光。そして……。
「 !!!!」
あいつの……ダイの声が、聴こえた。
「ーーーーっっっっ!?!?!?」
ぱちりと、目が覚めた。そこは、先程眠りについた部屋だった。
おれは全身に汗をびっしょりとかき、ベッドの上で硬直する。叫び声を上げずに済んだのは、幸いだった。
「ハァ……ッ……ハァ、ハァ……ハァ……」
夢だ、と頭で理解が出来ても、動くことが出来なかった。荒い息のままおれは天井を暫く見つめ続け、ようやく身体を起こす。
(ひっでえ夢……)
あの光景には覚えがある。テランでの出来事だ。但し、あの時記憶を失ったのはおれではなく……。
そこまで考え、同室のダイを起こさなかっただろうかと、窓際の隣の寝台を見やり。おれは息を呑んだ。
ダイは眠りについていた。けれど、その閉じられた両瞼の際に光る物を見つけたからだ。
窓から射し込む月明かりに照らされた雨粒の様に輝くそれは、ダイのまろい頬をゆっくりと伝い落ちていく。
「ポッ……プ、ごめん……よ……おれが……」
悲痛なうわ言。
ああ、そうだったのか、とおれは理解した。
(さっきの夢は、おまえのもんだったんだな……)
ダイを守りたくて、おれたちのダイを失いたくなくて、おれが生命を落としたあの時のことを、おまえは今でも夢に見るほど悔やんでいるのか、と。
誰よりも強いおまえが、そうやって未だに罪悪感に囚われる悪夢。その小さな身体で背負い込んで、でも今夜はその背中からぽろりと落としてしまったのを、おれが拾ったのだ、と。
もしかしたら、先程の悪夢は一生こいつに付き纏うのかもしれない。けれどダイは、それを甘んじて受け入れるんだろう。『おれのせいで、ポップが生命を落としたから』と。その優しい心に出来た深い傷口から、血を流して。
(当のおれは、そんなことちっとも思ってやしねえのにな)
それならば。おまえが、それを罪だと背負って生きていくのならば、おれも同じ様に。
おまえは、『自分のせいでおれを死なせた』という罪を。そしておれは、『そんなおまえの心を傷つけた』という罰を。まだ柔らかな、透明なおまえの心に、直ぐには治せない程の深い傷をつけたことへの。
あの光景を未だに夢に見るのだと、ダイが口にすることはきっとない。そういう奴だ。一人で背負い込んで、傷ついて、それでも前を向いて進んでいくんだろう。
でももし、おまえがまたその痛みに人知れず泣いているのなら、おれにも寄越しちまえばいい。それは決して、おまえの本意ではないかもしれないけれど。おまえの膿んだ傷口がそれで癒えるのなら、おれの傷もまた癒えていくだろうから。
瞼の際に残された雫を、そっと指で拭う。いつの間にか涙は止まり、ダイはすうすうと規則正しい寝息を立てていた。
寝具の外に出たままのダイの小さな手を、そっと両手で包み、その手に己の額を押し当てる。
(どうかいつか、その傷口が塞がりますように。せめて今夜は、もうこいつが悪夢に魘されることがありませんように。どうか、どうか)
闇夜が去り、暁の空が訪れるその時を、おれはただひたすらに待ちつづけた。