踊り子亭にて 世界を旅していたダイとポップが、その鍵を拾ったのはほんの偶然だった。
「なんだこりゃ? ……『踊り子亭』?」
拾い上げたポップが、書いてある文字を読み上げる。その文字は硬質な透明の板に書き込まれていた。
「ねえ、鍵がついてるよ?」
ダイが指摘した通り、その板には1本の銀色の鍵がついていた。
「本当だ。……ん? 裏側にも文字が……なになに? 『ギルドメイン山脈……』こっから先は掠れてて読めねえな」
「住所かな?」
「かもな。でも大雑把すぎるだろ、これじゃ」
二人は困り顔で思案する。やがて、ダイが口を開いた。
「ねえ、その踊り子亭? ってとこにさ、届けに行こうよ」
「えっ!? おまえ、本気で言ってんのか?」
「うん。だって、もしかしたらすごく困ってるかもしれないじゃん。それに、どうせおれたち、急ぎの旅でもないんだからさ」
朗らかにそう言うダイに、ポップはうーんと考え込んだ後、「うっし!」と頷いた。
「しゃあねえなあ。ま、こんな届け物出来んのも、世界でもおれらぐらいだろうし、いいか!」
ポップの言葉に、ダイもにこりと笑う。
そして二人は地図を覗き込む。
「今いるのがベンガーナの少し東だから、ギルドメイン山脈は更に東だな」
「よし! じゃあトベルーラで向かおう」
早速地図を仕舞い、ダイとポップは東の方角へと飛び立った。
トベルーラで空を舞いながら、二人は地上にそれらしい建物がないかを探す。
ポップは捜索をしながら、手の中にある物をちらりと見やる。なんとなく、怪しげな雰囲気の漂うそれに、ベンガーナの一角にある歓楽街を思い出した。魔法力を用いてピンクや紫に輝く看板を掲げた宿屋が軒並ぶ一帯を。
(……まさかな)
山深い人里離れた地にそんな物があるとも思えず、ポップはぶんぶんと頭を振った。
飛び始めてから暫くたった、その時だった。
「あっ!! あれじゃない?」
突然ダイが大きな声を上げた。慌ててポップはそちらを見る。ダイの指差す方向には一軒の建物があった。周りに他の建物はなく、ぽつねんとその建物は佇んでいる。確かにそれは小さな宿屋のようであった。
二人が近付いて行くと、どうやら他にその建物に近付いて行く影が見えた。
「待て! 誰かいる」
先に気づいたポップが、ダイを留める。
見ればそれは、一組の男女で。中年を既に迎えたと思われる恰幅の良い男と、可憐な少女という言葉がぴったりの若い女だった。
余りにもちぐはぐな組み合わせに、二人は顔を見合わせる。
二人には気づかず、男女は仲睦まじげに腕を組んだまま、宿屋へと入って行った。
「…………」
ポップは無言のまま、宿の入り口まで歩いて行き、そっと耳を押し当てる。念の為、ダイには離れた所に立たせたままだ。すると微かに話し声が聞こえてきた。
『今日はどうするね? この部屋なんかどうだい?』
『うふふ。おじさまったらエッチなんだから♡ でも、いいわ。あたし、今日はそこがいい♡』
『ふふふ。どれ、早く部屋に行って可愛がってあげようじゃないか』
『はーい♡』
やがて気配が遠ざかる。ポップは思わず顔を赤くした。
(うわ……っ。なんて会話だよ!)
中に入るのは躊躇するが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
「た、たのもーう!!」
気恥ずかしさを誤魔化すように、ポップはわざと場違いなテンションで声を出すと、ダイを伴い宿屋に入る。
そこは人の気配が感じられない空間だった。宿屋と言えば、入ってすぐに主人か女将に出迎えられるのが普通だが、そのカウンターらしき場所にはカーテンがかけられていて、互いに唯一見えるのは手元だけのようだった。
壁面には、この宿の各部屋の絵が備品の説明付きで並べてあり、先程の男女はこれを眺めて会話していたらしい事が分かった。
(どうやら、本当に『そういう宿』みてえだな)
ポップは内心で独りごちると、カウンターに向かって声を掛ける。
「あのう、すいませーん」
「……はい。お部屋はお決まりですか?」
宿の女将なのだろうか。控えめな声が、カーテンの奥から聞こえてくる。
「あのっ! おれたち、ここの鍵を拾ったので届けに来たんです!」
ダイの元気な明るい声が静かなロビーに響き渡り、ポップは慌ててその口を塞いだ。
「ちょっ、おまえ、声でけえよ!」
「あ、ごめん」
小声で言い合う二人。
カーテンの向こうの声の主は、ダイの声に一瞬気圧されたようだったが、僅かに口調を和らげる。
「まあ……。わざわざありがとうございます」
そう言って、カウンター越しにポップの手から鍵を受け取る。
「私の不注意でお客様に鍵を持ち帰られてしまって、実は困っていたんです。助かりましたわ」
「あ、いえ。お役に立ててよかったです」
ダイもほっとした様子で微笑む。
「んじゃ、用も済んだしおれたちはこれで……」
ポップがそう言って立ち去ろうとすると、宿の主はそれを引き止めた。
「お待ちください……! お二人は旅の方、なのでしょう? こんな宿ではありますが、よろしければ一晩泊まって行きませんか? 勿論お代は頂戴しませんから」
『えっ!?』
ぎくりとするポップと、嬉しそうなダイの声が重なる。
「いいんですか?」
そう返事をするのはダイだ。無論、彼はここがそういう目的の宿だと気づいていない。
そんなダイとは対象的にポップは焦りを隠せない。ダイとそういう関係になりたいと密かに思っていたポップは、そんな部屋に泊まって正気でいられる自信がなかった。
「ちょ、ちょっと待てって、ダイ!」
ぐいっとダイの腕を引くと、こそこそと会話をする。
「なんだよ、ポップ。折角タダで泊めてくれるって言ってるのに」
「あ、あのなぁ! おめえ、ここがどういう宿だか分かってんのか?」
「……へ? どういう意味?」
きょとんとして答えるダイに、ポップは頭を抱えたくなった。
「だから、ここは普通の宿屋とは違うだろう?『そういう事』を目的にしてる場所なんだぜ?」
「『そういう事』って何だよ?」
「うっ……! そ、それは……その……」
ダイの綺麗なまんまるの瞳に見つめられ、ポップがたじろぐ。
「あの……どうかなさいましたか?」
そんな二人に、宿の主は控えめに声をかけた。
「あっ、いえ! 何でもないんです!! 何だかタダなんて申し訳ないなあって!」
ポップのことなど気にもせず、ダイが答える。
「そんな……どうか遠慮なさらないでください。一番上等な部屋をご用意いたしますね」
「すみません。じゃあお言葉に甘えます! 良かったね、ポップ!!」
ポップを蚊帳の外に、ダイと宿の主は会話を進めてしまった。
「……ああ」
もはやこうなってはどうしようもない。ポップは諦めの境地に達し、力なく答えた。
二人に用意された部屋は広く、調度品も高級感が漂っていて、主の言った通り確かに上等な部屋だった。だが、問題はそこではなく、この部屋の内装である。
どどーんと部屋の中央に備え付けられた円形の大きなベッド。壁際には巨大なガラス張りのバスルームがあるのだ。
(こ、これは……)
さすがのポップも言葉を失う。
「うわーっ。広いなあ!!」
ダイはそんなことには全く頓着せずに、呑気に室内を見て回っている。
「ねえ、ポップ。これ見てよ! 部屋にお風呂がついてるよ! すごいねっ!」
「あ、ああ……」
(すげえよ、確かにすげえけどさ……)
そう思いながら、ダイを見やる。ダイは部屋の中央にあるベッドの上に乗ると、ぼふんと音を立てて弾んだ。
「うわー! ふかふかだよっ!! あれ? これ、何だろ」
ダイが、ベッドについていたスイッチらしき物をポチッと押す。すると、ベッドがぐいーんと回転しだし、ダイはキャッキャとはしゃぐ。
「すごいっ! あ、こっちは何かな?」
今度は隣のスイッチを押すと、天井から何やらキラキラと光る銀色の球体が降りてきた。部屋全体が眩しい。
「うわー。綺麗だなあ。でも寝る時は眩しそうだから点けない方がいいね」
ダイは独り言のように呟くと、スイッチをオフにした。
「はあ……」
ポップは大きく溜息をつくと、ベッドの端に座り込む。まあこの調子ならば、いつも通りに過ごせば問題はないだろう、きっと。
「ポップ? 大丈夫? 疲れてるみたいだけど」
心配そうな顔でダイが覗き込む。
「ん? あ、ああ。んなことねえから気にすんなって」
「そう……? あっ! 疲れたならお風呂入る?」「は!?」
「あんなに大きいんだもん。きっと入ったら気持ちいいよ。ほら、入ろ入ろ?」
そう言うとダイはポップの手を引っ張った。
「ちょ、ちょっと待てって!」
先程からテンションの高いダイに、ポップはずっと振り回されっぱなしだ。
「ふぅ~、気持ちいいね」
先に湯船に浸かったダイが嬉しそうに言った。
「……おう。そうだな」
確かに広い風呂は気持ちがいい。だがポップはどうしても意識してしまい、何だか落ち着かない。
「ポップ、早くおいでよ!」
「あ、ああ!」
慌ててダイの隣に入ると、ざぶんとお湯が溢れ出す。
「ふぅ……」
とはいえ旅の疲れを癒やすのに、やはり大きな風呂が快適なことには違いない。
(ちょっと変わった宿屋だと思えばいいんだよな、うん)
ポップは、普通の宿屋にはない、変わった湯船を見下ろしながら心の中で呟く。スイッチを発見したダイがそれを点けたことにより、びかびかと七色に光り、ボコボコと泡が連続して出てくる湯船だ。
「面白いよね、この部屋。おれこんなお風呂見たの初めて」
楽しげにダイが笑う。
「パプニカのお城にも作ればいいのにね。今度レオナに言ってみようっと!」
「ちょ! そ、それはダメだっ!!」
とんでもない事を言い出すダイに、ポップが慌てる。
「えー? なんで?」
「なんでもだっ!!」
ポップが声を荒げる。
「……わかったよ」
ダイは少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「そろそろ上がろっか。おれ、喉乾いちゃった」
「おお、そうだな」
ダイの言葉に、ポップも頷き、二人は風呂を出た。
部屋には、飲み物などを長時間冷やしておける箱のような物があり、それはヒャドを駆使しているのだろうと推察された。
(この宿、すっげえ魔法力が使われてる気がするんだが、あの人何モンなんだ……?)
ポップが髪をタオルで拭きつつ考え込んでいると、ダイがポップを呼ぶ。
「ねえポップー。これ、美味しいよぉー」
(ん? 美味しい……?)
ふと見れば、先程の箱の中にあった飲料をダイが飲み干していた。
「バッ、バカッ!! 訳のわからねーもん、勝手に飲むなって!」
「ええー? でも、美味しかったよ? これ」
ほら、とダイがポップに向けた瓶のラベル。ポップの予想通りそこには「媚薬たっぷり♡」の文字が書いてあった。
(だあぁぁああああっっっ!!!)
「お、おまっ……! これ……」
あわわわわわとポップは顔を青褪めたり紅潮させたりする。
一方のダイはきょとんとした顔で、ポップを見つめたままだ。
「どうしたんだ? ポップ?」
小首を傾げたダイに、ポップはくらりと目眩を感じた。
(ど、どうすりゃいいんだ!?)
頭を抱えるポップに耳に、ダイの不穏な声が届く。
「なんか……暑くなってきちゃった……」
そう零すと、ダイは先程着たばかりのガウンを脱ぎ始める。
「ちょ……! 待て! 脱ぐなっ!!」
ポップは慌てて目を逸らす。
「だって……暑いんだもん……」
ポップはごくりと唾を飲み込むと、意を決してダイの方を見る。
とろりと溶けた瞳のダイ。風呂上がりという状況に加え、先程の飲料に含まれていた媚薬のせいなのか、ピンク色に染まる身体を惜しげもなく晒している。
「ぽっぷぅ……あついよ……」
甘い声で名前を呼ばれ、ポップは必死に理性を繋ぎ止める。
「あ、暑いんならきっと風邪だっ! ほ、ほら! 早く寝ちまえよっ!!」
そう言ってポップは、ダイの手を取りベッドへと寝かせる。布団をかけようとした所で、微かな女性の悲鳴のような声がポップの耳に届く。
『あんっ♡それぇ♡だめぇ……♡♡』
ぎくりと硬直するポップ。ダイはそんなポップにぎゅっとしがみつく。
「ぽっぷ……いっしょにねよ……」
ポップの理性の糸は、そこでふつりと途切れた。
いつもと同じ温もり、だがいつもよりも滑らかな感触にポップは目を覚ました。
(あれ……おれ……)
ぼんやりとする頭を何とか覚醒させようとするが、思考が纏まらない。
ポップは自分と自分の腕の中にいるダイが何も身に纏っていないことにふと気づき、はっと昨夜の事を思い出した。
(そうだ、おれ昨日……)
好意を寄せていたダイがあのような状態で、ポップは見過ごすことなど出来はしなかった。「こうなりゃ乗っかるしかねえ!」と、まだ箱の中に残っていた飲料を口にすると、後は本能の赴くままに、そのまま行動に移してしまったという訳だ。
この宿での行動としては間違ってはいないのだが、余りにも展開が早すぎる。
(夢中でヤっちまった気がするんだけど……おれ、そもそも告白……したか!?)
肝心の部分をすっ飛ばしてしまった気がして、ポップは冷や汗をかく。
ポップが悩んでいるうちに、腕の中のダイが目を覚ました。
「ん……」
「お、はよう……ダイ」
「ん……ぉはよ、ポッ……プ……? っっっ!?」
ぼんやりとしていたダイは、ぱちりと目を見開いた。どうやらダイの方も、昨日の事を思い出したらしい。
「あ、あの……その……おれ……」
かあああっとダイの顔が真っ赤に染まっていく。
「あーっと……その……覚え、てるか? 昨夜の事……」
ポップがあまりダイの顔を見ないようにして尋ねると、ダイはこくりと頷いた。
「う、うん……」
どうすっかなぁ、と考えたポップは、ダイに告げた。
「その……昨夜の事は、二人ともおかしかったってことで、なかったことに……」
「えっ……」
ポップの提案に、言われたダイは傷ついたような顔をした。
「ほら、おめえだってこんな事になるなんて本意じゃねえだろ?」
「…………」
「……ダイ?」
「……ポップは、イヤだった? おれとこうなるの……」
八の字に眉を寄せるダイに、ポップは慌てて否定した。
「ばっ、バカ! 違えっ! んなわけあるか!」
「ホント?」
じっと見つめてくるダイに、ポップは顔を赤くしながら答える。
「お、おう……。お、おれは……おめえの事が、その……す、す……き……だから、よ……」
段々と尻すぼみになるポップの声だが、ダイは聞き逃さなかった。しょんぼりとした寂しそうな顔が一転し、天井からぶら下がり乱反射する球体のようにキラキラと輝く。
「おれもっ! おれも、ポップが好きっっっ!!!」
とびきりの笑顔でぎゅうとポップの身体に抱きつく。
(順番間違っちまったけど、結果オーライ、でいいのか?)
ポップもダイの頭を抱え込むと、なでなでと擦る。
すると、また聞こえてくるあの声。
『あ♡いいのぉ♡そこぉ♡♡♡』
思わず二人顔を見合わせる。
チェックアウトまでは後二時間ほど。静かに目を閉じたダイの唇に、ポップの唇がそっと触れた。
「おはようございます! お世話になりました!」
宿泊した部屋の鍵を、カーテンのかけられたカウンターへ返却する。
明るいダイの声に、昨日と同じ声の主が返事をする。
「おはようございます。昨夜はお楽しみでしたね」
ぎくりとする二人。ポップは、「どこかで聞いたことのあるような台詞だ」と思ったが、この宿では常套句なのだろう。
そんな二人にくすりと笑うと、宿の主はこう言った。
「またどうぞ。色んな部屋をご用意してお待ちしていますわ」