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    HATOJIMA_MEMO

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    HATOJIMA_MEMO

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    ファウストを探し始めた頃のレノックスと、一人の魔法使いの出会いから別れのお話
    (パスワードはお品書きに記載しています)
    魔法使いの約束過去WEBオンリー「月下、我らの歩みなり」開催おめでとうございます!

    #魔法使いの約束
    theWizardsPromise
    #かこやく
    archetypalRole

    過客 それは、ネロに頼まれた買い出しの最中の事だった。
     自分の買い物ついでに誰かの分を買ってくるのはいつもの事だが、ネロの頼むものはひいては魔法舎の皆の食事に直結してくる。結果なかなかのボリュームになったそれは晶一人では物理的に荷が重く、偶々通りがかったレノックスと共に向かう流れになった。
     晶だけでは持ちきれなかった荷を抱え、遅れる事なく歩んでくれていたレノックス。そんな彼が、ふと雑踏の中で歩みを止めた。
     はっと何かに気付いて、それを探すように周囲を見回す。
    「レノックス? どうかしましたか?」
    「……いえ、すみません。少し……」
     そこで言葉を切って、戻りましょうと続けた彼に「はいそうですか」と頷ける晶ではなかった。少なくとも、僅かに落胆の色が見えた彼を放って買い出しに戻れる程太い神経はしていない。
     休憩という理由をつけて入った喫茶店の片隅で、踏み込み過ぎないように問い掛ける。
    「レノックス、あの……何かありましたか?」
    「……気遣わせてしまい、すみません」
     小洒落たティーカップは、彼の手の中だと二回りくらい小さく見えた。しかし今、肩を落としているレノックス自身もまた、いつもより小さく見える。
     それからしばし間を置いてから、レノックスが「煙草……」と呟きを落とした。
    「煙草の匂いに、気を取られていました」
    「煙草の?」
     目を丸くした晶に、レノックスは静かに言葉を続ける。
    「……昔、一緒に旅をした魔法使いが吸っていた匂いに、似ていた気がして」
     一緒に旅をした魔法使い。その単語に、晶は更に目を丸くした。そんな晶の様子を見て、レノックスはほんの少し表情を緩める。
    「本当に、少しの間、ひと月にも満たないくらいだったんですが……一人で旅を始めた頃だったので色々と世話になったんです」
    「そう、なんですね……」
     レノックスの旅の始めという事は、彼にとって辛い時期だった筈だ。不用意に触れていい話題では無かったかもしれない。
     そんな晶の後悔を見透かしたように「賢者様」といつもより柔らかな声が掛けられる。
    「よろしければ、聞いて頂けますか」
     俺と、俺の恩人の話を。
     いつか、彼と不思議なレストランの話をした事を思い出しながら、晶は微笑んだ。
     
     ※

     目が光を取り戻すより先に、木の爆ぜる音がレノックスの耳に入り込んだ。
     それにつられるように鈍々《のろのろ》と開いた瞼の奥を、小さくも鋭い光が刺す。
    「……」
     両の掌すら満足に温められないだろう、小さな焚き火だった。
     強風に煽られれば一瞬で吹き飛ぶ、否、即座に掻き消す事が出来るようにしてあるのだと、半覚醒の頭で思い出す。行軍中に幾度も見たそれに紐付く記憶もまた、同様に。
     笑う仲間達。戦場よりも高らかに響くかの人の声。そして、焚き火の傍で優美に舞う背中。
     ──轟々と燃える炎に呑まれる、誰より信じた人の姿。
    「──」
     瞼を、閉じる。激しくうねった感情に呑まれてはいけない。感情に任せて心を乱しては、力を制御出来なくなる。
     受けた教えを反芻する。……この教えだけが、レノックスに残された繋がりだった。
     心を落ち着かせながら、周囲と己の状況を確かめる。
     月の光も見えない、夜陰に沈んだ森。兵士に追われ崖から滑落したのは夕刻だったので、それなりに長く眠ってしまっていたらしい。
     火がある為か近くにはいないが、獣の気配があった。遠巻きにこちらを見ているのだろうか。
     ゆっくりと身体を起こしてみる。そこかしこで走る鈍痛に眉を顰めるが、動けない程ではない事に安堵した。己以外に頼るものがない状況で、それが一番致命的だ。
    (……誰が助けてくれたんだろうか)  
     簡素だが、的確な手当をされている体を見下ろして思う。中央と東の国境くにざかいに向かっていた筈だが、今いる場所はどの辺りなのだろうか。
     同志と思った者達をうしない、主君と仰いだ人を失い、ひと月。レノックスは旅をしていた。
     姿を消した主君を探す為の旅。或いは、先へ進む為の道標を見失ったのに、動かないままでいる事に耐えられないだけの悪足掻きか。
     ……動けないせいか、益体も無い上に意地の悪い考え方をしている。それらを振り払うように頭を振って、近くに置いてあった己の荷物に目を止めた。
    (無事だったか)
     物盗りでも見過ごすような薄汚れた布かばん一つが、レノックスの全財産だ。大事な物は無かったが、それでも手元に残っている事にほっとする。
    (こっちも……ちゃんとある)
     首から下げていた鍵に、服の上から触れた。重さなど殆ど無い代物の筈なのに、ずしんと腹の奥まで響くような気がした。
     気を取り直し、鞄の中身を確かめようと腕を伸ばした、その時だった。
    「やっと起きたか」
     身構える事も出来ず、ただ凍りつく。そんなレノックスの視線の端で、焚き火とは別の明かりがそっと灯された。指の先程の大きさのそれがゆらりと揺れて、焚き火を挟んだ反対側へと移動する。煙草の火だと分かったのは、相手の顔を認識した後だ。
     痩せぎすで、不機嫌そうな顔をした男だった。年齢は、生きていたならレノックスの父親と同じか少し上だろうか。くすんだ灰色の髪と眼鏡の奥の揃いの瞳が、炎に照らされてよく見える。反対に、着ている服は闇と同じ色をしていた。
    「ったく、大した怪我でもねえのに、ガキみてえによく寝たな。このまま朝まで寝こけるつもりかと思ったぜ」
     ふう、と息を吐いた男の口から細い白煙が上がる。それが消える前に、レノックスは何とか口を開く事が出来た。
    「あんたが、俺を助けてくれたのか?」
     そうとしか思えない状況だが、施された丁寧な処置と目の前の人物が結び付かず尋ねてしまう。男の眉間に、更に皺が寄った。
    「俺が、今通りすがっただけの男だとでも思うのか?」
    「いや……」
    「なら聞くんじゃねえ」
     取り付く島もない答えに、レノックスは押し黙るしかない。その様子を見つめながら、今度は男が口を開く。
    「旅は初めてか?」
     レノックスの表情から「何故そんな事を」という答えを読み取った男は、煙草を咥えたまま淡々と続けた。不機嫌だと思っていたが、どうやら地顔が陽気には見えないタイプなだけらしい。  
    「そんなガキの使い以下の備え見たら誰でもそう思うぜ。薬どころか、水も食料もねえときた」
    「……急いでいて」
     嘘では無かった。足りないものは道中の、それこそこんな森で賄えばいいと思っての事だ。そんな言い訳めいたこちらの思考すらも読み取った男は「急いで、ねえ」と皮肉っぽく笑う。
    「聞き方を変えてやろうか。……人間のフリして旅をするのは初めてか?」
     咄嗟に立ち上がろうとしたのは、本能だった。脅威を感じた体が、レノックス自身の意思を無視して動こうと、して。
    「──落ち着けよ若造」
     額に当てられた銃口に、肉体も意思も抑えつけられる。いつの間にか立ち上がっていた男は、動けないでいるレノックスを静かな目で見下ろしていた。
    「てめえをどうにかするつもりなら、とっくにやってる。追い回してた人間に突き出すとかな」
     頷く以外、出来る事はない。しかし不思議と、心から焦りが引いていくのが分かった。こちらを見据える男の顔つきに、侮りや驕りが見えないからだ。銃を向けたのは、無意識とはいえレノックスが敵意をちらつかせた為だと理解して、今度は声に出す。
    「分かった……すまない、気が立っていた」
     男がよし、と言いながら銃口を外した。心なしか脱力したような声が紫煙と共に吐き出される。
    「助かる。お前みたいなのとやり合いたくねえわ」
    「……俺よりあんたの方が強そうだが」
    「は!」
     抑え目ではあったが、愉快そうな笑い声が響く。男の口元で、咥えられた煙草がひしゃげた。
    「筋骨隆々の若人わこうどに、落ち目の中年が敵うかよ。こんなのはこけおどしだ」
     こんなの、と一度ちらつかせてから、男の手から短銃が消える。淀みない流れに、レノックスは自分の見解がそう間違っているとは思えず内心首を傾げた。
    「少なくとも、魔力はそっちが上じゃないか?」
    「お前みたいな頑固が服着て歩いてるような奴との殺し合いは御免だって話だよ」
     これ以上この話題は続けたくないのか、男は最初より幾分軽い調子で言葉を続ける。
    「追ってた連中、崖から落ちたお前さん見て血相変えて引き返して行ったぜ。魔法使いだと思ってた奴が箒も出さずに落ちたもんだから、勘違いで人を殺したと思ったんじゃねえか?」
    「それは……」
     普段から魔法を使い慣れていない上、疲労で頭が回っていなかった。崖上からでは、地面にぶつかる直前に魔法で衝撃を和らげたのは見えなかっただろう。結果的に彼らの目を欺けたが、一歩間違えば死んでいたところだ。
     己の行動を省みるレノックスを気遣う様子もなく、男は喉を鳴らして笑う。
    「気が咎めるか」
    「多少は……悪い事をしたなと思う」 
    「変わってんな」
     呆れているというよりは面白がっている口調でそう呟いてから、男は煙草を燃やした。灰が焚火の上に落ち、消える。
     少し緩んでいた空気が、静かに引き締まるのを感じた。 
    「……お前さん、これからどこへ向かうつもりだった? 南か、東か……北は論外として、ここから西って事はねえと思うが」
    「……」 
     一瞬、言っていいものか逡巡する。結局ここに至るまで、レノックスは男の事を何も聞けていない。
    (信用していいのだろうか)
     男を疑っているのではない。信じられると思っている自分自身を、レノックスが信じられなかった。
    「俺が信じられないなら、言わなくて構わねえ。とりあえず聞け」
     その躊躇を見抜いたかのような台詞に、どきりとする。焚き火に照らされた男の顔には、特段何の感情も浮かんでいなかった。
    「俺がお前を助けたのは、一人旅だと何かと目を付けられやすいからだ。先の争いで勝った人間連中が魔法使い狩りをやってるって噂もある」
     レノックスの顔色が変わったのに男は気付いただろうに、触れずに話を進める。
    「面倒を避けて国境を越えたい。俺の理由はそんなもんだ。嫌なら断ってくれて構わねえし、それでお前を誰かに売る事は無い」
     そっちの方が面倒だしな、と言いながら男は焚き火に木をくべる。本当に断っても「そうか」と頷き一つで済ませてしまいそうな雰囲気に、問われた側のレノックスはしばらく答えに窮した。
     国境は越えるつもりだった。中央の都心近くが落ち着き、地方へと目を向ける余裕が出来てしまってからでは時間が掛かってしまう。それは避けたい。
    (ファウスト様……)
     心も体も傷つききったあの方を探さなければいけない。一刻も早く。その為に出来る事があるのなら、何だってする覚悟はある。
     ──それでも、躊躇ってしまう。その選択が、より最悪な終わりを連れて来るのではないかと。
     拳を固く握るレノックスに何を思ったのか、男は静かな声で続けた。
    「俺はお前を利用するつもりで助けた」
    「……」
    「だからお前も、俺を利用すりゃいい」
     答えは朝に聞くと言って、男は少し離れた木の幹に腕組みをして寄り掛った。話は終わり、という事らしい。その様子を見つめながら、レノックスは拳を解いてゆっくりと瞼を閉じる。
     答えは、もう出ていた。

     朝日が昇る最中に、煙の匂いで目が覚めた。木に凭れている男の吸う、煙草の匂いだ。
     身体を起こしたレノックスは、重い口を開ける。
    「名乗るなよ」
     まさに今名乗ろうとしたところを制され、開きかけた口を閉じた。男はこちらを見てもいない。 
    「何かあった時に、お互い名前を知らねえ方が面倒が減るだろう」
    「……不便じゃないか?」
     そも、連れを装うなら名前を呼び合わないのは不自然だ。そんなレノックスの疑問は想定済みらしく、男は口端を緩めた。
    「俺の事は……そうだな。ウォルターでいい」 
    「ウォルター」
    「偽名だ。短くて覚えやすいだろ」 
    「じゃあ……俺は……」
     すぐには思い付かずに固まるレノックスに、男、ウォルターは小さく笑った。
    「追々考えりゃいい。どうせ長い付き合いじゃないんだ。適当にやろうや」
    「そう、だな……」  
     朝日が木々の隙間を抜けて、周囲を照らす。
     誰かと共に迎える朝日は、いやに眩しく見えた。

     ※

     偽名、と思わず晶が零した言葉に、レノックスが頷く。
    「俺は結局、思い付けなくて。その場その場でウォルターに適当に呼ばれていました」
    「ウォルターさんの本名は、聞かないままだったんですか?」
    「はい」
     あっさりと肯定してから、僅かにレノックスは眉を下げた。手元のティーカップに視線を落とす。
    「聞いていたらと悔やみもしましたが……あの時の俺は、気持ちに余裕がなかったから無理だったでしょうね」
     自分も名前を告げませんでしたし、と零してレノックスは紅茶に口をつけた。晶もそれに倣う。しんみりとした空気が、紅茶の香りでほんの少し和らいだ気がした。
    「ウォルターさんからは、どんな事を教わったんですか?」
    「主には、旅の知識です。俺も行軍は経験していたので野営や移動はそこまで問題無かったんですが……その、人との交流や交渉事は、あまり」
     ああ、と晶は失礼かもと思いながら控えめに頷いた。決して無愛想ではないが、口数の少ないレノックスには不得手な分野かもしれない。
    「ウォルターは、口調は荒いんですが相手の懐に入るのが上手かったんです。悪態混じりで話しているので喧嘩かもと思う時もあったんですが、最後には目当ての商品を値切ったり、宿のない村で空き家を借りたりしていました」
     そのエピソードを意外な気持ちで聞きながら、晶はウォルターという人物を脳内で思い描いた。魔法舎の中でいえば、どことなくブラッドリーに似ている気がする。荒っぽいところもあるが、その実繊細な気遣いも出来る人だ。そう告げると、レノックスも共感してくれた。 
    「確かに、少し似ているかもしれません。ウォルターも銃を使っていましたし」
    「会ったら仲良くなれるでしょうか?」
    「どうでしょう……ウォルターは警戒心が強いですから」
     そう言ってから、レノックスは少し可笑そうに目元を緩める。どうしたのかと視線で問い掛ければ、その唇がゆっくりと解けた。
    「いえ……俺は、殆ど彼の事を知らないのに。今のはまるで古い友人を語るようだったなと思って」
     そのレノックスの言葉は、晶の胸に強く響いた。
    (何も知らない……)
     それは晶自身も、魔法舎の魔法使いの皆や、この世界の事、目の前のレノックスを少しずつ知る度に感じる。まだまだ、自分は何も知らないのだなと。
     だからこそ、思う。
    「全部じゃなかったとしても、レノックスはウォルターさんの事、ちゃんと知ってると思いますよ」
     沈みゆく夕日に似た暖かな緋色が、ぱちりと瞬く。
    「例え少しだけだとしても、ウォルターさんと過ごした時間があるなら……何も知らないって事は、無いと思います」
     まるで己を慰めるような言葉になってしまったと思いながらも、晶はレノックスを真っ直ぐに見つめる。レノックスは僅かに瞠目して──そっと目を伏せた。逸らしたのでないと分かるのは、その口元に穏やかな笑みが湛えられているから。しかし少し、寂しげにも見えた。
    「ありがとうございます、賢者様」
     静かに落とされた言葉に、晶は僅かに乗り出してしまっていた体を戻し縮こまる。
    「すみません、何だか偉そうに……」
    「とんでもありません。俺の方こそ、変に卑屈な事を」
     レノックスはそこで言葉を切って、賢者様、と真摯さを増した声で呼び掛けてくる。
    「続きを聞いてもらってもいいでしょうか。……俺とウォルターの、旅の終わりまで」



     寝支度をしていると、大きな溜息が背後で響いた。もう何度目かも分からないそれを一旦は背中で受け止めてから、レノックスは無言で振り返る。同じく寝支度を終えたウォルターが、ランタンの向こう側から己をじっとりと睨んでいた。原因に心当たりがあり過ぎて、レノックスは気まずさから目線を落とす。
    「……お前さん、ほんっとに馬鹿だな」
     端的過ぎる物言いを、否定出来ずに黙り込んだ。
    「俺は言ったよな? 今日中に国境に一番近い街に入るって」
    「ああ……そう聞いた」
    「そこで一晩休んで英気を養ってから国境越えをするって言ったよな?」
    「そう……言ってたな」
    「五日連続野宿は御免だ、川魚も木の実も干し肉にも飽きたって言ったよな?」
    「それは覚えがな、っ!」
     言い終える前にウォルターが乱雑に何かを投げて寄越す。顔にぶつかる直前に受け止めたそれは、橙色の光を浴びて艶やかに光っている。
    「これは……」 
    「さっきお前さんが助けた老夫婦が寄越した」  
     ぶっきらぼうに告げたウォルターは、彼の分だろう林檎を音を立てて齧った。
     荷車が泥濘に嵌ってしまい動けなくなっている老夫婦に出会ったのは、今日の夕刻に差し掛かった頃の事。
     レノックスがそんな彼らにどう対応したのかは、ウォルターの苛立ち加減によく表れていた。
    「わざわざ人が少ない街道を選んだのは間違いだったな」
     林檎を食みながら、ウォルターはどこか遠い目をしながらぼやく。
    「他に助けがねえからと猪みてえに突っ込みやがって……しかも魔法は無しだから時間を食うわ疲れるわで……ったく」
     散々だわ、と漏らしてウォルターはまた林檎を齧る。レノックスは申し訳ない気持ちを抱きつつも「爺さん、こんなボロ車捨てちまえよ」と悪態をつきながら己を手伝ってくれた彼の姿を思い出していた。こうして文句は言うが、ウォルターは必ず手を貸してくれる。
     彼に迷惑を掛けているのを素直に申し訳ないとは思うのだが、それでもレノックスは、困っている者の隣を早足で通り過ぎる事など出来ない。
    (甘えてしまっているな……)
     今では文句程度で済ませてくれているが、初めの頃ウォルターに「罪滅しのつもりか」と険しい表情で問われたのを思い出す。その時は何も考えていなかったので、その通りに答えるとまた妙な顔をされた。
     レノックスは、掌の中の林檎に映る己の顔を見つめる。
     故郷の村では、皆で助け合っていた。そうしなければ生きていられなかったからだ。己の行動理由の根本は、その時に血肉より深くまで染み着いた習性……のようなものだとレノックスは理解している。そして、魔法使いである事を隠さなければいけない今は、それを抑えるべきだとも。
     ──それでも、やはり、また同じ事をしてしまうという確信だけがある。
    「……すまない」
     噛み締めるように、それだけを口にする。それだけが、レノックスが返せる嘘のない言葉だったから。
    「……」
     ウォルターは視線こそ逸らさなかったが、沈黙を保った。
     そのまま半分程残した林檎を魔法で保存すると、こちらに背を向けて横になる。まあいいさ、と素っ気ない呟きが放られた。
    「お前さんの馬鹿に振り回されるのも、これで終いだ」
    「そう、だな……」
     世話になった、と言いかけて飲み込む。それを言うのは、まだほんの少しだけ早い気がした。
    (……早く休もう)
     小さく呪文を唱える。人と獣避けの結界の張り方はウォルターと出会う前から知っていたが、この旅で大分上達した。
     レノックスがお休みと声を掛けると、おお、とやや気の抜けた返事が聞こえる。そんな些細なやり取りが妙に心に残った。理由が明白なだけに、疑問に思う事もなくレノックスは瞼を下ろす。
     明日、二人の旅は終わりを迎える。お互いの本当の名を知らないまま。


     多いな、と魔法で街を遠視していたウォルターが呟く。渋い表情に、レノックスはただでさえ固い表情を更に強張らせた。
    「……待つか?」
    「いや」
     高い枝から降り立ったウォルターは、眼鏡の位置を直しながら淡々と続ける。
    「国境に配備される連中は増えはしても減る事はない。……王都周りが予想より早く落ち着いたか……」
     目論見が外れたと後ろ頭を掻くも、ウォルターは慌てふためいたりはしない。よし、と気を取り直したように呟くと荷物を抱えて足を進めた。
    「行くぞ。待てば待つ程出にくくなる」
    「分かった」
     同じく荷物を抱え、レノックスもその後に続く。顔は隠さない。ウォルターと出会う以前は外套を目深に被っていたのだが「余計に怪しまれるだろうが」という最もな指摘に従っている。人は意外と、相手の顔をよく見ていないものらしい。
     ……そういった事も、今、先を行く男に教わらなければ知らずにいただろうなと考えかけて、止める。隙あらば物思いに耽りそうになる己を叱った。
    (まだ、気を抜いていい状況じゃない)
     寧ろ国境越えを目前に控えた今が、一番警戒を緩めてはいけない時だ。そう思い直したレノックスが前を向くと、こちらを見ていたウォルターと目が合った。
    「……どうかしたか?」
     内心驚きはしたものの、そ知らぬふりをしてそう尋ねる。しかし訝しげに眉を顰められ、レノックスは早々に己の不器用さを思い知った。
    「どうかしたはそっちだろうが。おっかねえ面しやがって」
    「そう、かな」
    「いざとなりゃ強行突破だろうが、お前さんの腕ならそう不安になる必要ないだろうに」
     あまり豊かでない表情に刷いた心を言い当てられ、レノックスは黙り込む。その沈黙をどう受け取ったのか、ウォルターは幾分か気安い調子で話を続けた。
    「お前さんもこれでようやく、小うるさいオヤジから解放されるんだ。肩の力抜いていこうや」
     自嘲めいた励ましに、レノックスはぎこちなく口の端を上げた。
     不安は不安でも、街を出た後が不安なのだと言ったら笑い飛ばされるだろうかと思いながら。

     ウォルターの言葉通り、目的の街はこれまで見てきた中で一番人が多かった。それに、顔つきも明るいものが多い気がする。しかしそれらを目にしたウォルターの表情は、どんどん曇っていった。
    「……ウォルター」
    「おい、爺さん」
     レノックスの問いかけは、ウォルターの声に遮られる。彼は、ぼろ布の上に使い古した革靴や錆び掛けのナイフ、動いていない懐中時計などを並べて座り込んだ老人の前に膝をついていた。白い髪と口髭同様、ぼうぼうに伸びた眉の奥から、濁った目がぎょろりとこちらを覗く。
    「こいつをくれるか」
    「……3000エン」 
     半分焼け焦げているネックレスにどう考えてもその価値は無い。ウォルターは困ったように肩を竦めた。
    「ちょいと高すぎねえか?」
    「払わねえなら失せろ」
    「おいおい、そう邪険にすんなよ──盗品だろ、全部」
     親しげに笑い掛けながら顔を寄せ、表情はそのままにウォルターは低い声でそう吐き捨てた。老爺もまた唸るように呟く。
    「何を証拠に……」
    「火事場泥棒なんてケチな真似しやがって、失せろはねえだろう。お望みなら王都から来た兵士でも呼んで来てやろうか? 何、あれだけいりゃあ小悪人虐めて憂さを晴らせる屑も一人はいるだろうさ」
     通りを行く人々から見えない角度で脅しを掛けられ、老人は怯えと怒りが綯い交ぜになった目つきでこちらを睨んだ。しかしすぐに諦めたように肩を落とす。
    「分かった! 分かった……何が欲しい?」
    「ガラクタは要らねえよ。ちょいと知りたい事があるだけさ。勿論金も払う」
     金の一言に老人は気を良くしたのか、ウォルターの質問に答え始める。手持ち無沙汰になったレノックスは耳を傾けつつも、周囲にそれとなく視線を投げた。
    (兵士の数が多いな……)  
     旅装の人間が多い中、鎧や武器を隠さず身に付けているのですぐに分かった。知った顔がいないのは幸いだが、相手もそうとは限らないので気付かれない程度に様子を窺う。
     今視認できるのは数名程。誰かを探しているというよりは、単に見回りをしているだけという印象を受けた。レノックスやファウストを始めとする魔法使い達を追って来た訳ではなさそうだ。
    (国境付近の守りを固めに来たのか)
     新しい国の基盤は既に固め終えたという事だろうかと、どこか他人事のような心境でぼんやりと思う。
    (俺も、あちらにいた筈なのに)
     今はもう、全てが遠い。
     ともすれば追憶の中に思考が埋もれ掛けたが、「申し訳ありません!」と悲鳴じみた声に引き戻される。そちらを見れば、恐らくは親子と見られる女性と子供が、兵士の前に跪いていた。
    「すみません、すみません! 子供のやった事です、どうかお許しを……!」 
    「うるさい! なんて躾のなってないガキだ、人の顔に食い物を投げやがって」
     言われた男の、お世辞にも品行方正とは言えない顔には赤い液体がべっとりとついている。今は地面に落ちている果実をぶつけられた痕だろう。
     青ざめて今にも倒れそうな母とは対照的に、十歳くらいの少年は怒気を込めて兵士を睨みつけて吠えた。
    「嫌がってる母さんの腕を掴んで離さなかったのはお前だろ! この変態!」
    「こいつ!」
     兵士が剣を抜いたのを見て、母親が少年を庇うように抱き締める。他の見回りの兵士はそれを面倒そうに見てはいたが、止めはしない。行き交う人々も似たようなものだ。そして、レノックスもそうしようとした。強者が弱者を虐げるのは世の常で、まして今はなるべく目立たずにする事が最優先だ。目的の為に、己の為に、目に蓋をしようとして──……
    「──よせ」
     気が付けば、レノックスの右腕は剣を握った兵士のそれを掴んでいた。 
     突然の闖入者に、兵士は勿論親子も面食らったように固まる。しかし兵士はすぐに険しい表情に戻るとレノックスを睨みつけた。
    「なんだお前は! 離せ!」
    「お前が剣を収めるのならそうする。でなければこのままだ」
    「舐めやがって……!」
     無理矢理振り解こうとして、兵士の顔色が変わった。レノックスも驚いていた。兵士は力を入れているようだが、レノックスにはそれが微塵も感じられなかったからだ。膂力の差は歴然だった。このまま力を入れ続ければ、簡単に折れるだろう。
    「おい、何遊んでる」
    「ち、ちが……助けてくれ!」
     揶揄う同僚に、男は怯えながらそう叫ぶ。その慄き具合を見て、他の兵士もようやく様子がおかしい事に気付いたようだった。あっという間に取り囲まれる。
    「貴様、手を離せ!」
    「早く助けてくれ、殺される!」
    「いや、だから剣を離してくれたら……」 
     同じ台詞を繰り返すが、恐慌状態の兵士はまるで聞いていない。周囲で膨れ上がる敵意。それらを受けながらしかし、レノックスは落ち着いていた。親子が兵士の囲いの外まで逃げているのを確かめながら、彼らに向き直る。
    「……この男が子供を傷つけようとするのを誰も止めなかったが、お前達が王都からの兵士というのは本当なのか?」
    「何を……疑うというのか? 何を根拠に!」
    「弱すぎるからだ」
    「……は?」
    「この程度の力では、とても戦場では生き残れない」
     あまりにもはっきりと言われた兵士達は一瞬ぽかんとして、そしてすぐに顔を真っ赤にした。「無礼な!」と叫ぶ声も上がり、剣を抜く者もいた。
     しかしそれらを上回る笑い声が、囲いの外から上がる。
    「ははは!! ひでえ言いようだなオイ!」
     声の主は、ウォルターだった。楽しそうに肩を揺らして笑っている。
    「怖いもの知らずにも程があるぜ若いの! ……まあ、正解なんだが」
     色をなす兵士達の背後で、ウォルターは怯む事なく彼らを睥睨した。
    「こいつらは道中で雇われたごろつきだ。革命軍……元革命軍とやらも人手不足なんだろうな」 
     本当に王都から来た兵士は数人で、今は西の国に近い国境に視察に出ているらしい。ウォルターの話を聞いて、兵士の一人が「黙れ!」と彼に剣を向けようとうする、が。
    「ぎゃあっ!」
     兵士が呻くのと、破裂音が響くのは同時だった。レノックスを含め、通りにいた全員が凍りつく。──片手に短銃を構えたウォルターを除いて。
    「騒ぐんじゃねえよ、三下が。次は眉間をぶち抜くぜ」
     肩を押さえて蹲る兵士を見下ろす視線は、ひどく冷たい。出会った夜に見せた静かなものとは違う、冴え冴えとした殺意が込められている。兵士達の注意が、一気にウォルターへと向けられた。兵士の腕を離し、レノックスは彼の傍へ駆け寄ろうとしたが、次の瞬間。
    「騒ぐなっつってんだろうが!」
    「っ! ──‼︎」 
     怒声と共に走った閃光に思わず目を瞑る。ウォルターの名を呼び掛けた喉からは空気が漏れるだけで、何の音も発せなくなっていた。
    (なんで魔法を)
     疑問を投げる事も出来ない。閃光に怯んでいた周囲の人々や兵士からは「魔法だ」「あの男、魔法使いだ!」という声が上がる。逃げる者が大半で、兵士は恐れながらも剣を構えていた。……声を奪われたのはレノックスだけだ。
    (まさか)
     レノックスは愕然としながらウォルターを見る。ウォルターもこちらを見ていた。まるで知らない人間に向けるような、嘘くさい親しげな眼差しで。
    「いい見せ物だったぜ、若えの」
     そんな、初めて出会う人間に向けるような顔で笑わないで欲しい。
     そう思っても、今のレノックスにそれを伝える術はなかった。ウォルターがさっと身を翻す。
    「逃げるぞ、追え!」
     もうレノックスの存在を忘れたように駆け出す兵士達の後ろを追おうと足を踏み出しかけ、何かに腕を引かれ振り返る。さっきの子供だった。
    「お兄ちゃん、こっち!」
     無理矢理振り解く事も出来ず、言われるがままついて行く。幾つかの路地を通り過ぎた先には、母親と、何故かウォルターが脅した老人がいた。
    (一体何が……)
     戸惑いを隠せずにいるレノックスを置いて、彼らは慌ただしく動き始めが。ぼろぼろの荷車にレノックスを乗せ、頭から布を被るよう言う。
    「このままじっとして、荷物のふりをするんだ。いいな?」
    「待って! 行っちゃう前にお礼を言わせて」
     布を被せた隙間を覗き込んで、母と少年が笑う。
    「さっきはありがとう、お兄ちゃん」
    「本当に……貴方のお陰で助かりました。どうかご無事で」
     言葉を返したくとも、声が出せない。それでも満足したらしい彼らは、すぐに布を閉じてしまった。老爺の嗄れた声が布越しに聞こえる。
    「あんたらももう行け。俺はこいつを引いて行くから」
    「重たくない? 手伝おうか?」
    「馬鹿言っちゃいけねえよ坊主。戦争で畑が焼かれる前は、こんなの朝飯前だったさ」
     言葉通りに、ゆっくりと荷車が動き出す。見た目よりずっと頑丈らしかった。荷車も、老爺も。
    「静かにしてろよ。街を出たら声を掛けるから」
     何故、という視線を感じたのか。小さな声で老人は続けた。
    「あの、魔法使いの旦那から頼まれたのさ。あんたを助けてくれって」
     ──街から出るまででいい。あんたが危ないと思ったら逃げてくれて構わない。頼めるか。
     そう言って、荷車と金を渡して行ったらしい。さっきの母子も、同じように声を掛けられたそうだ。
    「俺は金目当てだが、あっちの親子はまあ……恩を感じたんだろう。あんた以外、兵士に目をつけられるような馬鹿な真似が出来る奴はいなかっただろうしな」
     聞きながら、レノックスは動くべきか否か迷った。
     ウォルターが自分を逃す為に囮になった事に、もう疑いの余地はない。その上で、彼の言うがままに己だけが無事に逃げていい筈がないという思いが、レノックスの胸中で渦巻いていた。
    「それにしても、似てねえと思ってたが似てるのかもな。お前さん達」
    「……?」
     言葉の意味が分からず、レノックスは布の隙間から前を行く老人を見た。こちらが見ているのにも気付かないまま、老人は呟きを落としていく。
    「いい親父さんをもったな。誇れよ」
    「──……」
     息子を頼むと、それは真剣な顔で言われたのだと。
     それから後のことを、レノックスはあまり覚えていない。
     気が付けば街を出て、老人から教えられた通りに南の国近くへの国境へと向かっていた。
    (どうして)
     疑問で心がぐちゃぐちゃのままでも、腹は減るし疲労も溜まる。陽が沈む前に辿り着いた森で夜明かしする事を決め、レノックスは体に染みついた習慣に従い支度を済ませた。焚き火を眺めながら、持たされた麻袋を見る。これも老人から渡されたものだ。
    (中身を……確認しないと)
     驚く程、体が重かった。それでも何とか腕を伸ばし、袋の口を開く。
     保存食、火種、地図に、薬が数種類。本当であれば街で補充する筈だった品が揃っていた。あの余裕のない時間に一体どうやってと思ったが、老人や母子の手を借りたのかもしれない。何にせよ、徹頭徹尾ウォルターに助けられているという事実が眼前に広がっていた。
    「どうして……」
     とっくに効果を失った魔法に阻まれる事なく、疑問がまろびでる。答えてくれる相手はもういないのに。
    (……今からでも、戻れば)
     ウォルターの心遣いを無碍にする行為だとは分かっている。それでも、理由も分からないまま彼の厚意を受けるのは耐え難かった。
     迷いと共に荷物を検分し続けるレノックスの指先で、かさりと音が鳴る。慣れない感触を掴んで引き上げて見ると、折られた一枚の紙だった。
    「手紙、か?」
     意味はないと分かっているのに呟いてしまう。何かの注意書きという可能性も考えつつ、どこか緊張しながらレノックスは紙を開いた。
     文面は、素っ気ないくらいに簡潔だった。

    『お前は運がある。精々、長生きしろ』
      
     追伸、と下に書かれていたが、その続きは塗り潰されている。かろうじて「ウォルター」「息子」という文字は読み取れたが、それだけだ。
     何一つ、今の状況を、レノックスの疑問を払ってくれるようなものではない。なかったが、ひどく胸を衝かれた。見る者もいないのに、片手で顔を覆う。
     もっと早く名前を、教えればよかった。教えて欲しいと言えばよかった。ウォルターではない、本当の名前を。
     薪の爆ぜる音が、まるで己を責め立てているように聞こえた。
    (どうして、信じられなかった。あそこまでしてくれた彼を、どうして)
     信用しなくていいという言葉に甘えきって、裏切られるのが怖くて、信じなかった。信頼の成れの果てを目の当たりにしたからと、あの方を探さなければいけないからと言い訳をして。
     それは、レノックスの拭いきれぬ弱さだった。
    (──信じよう)
     気が付けば火は消え、空が白み始めていた。目に痛い光を遠目に見つめて、静かに決意を固める。
    (裏切られるのは、恐ろしいけれど)
     裏切られるかもしれないと信じられない事は、とても苦しい。
    「……信じよう」
     掠れた声が、風に攫われていく。煙草の匂いのない、冷えた風だ。これから幾度も見るだろう朝日を、レノックスはひとり眺める。
     今ここから、自分の旅は始まるのだと、そんな確信を抱きながら。
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