星涼し夢を見た
星を抱くようで、それでも手繰り寄せた光の蛍は瞬きの間で掻き消えてしまいそうな刹那の色
誰かの声と共にきらきらと滑り落ちていく宇宙の流砂を受け止める砂時計などはない
途端、焦りと、待ってくれという声が喉を突いた
何かを追おうとしたのかも定かではないのに、背筋を煽る闇の吐息だけが冷たい
己の声さえも聴こえない。それなのに確かに私は、とおいとおい誰かに届くようにと、カイト、と呼んだ。
「……エル、」
微睡の中で捉えた声に、ゆるゆると浮上する意識と霞んだ視界に見慣れた顔がある。
「……デッキ構築すると言ったから放っておいたが、居眠りとは随分と余裕だなミザエル」
「……寝ていたのか、私は」
「ほら、まだ頭が冴えてない。寝呆けた顔をどうにかしろ」
前髪をくしゃりと撫でられ、子供扱いをされた気がしてムッとしたが、触れた体温に安堵感を覚える。
被った覚えのない毛布が身体からずり落ちた感触で、ああ、やはりカイトかとなぜか嬉しくなった。どこまでも他人を思う此奴のことだ。苦言を零す回数と同じくらい、いやそれ以上に彼が人にしてきた優しさは数えきれないだろう。
少しだけ、それを享受できる環境の身に感謝を覚えるが、きっと言うことはない。
甘えただな、と笑われるのが目に見えているからだ。決して、私は子供などではない。
ただ、こういった与えられる温もりを自分のものとしていいのかと何時だったかぼやいた夜があった。薄らかに見た気がする夢の中と同じような星空の下。
カイトが「気晴らしに外に出るぞ、」と。
普段口うるさいくらいに夜は騒ぐな、ハルトが起きるだろう、貴様も学校のことを考えろ!と三拍子が飛んで来る癖に、とやけに記憶に真新しい。白衣ではなく、見慣れたコートを羽織りながら柔らかに笑んだカイトの声がひどく優しかったのも覚えている。
待ってくれ、と。焦燥感に駆られて駆けだせばそう急くな、置いて行かんと。
ゆるりと差し出された手を暫く見つめた後、微かに冷えた指先とかさついたカイトの肌を確かめると同時に思わず握り込んでしまった。細いな、とつい口にしそうになる。
ミザエルの手を包み返したカイトは、そのままハートランドを一望できるビルの屋上へと連れ発った。
道中何処へ行くのかとか、貴様が珍しいなとか、口を出る言葉はたくさんあった筈なのに不思議と夜の雑踏に紛れ。不安と共に、でもカイトが居るからか寂しさなどなかった。
あの夜ではない。
そう、あの宇宙の果ての下ではないと。
「あまり強く握るなミザエル、オレの手を折る気か」
「あ、ああ。すまない……」
「───珍しいな、お前がこんなに静かなのも」
「まるで私がいつも騒がしいみたいに……」
「おや、気づいていなかったか」
「貴様!!」
カッと顔に熱が集うのと、いつものようについ躍起になってしまったがそれにさえカイトは笑ってくるではないか。一体、何なのだと気を損ねたミザエルの背を軽く押し「ほら、」と声の上向く方向へ視線を向ける。
肌を撫でる風が泳ぐ。
ミザエルの柔らかな髪を舞い上げる豊かな夜の流れは、彼らを包む涼やかな香りとなって天へ飛ぶ。
だが、煌々と輝くまあるい月明かりが思わず眩しくて、ミザエルは反射的に目を反らしそうになったが、同時にカイトが手を握ってきた。
弾かれるように彼へと視線を向ければ、彼はじっと視線を逸らさずに月を見据えている。
「カイト、」
彼の名前が口から零れるが、続く言葉が生まれてこない。
ただ、あの時のような静寂が訪れるのが怖くてゆるゆると唇を開こうとした途端、カイトが静かに双眸を閉じて深呼吸した。
「あれ以来、オレもこうして月を───天を眺めることを恐れていたのかもしれんな」
「……カイト?」
「何だ、ミザエル。そんな声を出すな」
まるで捨てられそうな子犬みたいだな、いつもの威勢はどうしたと。繋いでいた手を離しミザエルの背を叩いて笑うカイトを見据え、誰のせいだと悪態を吐きたくなった。
「……貴様でも恐れるものがあるのだな」
つい零れた言葉がこれなのか、と自分でも如何に不器用なのだと反吐を通り越して呆れ返る。
先ほどまで繋いでいた手の温もりが少しずつ冷え、虚しさ?いや、さみしさ、というのだろうか。物足りない心地を手繰り寄せるように手をゆるりと閉じる。
霞をかき集める動作に意味などない。温もりと思っていたものは相手にとってそうではないかもしれないじゃあないかと。月を眺めるカイトの心の声など解らないのと同じで、"解り合っていた"と勘違いしていた自分が憎たらしい。
それじゃあ傲慢だと、笑われても致し方ないなと。自然と自嘲の笑みが生まれる。違う。今はこういう感情を表したいわけじゃなかったのに。
「意外か? まあ、こういう事を口にすること自体、いつぶりだろうな。もちろんお前を咎める意味で此処に来たわけでも、これを伝えた訳でもないが、そのようなことを教えなくともミザエルなら解ってくれるとおもっている」
「……"一方的な理解"と"解り合う"のは聊か、同じものと捉えるには難しいと考えていたばかりなのだが」
「―――だろうな、オレもそう感じるよ。だからこそ、人間は言語での意思疎通を発展させてきたわけだが、如何せん、オレも不器用なものでな」
薄っすらと湛えられた笑みは愁いとも、嘆きとも判別のつかぬような揺らぎの色。カイトは己にとっての目標でもあり、道標のようでもあって、光のような。
薄明りのなかを照らしてくれるような、音の無い闇に浮かぶ一点の煌々と輝く名前の無い星に、私は"天城カイト"と名付けてしまった。
勝手に望まれ勝手に縋るのはきっと、人間にとっては重荷、という枷になるとも聞いた。
しかしどうだろうか、天城カイトという星は、私に語り掛けるように、呼吸をするようにキラキラと、光を時に強く時に淡く瞬かせ、導く。
私はそれが嬉しかった。だからこそ、その星を眺めるだけでなく、追いつきたいと、手を伸ばしたのが切欠だった気がする。
「だが、我々は思考の行き付く先が同じでなければならない、という同調も要らぬ筈だ。そうであろう、カイト」
「……ああ、それを聞いて安心した。ミザエル、やはりお前と語らうのは楽しいな」
「ふん、崇高なる銀河使い同士の言葉なのだから当たり前だ。有難く思え」
「―――撤回してやろうか」
「何故だ!?」
「冗談だよ」
くすくすと零されるカイトの笑い声が、心地よかった。
どうして今思い出したのかもわからなかった。
ただ、カイトの優しさに触れる度にあの時の夜の時間はきっと、私たちにとって必要なものだったのだろうと噛み締めることがある。かけられていた毛布をソファーの脇に畳み直し、日光に当たっていた場所のふかふかした心地に僅かに惜しさを覚えるが、それは寝る時の楽しみにとっておこう。
カイトはミザエルが完全に起きたのを認めた後、キッチンの奥へと消えていった。恐らく彼奴のことだ、このような時間まで仕事をしていたのだろう。
声をかけられた際に、おぼろげな視界の端に居たカイトの手には何時も使っている白いマグカップを携えていた気がするし、コーヒーでも追加に来たのか。それとも、わざわざ様子を見に来たのか。定かではなかったが、後者だといいなと、一つまみの期待は胸に仕舞っておくことにする。
窓にかかる斜陽は既に夜空のカーテンを纏っている。ちらほらと覗く星々を見て、今日の終わりを肌に感じる。
しかし、決闘者にとっての時間はこれからが本番だった。今日は、カイトと決闘する為に遊びに来ていたのだから。
「カイト! 用意が出来たぞ!」
デッキを抱え、立ち上がりながら叫べば、両手にマグカップを抱えたカイトがようやくか、と微笑を零す。
「今日こそは私が勝ってやるからな」
「どうだろうな、オレは負けんぞ」