誰に喧嘩売ってんだよ『皆さん、こんばんは。和久井譲介です』
役のために片側だけ伸ばしている前髪を共演者から送られたのだという黒猫モチーフの可愛らしいピンでまとめているので可愛いのにカッコいいお顔が画面いっぱいに写されている。ありがとう、生き返ります。
『今日は僕のKスタライブに来てくれてどうもありがとう。皆お腹空いたでしょ?』
コメント欄は「こちらこそご尊顔を見せてくれてありがとう!」というお礼と「お腹空いたー!」という同意のレスポンスで埋め尽くされた。私も多分スマホやパソコンの画面の前で多くのファンがやっているであろう合掌で和久井くんのご尊顔を拝む。
『ふふ、僕も空いた。さっそくいきましょう、今日はS県とN県のご当地カレーです』
和久井譲介はご長寿医療ドラマドクターKシリーズ「K2」第二の主人公である黒須一也のライバル役として出演し、人気を博したアイドルのひとりだ。そして無類のカレー好きで、彼のKスタライブではよく全国のレトルトカレー食べ比べが開催されている。ちなみに一番好きなカレーは先程のドラマで賄いを担当していた「イシさん」という方のカレーらしい。
「そこはオレのカレーじゃねぇのかよ」と冗談混じりに返すのは和久井くんの伴侶となったロック歌手の真田徹郎通称TETSUである。三十という年の差婚をものともしない鴛鴦夫婦だ。
結婚といえば今、巷を騒がせている男がいる。
それは和久井くんも出演中のK2主人公神代一人さんだ。この二組はほぼ同時期に結婚した。
それらしい影も噂も無かったのに、正に「電撃」と「衝撃」の言葉に相応しく神代さんの結婚の二文字は世間を瞬く間に走った。
お相手は一般人で、その方の迷惑になるのでコメントなどは差し控え、会見などもせず書面だけでの発表だった。それが悪かったのか、マスコミは相手探しに躍起になり、アンチと化したファンの過激なコメントが日夜SNSやニュースを埋め尽くしていた。
お相手を知っているらしい共演者の方にもその被害は広がり、先日など和久井くんの写真集発売記念イベントがあったのだが、神代さんの結婚についての質問を投げ掛けられてしまった。全然関係の無い不躾な質問に、その場が一瞬にして変な空気になったのが画面越しでも分かって嫌な気分になった。
私はそこまで神代さんのファンではないからか、本人が「そっとしておいてほしい」というのだから放っておいてやれよと思う。そりゃあどんな人なのか気になるけれど、神代さんが「とても明るくて優しく、勤勉で素晴らしい方です。そんな方とこうして伴侶になれたことは私の人生で一番の僥倖です」とまで言う人だ。書面だけど。というか書面でもちゃんと報告してくれたんだし、今は話してくれなくてもいつか話してくれる日が来るかもしれない。アンチコメントばかりじゃ辟易して余計頑なになっちゃうでしょうに。
そんな神代さんと真逆に祝福された和久井くんとTETSUはまたちょっと事情が違う。元々和久井くんはTETSUのファンなのだ。TETSUのファンにもそれは認知されていて、結婚を発表した時なんか「和久井くん、いい子なんで!なんとかよろしくお願いしますTETSUさん!!」などとまるで親かというコメントがSNSに溢れ、TETSUのファンからも「こちらこそTETSUを頼むな、譲介くん……いやマジで」という万感を込められた返信が来るという終始和やかな雰囲気で終わった。
私も和久井くんガチ勢として結婚の二文字を見た時はそりゃあ「誰と!?」と目が飛び出るくらい驚いたものだが相手がTETSUと分かるとスンッ……となった。正直和久井くんが結婚するならTETSUだと思っていたからだ。ある意味心の準備が出来ており、納得しかなかった。むしろTETSU以外の相手を想像できない。でも、TETSU以外の相手を伴侶として選んでも和久井くんが幸せになるのならどこかに気持ちの落としどころを見付けようとするのが彼らを推す一般人としての領分なんじゃないかな、と思う。
『さて、今日は少し聞いてもらいたいことがある』
ごちそうさまのコメントが落ち着いた頃、和久井くんは真剣な表情で居住いを正した。えっ、何々、怖い。
『……神代さんの結婚についての報道についてだ。もし聞きたくないという人が居たら、配信を切ってくれてかまわない。これは完全な私情だから』
こないだのイベントでの事かな、と思った。
お相手の方を知っているドラマの共演者達が皆、おめでとうとお祝いしてるのだから相手は変な人じゃないって想像出来そうなのに。そもそもSNS音痴と有名な黒須くんが直々に「おめでとうございます!」と一言リプを返したのだ。そこだけで押して図るべきでは?
『もしこの中や近くの人に神代一人さんのパートナーに対して色々言っている人がいるなら今すぐ止めてほしい。というか君たちは神代さんのパートナーさんに感謝すべきだ』
コメント欄がすっかり静かだ。でも閲覧者数は減ってない。むしろ増えてる?
『もちろん僕達の仕事は君達ファンあってこそだし、いつも感謝してる。称賛も批判もあってしかるべきだと僕は考えている。配慮はしているけど行動全てが万人に肯定的に受け入れられるなんて思っちゃいない。だからこそ互いに節度というものが必要じゃないか?』
うんうん、と頷く。コメント欄が動かないし、ここでコメントを送って話の腰を折ってはいけない。
和久井くんはふ、と一息吐いた。
『ーー……本当は結婚を機に芸能界引退するつもりだったんだよ、神代さん』
私の呼吸が一瞬止まった。えっ、えっ?なかなかの暴露じゃない?大丈夫?
『事務所が引き留めようとしたけど動かなかったんだって。でもそれを宥めて説得したのは他でもない、パートナーさんなんだぜ?つまり君たちが今も神代一人を見ていられるのはパートナーさんのおかげなんだぞ』
だから書面だけだったのか。引退するつもりだったから。神代さんのことだ、引退してから結婚するつもりだったまである。それをパートナーさんがどうにか押し留めたのか。
私とて過去推しの解散や脱退、そして引退を経験している。推しを変わらず推せるというのは意外と難しいことを知っている。
『僕は今こうして徹郎さんと一緒に暮らせて幸せだし、ファンの皆も祝ってくれて嬉しい。けどあの人は、神代さんは今、別居を余儀なくされてるんだ。新婚なのに』
にゃあ、と黒猫が画面に入ってくる。TETSUの飼い猫で一也がレギュラー出演している動物番組からの縁で来た元保護猫だ。名前は何故か「相棒」である。その相棒ちゃんをTETSUが抱き上げてフレームアウトした。TETSUが止めないということは和久井くんのこの発言達はTETSU公認ということだ。事務所……はどうだろう、さすがに大丈夫だよね?
『あとマスコミもさぁ……。本当かどうか分からないけど、見付けたら金一封って。指名手配犯みたいな扱いもはっきり言って不愉快だよな』
きれいな顔を歪ませる。私は我慢出来なくなって、コメントを送ってしまった。私も嫌な気持ちになるよ、こないだのイベントでも嫌な気持ちになったよ、と。それを皮切りにコメントが溢れる。
『皆、ありがとう。僕は神代さんの対応は間違ってなかったって言いたいし、騒動の原因だなんて言って悪者にもしたくないんだ。尊敬している俳優のひとりだしね』
だからこの配信を見て、もう少し考えてくれると嬉しい、とまとめ、和久井くんの配信はお開きになった。
***
配信終了のボタンをクリックし、通信を切る。ふう、と深い息を吐いた。
「おつかれさん」
「あ、ありがとうございます」
譲介が結婚できたことに浮かれて買ったペアのマグカップを徹郎は意外にも愛用してくれていた。
中身が牛乳たっぷりのカフェオレで、徹郎の分はブラックコーヒーだとしても。子供扱いされて蜂蜜入りのホットミルクを入れられていた頃から少しは進歩しただろうか。
「どうなるかね」
「さあ……。でもこれで僕が炎上しても後悔しませんよ。あなたに迷惑かけてしまうかもしれないことだけが嫌ですけど」
気にすんな、と徹郎はマグカップの持ち手の意味を無くした持ち方でコーヒーを啜る。
「オレぁ、マスコミなんかとはバチバチにやり合った世代だからな」
「コンプライアンスのコの字も無いですね」
譲介は徹郎の身に今回のような事があれば自分の持ち得る全てを使ってその記者を追い詰めるだろう。神代とて同じ思いだったが、パートナーが止めるから思い止まってやっていただけに過ぎない。だがもう数ヶ月が経つ。元々譲介の気は長くないのだ。
「まあ、これで落ち着かなかったら次の手をやるだけです」
「そうだな。いい加減テレビの画面をオレ達に返してもらうか」
譲介はふふ、と笑って徹郎に擦りよった。
相棒はそんな二人に我関せずと言わんばかりに大きなあくびをした。
***
次の手はゴシップ雑誌を廃刊まで追い込むことでした。