よしよし 一週間くらいパリで仕事するからついでにシュウに会ってくる! と言っておれはフィレンツェを出た。パリはまたフィレンツェとは空気も温度も違う刺激で溢れている。さすがは芸術の街といった感じで霊感も沸きまくって作曲も捗り、そこら中から音楽が溢れていて最高だった。仕事も順調で予定より早く終わり、シュウに観光地を案内して貰ったりとセナと離れても充実した日々を過ごしていた。フランスはやっぱりご飯も美味しくて、朝食に出して貰うパンがいちいち美味しくて感激したのでセナにも食べさせてあげたいなぁ。なんて思いながら、帰りにお土産に買おうと決めた。
そして一週間後、今から帰る。とだけセナへメッセージを入れて飛行機へと乗り込む。おれが家を出ている間、セナからは特に連絡もなくて、フィレンツェにいるのか日本にいるのかもよくわからなかったけれど、knightsの仕事はなかったはずだから、多分フィレンツェにいるはずだ。
「ただいま~」
ちなみにメッセージはセナには珍しく既読になっていなかったので、仕事でも行ってたのかな? なんて思いながらも玄関の扉を開けた。家の中は真っ暗だったので、やっぱり出掛けてたのかな? なんて思いながらリビングへと向かうと、テレビだけがチカチカギラギラと無機質な明かりを放っている。セナはどこにいるのだろうかと目配せしながら手探りで電気をつけた。
「あれ、セナ寝てる……」
横になってソファーに身を沈めているセナが目に入った。セナが昼寝なんて珍しい。テレビ見ながら寝ちゃったんだろうか。夜寝るにしても早すぎるし、寝るならちゃんとベッドに行くタイプなのに。
「おーい、セナ~。ただいま~。シュウおすすめのクロワッサン買ってきたぞ~」
一週間ぶりに会えたのが嬉しくて、おれはゆさゆさとセナの肩を揺さぶって声をかける。
「うぅん……」
銀色の睫毛がふるりと震え……焦点の合わない虚空を見つめたアイスブルーの瞳が見え隠れする。
「ん……れおくん……?」
「おれだぞ~。ペットのおかえりだぞ~。起きて、セナ!」
「今なんじ……?」
「二十時!」
「もうそんな時間……まだ洗濯物取り込んでないや……」
「おれ入れてくる!」
未だに横になったまま起き上がらないセナを見て、だいぶ疲れているのだろうかとすっかり冷えきった空気に晒された洗濯物を取り入れた。リビングへ戻ると、まだセナは横になったままでその場から動いてはいなかった。
「……セナ? どうした? 具合悪い?」
「大丈夫だよ。ちょっと眠くて」
「なんか朝早い仕事とかあったのか?」
「ううん、違うの」
そう言いながらも起き上がらないセナ。今のところいつものように辛辣な言葉の一つも飛んで来ない。なんだ? どうした? 何かあったのか? おれはしゃがんでセナと目線を合わせる。まだはっきりと起きていないのか、アイスブルーの瞳がぼんやりとおれを映していた。
「仕事と言えばさ、フランスでセナの仕事取ってきたぞ~! 来週おれと一緒にパリに行こう!」
「ほんとにあんたはいつも急だねぇ。ありがとう」
その上素直にお礼までちゃんと言ってくる。待て待て、なんかおかしいぞ。目の前にいるのはセナだけどセナじゃない。そんな気すらする。
「……セナ、ご飯食べた?」
「食べてない」
「仕事忙しかったのか?」
「そんなことないよ。知ってるでしょ」
「セナ……ぎゅうって、する?」
「……する」
これまた素直に返事が返ってきた。これは大丈夫じゃなさそう。いつもひっつくと暑苦しいから離れてというセナが、心ここにあらずといった空洞の瞳でおれを見ている。
「セナ、起き上がって! ハグしよう! あとおかえりって言って!」
「あぁ……うん……おかえり」
のそのそと腕をついてセナは起き上がり、ソファの背もたれにぐったりともたれかかった。
「なに、貧血か何か?」
ぎゅう、とセナに抱きつくとセナも軽く抱きしめ返してくれた。セナの肩口に頭を埋める。一週間ぶりのセナの匂いを肺いっぱいに吸い込む。ああ、すごく癒される。おれもおまえを癒してあげれたら、いつもみたいに元気になるのかな。
「俺だってたまにはやる気のない休日くらいあるの。ほっといてよ」
「なんだ、今日はお疲れだなセナ。クロワッサン食べる?」
「……そんな胃もたれしそうなの今食べれない」
「じゃあ何食べたい? 買うか作るかするから、食べたいの言ってみて?」
「……エビサラダ」
「ん。わかった。エビとレタス買ってくるな」
「でも、やっぱりいいよ。れおくん帰って来て疲れてるだろうし」
ぐりぐり、ぐりぐり。セナがおれの肩に額を押しつけている。今日は一段と甘えてるなぁ、セナ。
「いいよ。いつもして貰ってるし、ちょっと待ってて」
「ねぇ、れおくん」
「なぁに、セナ」
「やっぱりもうちょっとこうしてて」
「ん。わかった」
ぐっ、とさっきよりおれに体重を掛けて抱きついてきた。おれもセナに抱きついて、手持ち無沙汰の手でセナの背中をさすったりポンポンと叩いたりしてみる。
「幻滅した?」
「なんで?」
「今日の俺はとてもじゃないけど綺麗じゃないから」
「わはは。悲壮感漂っていっそ綺麗だよ」
「れおくんのばか」
別におれはセナがそこにいてくれたらそれでいいのに。セナこそ、あの頃のおれに幻滅したんじゃないのか?
「……一日一回ハグすると、ストレス減るんだって」
「じゃあセナはずっとおれに抱きついてなきゃだな」
「どういう意味?」
「セナいつもプリプリ怒ってるから」
「あんたが怒らせるようなことするからでしょ」
「ごめんごめん」
全体的に言葉に覇気がない。でも、ぎゅう、とおれを抱くセナの力は強くなった。
「ストレス溜まってるのか? おれがいない間になんかあった?」
「……何もなくてさ、暇だと色々考えちゃって」
「セナはいつも頑張ってるからな~。たまには休め休め! おれが許すぞ~♪」
「休みなんていらないよ。くまくんみたいにだらだらしてると退屈で死んじゃいそう」
「死んだらおれが悲しいから、ちゃんと生きてて、セナ。仕事ならちゃんと取ってくるからさ!」
「それは嬉しいけど……れおくん……俺、昔かられおくんにずっと頼りっぱなしで……ごめんね」
えぇ……セナが謝ってきたぞ。これはいよいよヤバいかもしれない。セナはメンタルをやられた時が一番危ない。案外引きずるしズブズブ沼にはまっていってしまう。
「俺はさ……アイドルになるためにあんたを利用して、今もモデルで成功するためにあんたを利用してる。情けないよねぇ。俺、あんたに出会わなかったら、ほんとに何者にもなれないその辺にいる誰かだったのに」
「セナ、本当に疲れてるんだな……よしよし」
「茶化さないでよ」
「……おれだって、おまえに出会わなかったらアイドルになれなかったよ。おれはおまえに出会えたから、アイドルになれたんだ」
「そんなことないよ。れおくんは天才だから」
「天才かもしれないけど、おれは万能じゃない。おまえと同じ、ただの人間だよ」
セナは時折、未だ過去に囚われている時がある。おれが何回そのことはもう終わったことだからと言っても駄目だ。まだセナの傷は癒えていないんだろうな。
「あのなぁ。セナはおれに出会ってアイドルになるチャンスを掴んだのかもしれないけど、その後もセナはちゃんと努力してるの。歌も踊りも、高一の時に比べたら段違いに磨かれて輝きを放ってる。それはおれも知ってるから、それは本物なんだよ。だから大丈夫」
「ほんとに? 顔だけじゃない?」
「綺麗な顔も立派な武器だぞ! それに、セナはお姫様達の声ちゃんと聞こえてるだろ~? あんなにキャーキャー言われてるのに、それを疑うのか? 騎士として失格だぞ~?」
「そうだね……うん。お姫様を楽しませてあげるのが俺の役目だからねぇ」
「それに、今度は最後までおれがついてるから、何があっても大丈夫だぞ!」
「またれおくんを犠牲にして生き延びたくはないけど。ちゃんとあんたの隣に立っていられるように、努力は止めないよ」
「うんうん。その意気だぞ! スオ~もまだまだ助けてやらないといけないしな!」
「……俺、れおくんがいないと……本当駄目みたい」
「へっ!?」
セナの口からそんな言葉が聞けるなんて思わなくて、思わず固まってしまった。心の中でセナの言葉が何度も木霊して、顔が熱くなる。つまりおれは、セナに必要とされてるってことだ、
「お、おれもセナがいないと……ダメだけど……?」
「うそ」
「なんで疑うんだよ~。おれの面倒見てくれるのおまえしかいないんだって! ほら、ちゃんとペットの面倒見ないとどっかに行っちゃうぞ!」
「勝手にどっか行っちゃうならGPSつきの首輪つける……」
「それは嫌だけど!」
「ふふ。そうだねぇ。こんな宇宙人みたいな天才を扱えるのなんて、地球上に俺しかいないもんねぇ」
「そうそう! 自信持って、セナ!」
バシバシと背中を叩くと痛いんだけどぉ。と怒られた。
「セナが元気ならおれは無限に曲が作れる。セナばっかりがおれに頼ってるわけじゃないよ」
「じゃあ今は書けない?」
「書けるよ。セナを励ます歌!」
「……バカだよね、ほんと。俺なんかのために」
セナは自己肯定感が高いようで低い。それを周りに悟らせないようにたくさんの言葉で塗り固めている……いくつもの壁をおれは叩いて壊して、やっとここまで来たんだ。今さら手放すわけないだろ。おれがどんだけおまえのことを、おまえだけのことを好きなのか。そろそろ信じてくれてもいいと思うんだけど。
「俺がいつか止まっちゃった時は、遠慮なく置いていっていいからね」
また口から出任せに自分を傷つける言葉を吐く。おれが『うん、わかった』って言ったらその瞬間おまえはおそらく立ち上がれなくなることくらい知ってるよ。そんなことは口が裂けても言わないけれど。
「セナは止まらないよ。まぁその時はおれも一緒に休むから。どこまでも一緒にいよう」
「重いねぇ」
「重いだろ。意外と愛が重いんだぞ、おれ」
「知ってる。あんたが無尽蔵に愛を振りまく人間だってことは」
「そうなんだけど、そうじゃない」
「……あんたの特別を、俺が受け取り続けていいのかなって、たまに思う」
「くだらないなぁ。セナのこと好きだからいいの。セナの特別もおれにくれよ。それでおれは満足だから」
「そうだね、俺も傍にいて欲しいし、仕方ないから、俺の特別もあんたにあげるよ。れおくん」
「うん。ありがとう」
ぎゅうっとセナの力がこもる。あったかい体温。お互いの鼓動が聞こえる。セナは顔をあげない。ずっとおれの肩に頭を埋めたままだ。
今はこれだけで充分だ。少しずつでいいからもっとおれを頼っていいんだぞ。そして、おれから離れようなんて、二度と思わせないようにしてあげるからな。
覚悟しておけよ、セナ。