お泊まり「特に面白味もない家だけど、どうぞ」
「……っ」
「れおくん?」
初めてだった。初めて他人の家に来た。始めに目に付いたのは玄関に飾ってある花。ドアを開けた瞬間、名前はわからないけれどオレンジ色の大きな花弁から良い匂いがした。
今、セナの家に来ている。
夜のジョギングをしていたらしいセナが、公園で作曲をしているおれを見つけた。こんな所で何してるのぉ? なんて話しかけられて、こんな時間からセナに会えた喜びに感動して作曲を続けようとしたところ、突然雨が降ってきたのだ。
最悪! と独りごちるセナに首根っこを掴まれたと思ったら、ズルズルとこの近くにあるらしいセナの家へと連れて行かれて、今ここに居る。
「早く入りなよ。れおくんもびしょびしょでしょ~?」
「あっ、うん……おじゃま……します……」
そろり、足を滑り込ませて一歩中へ入った。少しだけ湿ったスニーカーに靴下が張り付いて気持ち悪い。先に中へ入っていたセナがタオルを持って帰って来て、無造作におれの頭に被せた。
「適当に拭いて中入りなよ。お風呂こっちだから」
「お、おふろ!?」
「風邪引いたらどうすんの。俺も入るから」
「へっ!? 一緒に!?」
「ッバカ! そんなわけないでしょ!」
顔を赤らめたセナに、キッと睨みつけられてしまった。おれはというと、完全に気持ちが浮ついていて、セナの言うことをあんまり理解できていなかった。先程雨に振られて体は冷たいはずなのに、顔が熱い。硬い床の上をふわふわとした気持ちで進んで行くと、そっち。とお風呂の方向に指を指された。
「お、お母さんにご挨拶しなきゃ」
「……今日は夜遅いから、居ないよ」
「そ、そうなんだ……」
お父さんもお母さんも夜居ないってどういうこと? と少し疑問が湧く。聞きたいような、踏み込んではいけないような。セナのお母さんはライブをした時に何回か会ったことがあるけれど、あまり話はしたことはない。いつも値踏みするような目で見られている気がするから、おれも必要以上に会話はしていない。多分、好かれてないとは思う。当然だ。今までおれと一緒に過ごせてるのって、セナだけだったし。
「服は脱いで洗濯機入れておいて。服はあんたがシャワー浴びてる間に適当に出しておくから」
「あ、うん。でも洗濯機入れたら、帰れなくなっちゃうぞ……?」
「……じゃあ、泊まっていけば?」
「へ?」
「別にいいでしょ~? 俺たちもう高校生なんだし」
なんでもないことのように、セナが言った。誰か泊まりに来たあるのかな。いや、そいつの名前はできれば聞きたくない。
「濡れたまま帰して、風邪引かれても困るしぃ? どうせ何も食べてないんでしょ~? なんか作ってあげるから」
「セナがご飯作ってくれるの!? やった! 食べたい!」
「あ、そ。ほら、早くお風呂入ってきな」
「はぁ~い!」
セナがご飯を作ってくれると言うので、思わずはしゃいで返事をしてしまった。しかし、一人でシャワーを浴びているとなんとも言えない気持ちになってくる。身体とかちゃんと洗った方が良いのかな!? と棚を見ると、高そうなシャンプー達がたくさん並んでいた。どれがセナの使ってるやつだろう? 全然わからないので適当に出して頭を洗った。ボディソープも、流しても流してもなんだか肌がツルツルしていて、落ち着かなかった。
長居するのもいけない気がして、なるべく早くあがった。入る時にはなかったはずの、丁寧に畳まれた衣服とバスタオルが置いてある。
「借りま~す……」
誰に言うでもなく、一人呟いてバスタオルで身体を拭いて、服を着た。これ、パジャマじゃん。本当に泊まってっていいのか……? 首を通すと、ふわぁっと薔薇の匂いがして、なんだか居た堪れない気持ちになった。
「セナ~お先でした」
「はい。どういたしましてぇ。服そんなに大きくないよね?」
「あ、うん。ちょうどいいかも。これ、セナの?」
「そうだけど? なに? 嫌だった?」
「べ、別に嫌じゃない! いい匂いがしてびっくりした!」
「柔軟剤の匂いかなぁ? 俺も入るから、適当にテレビでも見ててよ」
「あ、じゃあ作曲の続きしてる」
「うん。ここに水置いておくからねぇ」
足を組んで雑誌を見ていたセナが、テーブルの上にそれを置いて風呂場へと消えていった。
一人リビングに残されたおれは、メモ帳を取り出して続きを書こうとしていたけれど、セナの家というのが落ち着かなくて一小説すら浮かんで来ない。身体が火照って、喉がカラカラで叫び出したい気分だ。セナの用意してくれた水を飲み干して、そろりとリビングに視線をやる。
セナの小さい頃の写真が飾ってある。多分七五三だろう。かわいいな、セナ。あれはポスターかな。セナはやっぱり小さい頃から美人だったんだなぁ。なんで今まで知らなかったんだろ。もっと早く出会いたかった。
「ふぅ。ごはん、オムライスでいい?」
「ひゃっ! えっオムライス作れるの!? うん! 食べる」
ぼーっと壁に飾ってある写真を凝視していたら、おれと色違いのパジャマを着たセナが横に立っていた。髪がぺたんこのセナ。同じシャンプーとかを使ったはずなのに、すごくいい匂いがする。
カウンターキッチンに向かったセナは、冷蔵庫を開けたり材料を出したり、手際よく料理をし始めた。確かセナはお弁当も自分で作ってるって言ってたもんなぁ。あ~バターの美味しそうな匂いがする。やばい、お腹急に空いてきた。そういや朝から何も食べてない気がする。
「そんなに見なくても、毒とか入れないから」
「えっ!? いや、そんなつもりじゃ!? ただ、美味しそうだなって」
「……ふぅん? はい。出来たよ」
ケチャップライスを綺麗に卵で包んだ、セナお手製のオムライスが眼前に運ばれた。いつの間に作ったのか、スープとサラダつきだ。
「いただきまーす!」
「いただきます」
テーブルに向かい合って、手を合わせてからスプーンを手に取る。あんたの口に合えばいいけど。と言ってるセナを横目に口へと放り込むと、少しばかりにんにくの効いたライスの風味が口に広がって、美味しさを感じずにはいられなかった。無言でパクパクと食べ、透明なベーコンの入ってるスープも飲み、レタス達が入ってる野菜も、ものの数分で食べきってしまった。
「美味しかった! セナのご飯! 美味しかった……!」
「そう。なら良かった」
「あ、セナはゆっくり食べてて! 今の気持ちを曲にするから!」
セナはまだ三分の一程度しか食べていなかったので、居てもたってもいられずにメモ帳に音符を記していった。
「れおくん。れおく~ん。そろそろ寝るよぉ」
「待って! あとちょっと!」
「もう俺寝るから。俺の部屋廊下を出て右の部屋だからね。布団敷いてあるからそこで寝なよねぇ」
今が何時かわからないけれど、絶賛作曲中のおれにセナが話し掛けてきた。まだ書ききれていないので適当に返事をすると、ペタペタと言う足音が遠ざかって、扉の閉まる音がした。静けさの中、ふんふんとおれの鼻歌だけがリビングに木霊した。
一通り書き終わって達成感を覚え、早速セナに聞いて貰おうと思ったのにリビングにセナが居なかった。時計を見ると深夜の二時。セナはとっくに寝ている時間だろう。おれも寝るかと、セナの部屋を探すべく廊下に出てみると、スリッパが部屋の前に置いてあったのですぐにわかった。ゆっくりと扉を開ける。セナの部屋に入るのは初めてだ。真っ暗で何も見えない中、すり足で進み、手探りでベッドの位置を探す。
ベッドのフチのような感触があったので、そのまま手を伸ばすと布団があった。膝を乗り上げるとさっき嗅いだセナの匂いがしたので、モソモソと布団に入る。布団はセナの体温で暖かくて、すぐに眠気に襲われた。セナの隣で眠る幸福感に浸る間もなく、意識を落としていった。
「誰が隣で寝ろって言ったわけぇ!?」
「あいたっ!?」
背中に衝撃があって目が覚める。なんだ? とセナを見ると、顔を真っ赤にして般若のような顔をしていた。
「信っじらんない! あんたの布団そこにあるでしょ~!?」
「あ~……暗くて布団の場所わからなくてさぁ」
「……ほんとありえない」
「ごめんってば! 昨日のオムライスが美味しかったの歌完成したから聞いて! 愛してるよセナ~!」
「うるさい! 顔洗ってきな!」
「……はぁ~い……」
しょぼしょぼとベッドから降りて、顔を洗うべく洗面所へと向かう。
昨日回した洗濯機は、もう乾燥まで終えて、いつでも着れる状態になっていた。パジャマを脱いで、乾いた服を着る。セナが怒ってるから、このまま家に帰ろう。
「セナ、お邪魔しました……」
「あ、なに? 朝ごはん作ったけど食べないのぉ?」
「……食べる……」
ああ、神様。今日もセナのことが全然理解出来なくて、そこも好きです。