星に願いを「なぁ、セナは流れ星にお願いごとしたことってある?」
梅雨が終わり、もくもくとした雲が出始めた頃、流星群が来るからと星を見に行こうと言い出したのはレオのほうだった。それっていつなの? と聞いてみると、わからない。と返ってくる。誘うからにはちゃんとした情報を提示してから誘えっての! と眉間に皺を寄せながら無言で手元の端末で調べると、それは八月のようだった。学院は夏休みに入っていたので、わざわざ待ち合わせをして外出をしようということだ。しかも、深夜に。泉は親の許可なく夜に出掛けられないので、行けなかったらごめんね。と前置きだけすると、しょんぼりと目の前のオレンジは頭を垂れて笑っていた。
ああ、もう。罪悪感の残る顔をしないでよねぇ。
夜に出掛けるなんて、息子が不良になってしまった。と嘆く母親に、流星群を友達と見に行ってくることを伝えると、悪い友達ではないかと怪しまれた。相手がレオだということを説明すると、怪訝な顔をしながらもなんとか納得はして貰えた。レオは決して悪い友達なんかじゃない。じゃあ良い友達か? と聞かれれば言い淀んでしまうだろう。授業もあまり出ていないようだし、作曲以外のことはてんで何も出来ない。自分がついていなければすぐ路頭に迷ってしまう癖に、何とかしようともしていない。手を貸せば純真無垢な顔で笑い、ありがとう、大好きだ。と言う。気がついたら当たり前のようにあいつが傍に居て、途端に泉の周りは騒がしい音で溢れている。しかし友達かと聞かれたら、断言は出来ない。あいつの周りって意外と人が集まってるし。あ、でも、天体観測を一緒にするのは友達っぽいかも? あまり詳しく聞いていなかったけれど、もしかしてチェスの奴らも誘ってたりするのだろうか。それならば行きたくはないところでもある。
いや、別に二人きりで行きたいわけでもないんだけどねぇ。
「ねぇ、れおくん。今日でしょ? 行かないの?」
「……ふんふふ~ん♪ ってうわ! なんでこんなところにセナが」
今夜は雲もなく、流星群も比較的見やすい天気となるでしょう。ニュースのお天気コーナーがそう言っていた。なので、何時に集合するの? とか、どこで見るの? とか鬼のようにメッセージをレオに飛ばしているのに、既読すらつかない。
もしかして、言い出した癖に忘れてる? 俺はママに頼みこんでまで今日の予定を開けたって言うのにぃ?
夜八時を過ぎても連絡がなく、段々と心配になってきたたのでバイクを飛ばし、月永家を訪れ、こっそりと庭の隅に停めた。家の灯りは点いていたので、最悪レオはいなくても誰かは家にいるのだろう。家の前、着いたけど? とメッセージを送ったけれど、やはり返事はなかった。
時刻は八時半を回った。されど連絡はない。ここで通行人などに不審者に思われても心外過ぎるのでインターフォンでも押してみようか。と人差し指をボタンの前に置く。そういえば、他人の家のインターフォンを押すのはレオの家が初めてだな、とか、どうでもいいことを思いながら指を押し込むと、明るく軽快な音が、マツムシだかコオロギだかの鳴き声に混じってそこら中に響き渡った。
「はい?」
声の主はレオの母親のようだった。少しだけ緊張が走る。
「あ、瀬名ですけど、れおくん家にいますか?」
小学生の時にもこんなセリフは言ったことはない。逆にこんな風に家に尋ねて来る人もいなかった。あの頃はキッズモデルで忙しかったし。まぁ、別に一人でも良かったし。
「あら泉くん。レオ、家にいると思うわ。ちょっと待っててくれるかしら」
プツッと電子音が消えた後に、家の中から足音が聞こえてくる。背筋に汗が伝い落ちる。少しだけ、息を整えた。カチャ、と鍵の開く音が聞こえた後に、ドアから顔を覗かせたのはレオの妹だった。眉を寄せて下げているその困った表情は、本当に兄によく似ている。
「あ、泉さんこんばんは」
「こんばんは」
「あの、お兄ちゃんお部屋にいるから、ど、どうぞ」
控えめながら、手の伸ばせる目一杯のドアを開けて、中に入るように促された。勝手知ったるほど月永家を訪れているとは思っていないけれど、レオ以外の家族が出迎えてくれるのは、信頼されている証拠なのかもしれない。
「ありがとう。お邪魔します」
営業スマイルを浮かべて玄関に入り、靴を脱いで揃えて置く。隣には適当に脱ぎ散らかしたレオの靴があったので、なんとなくついでに揃えておいた。廊下に面しているレオの部屋に行くのに、この家のリビングは通らなくて良い。少しだけ声を張って「お邪魔します」とリビングへ声を掛けると、レオの母親から「は~い」と返事があった。ふぅ。挨拶も済ませたのだからとドアに向き直りレオの部屋をノックをしたものの、うんともすんとも返事はなかった。
「さっきもノックしたんですけど、返事がなくて……。泉さんなら、勝手に入っても大丈夫だと思います」
どんな信頼をされているかわからないけれど、勝手に部屋に入ったところで、絶交だ! みたいな幼稚な展開にはならないだろう。だいたいレオが連絡を寄越さないのが悪いのだ。そう、悪いのはあいつ。だんだんと営業スマイルをしまって眉を寄せていく泉を他所に、レオの妹はリビングへと帰っていった。怒り任せにドアを開けると、彼女の肩が跳ねた気がしたけれど、多分それは気のせいだ。
「セナと流星群を見に行くのが楽しみすぎて霊感が止まらなくてさ~!」
「じゃあずっと作曲してれば? 連絡もずっと無視してるくらいだもんねぇ? 俺帰るから」
「待って! あともうちょっとで完成するから! そしたら一緒に歌いながら星を見に行こう!」
星に思いを馳せながら完成された、生まれたばかりの曲と共に流れ星を探しに行く。へぇ。結構ロマンチックなシチュエーション考えるじゃん。それならばとレオの傍に腰を卸ろし、シャカシャカと動くペン先をしばらく見つめていた。
「できた~~! やっぱりおれは天才だな!」
舞い上げられた楽譜を一枚一枚集めて重ねていく。レオと一緒に歌うために音符を追いかける。楽譜がまだスラスラ読めるわけではないので一つずつ丁寧に音を拾っていくと、横で満足そうにレオが笑っていた。
「で、どこに行くんだセナ?」
「あんた、この俺を誘っておいて決めてなかったわけぇ?」
「セナとならどこでも!」
「調子良いこと言っちゃって……どこでも流れ星なんて見れるわけじゃないんだからねぇ。ほら行くよ」
レオの部屋に置いてある時計を見ると、九時を回ったところだった。星空を見るにはいい時間かもしれない。
「うわっ、ほんとだ! セナからいっぱいメッセージ来てた」
「今確認してどうすんの、このアホ。早く着替えなよねぇ」
「四十秒で支度する! わはは! 海賊になった気分」
「なんの話?」
レオはくたくたの部屋着をベッドの上に脱ぎ捨てて、ささっとTシャツとジーンズを着て中に何も入っていなさそうなボディバッグを引っ掴んだ。多分ペンとノートくらいしか入っていない。いや、それすら入っているのかも怪しい。
「一応聞くけど、他にも誰か誘ってる?」
「ん? セナだけだけど。他にも誰か誘いたいやついた? あ、セナに友達が⁉ だったら紹介してくれよな~!」
「……いないっての!」
暗に友達がいないことを示唆されて、泉は思い切り眉間に皺を寄せた。ふん。友達なんかいなくても生きていけるっての。
「あんたの家からなら海岸が妥当でしょ。ほら、歩いて行くよぉ」
「セナのバイクの後ろに乗りたかったな~」
「冬くらいになったら乗せてあげてもいいけどねぇ」
「ほんと」
キラキラとエメラルドグリーンの瞳を輝かせて、レオが数回瞬きをした。
「あんたが覚えてたら、一番に乗せてあげてもいいけどぉ?」
レオは一層と頬まで緩め、心無しかちょっとだけ桃色に染まって、嬉しそうな照れてるような表情をしていた。
「夏の夜を散歩するのもいいな~。色んな音が聞こえる」
「俺には虫とカエルがうるさいなぁ、って感じ」
「自然の合唱団だろ~? 霊感が刺激される!」
ゲコゲコ、クツクツ、ギー、コロコロ。正直に言って脳に次から次へと入ってくるこの音は不快なのだけれども、レオにはそうじゃないらしい。それを少しだけ羨ましく思った。
やかましい合唱団の傍を通り抜けると、少しだけ音が遠のいていって、代わりに海岸に押し寄せる波の音が聞こえてくる。月明りも街灯もあまりなくて、段々と暗闇に向かって歩いている気分になってくる。底が見えない闇の中、泉は何かが現れそうで少しだけ怖くなってきてしまった。
横でずっと呑気に鼻歌を歌っていたレオの服の裾をなんとなく掴んだ。これは、隣にちゃんとレオがいるかどうか確かめるためだ。
「ん? セナ?」
「あんた、目離すと居なくなるから」
「わはは。セナを一人で置いていったりしないぞ~?」
「……どうだか。うわっ!」
「おわっ」
何かに蹴躓いてしまって、咄嗟に力任せにレオにしがみついてしまった。泉に全体重を掛けられて、レオは二三歩くふらついたものの、転ぶことなく受け止めてくれた。
「ご、ごめん」
「もしかして、セナ暗いところ苦手?」
「苦手じゃないよ。バカにしないで」
「バカにはしてないけど……」
どっと背中に冷や汗をかいて、心臓がバクバクとうるさくなった。その場に立ち止まって大きく息を吐き出して呼吸を整え、レオから離れるように前をずんずんと歩いていく。
「っ、ちょっと、れおくん」
「こうすればおれはどこにも行かないしセナも怖くない~♪ ルカたんにもよくこうしてたなぁ。懐かしい」
「ちょっと、歌にしないでよ。恥ずかしい」
どこから霊感を得ているのかはわからないけれど、急にミュージカルが始まったようにレオが歌いだすので、途端に恥ずかしくなった。同時に、それがあんまりにも楽しそうなので、お化けが出そうだとか、闇に飲まれそうだとか、そういう気持ちも少し和らいでいった。
「おれ達しかいないから大丈夫だろ~? あっ今空が光った気がする!」
「えっ、どの方角⁉」
「あっちのほう! 行くぞ~!」
「あ、ちょっと!」
砂を蹴りながらレオが走り出したので、慌てて泉も後を追った。靴の中に砂が入ってくる不快感と、海岸からそよぐ冷たい風の心地よさがない交ぜになる。
「この変なら全体が見えるから良さそう! よっと」
空を遮るものが何もなくなり、上を見上げればいくつかの星が見えた。人工的な明かりも薄くて、星の明かりだけに照らされている、日常と少し離れた世界。その真下にレオは陣を取り、座り込んだと思ったらその場に仰向けに寝転んでいた。シートもなにもない、砂の上に、だ。
「セナも寝転べば? 星がよく見えるぞ~!」
「髪の毛と服に砂がつくから嫌。家に帰ったらママに言われそう」
「え~? あ、夜遅いからおれんち泊まっていけば? シャワーして服洗濯して帰れば証拠隠滅できるじゃん!」
「夜友達と出掛けるのにもちょっと苦労したのに朝帰りしろって……⁉」
「朝帰りっていうか……夕方帰り?」
「あり得ない!」
ピシャン! と言い放つと、レオが面食らった顔で驚いていた。月永家はどうなっているのかわからないけれど、そんな放浪息子みたいなことが瀬名家では許されるわけがないのだ。
「言ってみないとわからないだろ~? もう高校生だしさ! 夜中帰るのも次の日の夕方帰るのも一緒だって。むしろ真夜中に帰るほうが心配じゃないか?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「今ならまだセナのお母さんも起きてる時間だろうし、メッセージ送ってみよう! 善は急げ! 時間は有限だ~! こうしている間にもいくつかの流れ星を見逃している気がしている!」
「わかったってば……でも、ダメだったら家に帰るからねぇ?」
悩みつつ月永家に泊まる旨を母親に連絡すると、意外なことにあっさりと許可が出て面食らってしまった。レオのことは、一応母親も認めているらしい。
「服とかないけど……」
「おれの服着ればいいだろ。一日くらい」
「れおくんの部屋、俺の寝るところなさそうだし」
「ちょっと片づければ大丈夫だって。別におれは一緒に寝てもいいし」
その後、二つ三つぼやいてみたけれど、全部否定されて、いいから隣に寝転んで! と急かされてしまった。砂浜に寝転んだことなんて人生でなかったかもしれない。汚れるのも嫌だし、髪の毛洗うのも大変だし、とブツブツ言いながら仕方なくレオの隣に寝転んで空を見上げた。
「……綺麗……」
「だろ~? 言葉で現わすにが惜しいくらいだな~。この感動は音楽で伝えよう!」
ふんふんとレオが鼻歌を歌いだし、オーケストラを操るように両手の人差し指を躍らせる。
「あっ今流れたかも⁉」
「えっどこ?」
「あっまた!」
「おれも見えた! こんな一瞬で願い事をしようなんて誰が考えたんだ~⁉ 時間が足りん!」
「何をお願いしたかったわけ?」
「え? セナとずっと一緒にいられますように。だろ? あと、セナとずっとアイドルできますように。だろ? あと、セナと……」
「あはは、俺ばっかじゃん」
「くそ~、暗くてセナの笑った顔を見逃した~! セナの笑った顔がもっと見たいです! だろ~?」
「星じゃなくて俺に祈りなよねぇ」
尚もレオに名前を呼ばれて、可笑しくて笑いが止まらなくなった。どうしてこの男はこうも泉に興味を示すのだろうか。望めばいくつもの賞を手にして、学院で才能も認められている人間が祈る内容は、とても些細なことなんだなと思った。
「セナは~? 星に願いごとしないの?」
「俺は自分で叶える主義だからねぇ。星に祈ってる暇があったら自分を磨く時間に充てたほうが堅実的だし」
「セナっぽいな。おれと一緒にアイドルしたい! とかないのか~? ちょっと寂しい」
「願ったって、れおくんがその気にならなきゃ意味がないしねぇ」
「おれはセナが望んでくれればいつでもその気だぞ!」
「ふぅん?」
「あっその返事は信用してないな⁉ 指切りげんまんしてもいいぞ⁉」
「はいはい。あっまた流れた。ここいっぱい見えるんだねぇ。ねぇ、この真上に見えるの、夏の大三角じゃない?」
「どれ?」
「あの、ほら。この前テストに出てたじゃん」
「へぇ~。わはは」
「急にどうしたの?」
「楽しいなぁって。セナは? 楽しくない?」
「ん~? まぁ、楽しい。かなぁ?」
隣でレオが楽しそうにニコニコ笑っているのを見るのは悪くない。流れ星なんて、誘われなかったら見ようともしなかっただろう。いつもなら布団に入っている時間帯にキラキラと瞬く星に照らされて、髪の毛についた砂の粒なんてどうでも良くなってきた。これも大人になったら出来なくなることなのかもしれない。
飽きるまで星を観察したこと。砂だらけでレオの家にこっそり行って、初めて人の家でシャワーを借りたこと。初めて他人の服を借りたこと。初めて他人の布団で眠ったこと。眠ったのは朝方で、起きたら既に洗濯ものが乾いていて丁寧に畳まれていたこと。泉はきっと今日の日を後から振り返って、この星の輝きを大切にしまっておくのだろうなと思った。