犯罪防止キャンペーンは突然に漫画家ココ×刑事イヌピ+刑事ナオトのおはなしです。
「乾さん、応援を待ちましょう。あっ、待って、まっ、乾さん! ちょっ、先走らないでください! ああ、もう! これぜったい始末書ものですよ!」
事件は解決し、人質にも怪我はなかったが、乾が車ごとビルにつっこんだため、ビルの一部が大破した。
橘の予言は正しく、乾と橘はこってりと叱られ、始末書は免れたがペナルティを課せられることになった。始末書を免れたのは人質が乾と橘に感謝したことと、そしてなによりビルの補修費用の全額を九井一が出したからだ。いつになっても世の中はカネで回っている。橘は溜息をついた。
さて乾と橘に課せられたペナルティは中学校に行き「犯罪防止キャンペーン」の講演をすることだ。犯罪防止は警察官として立派な仕事のひとつだが、ギャーギャーと騒がしい中学生を見て悟った。
あ、これ、いやがらせだ。
乾と橘が赴いた中学校は、近隣で治安の悪さで有名だった。体育館のガラス窓はガムテープで補修され、生徒は金髪剃りこみスキンヘッド、並べられた椅子にろくに座れない始末である。いつの時代も不良っているんだな。ちょっと感動した。巨悪の組織だった東京卍會と比べれば、こんな不良、可愛いものである。
乾も同じ気持ちだろう。生徒を見る目は生ぬるかった。さて講演であるが。
「おまえらにオレのコレクションを見せてやろう」
「えっ、警察署で用意したパワーポイントはつかわないんですか」
「誰が使うか、そんな古くくせぇの」
たしかに乾の言うとおりである。
「おまえら、よく覚えておけ、これがヤクの売人の顔だ。最新だから、いまもそこら辺を歩いている奴らだぞ」
「いいいいいいいぬいさん、これ、公開しちゃいけないやつじゃ」
「こいつらだから公開するんだろうが。売人が売り子として目をつけんのは、こいつらみたいなガキだろ」
「それはそうなんですけど」
「こいつの名前は佐藤。渋谷を中心に薬を売っている売人だ。特徴としてはハニートラップを使う。子飼いの女につれていかれると、こいつが待っているっていう寸法だ」
「いいいいぬいさん、どっからそんな情報を手に入れてんですか」
「こっちからハニートラップを仕掛けてやったからだ」
「ええええええええ」
はっと気づけば、橘と乾の遣り取りはマイクからすべて聞こえていたらしい。「犯罪防止キャンペーン」には微塵も興味を持たなかった生徒たちが、熱心にこちらを見ている。もしかしたら佐藤某に会ったことのある生徒がいるのかもしれない。佐藤が扱っている薬は渋谷を中心に広がっており、若年層を中心に深刻な被害をもたらしている。喉から手が出るほど欲しい情報だ。
しかし相手は中学生だ。どんなに真面目な生徒でも警察官に素直に情報を言うような年代ではない。けれどいまのこの興味を引かれている状態であれば、なんとか情報収集できるのではないか。
「乾さん、ハニートラップとはどのようにしたのですか」
「売人なんて脛に傷を持つ連中だが、最初から望んでいる奴っていうのは滅多にいねぇ。その多くは家庭に恵まれていなかったり、友人や恋人に騙されたりしていることが多い。成績に伸び悩んでいる奴も危ない。つまり弱みがあるんだ」
「それはわかります」
乾は橘との距離をぐっと詰めた。愁いを帯びた顔が間近に迫る。
「橘」
「はい」
「オレにはおまえだけだ」
「は、」
「おまえを信じている」
「あの、」
「おまえはやさしいやつだ。オレにはわかる」
「あ、えっ」
「オレのために、やってくれるな?」
「い、いぬいさ、」
「というのがハニートラップの常套文句だ。おまえだけ。信じている。甘い言葉を囁いて、騙す。女や男に急にこんな感じのことを言われたことがある奴は教えてくれ」
「いぬいさぁあああああん!」
橘の身を張った犯罪防止キャンペーンの効果があってか、何人かが情報を提供してくれた。現役の中学生からの情報は警察官にとって喉から手が出るほど貴重だ。麻薬の売人・佐藤某につながっているかはともかく、非行防止の一環につながるのではないか。これから署に戻り、少年課に伝えなければ。橘はきりりと眉をつりあげる。
「ねぇ、イヌピー、さっきのなに? ハニートラップってなに?」
「……状況に応じてってやつだ」
「おまえにはオレだけとか言ったことあるってこと?」
「ココ、なんでおまえが中学校にいるんだ?」
「漫画の取材だよ!」
漫画の取材と言えば何でも通ると思っていないか、この漫画家。
不良と言えど中学生だ。刑事と漫画家の痴話喧嘩に目をきらきらさせている。情報提供者のみこの場に残ってくださいと伝えたが、ほとんど全員が残っている。このあともふたりの痴話喧嘩を聞きたければ麻薬につながる情報を教えてくれと言えば、喜んで教えてくれそうな雰囲気すらある。
「佐藤ってやつ、渋谷のマックで見たことあるかも」
これはもしかしたらもしかするかもしれない。有力な情報には、なにかしらの兆しがある。これは本物なのではないか。
「いぬいさ、……」
橘はふりかえったが、相棒はまだ恋人に詰め寄られていた。
「イヌピー、オレより大事な奴いるのかよ」
「いや、その、ココ」
「いまここでオレのことが好きって言ったら信用してやるぜ」
だめだこいつらなんとかしないと。
しかしチャンスかもしれない。橘は真顔を取り繕いつつ生徒に頷いた。情報提供者の生徒は九井と乾が気になって仕方ない様子で爛々と輝いている。これなら売人のことも薬のこともなんでも話してくれそうだ。
「ココ、それは夜になったらな」
「あ、乾さん。ぜひいま言ってください。どうぞこちらにはかまわず。なにも聞いていませんので」
グッドラックの意味を込めて親指をあげる。オレだってやるときはやる男なんですよ。刑事ですからね。乾の「覚えていろよ」という顔は見ないふりをして、橘は生徒の証言を促した。
「それはどこのマクドナルドでしょうか。店舗名がわからなければ、目印などを教えてください」
佐藤某の連絡先を知っていると言い出す生徒が現れるまで、乾には頑張ってもらわなければ。
「橘、おまえ、たくましくなったな」
「おかげさまで」