類司小説進捗2星の願いは2
類が途中までヒントをくれたから、全力で考えれば解けるはずだ。
「ぐぐぐ…」
脳をフル回転させる司の隣で類は部品を組み立てている。また新しいドローンでも作っているのだろうか。
司の病室には、類が作製したロボットたちがいくつも飾られている。次から次へと新しいロボットを持ってきては勝手に置いていくのだ。
はじめの頃は「類がせっかく作ったのだから、自分で持っていた方がいいだろう」と言っていたのだが、「司くんのために作った子達なのに、司くんの所に置いてもらえないなんて。よよよ……」などというものだから断りきれず、今に至るというわけだ。
なんなら置ききれなくなった分は子供たちに譲っている。おそらく司が何も言わなければ工具もしれっとしまい込むに違いない。
「……ふう」
ようやく最後の問題を解き終え、ワークを閉じる。勉強道具を片づけ終える前に、類が待ちきれないといった様子で声をかけてきた。
「ほら、司くん。今回は外見にもこだわったんだ」
「おお!たしかに顔がつくことで一気に愛着がわくな!」
やはり作っていたのはドローンだったようだ。今まで見せてもらった機能性重視のドローンより色もフォルムもかわいらしくなっている。手に取ってみると思ったより軽い。しっかり飛ばすこともできそうだ。
「コイツもショーで使うのか?」
「うん。今考えてるショーに合わせて作ったんだ。登場人物が宙を舞えたらワクワクするだろう?」
「そうだな。後ろのお客さんにもよく見えるだろうしな」
類のショーで笑顔になる観客が目に浮かぶ。
(オレも類と一緒に観客の反応が見れたらな…)
類はショーで人を笑顔にするのが楽しいという。オレも人を笑顔にできるショーが好きだ。
だから1人でもゲリラパフォーマンスをして道ゆく人々を笑顔にする類のことは尊敬しているし、応援したいと思っている。
そのはずなのに。
(羨ましいとか、思ってはいけない)
「それに機動力もアップさせて、前に作ったドローンより素早く動けるようにしたんだ。ゆくゆくはドローンから紙吹雪だけじゃなくていろいろな小道具も出せるようにしたいんだよねぇ」
「…おい類。わかっているとは思うが病院内でドローンを飛ばすなよ」
「やだなあ司くん。僕がそんなことをするように見えるかい?」
「つい最近廊下で試運転をしてこっぴどく叱られたばかりだろうが!」
司はじとっとした視線を向けるが、類は意にも介さず笑っている。
「そういえば、今週末はミュージカル映画がテレビで放送されるみたいだね」
「ああ、たしか3週連続でミュージカル作品の放送があるんだよな!オレは全部観るつもりだぞ!」
「僕も観るつもりだから、また感想を送るよ」
「わかった。オレも感想を言いたいところだが、消灯時間までだと、放送日には全て送れないかもしれないな……」
「別に次の日になっても気にしないのに」
「せっかくなら終わったときの感動をそのまま伝えたいじゃないか」
「まあその気持ちは分かるけどね」
司くんも大概ショーバカだよねと笑う類を軽くスルーしてスマートフォンの音楽アプリを開く。
確か今週放送される作品の主題歌を入れていたはずだ。
映画に向けて予習するのも悪くない。というより、話していたら聴き直したくなってきた。
「ん?」
音楽を選ぼうとして手が止まる。
プレイリストの1番上に『Untitled』と記された楽曲があった。
こんなタイトルの曲を入れた覚えはない。
しかし、常日頃忘れっぽいと咲希に言われる司だ。何かの拍子にインストールしてそのまま聴いていなかっただけかもしれない。
「類、この曲知ってるか?」
「Untitled…?知らないねぇ。司くんがダウンロードしたものじゃないのかい?」
「いや…それが全く覚えていないんだ」
「うーん……。もしかしたらなんらかの不具合で曲名が消えてしまったのかもしれないね。ジャケット画像も表示されていないし」
「確かにその可能性もあるな」
「何にせよ曲を再生して確かめてみたらいいと思うよ」
「そうだな」
司の指が『Untitled』をタップする。
その瞬間、2人の体は謎の光に包まれた。
眩しさに閉じていた目をそっと開ける。
「は……なんだここ………?」
観覧車やメリーゴーランド、どうぶつのオブジェなど、まるで遊園地のようにカラフルな遊具がいくつもある。
しかし実際の遊園地と違い、メリーゴーランドは宙に浮いており、機関車が走る線路は空高くどこまでも続いている。
(オレ…死んだのか!?それにしては体の感覚がリアルだな……)
「はっ!!類!!!」
現実逃避しかけた思考から、類のことを思い出す。
きょろきょろと辺りを見回すと、類はすぐに見つかった。
しゃがみ込み、地面に向かってぶつぶつ呟いている。
「おい類!大丈夫か!?」
「うーん…アスファルトやコンクリートにペンキで色をつけたように見えるけど、それにしては色の境目がなめらかだな。まるで最初からこの模様だったような……」
「……大丈夫そうだな」
類の目の前にしゃがみ、同じ目線になる。「るいー?」ともう一度呼びかけると、やっと視線が合わさった。
「おっと、すまないね。興味深い場所なものだから、つい」
「それはいつものことだから気にしていないが…。それより体におかしなところはないか?」
「うん。特になにも問題はないよ。それにしても不思議だねぇ。音楽を再生したら全く別の所に移動してしまうなんて」
「全くだ。ただ音楽を再生しただけで………。ん?音楽…?そうだ!音楽を再生してここに来たなら、止めれば病院に戻れるんじゃないか!!?」
幸いにもスマートフォンはズボンのポケットに入ったままだ。
「えー?もう帰ってしまうのかい?せっかく面白い場所に来たんだからもう少し色々見てみたいんだけど…」
「こんな訳のわからん場所に長時間いてたまるか!!ほら、もっと近くに寄れ。離れてたら一緒に戻れるか分からないだろう」
「あーーー!!司くんだーーーー!!!!」
「ぬあーー!!!!!」
突然人間離れした声で名を呼ばれ、心臓が飛び跳ねる。
「こらこら。ミク、司くんを驚かせたらいけないよ」
「あっ!ご、ごめんなさい〜」
「え、ミク……?と、まさか…カイト!?」
水色のツインテールの髪から生えるネコ耳をぺたんと下げ、しょんぼりする少女。そして彼女をたしなめる青年。
どちらも司が知っている姿とは少し違うが、世界的にも有名なバーチャルシンガーの姿をしていた。
「はじめまして、司くん、類くん。僕はカイト、彼女はミクだよ」
胸に手を当て優しく笑うカイトは、まるで生きている人間そのものだ。
「はじめまして。カイトさん達がいるということは、ここは現実世界ではないということかな?」
「なに!?やはりここは天国……?」
「あはは。ここはワンダーランドのセカイ。司くんの想いから生まれたセカイだよ」
「オレの想い……?」
あまりにも現実離れした話に、脳の処理が追いつかない。
「原理はわからないけれど、ここは司くんによって作られた世界で、『Untitled』がここに来る鍵ということだね」
「そういうことになるね」
頭上にはてなマークをいくつも浮かべる司にかわり、類が端的にまとめる。
「『Untitled』を止めたら、元いた場所に戻れるよ」
「そうか!感謝するぞ、カイト」
司は早速『Untitled』を停止させようとポケットからスマートフォンを取り出す。
「えーっ!?司くん、もう帰っちゃうの?」
眉を下げ、瞳をうるうるさせるミクに、幼い頃の妹の面影が重なる。司はミクの頭を撫でると、小さい子供に言い聞かせるように言う。
「また来るから、そんな顔をするな」
「むむ〜。約束だよ?」
「約束だ」
「僕はまだここにいても構わないけどね。興味深いものがたくさんあるし」
「お前は相変わらずマイペースだな……。オレ達が病室にいないことがバレたら心配をかけてしまうかもしれんだろう。今日のところは戻るぞ」
「まったく司くんらしいねぇ。それではカイトさん、ミクくん、僕たちは失礼するよ」
「まったねー!」
「今日は君たちにあえてとっても嬉しかったよ。僕たちはここにいるから、またいつでも遊びに来てほしいな」
「ああ、じゃあな!」
今度こそ『Untitled』の再生を止めると、2人の体は光に包まれた。
目の前から光が消え、司の病室に戻ったことを確認し、ほっと息を吐く。類も司の隣にいる。
「戻ってこれたな」
「不思議な体験だったね。次はもっと準備をしていって、じっくり調べたいものだよ」
「あんまりおかしなことはするんじゃないぞ。……オレ達がセカイにいったことも他の人にバレていないようだな」
個室であることも幸いしたのだろう。特に部屋に変わった様子も、廊下が騒がしいわけでもない。
「5時30分か。あのセカイに行っている間もこちらと同じように時間が流れているみたいだね」
「ふむ。正直あのセカイの仕組みはまったくわからんが、ミクにまた行くと約束してしまったし、近いうちに訪ねるとしよう。類のロボットを持っていったら喜ぶんじゃないか?」
「それはいいね。ミクくんはいいリアクションをしてくれそうだ」
ほんの短時間しか接していないのに、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶミクが容易に想像できる。
「そういえば2人とも、僕が知っている初音ミクやKAITOとは少し外見が違っていたね。まるでショーをする人たちのような服装だった。司くんの想いからできた場所だと言っていたし、なにか関係が……」
「るーい!あれこれ考えるのはいいが、もう5時半だぞ。帰ったほうがいい」
「ええー。子供じゃないんだから、まだ平気だよ」
「お前は15歳の誕生日もまだじゃないか。それに、中学生は十分子供だ!」
「昔は15歳くらいで元服してたんだから、それでいったら僕も大人だよ」
「ええい屁理屈をこねるんじゃない!雨が降っているし暗くなるのも早いんだ。類は綺麗な顔をしているんだから、変な人に狙われたらどうするんだ」
「……はぁ。わかったよ。…司くんってそういうとこあるよね」
「……?別に類が男だということは知っているぞ。今時変質者対策に男も女も関係ないからな!」
類のビニール傘を差し出すと、それ以上は抵抗せずに受け取る。
類が帰り際に駄々をこねるのは毎度のことなので、さっさと廊下に出る。病院の出入り口まで連れて行ってしまえばこっちのものだ。
「ほら、行くぞ」
司が声をかけると、類がてくてくと歩き出した。同じ年で、司よりずっと頭のいい類だが、こういうところは弟のようにも見える。
他愛もない話をしながら病院の正面玄関まで歩き、いつものように類と別れる。
ワンダーランドのセカイ。まだ完全に信用できるわけではないけれど、おとぎ話に出てきそうな出来事に、少しだけワクワクした。
梅雨晴れの日。
司は受付で外に出る旨を伝えて、類と2人で中庭に出ていた。セカイに行くためだ。
司が病室からいなくなったと騒ぎにならないためだが、類は「司くんは真面目すぎる」だの「梅雨の季節に晴れの日まで待ってられない」だの不満たらたらだった。
「よし、ここならいいだろう」
人通りのほとんどない建物の影で、司は『Untitled』を再生した。
ワンダーランドのセカイ。
今日も前回来たときと変わらず、遊園地のようでいて、現実世界ではあり得ないファンタジーな空間が広がっている。
「あ!類くんと司くんだ!今日は2人で来てくれたんだねっ」
2人を見つけたミクが、ツインテールを揺らして駆け寄ってくる。
「やぁミクくん。昨日話したロボットも持ってきたよ!」
「類くんが小学生のときに作ったロボット!?やったー!」
「……ん?昨日って、何の話だ?」
「昨日類くんが来たときにね、今までに作ったロボットのお話をしてくれたんだよ!」
「それでミクくんが見たいって言っていたからね、持ってきたんだ」
類が鞄から取り出したのは、小学生の頃、コンテストで賞をもらったというロボットだ。
「おお、懐かしいな!……ってそんなことより、類がセカイに来たってどういうことだ!?『Untitled』を再生しないとここには来れないんだろ?」
「それが、僕のスマホにも『Untitled』が入っていたのさ」
「へっ?」
(ここはオレの想い?とやらでできたセカイだから、てっきりオレしか出入りできないものだと思っていたが……。
どういう原理なのか、まったくわからん!!
……いや、待てよ。類が来れるということは、オレと親しい人間は自由に来ることができるのか……?)
「ミク!もしかして咲希……妹も、このセカイに呼ぶことができるのか!?」
ここは写真映えすると咲希も喜ぶだろうし、一歌はミクが大好きだと言っていたから、きっと気にいるだろう。
しかし、ミクは申し訳なさそうに眉を八の字にさせる。
「えっとー、咲希ちゃんはここには来れないんだぁ……」
「なっ!!」
司の今年最大のひらめきは、あっけなく否定された。
「じゃ、じゃあ何故類はいいんだ!?基準はなんなんだー!?」
「司くん、落ち着いて」
「はっ!」
深呼吸をして、呼吸を落ち着ける。何回か繰り返すと、冷静さを取り戻せてきた。
あわあわと見守っていたミクが、司が落ち着いたのを確認して口を開く。
「えっとね、今ワンダーランドのセカイに来れるのは、司くんの他は類くんだけなんだ」
「ふむ……。それはなぜなんだ?」
「それはね!類くんが司くんと同じ想いを持ってるからなんだよっ⭐︎」
「…………」
きらりーん⭐︎と効果音が出そうなほど輝く笑顔のミク。立ち尽くす司と類。
「そ、それだけか?」
「あれっ?今のじゃわかんなかった?」
「わかるか!!」
「同じ想い……。ショーが好き、とかかな?」
「確かにそれはオレと類で共通しているな。あっているか?ミク」
「ショーが好きっていうのはあってるんだけど、それだけじゃなくて…………。んー、ミクじゃうまく説明できないよ〜」
一生懸命司たちに伝えようとしてくれているが、いかんせんミクの言葉では要領を得ない。さすがの類も『同じ想い』というキーワードだけではお手上げらしい。
「あっ、そうだ!カイトなら上手に教えられるかも!」
「そういえばここにはカイトもいたな」
「僕もカイトさんには最初のとき以来会ってないね」
「カイトはテントにいるはずだよ!こっち!」
ミクに案内され、ついて行った先には大きなテントがあり、中に入るとたくさんの客席と奥のステージがぼんやり見えた。
テントの中は明かりがついていないのか暗く、それ以外はよく見えない。
(だが、なんだか見たことある気がするのは気のせいだろうか)
「カイトー!司くんと類くんを連れてきたよー!」
ミクの声に、客席の奥からカイトが姿を現す。
「2人とも、また来てくれたんだね。歓迎するよ」
「ああ。会ってそうそうで悪いんだが、このセカイについて教えてくれないか?前回は詳しく聞けなかったしな」
「うん。もちろんだよ。でも、ここではなんだし、外で話そうか」
一度テントを出て、すぐそばにあるベンチに座って話すことにした。
ベンチには犬のぬいぐるみが置いてあり、地面に降ろすのも忍びなかったので、司の膝に抱える。
「それで、セカイについて知りたいんだよね?」
「さっきミクくんが僕と司くんは同じ想いを持っているからセカイに来ることができる。と言っていてね、それについて詳しく教えて欲しいんだ」
「うん。まずこのセカイは司くんの本当の想いからできてるんだ。そして、類くんの心にも想いがあって、それが司くんの想いと同じだから類くんもワンダーランドのセカイに来ることができるんだよ」
「それで、その想いとやらはなんなんだ?ミクはショーが関係してるとか言ってたが……」
「そうだね。でも、本当の想いは司くん思い出してもらわないと意味がないんだ」
「な、なんでだ!?」
「司くん達がこのセカイにくるとき『Untitled』を再生しただろう?司くんが本当の想いを思い出したとき、『Untitled』は完成して、曲ができるんだ」
「へぇ、それは興味深いね。司くん、本当の想いとやらを思い出しておくれよ」
「簡単に言うな!……まてよ、類も同じ想いを持ってるんだから、類が思い出せばいいんじゃないか?」
「えぇ?僕の想いか……。ショーが好き、じゃないならショーをするのが好き、とかかな?」
「類のパフォーマンスは本当に素晴らしいもんな!」
自分のことのように誇らしげに頷く司。だがすぐに「むーん……」と唸ると首を傾げた。
「でもそれは違いそうだな……。オレはショーを見るのは好きだが自分でやろうとは思わないしな」
「え、そうなのかい?」
「先生から運動は止められているし、こんな体じゃステージに立てないしな」
「……」
「しかし類もわからないとなると、さっぱり検討もつかないな」
うんうん悩む司にカイトは優しく微笑む。
「…….そうだね。でも焦らなくても大丈夫だよ。時間はたくさんあるし、僕達はいつでもセカイで待ってるから」
「それもそうか」
考えてもわからないことを延々と考えても仕方ない。司は思考を切り替え、ベンチから立ち上がった。
「せっかくセカイに来たんだ。ここで話してるばかりではもったいないよな」
立ち上がって類を見ると、まだ考え込んでいるようだった。
「るいー、行きたい所があるんじゃないのどか?」
「あ……ああ、そうだね。……フフ、司くんと行きたい場所がたくさんあるんだよねぇ」
不敵に笑う類に嫌な予感がして顔が引き攣る。
「おい、そんなに長居はできないからな?」
「わかっているとも」
4人で連れ立ってセカイを歩く。目的地は着いてのお楽しみらしい。
やがて汽車の近くまで来ると、類とミクが瞳を輝かせて駆け出した。
「わーい、汽車だー!」
「司くん、見てごらんよ、この線路!見た目では強度があるように見えないのに、これだけの大きさがある列車を支えているなんてすごいと思わないかい!?」
「お、おお……」
ピョーンと汽車に飛び乗るミクに、興奮を隠せないといった様子の類。そんな2人をニコニコ見守るカイト。類が暴走したら、止めるのは司しかいないようだ。
あちこち車内を観察する類に続き、司もそろりと足を踏み入れる。
内装もセカイと同じようにカラフルで、向かい合う座席の間隔は広めにとってあり、ソファー部分はふかふかとして乗り心地がよさそうだ。
ただ、窓にガラスがないため、走り出したら風が寒そうだ。
「司くん、こっちだよ」
いつの間に前方にある扉の近くにいた類が手招きする。
扉を開けると大きな窓とハンドルがついていた。どうやらここが運転席らしい。
「今日はこの列車が動くかどうか試したいんだ!」
「面白そうだな!……で、どうやって動かすんだ?」
「それがさっぱりわからないんだよねぇ」
「なに!?」
「電車はレバーでギアを変えるんだけど、この列車はハンドルの形状が違うし、そもそもエンジンをかけるスイッチがないんだよね」
確かにこの汽車についているハンドルは、レバーではなく車と同じように回るタイプだ。回してみても動く様子はない。というか、ハンドル以外に操作するものが何もない。ハンドルを隅々まで観察してみても、ボタンなどは付いていないようだ。まるで子供が乗る車のおもちゃのように、ハンドルだけがポツンと設置されている。
「うーーん……。この汽車は動かないんじゃないのか?」
「ええ、そんなぁ」
大袈裟に嘆き悲しむ類。
「類くん、元気だして〜!きっとこのセカイの曲ができたときに、この汽車も動くようになるよ!」
「曲が……」
ちらりと司を見る類。
「そんな目で見たって本当の想いとやらはわからないぞ」
「はぁ、このセカイは本当に不思議でいっぱいだね。興味が尽きないよ」
しぶしぶ運転席を出た類は、しかし楽しそうな足取りで汽車を降りた。
その後は汽車から近い場所にあるアトラクションや花畑へ、類とミクの手綱を司とカイトでとりながら、時間の許す限り探検しに行った。
「前に来たときも思ったが、このセカイはかなり広いな。オレが入院してる病院の何倍もありそうだ」
「そうだねぇ。僕もまだ全部を回ったわけじゃないけれど、フェニックスワンダーランドよりも広いのは確かだと思うよ」
「フェニランよりもか!?全ての場所を見て回るには、かなり時間がかかりそうだな」
「僕は毎日ここに来れるから、今度司くんに僕特製マップを作ってあげるよ」
「それはありがたいが……学校にはちゃんと行くんだぞ?」
隙あらば学校をサボる類に釘を刺しておく。
「大丈夫だよ。卒業できるように出席日数は計算しているからね」
「なにも大丈夫じゃないが!?」
「ふふふ」
「全く……。オレはもう戻るが、類は残るか?」
「司くんが帰るなら僕も帰るよ」
「そうか。ミク、カイト、今日はありがとうな!楽しかったぞ!」
「うん。気をつけて帰ってね」
「また来てねーっ!」
ポケットからスマホを取り出した司は、『Untitled』を停止させる。司と類の体は光に包まれ、元いた病院の庭に戻ってきた。
「何回体験しても不思議なものだな」
「うんうん。学校からセカイに行けば、授業時間も遠慮なくロボット作りができそうだよね」
「全くお前は……」
「さて、新しいロボットのアイデアが思い浮かんだから、僕は帰るよ。司くん、また明日ね」
「そうか。いつも言っているが、わざわざ毎日来てくれなくてもいいんだぞ?類も忙しいだろう」
「そんな……!司くんは僕に毎日寂しくひとりで過ごせというのかい!?」
よよよ、とわざとらしい泣きまねをする類。
「そうは言ってないだろう。類も学校の友人と出かけてきたらどうだ?ひとつ下の友人がいると言っていたじゃないか」
「うーん、瑞希とはたしかに仲がいいけれど、遊びに行くような仲じゃないんだよねぇ」
「そうなのか……?まぁとにかく、無理して来てくれなくても大丈夫だからな!気をつけて帰れよ」
「……うん。じゃあね」
「ああ!」
ようやく帰った類を見送り、司も自分の病室へ戻る。
(今日は楽しかったな。類とミクに付き合うのは少々骨が折れたが……)
久しぶりに病院以外の場所に行ってはしゃいだからか、心地よい疲労感を感じる。この後は勉強をしようと思っていたが、少し休んでから進めることにしよう。
ベッドに潜り込み、うとうととまどろみに身を任せた。
次の日。
司は大いに焦っていた。学校の担任から出されていた課題をひとつ見落としていたことについ1時間前に気づいたのだ。
夕方に母が学校に届けに行ってくれる予定だから、それまでに終わらせなければならない。
課題は学校に通えていない司のために、担当が普段の課題とは別に用意してくれたもので、無理して出さなくてもいいとは言われているものの、体調が悪いわけでもないのに提出を遅らせるわけにはいかない。司は必死でシャーペンを走らせた。
(あと5ページ……なんとか終わるか?……なっ!最後に長文があるだと!?なぜよりによって英語のワークを忘れていたのだ天馬司!せめて昨日寝る前に提出物の最終確認をしていれば……!)
昨日はあの後、夕食の時間に看護師に起こされるまですっかり寝こけてしまったのだ。
しっかり夕食を食べて、就寝の支度をしたらあっという間に消灯時間になり、ベッドに潜るころにはすっかり勉強のことなど忘れていた。
とはいえ課題は1週間前に全部終わったしな……と提出する課題をまとめていると、とっくに終わっていたと思っていた英語のワークが10ページも残っているのに気づき、思わず叫んでしまった。
それからせっせとワークに向き合っているのだが、いかんせん英語が苦手で思ったように進まない。
「はぁ……」
「おや、なんだか忙しそうだね」
「類!」
類が病院に来たということは、もう放課後になってしまったということだ。あまり時間がない。
「すまん!英語の長文を読むのを手伝ってくれないか?母さんが来る前に終わらせたいんだ!」
「それは構わないのだけど……司くんが慌てて勉強だなんて珍しいね」
「ぐっ!今日提出する課題が残っていたのにさっき気づいたんだ……」
「なるほど。答えを写さないなんて司くんは真面目だなぁ」
類はくすくす笑いながらも司の横に座り、司が読めない文章をすらすらと日本語に訳してくれる。全く憎らしいほどに優秀な脳みそだ。
「司、来たわよ。あら、類くん!こんにちは」
「こんにちは」
「母さん、ちょっと待ってくれ!あとここだけで終わるんだ!」
「はいはい」
司の母は、てきぱきと持ってきた荷物を棚に収納し、すでに終わっている教材を鞄に詰める。
「類くん、いつも司に会いにきてくれてありがとう」
「いえ、僕が好きで来てるだけなので」
「ふふ。司に類くんみたいな仲良しの友達ができて本当に良かったわ」
仲良し、と言われて類はむずがゆくなる。こういう時、どんな顔をすればいいのか、友人というものがほとんどいなかった類は知らなかった。
「ハーッハッハ!ついに終わったぞ!」
問題が解けたときのかっこいいポーズをビシッと決め、問題文の上にのった消しかすを手ではらう。
「では母さん、よろしく頼む!」
「ええ。私は学校に行ったら、今日は家に帰るから。また明日来るわね。必要なものがあったら言ってね」
「あぁ、ありがとう母さん」
病室を出る母を見送り、机の上の筆記用具を片付ける。
「類のおかげでなんとか終わったぞ!お礼にジュースを奢ってやろう!」
「おや、悪いねぇ」
財布を掴み、一階の売店へ向かう。自動販売機は病院の各階にあるが、売店とその側の自動販売機が1番種類が豊富なのだ。
類に炭酸ジュース、司はお気に入りの紅茶を買い、てくてくと階段を登る。
「明日注文したミュージカルのDVDが届く予定なんだ。届いたら一緒に観ようよ」
「いいのか!?」
「もちろん。犬達が主役の物語で、そのタイトルのショーは以前にも観たことがあるんだけど、今回のは僕の好きな演出家が……」
ミュージカルについて楽しそうに話しながら類はどんどん階段を登っていく。今日はやけに司と類の距離が遠かった。いつもは隣り合いながら歩くのに……。
ごとん。
司の手からペットボトルが滑り落ちた。
「司くん?」
「…………」
なんだか呼吸がしづらい。類が心配するから、早くペットボトルを拾って、返事をしなければいけないのに、体が重くてその場から動けない。
「はぁ…はぁ……っ」
「司くん!しっかりして!僕の声聞こえる!?」
なんとか頷く司。類はひとまず足場の悪い階段から踊り場に司を移動させる。しかし近くには人もいなければ呼び出しボタンのようなものもない。
「ちょっと待っててね、人を呼んでくるから!」
ばたばたと慌てて類が走るのを、ぼんやり眺める。
「けほっ」
(DVD、明日観るのは無理かもしれないな……)
ぐったりと壁に体を預け、司は目を閉じた。