類司小説進捗幼い司は、つい先日観たショーを真似して、何度も練習を繰り返していた。
「うーん、こうか?…こう!うん!これが1番かっこいいな!!」
鏡の前で、決めポーズを確認し、満足のいくできばえに、ふふんと得意げな顔をする。
「明日病院に行ったら、咲希に見せてやろう!…あ、剣にもっと飾りをつけたらゴージャスになるな!」
手作りの剣を持って、文房具がおいてある棚の前に行く。折り紙をはさみで切りながら、勇者の剣は宝石がないとな、魔法のペンダントも作らないと!と、あれもこれもとやりたいことが浮かんでくる。
咲希はこの前のショーと同じくらい喜んでくれるだろうか。
司は母に晩御飯よ、と呼ばれるまで夢中で工作を続けた。
果たして彼の初めてのショーは大成功であった。
咲希は大喜びし、父も母も面白かったと拍手をしてくれた。
「ねー、お兄ちゃん。続きは?勇者さんとお姫様はその後どうなったの?」
「続き?」
司としては、勇者が姫を救いだしてハッピーエンドだったのだが、咲希はその後の2人が幸せになったのか気になるのだという。
「じゃあ今度来たときに続きをやるとしよう!今日よりもっと面白いショーにするからな!!」
「ほんと!?またやってくれるの!?」
咲希の目がキラキラと輝く。
咲希の笑顔を見るためなら、司はなんだって頑張れるのだ。
「ああ、約束するぞ!」
それから、勇者と姫の話はもちろん、いくつものショーを司は咲希に見せてきた。
ショーが終わると咲希は笑顔になってくれて、それを見るたびに司は嬉しくてたまらなくなるのだった。
──だが。
「さき…」
目の前には、点滴に繋がれて苦しそうな顔をする妹。
ショーは咲希を笑顔にできるけれど、咲希を苦しめる病気を治せるわけじゃない。
(オレが代われればいいのに…)
咲希じゃなくて司の体が弱ければ、咲希は毎日一歌たちと遊ぶことができるのに。そしたら咲希は今よりもっと笑顔でいられるはずだ。
(オレの代わりに、咲希が元気になれますように…。一生のお願いだから、誰か…!)
日が落ちて、薄暗くなってきた病室で必死に祈る。
ぎゅっと手を組んで、目もつむり一生懸命念じていると、どこからか音が聞こえた気がした。
それでも司は祈るのをやめない。
不意に、意識が深く深く沈んでいく気がした。
目が覚めると、司は病室のベッドに横になっていた。
なんだかいつもより体が重たくて、頭もぼーっとする。
「司、起きたの?」
近くにいたらしい母がそっと司の頭を撫でる。
「もう苦しくない?大丈夫?」
「?…うん……」
なぜそんなことを聞くのか分からなかったが、苦しくはないので頷く。
「そう、良かった。」
安心したように微笑んだ母だが、腕時計を確認すると、悲しそうな顔になる。
「どうしたの…?」
「お母さん、もう帰らなくちゃいけないのよ。いつもひとりにしてごめんね、司…」
どうして司に向かってそんなことを言うのだろう。いつもひとりぼっちで寂しい思いをしているのは咲希の方だ。
「そうだ、咲希は?」
さっきまで咲希の病室にいたはずだ。咲希の体調はもう良くなっただろうか?
「咲希はお父さんと一緒に家にいるわよ」
「ほんとう!?」
家にいるということは、今回の入院は終わったのだろうか。てっきりまた入院が長引くと思っていた司は思わず笑顔になる。
すると母はますます悲しそうな顔をして、ごめんねと呟いた。
「お母さん…?」
「咲希みたいに元気に産んであげられなくてごめんね…」
「え…」
母は今なんと言ったのか。
それではまるで、咲希と司が入れ替わったようではないか。
(もしかして、オレの願いが叶ったから…?)
咲希のベッドの前で、自分が代わりになってやりたいと願ったから、おそらく立場が逆転した。まさか生まれつきの体の弱さまで代わってやれると思わなかった。
(夢みたいだ…)
もしこれが現実なら
これ以上の幸せはない、と司は思った。
「お兄ちゃん、今日はどう?」
咲希が窓際に置いてある花瓶に花を生けながら尋ねる。
「ああ、問題ないぞ」
「むー、ほんとにぃ?」
「本当に大丈夫だって」
「お兄ちゃんの大丈夫は信用できません」
疑り深い妹に司はベッドの上で苦笑する。
たしかに心配かけまいと、家族の前では無理をしてしまうことがない…とは言いきれない。
「今日は桜か?」
「うん、窓からも見えるかもしれないけど、やっぱり近くにあった方がよく見えるでしょ?」
「そうだな…」
もう桜の咲く季節なんだな、と司は改めて思う。去年もほとんど学校には行けなかったな…とも。
「お兄ちゃんも来年は高校生だね。どこの高校にするの?」
「高校かあ」
司は咲希と違って中高一貫の学校ではないため、進学する高校を受験しないといけない。
高校も通えるかわからないし…と考えることすら後回しにしてきたが、そろそろそうも言ってられなくなってきた。
「父さんたちと相談しながら決めるよ」
司としては当たり前の結論を伝えただけなのだが、なぜだか咲希は不満そうな顔をしている。
「もーお兄ちゃん!青春は一度きりなんだよ!?そんな適当に考えてたら青春がもったいないよっ!」
びしっと司の目の前に指を突きつけて咲希は言う。
「う、うん。そうだな」
妹の勢いにおされたままに頷く。こうなった咲希には口答えしないが吉なのだ。
それから咲希による『青春がいかに大切か』説明会が開催され、(あまりに力説するものだから真剣に聞いてしまった)咲希が幼馴染達と組んでいるバンドの話を聞いていると、あっという間に咲希が帰る時間になった。
「アタシ、今日は帰るけど、また金曜日来るから」
「そんなに頻繁に来てくれなくてもいいんだぞ?」
「く、る、か、ら、ね!!」
「…わかったわかった」
名残惜しそうに病院を後にする咲希を笑顔で見送り、司は夜の体調チェックに向けて身支度を整える。
司が咲希の代わりになりたいと願ったあの日から、咲希は本当に元気になり、代わりに司が入退院を繰り返すようになった。
…いや、司以外の認識は司の方が生まれつき体が弱いというものだからこの言い方は正しくないかもしれない。
過去すらも書き換えられたように変わってしまったのだ。
だか司はそれでいいと思っていた。
もしあの日から体調が入れ替わるだけだったら、優しい咲希は自分の病気が移ったと気にするかもしれない。今でさえ自分だけが、と後ろめたさを感じさせているのだから。
入れ替わったばかりの頃は、この体の限界が分からず、つい張りきりすぎて熱を出すことが多かった。
少しずつ慣れてくると、体調を崩すことも減り、小学生の頃は学校にも休みがちとはいえ通えていた。
だが中学に上がったばかりの頃、定期的に受けている健診で引っかかり、しばらくは通院で治療をしていたものの、やはり集中的な治療が必要ということで入院することになったのだ。
より専門の治療ができる遠くの病院に入院する、とまでは悪化していないのが不幸中の幸いだった。
咲希は本当に元気になって、毎日どれだけ遊んでも体調を崩すことはなくなった。
幼馴染4人でバンドを組み、いつも楽しそうに過ごしている。
司が入院している病院にもしょっちゅう見舞いに来てくれる。オレと過ごすより友達と遊んでいた方が楽しいんじゃないかと思うが、それを言うと毎日でも見舞いに来る勢いなので黙っている。
両親も司を気にかけてくれて、毎回欲しいものはないか、して欲しいことはないかと尋ねてくる。
(オレはつくづく恵まれているな)
なかなか家に帰ることはできないが、愛する家族がいて、毎日穏やかに過ぎていく。何も不満はない。
(明日は何をしようか…)
ぼんやりと、窓の外に薄く見える星を眺めた。
天気のいい日、特に用事がなければ運動もかねて病院の中庭を散歩する。
顔見知りの患者とベンチで会話をすることもよくある。病室と違い、季節の移り変わりを五感で感じられるのも気分転換になるのだ。
「…?」
普段はちらほらと皆思い思いの場所で過ごしているのだが、今日はなにやら一箇所に人が集まっている。
司も近づいてみると、どうやら1人の少年がロボットを使って芝居をしているようだった。
人だかりがあったとはいえ、途中からやってきた司でも、少年を見ることはできる。先頭に座っている子供たちの邪魔にならない位置で、司も観ることにした。
『ハカセ、あの花はなんというのデスカ』
「あれは桜というんだよ。ちょうど今の時期に咲くんだ」
『サクラ…綺麗デス』
ロボットと博士は、病院に咲いている桜を眺める。ロボットの表情は変わらないが、本当に桜に感動しているように見える。
(プログラムされた通りに動いているのだろうが…見事だな。まるでロボットに心があるようだ)
ロボットの技術が素晴らしいのはもちろん、違和感を感じさせないよう演じる少年の実力もかなりのものだ。
『ボク、サクラが好きになりまシタ!』
ロボットが両手を広げてぴょんと跳ねる。
地面に着地した瞬間、ぐらり、ロボットのバランスが崩れた。博士が慌てて手を伸ばす。
「ロボットくん!」
がしゃん。
博士の膝ほどまでの高さしかないロボットに博士の手は届かず、ロボットは土の上に倒れてしまう。
「ロボットくん、大丈夫かい?」
博士がそっとロボットを立たせる。ロボットはぎぎ…と音を立てながら少しだけ動いた。さっきまでの滑らかな動きとは比べものにならない。
博士の顔が険しくなる。周りの観客たちも不安そうな顔を浮かべはじめた。
(これはまずいな…)
ロボットが動かなければ、このショーを終わらせることはできない。終わらせられたとしても、今の状態からだといかにも無理矢理終わらせました、と観客にも伝わってしまう。
少年がロボットの全身を目ですばやく確認する。
「はかせー!この前は時計を直してくれてありがとう!」
司は観客の後ろから博士に駆け寄った。
少年は一瞬目を丸くしたが、すぐに司に向かって微笑んだ。
「ああ、君はこの前の…」
「うん!博士が時計を直してくれたおかげで、学校に遅刻することもなくなったんだ!」
「ロボットさんにもお礼を…、あれ?ロボットさん、この前見たときより元気がないね?」
「そうなんだ。どうやらさっき転んでしまったときに怪我をしてまったようでね」
「そうなの!?ロボットさんかわいそう…」
「…そうだ!ロボットさんが元気になれるよう、俺が歌を歌ってあげる!そしたらきっと、痛いのも飛んでいくよ!」
司は桜の木の近くにたたっと近づき、観客にくるっと向き直った。
よく遊ぶ子供たちがきらきらした目で司のことを見つめる。司は少年へちらりと目配せをする。
少年は司の視線に気づき、ひとつ頷いた。どうやら伝わったようだ。
司が観客の視線を少年からそらし、その間に少年がロボットを直す。そもそも少年にロボットを直すことができるかどうかは賭けだが、できなくとも時間を稼げばショーをまとめるために考える時間もできるだろう。
「ーー♪」
司が歌い出したのは有名な桜の歌だった。
咲希のクラスが合唱祭でこの歌を歌うことになり、一緒に練習したのものだ。
春のあたたかな日差しが司に降りそそぐ。
司の歌にまた数人、人が集まってくる。
(楽しいな)
サビに入り、まるで歌詞に合わせたかのように桜の花びらが風に舞う。
「〜♪…ふう」
歌い終わり、少年の方を確認すると、小さくサインを出している。どうやらうまくいったようだ。
「ロボットさん、元気になれるかな?」
「ふふ、君のおかげでもうすっかり元気になったよ」
『ハイ、この通りデス!』
ロボットがポーズを決める。この短時間で直すことができたらしい。
司の出番はここまでだ。
「よかった〜!じゃ、俺は帰るね!」
バイバイ!と手を振り、司はもといた位置に戻ろうとする。
「待って!」
だが、博士に腕を掴まれて、それは阻止された。
「博士、どうしたの?」
「あ、いや…。君の歌、とても素敵だったから、また聞かせて欲しいんだ。よかったら、僕たちと友達になってくれないかい?」
少年が縋るように司を見る。
(この展開は予想外だな…)
『ボクからもお願いしマス!』
「うん!俺でよければよろこんで!!」
司はにっこりと笑い、ぎゅっと博士の手を握った。博士もつられて笑う。
ぽん!
その瞬間、どこからともなく紙吹雪が舞い、明るい音楽が流れてきた。
「!?」
いきなりのことに、びくっと体が固まる。
「こうして博士とロボットには、新しい友人ができたのでした。この後彼らがどんな発明をするのかは、また別の機会に──」
少年がナレーションで締め、お辞儀をする。その間も司の手を握ったままなので、司もぺこりと頭を下げた。
子供たちが音楽と紙吹雪にはしゃぎながら拍手をしてくれる。大人たちもにこにこ笑ってぱちぱちと拍手を送ってくれた。
胸がじんわりと喜びで満たされる。ショーがうまくいって良かった。
喜びに浸る暇もなく、また少年に手を引っ張られた。いつのまにかロボットを脇に抱えた少年に手を引かれるまま、小走りでついていく。が、数十メートルも進む前に、息が苦しくなる。
「ちょっと待っ…けほっ」
司が足を止めると、少年は慌てて振り返り、ざっと顔を青くさせた。
「あっ!ごめん、僕…」
「けほっ、こほっ。……はー、大丈夫だ。すまない」
深呼吸して息を整えると、安心させるように微笑む。
「…いや、本当にごめん。君が病人だなんて、少し考えれば分かったのに……」
司より高い身長の少年が、しゅーんと体を小さくして反省している。芝居をしているときは大人っぽく見えたが、こうして見ると年下のようにも見えた。
「そこまで気にしなくていいぞ。いつものことだからな」
「でも…」
「それよりも、オレに何か用があるのか?」
「ああ、うん。用ってほどのことでもないんだけど…」
どうにも歯切れが悪い少年は、あたりを見回した後、そばのベンチを指さした。
「あそこに座って話さないかい?」
正直、久々に歌って少々疲れていたので、ありがたく腰掛ける。
少年も隣に座るだろうと思ったのだが、「飲み物を買ってくる」と言って、ロボットを司に手渡すと引き止める暇もなく走って行ってしまった。
「…変わったやつだな」
まぁ、時間はいくらでもあるし、悪いやつでもなさそうだ。退屈しのぎにはなるだろうと、受け取ったロボットを眺めながら司はぼんやりと少年を待った。
やがて戻ってきた少年は、ショーの荷物も回収してきたのだろう、ペットボトルとトランクケースを抱えていた。
「お茶でいいかな?」
「ああ。ありがとう。お金、あとで返すな。いくらだった?」
「いや、さっきのお礼として受け取ってほしいな」
「そうか。ならありがたく頂戴する」
ロボットを隣に座らせ、ぱき、とふたを開けて喉を潤す。よく見るお茶だが、冷えていて美味しい。
隣に座った少年もぐびぐびと水を飲んでいた。一気にペットボトルの半分ほどなくなっている。
「僕、神代類っていうんだ。…君は?」
「天馬司だ」
「天馬くん、さっきは本当にありがとう。助かったよ」
「お節介かとは思ったが、役に立てたならよかった」
「いやぁ、本気で焦ってたよ。ああいうとき1人なのが痛いね」
「…神代はいつも1人でショーをしてるのか?」
「うん…。1人で気が向いたときに路上パフォーマンスをしてるんだ」
「そうなのか。仲間を作ろうと思ったことはないのか?1人であれだけできるなら、仲間がいればもっとすごいショーができるんじゃないか?」
「……そうかもしれないね。でも、僕は1人でやるのが好きだし、僕が作ったロボット達があるから仲間はいらないのさ」
類の目が曇るのを司は見逃さなかった。1人でやっているのは事情があるかもしれないのに、軽い気持ちで聞いてしまった。
「このロボット、神代が作ったのか!?」
話題を変えようと、大げさに驚く。
「そうだよ。最後に紙吹雪を降らせたドローンも僕が作ったんだ」
「なに!?よくできたロボットだとは思っていたが、まさか手作りだとは…」
「フフ、褒めてもらえて光栄だよ」
「なぁ、このロボットは他に何かできたりするのか?」
「ひと通りの動作はできるようにしてあるよ。凹凸の多い地面での動きはまだ不安定だけど、コンクリートの上とかならバク宙もできるんだ」
類はロボットを地面に下ろすと、スマートフォンを操作した。
するとロボットはよっこいせ、と立ち上がり側転から前転、バク宙という鮮やかな連続技を決めた。
「なっ!?」
驚く司に気をよくしたのか、ロボットは続けて軽やかにダンスを踊ると優雅にお辞儀をした。司を見上げる顔は、心なしか得意気な気がする。
「どうだったかな?」
「……ごい」
「え?」
「すごいな!これ、全部神代のスマホで操作してるのか?」
「あ、うん。プログラムした動きをアプリで送れるようにしてあるんだ」
「なるほど。だがさっきのショーのときはスマホは持ってなかったよな?」
「あれは一連の動きを記録して、オートで動かしていたんだ。僕の方がロボに合わせればショーはできるからね」
「ほお。本当にロボットと会話しているように見えたがそうだったのか…」
詳しい仕組みは全くわからないが、類が大人顔負けの技術を持っているのはわかる。演技の方もロボに合わせればいいなどと言っていたが、セリフの言い回し、間の取り方も素晴らしかった。
「しかしこのダンスは子供が見たら喜ぶだろうな。見た目も可愛らしい。何体も用意してロボットだけの劇をするのも楽しそうだし、小人と巨人の話もできそうだ…」
「あの…」
「アクションもこなせそうだから、魔王を倒す勇者役でも活躍しそうだな」
「天馬くん?」
目の前にあらわれた類の顔に、想像の世界から引き戻される。
「す、すまん。つい止まらなくなってしまった」
「いや、それは構わないんだけど……君もショーに興味があるのかい?さっきの歌も、即興にしては堂々としてすばらしかったし、アドリブも…」
「はは、買い被りはよしてくれ。たまたまうまくいっただけだ。ミュージカルを見るのは好きだがな」
「…そっか」
会話が途切れ、沈黙が流れる。司はよいせ、とベンチから立ち上がった。
「オレはそろそろ部屋に戻る。お茶、ありがとな」
「…うん、僕の方こそ」
じゃあなと別れを告げ、病院へ歩き出す。今日の散歩はなかなか刺激があって楽しかった。
「あの!」
類に呼び止められて振り返る。
一瞬口ごもった彼は、意を決したように「…また、ここでショーをするから気が向いたらでいいんだけど、観にきてくれないかい?今度は完璧なショーをお見せするよ」と言った。
「いいぞ」
何を言われるかと身構えていたが、そんなことかと拍子抜けする。どうせたいした用事もないのだ。
「神代のショーは面白いからな!」
「そう言ってもらえると張り合いが出るよ。ちなみに来週の同じ時間はあいているかい?」
「来週?検査は入っていなかったような気がするが、咲希が来ると言っていたような…」
スマートフォンは手元にあるが、司はスケジュールは手帳に記入しているためわからない。
「思いだせん!神代がよければライン教えてくれ。あとで連絡する」
「僕はかまわないよ」
類と連絡先を交換し、司は満足気に笑う。
「助かった。またな!」
「またね、天馬くん」
今度こそ類と別れ、病室に戻る。ベッドのそばに置かれた棚から手帳を取り出し、目当てのページを開く。
(来週の土曜…はあいているな。父さんたちが来るのは日曜だったか)
来週は賑やかな週末になりそうだ。
司は口元を緩ませ、類にメッセージを送ろうとカモノハシのアイコンをタップした。
土曜日。
ほとんど花びらが散った桜の木に、冷たい雨が降りそそぐ。あいにくの雨だった。
(今日は止みそうにないな)
数日前から天気予報をチェックし、雨の予報が全く変わらないのは知っていた。それでももしかしたら晴れるかもしれないと淡い期待をよせていた。だが、雨は司の思いとは裏腹に段々と強くなっている。
「はぁ……」
思わずため息がこぼれる。どうやらオレは思っていた以上に類のショーを楽しみにしていたらしい。
(見たかったな……)
類は今何をしているのだろうか。雨だからと家でのんびりしているかもしれないし、どこか屋内のショーができる場所でパフォーマンスをしているかもしれない。
どちらにせよ、病院から出ることができない司には類のショーを見ることはできない。
窓の外を見るのをやめ、ベッドにごろりと横たわる。
「暇だ……」
今日の分の勉強は終わっており、さらに先に進める気にはなれない。本を読みたい気分でもない。
他のことをする気にもなれず、司は病室を出ることにした。
小児科で入院している子供たちと遊ぼうと思ったのだ。
キッズスペースを覗くも、誰もいない。休日は家族が面会に来てくれる子が多いため、ここで遊ぶ子は少ない。
気をとりなおして、顔見知りの子の部屋を何箇所かまわってみたが、家族と過ごしていたり、部屋にいなかったりで全て空振りで終わってしまった。今日はとことんついていない。
諦めて元来た道を戻る。のろのろと時間をかけて部屋の前までくると、そこには予想もしなかった人物が立っていた。
「神代!!?」
「あ、天馬くん」
「なぜお前がここにいる!?」
「なぜって、天馬くんに病院に行くってラインしたんだけど、返事がないから病院の人に部屋を教えてもらったのさ」
「む……」
確かにスマートフォンは部屋に置いたままだ。
「だが別に、ここに来る必要はないだろう?ショッピングモールとかでショーをすればいいんじゃないか?」
「天馬くんは僕が来るのが迷惑だったのかい…?」
「ええい!そうは言っとらんだろう!その捨てられた子犬みたいな顔をやめろ!」
立ち話もなんだと類を部屋に招く。類に来客用の椅子をすすめ、自分はベッドに腰掛けた。
「で、お前は何をするつもりだ?」
先週も持っていたケースからロボットやらボールやらを次々に取り出している類にたずねる。
「フフ、晴れていたら同じ場所でやろうと思っていたんだけどね。さすがに病院内でのゲリラパフォーマンスは禁止だろうから、今日は天馬くんのためだけの特別ショーを開催しようという訳さ」
「お、おぉ……」
たしかに入院している部屋は個室だからここでショーを行うのは問題ない。かもしれないが、個室ゆえにスペースはあまりない。ロボットは小さいとはいえ、壁にぶつかる心配はないのだろうか。
「それでは、イッツ・ショウタイム!」
類がパチンと指を弾き、ショーが始まる。
それきり、司はショーに夢中になった。
最後にロボットが花束を司に向かって掲げ、花束から花びらが吹きだされると、司はパチパチと拍手を送った。
「素晴らしいショーだった!」
「ありがとう。喜んでもらえて嬉しいよ」
「ああ、途中玉乗りを始めたときはひとつでもハラハラしたのに、まさかふたつの玉に乗ったうえ、そこで逆立ちするとは思わなかったぞ」
ロボットは傘回しからはじめ、玉乗り、ジャグリング、パントマイムまでこなし、最後は手品まで披露した。ジャンルもなにもはちゃめちゃなショーだったが、ロボットのコミカルな動きや類の軽快な掛け声が面白くて引き込まれた。
思いつくかぎりの言葉で先程のショーの感想を語る。
類ははじめはニコニコ嬉しそうに聞いていたが、徐々に顔が赤くなり、完全に目を合わなくなってしまった。
「て、天馬くん…。もういいから」
「なぜだ?オレひとりのためだけに見せてくれたショーなのだから、オレが普段の観客全員分の賞賛を贈らなければ!」
「なんだいその理屈は……」
類が赤い顔で睨む。
「なんだ、照れているのか?かわいいやつだな」
「…そういう君も、今日を随分楽しみにしてくれてたみたいだね?」
類の視線の先には、窓にぶら下げられたてるてる坊主。昨日司が作ったものだ。
「そ!それは別に今日のために作ったとかじゃなくて…」
自分でも苦し紛れの言い訳をする。類がにやにや笑っているのが悔しい。
「むぅ~~~」
「あはは、ごめんって。拗ねないでよ」
「オレは拗ねてなんかない!」
それから類はよく病院に遊びに来るようになった。
最初は週に一度ほどだったが、司の両親と鉢合わせたとき、息子に同じ歳の友人ができたことに喜んだ母に「いつでも遊びにきてくれると嬉しいわ」と言われて以来3日とあけずに訪ねてくるようになった。なんなら毎日のように来る。
暇なのか?というか、学校があるだろう。
司も学校には行けていないから強くは言えないのだが。
咲希ともいつのまにか仲良くなっており、時々2人でこそこそ楽しそうに話している。咲希によからぬことを吹き込まなければいいが……。
類がカチャカチャと機械をいじる音と、雨音が部屋に響く。
司は数学の課題を前にうんうん唸っている。しばらくすると諦めたようにシャープペンシルを置き、類の名前を呼んだ。
「この問題、答えを見てもどうしてこうなるのか全くわからん……」
「ん、これは応用がきいてるからわかりにくいけど、この公式を使えば解けるはずだよ」
ちょっと工夫が必要だけど、と呟き司のワークにすらすらと書き込む。
「どう?できそう?」
「うーん……わかったようなわからないような……。もう一度考えてみる」
類に礼を言い、もう一度問題に向き合う。