神様と愚か者僕が初めて神様を憎いと思ったのは、あの日。
飲酒運転に巻き込まれ死亡――。
入試問題が掲載された新聞を家から持参して、何の気なしにページをめくっていたら見覚えのある名前を見つけて手を止めた。
いつも僕を2位に抑えていたライバルの名前。何度も見てきた名前の上には、初めて見る白黒の顔写真。
あいつこんな顔してたんだ、なんて感慨にふけるより先に、掌に嫌な汗が噴き出す。
太字で書かれた見出し。事故現場の写真。飲酒運転。受験会場。死亡。目に飛び込んできた情報を一つ一つ理解していくのに、どれだけ時間がかかっただろう。
同姓同名の他人という可能性は、記事を読み進めていくうちに消えた。N高の生徒。全国模試1位。向かうはずだった受験会場は、僕が試験を受けた会場。
血の気が引いて、気づけば首の後ろにも嫌な汗をかいていた。
不戦勝。そしてもう二度と、再試合はない。
塾の講師から聞いた速報結果が1位だったのは、こういうことだったのか。これが望んでいた結果の真相だと理解して、これが本当に現実だなんて理解できなくて、呆然と新聞記事を見つめ続けていた。
「上杉くんは、とても優秀で心優しい子だったそうです」
家に帰るとテレビからそんな声が聞こえてきて、思わず振り向けば、新聞で見たのと同じ上杉の写真を背景に背広姿の大人たちが言葉を交わしていた。
「いい人ほど先に逝く」
「神様にも好かれてしまうから」
重苦しい声で語られた馬鹿げた台詞にゾッとした。
神様に好かれたから?
そんなこと、ありえない。
上杉が死んだのは、上杉のせいじゃないだろ。
選んだ道が、通りがかった車が、乗っていた運転手が、道路の状況が……いろんなことが、たまたま悪かったから。だから、たまたま上杉だっただけ。くじびきでハズレを引いたみたいに、運が悪かっただけ。
神様に好かれたせいだなんて、まるで上杉が優れていたからこそ選ばれたみたいな言葉に凍りつくような恐ろしさがこみ上げて、すぐに怒りに変わった。
人を選んで殺す神様なら、居ない方がいい。
神様こそ死ねばいい。
一気に血が昇った頭で、生まれて初めて誰かに対して「死ね」と思った。
=== === ===
四方から一斉に重たい金属音が響いて、ガラス部屋のカギが開く。
硬質な金属音の余韻が耳から抜けないうちに、勝者の二人が立ち上がってガラス部屋を出て行く。
僕も立ち上がろうとして、思ったように足に力が入らないことに気がついた。
ペナルティで酸素濃度が極限まで薄まっていた影響か。あるいは、死を覚悟するところまで追いつめられた緊張のせいか。
ふらつかないように、テーブルに手をついて席を立つ。
無意識のうちに隣の部屋を見れば、目眩で揺れる視界の中で、ガッちゃんと目があった。
無言のまま、ほんの僅かな時間のなかで、互いに視線で探りあう。
二人してまた同じことを考えていた。
低酸素の影響が体に現れていないか。視線だけで互いの身を案じていた。
『あなた達は、互いに互いを守っている』
今はこんなにもハッキリと感じることが、どうして指摘されるまで分からずに居たのだろう。自分に呆れる。
僕はガッちゃんを大事にしたくて、そして、ガッちゃんも僕を大事にしたくて。
ずっとそばに居て、ガッちゃんの優しさを誰より分かっていたはずなのに。
全てが無価値だと虚勢を張って、目の前にある価値あるものをちゃんと見ようとしなかった。
ずっとこうして、視線で、態度で、言葉の奥で、お互いに心配しあっていたのに。
怖かった。
ガッちゃんの命を自称神の手に握られて、やっぱり神様なんてロクでもない存在だと思った。
だけど、目の前の男は結局僕達を殺すことなく、生きろと言い放った。それが僕たちへの恩赦だと。
神様に選ばれることを恐れた僕が、神様に選ばれる形で親友と自身の命を救われた。
神様なんて居ない方がいい。死ねばいい。そう思っていたのに。
あの日こみあげた怒りが消えるわけじゃないけれど、今日、こんな汚い欲望まみれの賭場に現れた神を名乗る男には、確かに救われた。
狭くて息苦しい部屋から、悪趣味な観客たちの声が響く舞台に出ると、強ばっていた体がじわじわと活力を取り戻す。ようやくまともな酸素を受け取った頭が、隣に立つ友の無事を十全に確認するために急いで鈍っていた感覚を正常な状態へと戻していく。
ガッちゃんがいつもより眩しく見えるのは、酸欠の影響なのか、長年自分勝手に積み重ねてきた心苦しさから解放されたからなのか。
「ガッちゃんは、神様のこと好き?」
会った頃から変わらない、不機嫌そうな横顔がこちらを振り向いて、鋭い目つきが和らぐ。この瞬間が好きだ。これからもずっと、この距離で、何気ない瞬間に垣間見える優しさを何度でも感じたいと、強く思った。
「オレにとっては、お客様が神様だからな。……まぁ、嫌いじゃねーよ」
自称神とお医者様を見送ったあとで、僕たちも会場を後にする。
返ってきた言葉になるほどと頷いて、命よりも大切だと気づかされた人に歩み寄る。
「じゃあ、僕も。それで」
「何がだよ」
「神様のこと」
こんな風に。
少しずつお互いのズレを理解して、今まで気づけずにいたことを確かめて、言葉にして確かめていこう。
さっきまでは随分必死に真面目な話をして、少し疲れたから。今はくだらない話をしたっていいだろう。
「まぁ、嫌いじゃないかも」
少しでもガッちゃんと同じに気持ちになりたくて、言葉にする。
憎んでいた神様が消えるわけじゃないけれど。でもガッちゃんが嫌いじゃないと言うなら、僕もそう思いたかった。
子供じみた言葉をなぞるだけの模倣に、ガッちゃんが笑う。もっと笑ってほしい。幸せでいてほしい。僕がガッちゃんにしてほしいこと、僕がガッちゃんに出来ること、今まで出来なかったことが、まだたくさんあるはすだ。まだこれから、僕たちはもっと幸せになれる。
笑い返すと、少し気恥ずかしくなって、目頭が少し熱くなった。