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    bintatyan

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    両思いになるけどお付き合い開始はまだできない滝安です

    #滝安

    ボーダーライン「滝川さんって、僕のことどう思ってるんですか」
    心のなかで何度も何度も問いかけていた言葉が、ついに口からこぼれてしまった。


    山奥の古い民家の住人からの依頼によって行われた調査も無事終わり、あとは帰るだけというタイミングで折り悪く土砂崩れが起きた。ここ数日は土砂降りが続き、気をつけないと、と皆で話していたところだった。巻き込まれずに済んだのは幸いで、小規模なものだが道路が塞がってしまいすぐには帰れなくなった。
    発覚してすぐに通報したものの、二次災害の恐れもあることから一両日中に片付くというものでもない、というので調査メンバーは滞在の予定を延ばさざるを得なかった。それぞれに帰宅したい意思はあれど、物理的に不可能なのであればどうにもならない。
    依頼人は至極穏やかで善良な家族で、むしろ申し訳ないと頭を下げながら快く部屋を提供してくれたのが救いだった。
    「今日は晴れてますけど……まだ道路は無理でしょうね」
    滝川、安原、ジョンの3人に貸し与えられた和室で、テーブルの角を挟んで座り、滝川と安原は外を眺めながらのんびりと話して時間を潰していた。麻衣とジョンはこの家の子供たちに懐かれて遊び相手として駆け回り、真砂子と綾子は家の近くの神社の手入れの助言や来歴について大人たちの相談に乗っている。ナルとリンは、もちろん採れたデータを今できるぶんだけでもと解析しているようだ。
    だから今のこの状況は、安原にとって願ったりかなったりだった。片思いをしている相手と2人きりで人目すらなく、ただのんびりと過ごせる機会など多くない。
    「明日か明後日辺りにはどうにかなるかねえ。ま、こうやってゆっくりしてんのもたまにはいいけどな」
    「なんだか能登の時を思い出しません?あっちは海で、今度は山ですけど」
    「確かに。あんときは怪我してて休暇っていうか休養だったし、今回のほうが体はラクだな」
    滝川は笑って、安原の肋を手の甲でとん、と叩いた。いや、撫でたのかもしれない。その中間くらいの、親しみのある接触だった。
    こういうコミュニケーションが増えた。安原は内心の動揺を隠し、何でもない顔をして「あのときはみんなボロボロでしたね」と返す。
    元々、気安い相手に対する距離は近い男だということは知っていた。もちろん相手を選んのことで、オフィスのメンバーでいえば麻衣と安原に対してであることが圧倒的に多い。肩を組んだり、頭をわしわしと撫でたり、ふざけた調子で抱き寄せてみたりもする。
    しかしこのところ、頻度も接触面積も増えているような気がするのだ。
    「あれから、傷んだりはしないか?」
    今度は指の背で、服の上から肋を撫でるように動かす。
    「……特には。ほら、若いので治りも早いんですよ。滝川さんはどうですか?結講縫ったんでしょう」
    「痛くはねーけど跡はちょっと残ってるかな」
    首を傾げて、安原に触れていた手を引っ込める。無意識に緊張していた体から力が抜けた。
    「この前、本業のほうが修羅場で仕事明けに銭湯行ったんだけどさ。そん時一緒に行ったやつに、お前それ何?って背中を指差されて、何かと思って鏡に背中向けて、こう……首捻って確認したら、お湯浸かって温まったからか結構くっきり傷跡が見えてビックリした」
    「普段、背中なんか見ようとしませんもんね」
    「そうそう。家帰って改めて確認したら、そこまで目立つってほどでもない感じだったけど。今更だけど、お前、よく平気な顔して手当てしたよなあ」
    「それを言ったら、滝川さんがあんな怪我したあともあれだけ動き回ってたってほうがびっくりです」
    「骨さえいってなきゃ忙しく動いてる間は案外ヘーキなもんだよ。アドレナリン出てるからかな」
    そんなに怪我が多いんですか、と聞こうとしてやめた。どこまで踏み込んで良いものか、難しい相手なのだ。聞けば案外色んなことを教えてくれるので、ついもっともっとと欲張りたくなる。けれど調子に乗って引き際を見誤ると、傷付けたり、あるいは拒否されて自分が傷付くかもしれない。
    継ぐ言葉に悩むうちに微妙な沈黙ができてしまった。なにか言わないと、と考えているうちに滝川が口を開く。
    「見るか?」
    「えっ?」
    「能登の時の傷。なーんか考え込んでるっぽかったから、気になるのかと。違うならいいけど」
    「え、っと……はい、見たいです」
    うん、と頷いて滝川は座ったままでくるりと体の向きを変え、安原に背中を向けてシャツをまくり上げた。背中と一口に言っても怪我は肩甲骨のあたりで、大きくたくし上げないと見えない。晒される素肌に内心ドキリとしたが、傷跡が目に入ると自然と真面目な気持ちになった。あれほどの血や傷を目にすることなどそうそうない。緑陵高校でも、安原が所長になりすまして調査に赴いた洋館でも、色々見たとはいえ実際に傷口の応急処置をしたのは初めてだった。
    「……結構、わかりますね」
    「そうか?よく見ればって程度だと思ったけど」
    「鏡越しに見るんだとちょっと違うのでは」
    傷とその周りの皮膚とでは色が少し違うし、質感も異なっている。少し肌が引っ張られたようになっている傷跡。
    ――触ってみたい。
    ほとんど無意識に手を伸ばした瞬間に、外から子供たちの大きな笑い声が聞こえて我に返る。麻衣とジョンが、子供たちと追いかけっこをしているようだ。
    「……すみません、風邪引いちゃいますね。ありがとうございました」
    素肌に触れないようにそっとまくり上げてくれているシャツの裾を引っ張る。好きな相手の肌なんか、目に毒だ。
    「触ってもよかったのに」
    「えっ」
    「映ってた」
    滝川が指さす先には、シンプルな姿見が置かれている。すべてそこに映っていたのだ――そんなことは分かっていたはずなのに、すっかり頭から抜け落ちていた。
    「すみません」
    「だから、いいって。触んないの?」
    「……」
    傷に対する感傷が、好きな人の背中に触れるチャンスだという感情に塗り替えられてしまって、すぐには言葉が出なかった。
    これを逃したら一生、ないかもしれない。彼が傷を負うようなことがあればもちろん手当てすることはあるだろう。けれど、そういう緊迫した必然性のない、触れてみたいという動機での接触など、そうそうできるものではない。
    そう思うと、欲が出た。
    「……じゃあ、少しだけ」
    「うん」
    傷の端に、恐る恐る指先を置く。
    引き攣れて少しの凹凸がある。ゆっくりと人さし指の腹で傷をなぞり皮膚の感触に集中していると、滝川が低く笑った。
    「あ、くすぐったかったですか?」
    「いやあ、案外触り方がやらしかったから」
    そう言われて、安原はぱっと滝川の背中から指を離した。
    肩越しに振り向いた滝川の目は、笑っている。
    「……そういうの、女性には言わないほうがいいですよ。セクハラなので」
    「ばか、男に言ってもセクハラだ」
    「そりゃそうですが、っていうかわかってるなら言わないでください」
    「俺だって、他のやつには言わないけどさ」
    どういう意味だ、と眉をしかめると、滝川はそれ以上は言わずにシャツを下ろした。広い背中が隠れる。
    『お前なら冗談だってわかるだろ』とか、『本気にしたりしないだろう相手だから』とか、そういうことなのか、と考えて、安原は腹のあたりに重いモヤのようなものが渦巻くのを感じた。
    そもそも、そういう冗談を普段口にするのは安原の方だ。好きだとか恋だとか、冗談として滝川に何度も言った。だから滝川だって安原はそういう冗談を言える相手だと判断したのだし、自分は言ってもよくて相手には言われたくない、などとというのはとんだ横暴である。
    けれども以前はもっと、滝川は安原の冗談を受け流し、スルーして、まともに取り合わなかったはずだった。はいはいまた言ってるよ、という態度で、何を馬鹿なと笑った。それだから冗談で済んでいたのだ。
    少しずつ、少しずつ。滝川は安原に対する態度を変えている。触れる頻度。触れる場所。ふとした瞬間の体の距離。言葉の一つ一つだってそうだ。
    「……滝川さんって、僕のこと、どう思ってるんですか」
    「どうって」
    滝川は今度は体ごと振り向いて、首を傾げる。
    困ったように笑うその表情に、何を聞かれているかわかってるのだと直感的に察した。
    理解しているのにはぐらかそうとして、言葉を探している。
    それが無性に悔しい。
    「僕は、ずっと」
    「安原」
    言ってしまえ、と安原が口を開いた瞬間に、滝川が安原の頭を撫でた。
    ――子供にするような手つきで、むずがる子供をなだめるような声で。
    瞬間、重く渦巻いていた腹の中の何かに火がついて、爆ぜた。
    頭を撫でる手を振り払う。
    「なんで、気を持たせるようなことするんですか?答える気もないくせにからかって……!」
    かっと瞼が熱くなった。決して泣きたいわけではなかったのに、抑えきれずに涙があふれる。これではまるきり子供だ。思い通りにならない相手に腹を立てて泣いて責める、そんな振る舞いをする年下の男のことなど、滝川が子供扱いするのは当然ではないか。そう思うのに、どうしても止まらなかった。
    逃げ出したい。けれどこんな顔を誰かに見られるわけにはいかない。動けなくなって安原は、せめて情けない泣き顔を見られたくなくて背中を丸めて俯いた。
    「……ごめんなさい、少し、一人にして……そしたらいつも通りに振る舞うから、……忘れてください」
    安原は、それで滝川が出ていってくれるものと思っていた。次に顔を合わせたら、きっと滝川はもうあんな思わせぶりで期待を持たせるような振る舞いはせず、出会ったころのような関係に戻るはずだ。今日のことを引きずっていつまでもギクシャクとした態度をするような幼さとは彼は無縁だと、安原は知っている。
    だというのに、いつまでも滝川は黙ってそこにいた。身動ぎ一つせず、じっと息を殺すようにして。
    「……出てく気ないなら、なんとか言ったらどうなんです……でも、勘違いさせてごめんとか、そういう面白味のない通り一遍なセリフはいらないですから、わざわざ言わなくていいです。追い打ちかけなくたって僕は……」
    つい責めるようなことを口走ったその瞬間に、天地がひっくり返る。
    視界が暗くなって、唇がなにかぬるりとしたものに割り開かれた。わけがわからず後退ろうにも、背中には畳の感触がする。押し倒されたのだ。そして、目の前には滝川法生の顔がある。
    「んむ、ぅ、ふ……っ」
    涙を拭うように頬を強く指で擦られ、そのまま指先は髪を分けて安原の頭を掴む。息が続かず酸素を求めて口を開けばその分深く貪られて呼吸まで奪われ、悲しみや怒りとは違う生理的な涙が流れた。
    鼻で呼吸すれば良いのだと安原が気付いたのは、しばらく好き放題に荒らされて、滝川の唇が離れていってからだった。
    しばらく荒く呼吸をする安原を、マウントポジションをとったまま滝川は至近距離で見つめている。その目は、安原が見たことないほど熱っぽくギラギラと光っていた。
    「な、……なんで」
    その熱が恐ろしくなって身を捩って逃れようとしても、体重をかけて抑え込まれる。安原はもう、身動きが取れないまま滝川を見つめるしかない。
    「……惚れてるからだよ」
    「は?」
    「俺が、お前に、惚れてるからだってんだよ!……くそ、気を持たせるようなって、そりゃあるんだよ気が。あるから俺は……あーもう、我慢してたのに台無しだ、このクソガキ」
    口は悪いが、声はどこまでも優しかった。意識して、努めてそうしてくれているのかもしれない。目はまだ爛々としている。
    「……あの、惚れてる?僕に……?」
    「そう言ってる」
    「し、信じられないですよ。だってそれならそう言えばよかったでしょう、なんですか我慢って」
    「俺はガキとは付き合わないの」
    「ガキって」
    もう19だ。確かに滝川よりいくつも年下だけれど。
    「……お前がハタチになったら、ちゃんと口説こうと」
    はああ、と大きく深いため息をついて、滝川は体を起こした。腕を引かれて、安原も起き上がる。
    安原は、もう滝川に流されるままで全く状況についていけていなかった。押し倒されてキスされたような気がする。それも濃厚に、口の中をめちゃくちゃにされた。
    実は安原はこれがファーストキスだったのだが、それどころの事態ではなかった。
    両思いだった、などとそう簡単に信じられるわけがない。
    「……成人年齢、今18ですけど?」
    不審を隠さずじとりと安原が睨むと、滝川は苦笑し、安原の手を握った。反射的に、今は手汗をかいているから嫌だと思ったが、せっかく繋がれた手を離してくれとは言えなかった。
    「お前、逆の立場で考えてみろよ。こーいう関係で、18とか19とかのやつに本当に手ぇ出せる?」
    出せる人間には特に何の躊躇いもなく出せるだろう。安原がどうか、は難しいところだけれど。
    「滝川さんの言う『こういう関係』って?」
    「あー……最初に会ったときはお前、17?だよな、早生まれだし。それだけじゃなくて人生の中でもかなり大変な時期だったというか。受験と例の件が重なって、責任のある立場にいるのに生徒と教師は対立してるから大人にも頼れない。そんなもん、事態を解決しに来た人間に……そん中でも一応大人の側のやつには特にさあ、多少なりとも好感を持って当たり前じゃねーの」
    確かに、そういう面はあった。責任者である所長はどれほど頭がキレるにしても明らかに自分とほとんど変わらないであろう年齢で、その補佐をしている男は大人だが親しく話す機会はなかった。女性陣の霊視や推理は曖昧で本人たちも己の言葉に自信がないという。見るからに本場の人、といった外見のエクソシストは穏やかな物腰だが妙な訛りの日本語で、更に彼の年齢を知らなかったために同じくらいの年だと思い込んでいた。
    その中で、おそらく安原が一番言葉を交わしたのは滝川だ。嫌だ帰ると口では言っていても冗談であることはわかったし、そうとわかるように振る舞っている、ということまでがすぐに伝わった。あの時点での安原にとって、身近な大人の中で一番気安く頼りにできたのは滝川だっただろう。実際の行動には出なかったが、もしも安原があのときにもっと精神的に追い詰められて苦しんでいたとしたら、相談し弱音を吐く相手には滝川を選んだはずだ。
    「だから、えーっと……なんだっけ、言葉をど忘れした。毛繕いって意味の……」
    「グルーミング?」
    「そうそれ、グルーミング。……に、なったらまずいなーって……いうのが頭によぎるくらいにはそういう目でお前を見てたってハナシなんだけど」
    がっくりとうなだれる滝川に、安原は首を傾げる。
    「グルーミングは16歳未満に対して性的な目的で優しく接して手懐ける行為のことをいうはずなので、もしも出会った当初の僕に対して滝川さんが意識的にしていたとしても当てはまらないのでは」
    そもそも、オンラインゲームやSNSで大人が子供に対してわいせつな写真を要求したり、逆に送りつけたり、会おうとしたりすることが問題視されて刑法が成立したのがグルーミング罪ではなかったか、と安原は訝る。同年代での恋愛が処罰の要件に当てはまらないように、5歳以上の年齢差のある相手、という規定なので年齢差についてだけは確かに該当するのだが。
    「あとはその、性交同意年齢も16ですよ」
    「いやそりゃ、罪に問われるかどうかってことなら違うかもしれないけど、俺が言ってるのはそういうことじゃない。わかるだろ」
    「……わかります、けど」
    信頼される大人という立場を利用するような形で歳の離れた相手を籠絡するのは本意ではない、犯罪でなくとも彼の倫理観としてしたくない、ということなのだ。
    「僕が滝川さんのことを好きなのを、……そういう、所謂吊り橋効果とか……困ったときに頼れる大人だったっていう環境の結果だって、思いますか?」
    安原にとっては至って自然に、当たり前に始まった恋だった。けれど滝川から見たらそうではないのか。
    「わかんないから困ってて、それでも感情の始まり方自体はどうでもいいって割り切るために待ってたんだよ。酒と煙草もオッケーになる、最後のボーダーラインっていうか」
    「……待ってたと言うわりには、ちょっと……色々」
    これは気の所為ではありえない、と安原が確信を持って腹を立てる程度には明確に接触の仕方が変化していた。それを指摘すると、滝川は情けなく眉を下げる。
    「それはそうなんだけど、つーかこれこそグルーミングじゃねえのって話なんだけど、二十歳になるまでにお前に余所見されたくなくて……」
    「余所見って」
    「別にお前がどうこうってんじゃなくて、人間の気持ちってのは変わるもんでしょーが。そうじゃなきゃ生きてけないし。だろ?」
    「……はい」
    一人の人しか好きになれず、例え失恋しても一生心変わりできないのならばあまりにも苦しすぎる。恋愛に限らず、人は人を忘れ、新たに愛する人を作ることができるのだ。
    「しかもお前は今、行ける場所やれることがこれまでよりぐっと広がる年齢なわけで。俺が指くわえて無様に待ってる間に良い感じのやつが他に出てきたりするかもしんないわけじゃん。それをお行儀よく眺めてられるほど俺は物わかりよくないし、大人しくもない」
    「そのせいで僕は本当に悩んだんですけど」
    「ごめん」
    繋いだ手に、力が籠もる。
    その手を握り返しても良いことが嬉しい。
    「いろいろ滝川さんのこと考えてたことを僕は知っちゃいましたけど、それでもまだ二十歳まで待ちたいですか」
    「……待ちたいよ。おんなじくらい、もーいいだろって気持ちもあるけど」
    「じゃあ、あの、お付き合いというんではなくて、……両思い?なんか小学生みたいですけど」
    いや、今時の小学生ならもっと進んでいるだろうか。
    「両思いか。はは、そりゃいいな。うん、それだ。お前の誕生日までキスもセックスもなし」
    「え、キスも?さっきしたのに」
    「いや、うん、はい。しちゃったけど。……それがあたりまえになったらマズイだろ」
    「なにがです?」
    「俺の理性」
    「……」
    「逃げんなよ少年。今のこの状況はお前のせいだぞ」
    思わず腰が引けたのを見咎めた滝川に釘を差されて、体を戻す。嫌なわけではない。けれど急展開すぎて頭も身体も置いてけぼりなのだ。怖気づいている、というのが近い。あのギラギラと光る瞳、あんなふうに人に見つめられたのは初めてだった。自分に、明確に欲望を向けてくるどろりとした視線。
    「……でも、それであなたに余所見されたら僕が困る」
    「俺を何だと思ってんだ、多少の禁欲生活したからって別な相手作ったりしねーわ」
    「人の気持ちは変わるものなんでしょう。付き合ってる相手がいたって目移りも心変わりもすることはあるのに」
    大きな、筋張った手を強く握る。まだ、滝川が自分を恋愛対象として見ていることすら安原には信じがたい。
    このままだと、今日のことを夢だと思いそうだ。
    「……キスだけ。たまにでいいから、したいです」
    「ビビってたくせに」
    「そりゃ、いきなりあんなふうにされたら……言っておきますけど、不同意わいせつについては同意のないキスだけでも該当する場合が有りますからね」
    グルーミングや年齢差を気にしておきながら、強引な性的接触については気にしないなんていうのはおかしな話だ。
    「ごめん。それは反省してる、本当に」
    「それに僕、ファーストキスだったし」
    「えっ」
    明らかに焦って目が泳ぐ滝川に、ここがチャンスだと身を乗り出す。
    「ね、責任取る必要を感じませんか?いきなり舌入れて人の口をぐっちゃぐちゃにしておいて、今度は何ヶ月も放置って、極端すぎますよね」
    「うっ……それは、確かにそうだけど」
    少し緩んだ手を、ぎゅっと握ってゆらゆらと振ってやる。ニッコリ笑えば、滝川の顔が引きつった。
    「あーあ、怖かったな、傷ついたなー。たまにでいいから大人の余裕のある優しいキスをしてほしいなあ。そうしたら僕の繊細な心も癒やされる気がする。ね、大人なんでしょ?滝川さん」
    「少年、お前なあ」
    「もしくは、今日だけで僕の誕生日までの分を前払いしてくれてもいいですけど」
    「安原」
    「……はい」
    窘めるような響きで呼ばれて、さすがに黙る。調子に乗りすぎたかと身を縮めると、繋いでいた手が解かれてさらに心細くなった。
    けれど、滝川の手はそのまま安原の頬を包む。
    「さっきの、やり直そう。ごめん。……お前が好きだよ」
    「僕も、滝川さんのことが好きです」
    「うん。キスしても良い?」
    頷いて目を瞑ると、ゆっくりと唇が重なる。ほんの少し触れて離れ、角度を変えてもう一度押し当てられる。今度は少し長く、唇の表面がゆっくりと擦り合わされて、体が震えた。
    「嫌?」
    「ちが、……き、気持ちいい、です」
    「じゃ、もっかい」
    「ん……」
    こんなキスを、この人は何度、どんな人としてきたのだろう。頭に過った暗い思いも、唇が触れれば考えている余裕はなくなった。
    触れるだけのキスなのに、優しく、長い。離れても、脳の芯が痺れたようにぼんやりとしている。
    「……誕生日まで、こういうキスだけ。たまーにな。あとは健全なデート。いい?」
    「はい……」
    抱き寄せられて、どの程度体重をかけて良いものか迷いながらそっと体を預ける。躊躇いながらも安原が滝川の背中に腕を回すと、体の厚みの差が歴然としていた。体格に個人差があるのは当然だが、確かにまだ自分は子供なのかもしれないと思わざるを得なかった。誕生日までにこの差が埋まるとも思えないが、それまでの我慢を自分に納得させるだけの材料にはなる。
    「あの……背中以外にも、残ってる傷ってあるんですか」
    聞いて良いものか迷ってついさっきは飲み込んだ言葉を、あたかも今思い浮かんだ疑問かのように尋ねる。それを受けて、滝川は特に気にしたふうもなく肯定した。
    「ん?まあ、いくつか」
    「それも、僕が二十歳になったら見せてください。……それで、なるべく増えないでほしいけど、増えたらそのたびに教えてほしいです」
    「なんだ、お前そんなの見たいの。傷なんて、いいもんじゃないだろ。ま、見たいってんなら俺は構わないけど」
    先ほど触ったのが最後にはならないのだ。またあの傷をなぞる日が来る。他の、安原の知らないところでついた傷も、これからつくかもしれない傷も。
    他の人には見せないでほしい、と切実に思った。けれど、人前で着替えたり、それこそ銭湯や温泉、レジャー施設などで誰かに見られる可能性はもちろんあるだろう。けれど、その全てを知っているのは、自分だけがいい。
    安原が瞬く間に強欲になった自分を笑うと、つられたのか滝川も楽しそうに笑った。
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