行きたいところ「僕、ラブホテルに行ってみたいんですけど、どうですか?」
カーテンを開けながら、今日はよく晴れていますね、とでもいうような調子で年下の恋人はハキハキと言った。
「いいけど。どんなとこがいいとかあるの?」
まだベッドの上で横になったまま、眩しい朝の光に目を細めつつも意地でもって平静を装って滝川が答えると、安原は首を傾げる。
「僕は行ったことないから、どんなところがあるのか知らないです」
なんとなく、その言葉にトゲを感じる。
「……いや、具体的に行きたいとこがあるからそんなん言い出したんじゃないかと思って」
「あなたが以前女性と行ったことのあるところは嫌だけど、そうじゃなければこだわりとかはないですよ」
安原の初めての恋人は滝川で、滝川はそうではない。こればかりは仕方のないことだから、ニッコリ笑う恋人から視線をそらしてため息をついた。
虫の居所でも悪いのだろうか。それにしては誘う場所がラブホテルというのが解せない。昨日は安原の部屋に泊まったので、学生用の物件ということもあり音が漏れるのを気にしてほんの少し触れ合っただけだったから、それで欲求不満なのかもしれない。付き合い始めて半年弱、まだ恋人としての安原については知らないことも多い。
「とりあえず、王道って感じのどこにでもあるラブホ行く?それともなんかネタっぽいとこのがいいの。SMルームみたいな」
「SMルーム?」
「入ったことないけど前にネットで見たことある。赤いエックス型の拘束具みたいなのとか、鎖とかある感じだったかなあ。あとはなんだろ、風呂が広いとこがいいとか?」
枕元のスマホを手に取り、近くのラブホテルを検索する。安原は、己の希望だというのに調べものをしている滝川を放って顔を洗いに行ったらしかった。マイペースな男である。
いくつかのサイトを眺めていると、そのうちのひとつに『男性同士のご利用可』の文言があった。わざわざ書いておくということは、男二人で利用ができるのは当たり前のことではない、ということなのだろう。
検索ワードを『ラブホテル 男同士』に変更すると、やはり全国のラブホテルのうち七割以上は男だけでの利用を拒否しているというような記事が出てきた。その数字の信憑性はわからない。しかし、下調べせずに行った場合、お断りされてすごすご引き返すという事態になりかねないことは理解できた。
「法生さん、朝ごはんどうする?」
さっぱりした顔で戻ってきた安原を手招く。ベッド脇まで来たので腕を引き、座らせた。その腰に腕を回しながら、スマホ画面を見せる。
「なあ、こことか、このへんは?フツーにホテルっぽい部屋。それとも明らかにやらしーとこがいい?」
「明らかにやらしい、っていうのはどういう」
「部屋が真っピンクとか、和風なんだか中華風なんだかわかんないギラギラした内装だったりとか?俺は泡風呂できる部屋がいいな」
いくつかの部屋の画像を見せていると、安原はどこか困惑している様子だった。
「……なんか、思ってたより前向き?前のめり?です、ね?」
「え、うん。なに、冗談だった?」
「そういうわけではないけど、いいのかなって」
「何が」
「外では、僕らって多分歳の離れた友達とか、あんまり似てないけど親戚とか?あとは先輩後輩とか……そういう風に見えるでしょ」
「まあ、そうだろうな」
並んで歩いているのを見た人に『どういう関係でしょう』と聞いてみたとして、おそらく大抵は答えに困るだろう。どういう接点があるのかさっぱりわからないはずだ。
「でも、一緒にラブホ入るってなったら、違うかなって。ラブホ行く人たちが全員恋人同士なわけじゃないでしょうけどね、ラブホ女子会?みたいなプランがあったりするわけだし」
「うん」
「でも、少なくとも、その……2人で入るってなったとき、何にも知らない赤の他人からしたら目的はその、明らかでしょ」
「そうだろうなあ」
「だからその、……いいんですか」
安原の言っている意味が理解できずに、滝川は首を傾げる。
「なんかだめなの?」
「いいの?」
「えーと、例えば、ホテル街とか二人で歩いてるときに知り合いにバッタリ出くわしたりとかを心配してるわけ?俺の方は別に構わないけど。いやそりゃ、んな場所で知人と鉢合わせなんてのは当たり前に気まずいけどさ」
「うん」
「あーでも、お前んちの近くとか、大学付近は避けたいかもな。そうそうないとは思うけど偶然お前の知り合いに会っちゃったりしたら、『アレが彼氏かあ、あの人と安原くん今からやるんだなー』とかって考えるかもしんないよな。お前の体とか、どっちやってんのかとか、普段お前の近くにいるやつに具体的に想像されるかもって思ったら、それはなんか、すげーイヤだわ。女の子でもヤだけど男だともっとヤダ」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」
「……知らない人に僕の恋人だと思われるのは、別にいいんですか」
「うん。なんかあるとしたら警官に職質されるとか?大学生の男の恋人としては俺はちょっと、えー、見た目がお上品なほうではないし」
「そしたらちゃんと恋人ですって僕が庇いますよ、すぐ信じてもらえるかわかんないけど。……闇バイトとか疑われる可能性はあるかなあ。あなたが匿流というか、まあ半グレとかかと思われて、僕が、そうだな……受け子出し子だとか口座売るだとか、そんな疑いをかけられたり?……やだな、僕、恋人に見られたいんだけど」
それが本音、というか急にラブホテルに行きたいなどと言い出した本当の理由なのだ、とようやく合点がいった。
身近な友人たちは2人の関係を知っている。けれど、何も知らない赤の他人からも、恋人だと思われたいのだ。そして、それを滝川にも容認されたがっている。それを本人が自覚しているのかいないのかはいまいちわからないけれども。
「……なあ、今度さあ、THE・デートスポットみたいなとこ行かねえ?夜景見るとか。王道はお台場あたりかね。そんで手ぇ繋いだりとかもしちゃって」
急な話題の転換に、安原は目を見開いた。
「え、法生さん、夜景とか興味あるんですか?」
「いやあ、夜景自体は別にどーでもいいけど」
どれくらいどうでもいいかというと、何人かいた過去の恋人たちを自分から夜景スポットに誘ったことが一度もないくらいには滝川にとってどうでもいい。麻衣たちならば誘ってもまあいいかと思うが、それは恋愛感情からではなく妹のような親戚の子のような、そういう子供を楽しませようとする年上心からのことである。
「まあ、んなこと言ったら、あーいうとこでいちゃついてるカップルの何割が夜景自体に興味あるんだって話じゃん。大抵はそういう浮かれきったことを恋人とやるってシチュエーション自体を楽しんでるんじゃねーの」
そういう、あからさま場所でなら自分たちも恋人同士に見えるだろう、と思う。いや、現実的にはみんな自分の恋人に夢中で他人のことなど目に入らないしとくになんとも思われないはずだが、安原が『恋人と二人連れだと思われるだろう』と感じられることが大事なのではないか。
「ああ……ですね、そうか、ああいうのは綺麗な背景で恋人眺めるのがメインイベントなわけか」
「そうそう。だからさ、クリスマスシーズンになったら、イルミネーションとかも見に行こうぜ。去年仕事でちょうど恵比寿ガーデンプレイス通ったんだよ。しかもイブに。もう、カップルだらけの隙間を独り身の俺がどうにかこうにか抜けていくわけ。好きな子がいるのに誘うことも出来ないで1人で。もう、寂しいのなんのって」
「……」
好きな子、というのが安原のことだというのは伝わっているらしく、じわじわと頬が染まっていくのを隠すように、寝転んで滝川の腕の中に収まった。その体をぎゅっと抱きしめる。
「修、なあ、こっち向いて」
「嫌です」
「なんで。チューしよ」
「嫌。さっさと顔洗ってヒゲ剃って歯磨きしてきてください」
「そしたらしていいの?」
「僕もうお腹すいてるから駄目」
「修ちゃんのえっち。別に朝飯お預けになっちゃうほど濃厚なのして朝から大盛り上がりするつもりまではなかったけど」
「……さっさと行ってきて」
「はいはい」
ベッドから追い出されるようにして、洗面所に向かう。こっそりと振り返って安原を見ると、毛布にくるまっていた。ただ、そのすき間から真っ赤に染まった首筋と耳が見えている。
「……なあ、ラブホ、さっそく今日行かない?朝飯食ってからさあ」
半ば本気で言うと枕が飛んできたので、滝川は笑った。自分からホテルに誘うのは平気でも、好きな子と言われたり滝川のほうから迫られるとまだ照れてしまう安原のアンバランスさが、たまらなく可愛かった。