ハニー・スウィート・ハニー シャムスには恋人がいる。口には出さないものの彼のことを世界で1番大切にしているという自負があるし、幸せにしてやりたいと思う。デートも彼も望むまま、女子に囲まれるような店に入ることになろうとも文句を1つに収めて付き合った。
シャムスの恋人は概ねシャムスよりもできた人間だ。『ヒーロー』として働いていることがなによりの証拠だろう。誰にでも優しく、男は苦手になりがちな女性や子どもの対応を難なくこなす。柔和な雰囲気からはカリスマこそ感じないものの、代わりに誰からも親しまれる『ヒーロー』として名を馳せていた。――しかし、1つだけ。たった1つだけ、シャムスはこの一見瑕疵のない恋人に物申したいことがあった。
「……おい」
「どうしたの?」
シャムスが声を掛けると、彼はきょとんとして首を傾げる。その仕草は大変可愛らしいものだったが――残念ながら左手に持ったそれを見ると頬を緩ませることはできなかった。
「どうしたの? じゃねぇ。……いつまでそれ掛けてるんだ?」
レッドサウスにあるパンケーキ屋。そこでは蜂蜜が掛け放題となっている。だから恋人がいくらそれをパンケーキに注ごうとシャムスに咎める権利はない、のだが――――。
いくらなんでも限度というものがあるだろう。パンケーキは既に蜂蜜の海に浸かろうとしていた。この黄金色を全て食べるつもりなのか。いや、彼がこれをぺろりと平らげることは知っている。シャムスは何度もその光景を見てきた。
「いつまでって……もうちょっとかな?」
「駄目だ駄目だ!」
耐え切れなくなったシャムスは、とうとう恋人の手から蜂蜜の入ったポットを奪い取った。色々あって【サブスタンス】の力は失ったものの、これくらいならば容易いものだ。左手が空になった彼は声を上げ、シャムスに恨ましげな視線を送った。
「ちょっと、返してよ〜……!」
「返さねーっての。……あのな、いくらなんでも掛けすぎだ」
「だってこれくらい掛けた方が美味しいんだよ? ……誰も信じてくれないけど」
「さっきもクレープ食ったばっかりだろ。……普通にテメェの体が心配なんだよ」
普段このように素直な気持ちを言葉にすることは滅多にない。けれど、恋人――――ウィルのためならばとシャムスは覚悟を決めて声を出した。無論、他の人間に聞こえないよう耳打ちに近い形でだったが。
ウィルの顔がみるみる朱に染まっていく。おそらく己も同じなのだろうと思うと酷く腹立たしかった。
「……わかったならそんくらいにしとけ」
「……本当にもっと掛けた方が美味しいのに」
不満げにそう言うものの、ウィルはもうシャムスの手から蜂蜜を取り返そうとはしなかった。
「何でテメェらアイツの砂糖中毒をどうにかしなかったんだよ?」
ウィルが会議で不在のある日。シャムスは日頃から募らせていた苛立ちを彼の幼馴染にぶつけた。シャムスが言えばウィルは不満そうにしながらも砂糖や蜂蜜を足すのを止める。しかしそれはその場だけの話であって、別の場所で食事を摂るとまたいつもの調子に戻るのだ。幾ら指摘してもウィルは諦めず、シャムスは流石に辟易していた。
来客用に用意されてあるポテトチップスに手を付けたアキラは、シャムスの苦情に対して怪訝な顔をした。
「できるならとっくにどうにかしてるっつーの。いきなりどうしたんだよ、またウィルに激甘料理食わされたのか?」
「それはねーけど。……そもそも元々病弱だった癖にどうやったらあんな味覚音痴になんだよ?」
地上では体の弱い人間もロストガーデンのように捨てられることなく、丁重に扱われると聞いている。ウィルもその例に漏れないと思っていたのだが。シャムスの疑問にアキラはだからこそだよ、と息を吐いた。
曰く、体調を崩したウィルは食べることが難しい時もしばしばあったという。彼の両親はどうにかして食事をさせようとあの手この手を尽くしたらしい。そして――辿り着いたのが甘味だったという。
「ゼリーだったら食べられるからって熱出る度にそればっか食べてて。段々エスカレートしてもちゃんと食べるならそれでいいって見逃されて……」
「……今に至るって訳か」
ウィルがある程度大きくなった頃には手遅れだった姿がシャムスの脳裏に浮かぶ。思いやりが仇となるなんて誰も予想していなかったに違いない。
「まあ、今のウィルからじゃ想像できねーかもしれないけどさ。本気でヤバかった時とか何食っても吐いちまってたから……オレもレンも強く言えねーんだよ」
まあ、それでも『ヒーロー』になる前と比べれば色々な経験を経て劇的に改善されたのだが。特に――シャムスと付き合い始めてからはそれが顕著だった。あのウィルが日常的に他人の味覚に配慮した料理を作るようになるなどアキラは夢にも思っていなかったのだ。その事実を知った時、もうこの関係は認めざるを得ないとレンと顔を見合わせて頷いたものだ。――悔しいので絶対口には出してやらないが。
おそらくシャムスはウィルの体を気遣っているのだろう。案外甲斐甲斐しいところがあったのだなとアキラは感心した。……もしかしなくとも、それはウィル限定なのだろうけれど。
「……なんかお前ウィルの母ちゃんみたいだな」
「はあ?! 気色悪いこと言うんじゃねぇ!」
「だって前もあーだこーだ言ってただろ。……あ、もしかしてウィルの影響か? アイツもアイツでめっちゃ口煩ぇもんな」
「もういい! テメェに聞いたオレが馬鹿だった!」
「あぁ?! 誰が馬鹿だって――」
「――もう、2人共喧嘩は止めろ!」
「うぃ、ウィル?!」
どうやらいつの間にか帰ってきたらしい。仁王立ちをしたウィルは会議が予定より早く終わったんだ、と2人の疑問に答えた。
「ここはマンションなんだから暴れちゃ駄目だっていつも言ってるだろ」
「別に暴れてはねーし……」
「そんなに元気が有り余ってるなら買い物にでも行ってきなさい」
シャムスにメモと財布を、アキラにエコバッグを押し付けてウィルは半ば強引に2人を部屋から追い出した。シャムスとアキラが言い訳する間もなく、無情にドアは閉まる。
「……なんかオレと同室だった頃より母ちゃんっぽくなってるかも?」
「止めてくれ……」
シャムスは顔に手を当ててアキラから視線を逸らした。
――買い物を終え、アキラと共に家に帰るとウィルは元の調子に戻っていた。そのまま夕食を作り、それを食べるとアキラはまたタワーへと戻っていった。
「……ねぇ、シャムスくん」
「どうしたんだ?」
洗った皿を拭く手を止めて、不意にウィルは口を開いた。シャムスも視線をテレビから彼へと視線を移す。いつも穏やかに細められているその瞳は少し揺らいでいた。
「俺……甘いもの食べない方がいいのかな?」
「は?」
いきなり何を言い出すのか。彼らしからぬ台詞に思わずシャムスは間抜けな声を出した。
「その……『ヒーロー』になって少ししてからちゃんと自覚してて直そうと思ったこともあったんだけど……やっぱり甘い方が美味しいと思っちゃって」
でも君が俺を思って言ってくれてるんだからちゃんと直さないとね。そう言うウィルの顔はどこか寂しげだった。それに対してシャムスが返したのは――溜息1つだった。ソファから立ち上がり、ウィルの元へと歩く。シャムスの意図がわからないウィルは、ただ目を丸くすることしかできなかった。
「……1回しか言わねぇからよく聞け」
「う、うん?」
「オレはお前と食う飯が好きだ」
ウィルと食べる食事はどれも温かい。それまで生きるための作業だと思っていたものが、いつの間にか楽しみに変わっていった。だが、シャムスがいっとう好きなのは――。
「……お前が美味そうに飯を食ってるのが好きだ」
別に食べるなと言っている訳ではないのだ。ただ、続けて食べるのが良くないと言っているだけで。肩を落として、我慢しながら食事を摂るウィルなどシャムスは見たくなかった。
ウィルは瞳を丸くしてぱちぱちと瞬かせる。本当? と聞いてくるものだから、シャムスは1つ頷いた。
「別に全く食うなって話じゃねーし。……ただ、1日1回くらいにしとけよ」
「えぇ?! それはちょっと少な過ぎない!?」
「……お前今までどんな食生活してたんだ?」
「は、はは……」
誤魔化すように笑うウィルにシャムスは溜息を吐く。けれども、それ以上追及しない辺り彼も大概己の恋人には甘いのだった。