ナイトリバース いつもの時間にベッドに潜ってもなんだか眠れない。人にはそんな日がたまにはあるもんだ。
今日が正にそういう日で。俺は諦めてベッドから出るとそろりと部屋から出た。目覚ましをいくら鳴らしても起きない同居人が俺の足音くらいでは起きないだろうが、念の為ゆっくりと歩く。
【HELIOS】自体は24時間体制であるため、外に出た瞬間蛍光灯の眩しい光が俺を出迎えた。――とは言っても、いつものように人の声が聞こえることはなくどこかひっそりしていて。同じ場所にいるはずなのに、まるで来たことのない場所にいるような錯覚を覚えた。
足音がやけに響くのを感じながら廊下を歩いていく。屋上に出て夜景を眺めたら気持ちも少しは静まるだろう――と思っていたのだが。そう考えた人物はどうやらもう1人いたようだ。
「ウィル」
「アドラー……?!」
名前を呼ぶと、ウィルは驚きと焦りが半々と言った顔でこちらを振り返ってきた。街の光かはたまた屋上に設置された灯りのせいか、茶色の瞳が煌めいているように見える。
大方不真面目な俺とは違い、真面目なコイツは夜中にひっそりと抜け出していることに後ろめたさがあるのだろう。俺の方を少しだけ見るとサッと視線を逸らしてしまった。……俺の顔を見たくないほど嫌いなのかという選択肢は考えるだけ虚しくなるので頭から追い出してやる。
「ウィルも眠れないからここに来たのか?」
「……だったらどうした?」
「どうもしねぇって……良い場所だよな、ここ」
高いタワーの屋上からはニューミリオンの綺麗な夜景が見渡せるし、少し冷たいけれど風も心地いい。自分が風を操る【サブスタンス】だからか、無風である屋内よりなんとなく安心するのだ。後――暗い中だとあまり楽しむことはできないがウィルが手間暇かけて育てた緑もある。建物の屋上であるというのに、ここには『自然』があった。どの植物がどれだけ育てるのに苦労するのかなどそういうことに疎い俺はわからないが、これほどのものまでにするにはそれなりの労力がかかっていることくらいはわかっている。
俺が会話を投げかけたところでウィルが答えることはなかった。まあ、いつものことなので特に気にすることはない。『共犯』になったことを切欠に、3回に1回くらいはまともな返事が返ってくるようになっただけでも相当な進歩なのだ。
ウィルの横で同じように手摺に体を預けても、やっぱりウィルは何も言わなかった。柔らかい風が吹いて俺たちの間を通り過ぎる。
「……お前には悪いことをした」
顔を上げたウィルは不意に呟くようにそう言った。おそらく注意しておかなければ気付かないほど小さな声だったけれど。視線は相変わらず交わらなかったが、俺が居るのも気にせず言葉を紡ぎ続ける。
「元々は後をつけられてたからと言って……その後も協力してもらうべきじゃなかった。あの時見逃してもらうだけにしておけばお前も――」
「そういう話は無しって言ったろ?」
「いだっ?!」
こちらを向いた一瞬を狙って、デコピンをお見舞いしてやる。ウィルは大袈裟に痛がって、少し涙目になりながら額を押さえた。ちょっと可愛いなと思ったけれど、口にしようものなら怒号どころか拳が飛んできそうなので心の中に留めておく。
「あの時俺は自分で決めてお前に協力したんだよ」
【HELIOS】にそれほど忠誠心がないのは本当だ。このままウィルを放っておくと何をやらかすのかわからないと不安に思ったのも本当だ。もしあの時俺が協力しなければ、もっと面倒なことになって――最悪コイツの『ヒーロー』として邁進する道はあっさり絶たれるどころか、【イクリプス】に協力した裏切り者として糾弾されていたかもしれない。そう考えると、己の選択に間違いはなかったのだと素直に思うことができた。
俺がそう言ってもウィルは納得がいかなさそうに顔を顰める。弱気になっていても、頑固なところは変わらないらしい。随分可愛くない弟分だなぁ。内心そう言うものの、不思議と悪い気分ではなかった。アキラしかりレンしかり、手のかかる奴ほどついつい構ってしまうのだ。
「ウィル、高いところは平気か?」
「……? 別に高所恐怖症ではないけど……」
「そうか」
意味がわからないと言うように首を傾げながらも、今度は律儀に答えてくれた。油断してるのをいいことに俺はウィルの手を握る。眉を吊り上げて抗議される前に――――【サブスタンス】の力を使って空に舞った。監視カメラとかで見られてないといいんだけどな。そんなことを考えながら夜景に向かって飛び出していく。
「ちょ?! 何して――」
「大丈夫大丈夫、落としたりなんてしねーよ」
まあ、不時着しそうになればウィルの力を借りなければならないだろうが。小さく悲鳴を漏らしたウィルは俺の体に必死にしがみついてきた。普段では考えられない行動の上、その顔は真っ青に染まっている。夜景を眺める余裕すらないらしい。
「おい、大丈夫か……?」
もしかして俺が聞いた手前、強がっていただけなのでは。そんな不安が首を擡げウィルに声をかける。飛び出したといってもまだ屋上は直ぐ帰れる距離だからまだ間に合う。
「だ、大丈夫……ちょっとこういう浮遊感が苦手なだけだ……!」
「それって大丈夫じゃねぇだろ……?」
「大丈夫だ! 最近克服したし……こんなの、直ぐに慣れる……!」
強がるものの声は震えている。克服したと言っても一朝一夕で平気になる訳じゃないだろうに。全く――無理な時は素直に無理だと言えばいいのに。……俺だって人のことは言えないのかもしれないが。
仕方ない。俺は息を1つ吐くと、ウィルの腰に腕を回してそのまま持ち上げた。所謂お姫様抱っこという奴だ。ウィルはそれなりに体格が良いが、操っている風の力もあって然程苦には感じない。
「お、おい!?」
「これなら浮遊感は感じないだろ?」
「この体勢になるくらいなら我慢した方がマシだ!」
「おっと、暴れんなって」
結構コントロールが大変だからうっかり落としてしまいかねない。更に腕に力を込めればウィルは諦めたらしく、それ以上暴れることはなかった。
「……お前なんか嫌いだ」
近付く夜景を見ながら唐突にウィルがぼやく。いつもとは違って、俺を嫌悪していると言うよりは子どもが拗ねているような声色だった。
「わかってる。……本当はアキラの言う通りお前が悪くないことも。あの子の脱出を手伝ってくれたことを感謝しなくちゃいけないことも――俺が大人になるべきなんだってことも」
でもお前相手だと意地を張ってしまう。ウィルがそう言うものだから、俺はなんだか盛大な告白を聞いた気分になった。俺が聞いてよかった奴なんだろうか。……いや、俺じゃないと聞けなかったことなんだろう。今日がまだ寒い日でよかった。――急激に熱くなった体を夜の風が冷やしてくれるから。
「……別に大人になんてならなくていいんじゃねぇの?」
「は?」
ニューミリオンでは法律で20歳から成人と見なされるが、その20歳の俺ですらまだまだ世間からすれば『子ども』なのだ。下手をすれば一生それは続くのかもしれない。一足先に成人した俺からすれば、大人だって所詮大きくなった『子ども』に過ぎないのだ。
「お前の言う通り、俺はただの元不良だよ。アキラや弟分たちみたいに慕ってくれるヤツらもいるけど……真面目なお前たちからしたら鼻つまみ者にされても仕方ない人間だ」
「べ、別にそこまで言いたかった訳じゃ……」
「ああ。……昔はそうじゃなかったかもしれねぇけど、今のお前が今の俺を見てくれてるってこともちゃんとわかってるよ」
きっと色々あったんだろう、俺たちのように。それを共有するほど仲良くないのは少し残念だけれど。
「――まあ、暗い話はそこまでしておいて。周りを見ようぜ」
ネガティブな言葉を口にするより、綺麗な景色を眺めた方が気分も晴れる。ウィルは視線を俺から街の方へと移すと感嘆の声を上げた。
「綺麗だ……」
「はは、やっぱりさっきまで見てなかったんだな?」
「う、うるさい。今見えてるからいいんだ」
わかりやすく顔を背けるウィルに思わず苦笑を浮かべる。――やっぱり少し無愛想なくらいな方が丁度いい。
さて、空中散歩をしていることがメンターたちにバレていないといいのだが。ノースは基本自由主義だから朝のトレーニングにさえ間に合えば許されるだろうが、サウスはどうなのだろう。ブラッドやオスカーが夜遅くに抜け出したことを知ると面倒になる予感がする。俺が連れ出した手前、ウィルが怒られるような事態になるのは避けたい。
輝いている瞳を曇らせないためにはどうすれば良いものか。俺は頭を悩ませるも、このささやかな幸せが少しだけでも長く続けば良いのになとぼんやり考えた。