今宵、照らすのは、「怪盗ハロハッピー?」
スマイルポリス本部、ハッピー課。先輩ポリスである花音から新しい仕事について聞いた美咲は、首を傾げた。
「うん、近頃この辺で有名になってるみたい」
「……名前、ダサくないですか?」
怪盗ハロハッピー。最近世間を賑わせている怪盗もどきだ。
宝物を盗むという予告状を送りつけて警備に当たった者たちを弄ぶように翻弄した挙句に盗みを働き、しかし数日後には盗んだものを元の場所に戻していく、というなんとも人騒がせで意味不明な怪盗だった。
「また予告状が届いたんだって。この近くに出るみたい」
「なるほど、それであたし達に出動命令が来たんだ」
「こころちゃんもはぐみちゃんも、すっごく気合い入ってたよ。嬉しそうにしてたよ」
「嬉しそうって、あいつらは……」
遠足じゃないんだから、と美咲は溜息を吐く。しかし運動神経のいい二人は、トリッキーな動きをする怪盗を捕まえるのには適した人材ではある。はしゃぎ過ぎないように念を押してから、現場へと連れて行こう。
◆
予告状の指定した日程当日。輝く満月には。今は黒い雲が掛かっている。
予告場所である美術館内の警備の配置は、どこから怪盗が現れてもいいように満遍なく。
美咲が配置されたのは、彫刻が展示されているエリアの一画だった。こころやはぐみ、花音も合わせた四人が配置されている。怪盗を迎え撃つに、万全の態勢。
———の、筈だった。
「……なんで警備してるのがあたし一人になってるの……?」
自分以外居なくなってしまった配置場所で美咲は一人、悪態をついた。
予告時間ぴったりに怪盗ハロハッピーは現れた。翻弄するように飛び回る怪盗をこころとはぐみが追い掛け、見回りを行なっていた筈の花音がいつの間にか別フロアに迷い込み、気付けば美咲一人が取り残される状態になってしまった。
「花音さん! 聞こえますか?」
『———……、』
「こころ! はぐみ?」
『……、……、————』
無線に必死に呼び掛けるが、ノイズが酷く声が届かない。
完全に自分が孤立してしまった状況に危機感を覚え始めた時、雲の隙間から漏れた月明かりが美咲を照らした。何気なくそちらに視線を移すと、真っ黒なシルクハットと風にはためくマントが輝いていた。
「……っ、! 怪盗ハロハッピー……っ!」
「ああ、そうとも。こんばんは、子猫ちゃん」
余裕の笑みの怪盗とは逆に、美咲は顔を強張らせて警棒を構える。
どうして。怪盗は今、こころとはぐみが追っている筈なのに。
その焦りを見透かしたように、怪盗がくつくつと笑った。
「今頃他のスマイルポリスの子猫ちゃん達は、私の仕掛けと遊んでいるさ。君は……初めて見る顔だね」
顎に手を当て、品定めをするように美咲を見る。対する美咲は警戒の姿勢を緩めない。
怪盗を睨みながら、警棒を構える方と逆の手で無線に手を伸ばす。
「ここには、あんたが狙うような高価なものはないけど? こんな所で油売っていいわけ?」
挑発する口調にも、怪盗は笑うばかり。それが余計に、美咲の神経を逆撫でさせた。
だが美咲の言う通り、このエリアに怪盗が奪う程の価値のある美術品は無かった。そうでなければ、たった四人で警備にはあたらない。
「あれだけ翻弄しても、君だけが持ち場から離れないからね。気になったのさ」
「なに? わざわざあたしの顔を見に来たわけ?」
余裕だね。悪態をついた美咲が無線機を手に取った。花音さん、と試しに仲間を呼んでみるが、やはり聞こえるのはノイズばかり。舐められないように気丈に振る舞ってはいるものの、実際の状況はあまりよろしくはなかった。
「……ふふ、そんなところさ」
マントが翻ったと思ったら、一気に距離を詰められた。驚いた美咲が殆ど反射で警棒を突き出すが、軽く避けられて手首を掴まれる。怪盗は手首を掴んでいる手とは反対の手で、美咲の顎を掴み持ち上げた。よく、顔が見えるように。
「……ふむ、とても可愛らしい顔をしているじゃないか」
「……っ!? このっ……!」
手首を振り払おうとするが、力が強くてそれは叶わない。無線が繋がらないから助けも呼べない。
追い込まれたこの状況で、美咲は咄嗟に相手を捕縛することを選んだ。自由な方の手でクマの顔を象った手錠を取り出すと、
かしゃん。
「おや……?」
顎を掴む怪盗の手首にそれを嵌めた。怪盗が驚いたような声を漏らす。
手錠を繋いでおく柵が何処かにあればいいが、都合よくそんなものは周りにない。……だから美咲は、自らの手首に手錠を嵌めることを選んだ。怪盗の右手と自分の左手が手錠で繋がった状態。
「ふふ……、自分を犠牲にしてこの私を拘束するとはね。流石じゃないか」
「そんな余裕、言ってる場合なの……っ?」
相手の方が長身で体格差こそあれど、自分だって成人女性。抱えて逃げるのは困難だろう。あとは仲間が見つけてくれれば、チェックメイトだ。
状況的には此方に有利が傾いたとおもうのだが、向こうは余裕の笑みを崩さない。それが、美咲の焦燥感を煽っていく。怪盗は唇に弧を描いたまま、美咲へと顔を近付けて、
「——ん、っ!?」
その唇に口付けた。驚いて一瞬怯んだ隙に、拘束するように抱き締める。舌を唇の隙間へと差し込み、美咲の舌を絡めとり、味わうようにゆっくりと口内を犯していく。
「んぅ、ふ、ぁ、っ……!」
自由な筈の美咲の右手は、ぎゅ、と怪盗のマントを掴む。それに気を良くした怪盗は、左手で美咲の髪を梳くと、露わになった耳を指先で捏ねるように撫でた。キスは辞めない。口内を犯す水音が響く中で、美咲の身体に力が入らなくなってくる。
「ぅ、あ、……ぁっ!?」
足ががくがくと震え始めたのを見計らって、床にその身体を押し倒す。背中が叩きつけられる衝撃に悲鳴をあげると、やっと唇が離された。
「はっ、は……っ、なに、して、」
「本当は美しい絵画が目当てだったけれどね、予定変更だ。——今宵は、君を奪うことにしよう」
顔を真っ赤にした美咲が息も絶え絶えに怪盗を見上げ睨み付ける。反論の言葉を叫ぼうと、助けを呼ぼうと口を開く。
「なに言って……っ、ん、んん、」
しかし、再び深い口付けをされて防がれてしまう。息ができない。身体に力が入らない。
火照り出す身体に跨った怪盗が、深紅の瞳を細めて美咲を見下ろす。
「私のことを、捕まえたと思ったかい?」
怪盗は微笑みながら二人を繋ぐ手錠を見せ付けた。ちゃり、と鎖が音を立てる。
「この場合、捕まったのはどちらだと思う?」
身体は火照っていくのに。その微笑みと言葉で、顔は絶望で蒼ざめていくのを感じた。
◆
誰一人居なくなって静まり返った中。金色のエンブレムが輝く明るいブルーの帽子だけが、置き去りにされて月明かりに照らされていた。