美味しいのはケーキと紅茶と、人の恋路「花音、最近薫はどうかしら?」
「どうって?」
先週オープンしたばかりのカフェの一画、一番端のテーブル。ティーカップ片手に千聖が尋ねたので、向かいに座る花音がフォーク片手に首を傾げた。
一瞬だけ考えて、すぐに合点がいったようで頷く。今千聖が名前を出したバンド仲間の同級生の顔と共に頭に浮かんだのは、同じバンド仲間の後輩だ。
「順調みたいだよ。練習後は薫さんが美咲ちゃんを家まで送ってあげてるみたい。よく一緒に帰ってるよ」
千聖と花音の話題に挙がったのは、数ヶ月前に付き合いを始めた二人についてだった。
付き合いに行くまでお互いそれぞれ相談を受けたり、紆余曲折を見たりしてきたので、話題に上がるのは自然のことであった。
「それなら良かったわ。……でも、薫が恋人じゃ、美咲ちゃんも大変でしょうね」
「あはは……この間も薫さんが囲まれてて、そこに巻き込まれて大変そうだったよ」
薫がファンに囲まれる光景は珍しくはない。先日、殺到するファンに巻き込まれもみくちゃになっていた美咲の疲弊した表情を思い出して、花音は苦笑いを漏らす。
「美咲ちゃんは、ああいうのは見て嫉妬しないの?」
「うーん……私も心配で聞いてみたんだけど、口では大丈夫って言ってるけど寂しそうな顔はしてたよ」
熱狂的なファンが多く、そのファン一人ひとりへの気遣いも完璧な薫だ。恋人という立場の美咲としては、きっと思うこともあるのだろう。
けれど花音がそのことに触れても、「まあ、薫さんなんで」と小さく笑いを漏らすだけだった。
「美咲ちゃんも、もっと嫉妬や独占欲を表に出していった方が、薫は喜ぶと思うのだけどね」
千聖はフォークで、シフォンケーキを一口サイズに切り分ける。
学年もバンドも違い接点があまり無い以上、自分が直接美咲と話す機会はなかなか無い。けれど幼馴染や親友から話を聞く限り、奥沢美咲という人物はどうにも奥手で、意地っ張りで、そして照れ屋らしい。
美咲の方からデートに誘ってくれたんだ、とふやけきった笑顔で嬉しそうに報告する薫の顔を思い出す。
「うん……。まあ、薫さんほど積極的にとは言わないけどね……」
「薫が……?」
信じられない、と千聖は怪訝な表情を浮かべる。彼女の臆病な性格を知っているからこそ、花音のその言葉には耳を疑う。
眉を寄せてアイドルらしからぬ表情をする千聖に、花音はまた苦笑いを浮かべた。
「うん、あのね……。なんていうか、キスマークがね、結構な頻度で……」
トン、と花音が自分の首筋を指せば、千聖が納得したように頷いた。
成る程、確かに薫なら付けそうだ。臆病だからこそ、恋人には所有の印を付けていたいのだろう。
美咲がミッシェルだということを花音しか知らない関係上、ミッシェルの補助に回るのは自ずと花音の役割になる。ミッシェル着用時の美咲は大体はタンクトップにショートパンツという服装なので、肌を見る機会も多い訳で。
首筋、鎖骨、二の腕、内腿。カットバンで隠されてはいるが印を隠しているのは明らかで、それを見る度にカットバンの消費が激しそうだと、花音は変なところを懸念していた。
「……たまに、美咲ちゃんが自分じゃ見えないところに付けてる時もあるし。あと……カットバンじゃどうにもならない量付けられてる時もあるかな」
もう暖かいのにストールをずっと首に巻いている時は、結構暑そうだった。汗をかいているのにストールを巻いているのを見て、こころやはぐみが不審がって慌てて取り繕っていた姿を思い出す。最終的には強制的にストールを外されそうになっていたので、花音も慌てて止めに入った。
……後日、その反省を生かしてか、今度は首にぐるぐる包帯が巻かれた状態で練習にやってきていたのは記憶にまだ新しい。
「……それは……、びっくりするわね……」
「私も一瞬びっくりしちゃった。こころちゃんとはぐみちゃんも凄く心配してて、美咲ちゃん困ってたな……。薫さんは、なんだか嬉しそうだったけど」
「本当に大変みたいね……」
思わず顔が引き攣る。なかなか苦労しているみたいなので、一度幼馴染にはお灸を据えた方が良さそうかな、と思案した。
そんな千聖の考えを知ってか知らずか、花音は首を振って微笑んだ。
「でもね、痕を残されること自体は別に嫌じゃないみたい。ファンの人に沢山囲まれてるのを見ても、痕を付けてくれるのは自分だけだから、安心できるって」
「……ふふ、だから薫も嬉しくて付けてしまうんでしょうね」
花音に釣られて、千聖もふわりと微笑む。なんだかんだ、上手くやっているようで、お似合いのようで安心した。
「……あの、先輩方?」
穏やかな空気を、控えめに遮る小さな声。
「あら、何かしら美咲ちゃん」
「この集まりにあたし要ります?」
丸いテーブルに向かい合わせに座る千聖と花音。その真ん中に挟まれるように座るのは、たった今話題に挙げられていた奥沢美咲本人だ。ノンストップで進んでいく先輩達の会話に入り込む隙がなかった美咲は、先程から顔を赤くしたり蒼くしたり忙しい。
片手を小さく挙げて主張しても、千聖は微笑みを崩さない。
「花音は貴女の、私は薫の相談に乗ったことがあるのだし、話す権利はあると思わない?」
「いやそれは別に構わないんですけど、こういうのって普通本人の居ないところで話しません? あたし要りませんよね?」
「美咲ちゃんは要らなくなんかないよ! そんな風に言わないで……!」
「あっ違う違う待って花音さん重たい感じにしないで」
血相を変えて立ち上がろうとする花音を、美咲が慌てて止める。
座り直した花音が紅茶を一口飲んで落ち着いたところで、千聖は美咲に微笑む。
「じゃあ、今度は美咲ちゃんの話を聞こうかしら」
「え、あたしの?」
「今日はその為に呼んだんだもの」
ケーキお代わりする? 奢るわよ、なんてメニューを差し出される。いや奢らなくて大丈夫なんで帰っていいですか、なんて今更言い出せる筈もなく。
助けを求めて花音へと視線を移すが、千聖と同じように微笑まれるだけだった。
「えへへ、ごめんね美咲ちゃん。でも私も聞きたいかな」
「か、花音さんまで……!」
これダメだ。もう逃げ場はない。
——まあ、この先輩方には薫さんと付き合うまでお世話になったのだし。自分なんかの話がお礼になるのなら、と。完全に逃げるのを諦めた美咲は、引き攣った笑顔でメニューを受け取った。