甘くて甘い「おはよう、美咲。よく眠れたかい?」
目を覚ますと、目の前の薫さんが微笑んで頭を撫でてきた。大きな手の感触が心地良くて、また目を閉じてしまいそうになる。
「ああ、いけないよ。お風呂に入るんだろう?」
「うん……、」
そんな風に嗜めるみたいに言う薫さんも、駄々を捏ねるみたいにまだ半分夢の世界のあたしも、今は何も服を着ていない。
そもそもあたしが今こんなに疲れてて眠いのだって、元はと言えば薫さんが昨晩頑張り過ぎたせいだ。腰が痛いし瞼が重い。
薫さんは仕方ないと言うように笑うと、あたしに上着を掛けてそのまま抱き上げた。目を閉じながら、階段を降りる音を聞く。
◆
いや、いくらなんでも甘え過ぎじゃないかな。
お風呂に入ってやっと目の冴えたあたしは、薫さんに髪を乾かしてもらいながらやっとそんなことを自覚した。
薫さんがいつも、すごくスマートにさり気なくあたしを甘やかしてくれるものだから、あたしも嬉しくてつい甘えてしまっていた。
いくら薫さんが歳上とは言え、所詮は一歳差だ。薫さんも、あたしと同じく甘えたいっていう要求があるんじゃないだろうか。
あたしが貰ってばかりでは、あたし自身も納得いかない。……一応、恋人という立場にある訳だし。あたしからも、薫さんに何かを与えてあげたい。あたしも、薫さんを甘やかしたい。
(とは言え、どうすれば……?)
甘やかす側に立つことってなかなか無かったから考えてしまう。妹や弟を甘やかすのと、恋人を甘やかすのとではまた違うだろうし。
「美咲?」
ドライヤーの電源を切って席を立つ薫さんを追いかけるように立ってから、後ろからその身体を抱き締めた。
ぎゅう、と腕に力を込めれば背中に頬が当たる。
「……ふふ、どうしたんだい美咲。随分と甘えん坊じゃないか」
微笑んだ薫さんに頭を撫でられる。
あれ、待って待って。これ、抱き締めるっていうか、身長差のせいで抱き着いたみたいになってない?ただあたしが甘えてるだけみたいな構図にならない?
ぱっと腕を離したら、此方に向き直った薫さんに抱き締められた。腰と後頭部に手が回される。
いや、薫さんは嬉しそうだけど違くて。あたしがしたかったのはこんなんじゃなくて。
「えーと、か、薫さん、」
「ん?」
「今日どうする? 何処か行きたいところとかある?」
この間のデートでは、あたしの希望で手芸屋さんに行った。
今日はお互いの部活もバンド練習も無い完全なオフだ。薫さんの行きたいところに連れてって、薫さんを楽しませてあげたい。
「私は美咲が一緒なら、何処だって楽しいよ」
さらりとそんなことを言ってくる。いや、分かってた。薫さんならそう言うって分かってたじゃないか。
薫さんの胸に顔を埋めて、溜息を押し殺す。儚い。そんな呟きが耳に届くと、抱く腕の力が強まった。でも、そんなんで絆されてしまうほど今日のあたしの決意は甘くない。
「じゃあ、やりたいこととかは?」
見上げれば、微笑んだまま首を傾げる薫さんが視界に入る。
きっと薫さんは、本気であたしが居ればそれで良いと思ってくれてて。それくらいあたしのことを大事にしてくれてて。だからいつだってあたしを優先してくれて、あたしを一番に甘やかしてくれる。
自意識過剰かもしれないけど、薫さんはそれで満足しているんだ。……でもそれじゃ、あたしが納得いかない。
「美咲? どうしたんだい? ……具合が悪いのかい」
顰め面で黙ったままのあたしに、眉を寄せた薫さんが額に手を当てる。勿論熱はないけれど、薫さんの顔は心配が滲んだままだ。あたしが浮かない顔をしてるから、そんな顔をさせてしまってるんだ。
違うのにな。そんな顔をさせたかった訳じゃないのにな。
「……ち、違くて。別に具合悪いとかも無いし、悩みも無いよ」
「なら、どうして」
「…………、」
「美咲」
優しく名前を呼ばれる。前髪を掻き上げられると、額に唇の柔らかい感触。
あたしが何を思っているのかを彼女に知られてしまうのは、結構恥ずかしいしプライドが許さないところもあるけれど。でも、心配を掛けてしまう方がもっと嫌だから。
今のあたしの顔を見られたくなくて、俯くと。観念して、ぽつりと白状し始めた。
◆
「……成る程。つまり美咲は、私を甘やかしたかったんだね」
「あああ、いちいちそういう事言わなくていいから……!」
恥ずかしさでこのまま埋まってしまいたい。実際今埋まってるのは薫さんの胸元な訳なんだけど。
正直に吐き出せば薫さんの返答はアッサリしていて、寧ろなんだか嬉しそうで。こんなことなら最初から正直に言っておけば———いや、無い無い。本当はもっとスマートに甘やかしたかったんだ、あたしだって。
「……だから、さ。なんかあたしにして欲しいこととかある? あたしに出来る範囲で」
でももう遅いので、今回は真正面から聞いてみる。恐る恐る見上げてみれば、期待で輝く深紅の瞳と目が合った。
……今更だけどこれ、何か変なこと頼んできたりしないよね……?
「……それなら———、」
薫さんがくっついていた身体を離して、あたしの両肩に手を置くと。そのままベッドに座らされた。いや待って朝から!?と思ったあたしの心配も杞憂に終わり、隣に薫さんが腰掛けると。そのままぐらりと、此方に身体が傾いて———、
「……こんなんでいいの?」
私の膝の上に、薫さんの頭が乗っかった。所謂膝枕ってやつである。
首を傾げて見下ろせば、満足げな薫さんが微笑んで。
「ああ、十分さ」
手が伸びて、頬を撫でられる。
あたしもそれに倣うように前髪を梳くように頭を撫でてみれば、薫さんの目が気持ち良さそうに細められた。
(……ちょっと、可愛いかも)
そのまま目を閉じた彼女の額に、キスを落とす。さっきのお返し。目を開けてびっくりした顔をしている薫さんに、そう言って笑って見せた。