君を誘う百鬼夜行 からんころん。下駄の音を鳴らせながら、藍色の浴衣を着た少女は歩く。太鼓の音と人の喧騒の声に、下駄の音を止めた。石段の上の鳥居を見上げる。いつもは静まり返っている真っ暗な神社の中から、今夜は祭囃子が聞こえた。提灯の暖かな光は、少女を誘うようにゆらゆらと揺れる。
からんころん。石段を登った少女が、下駄を鳴らして鳥居をくぐる。少女の空色の瞳に飛び込んできたのは、色とりどりの縁日の屋台。金魚が泳ぐ水面が揺れ、色とりどりの水風船がひしめき、真っ赤なりんご飴が煌めく。
「ようこそ。可愛らしい浴衣だね、美咲」
からんころん。同じような下駄の音に振り返れば、椿が咲く浴衣を着た女性が少女へと微笑んでいた。頭に着けられた狐面と目が合ったような気がして、少女は息を呑む。今しがた鳥居を潜ってきた自分の真後ろに、この狐面は居ただろうか。
からんころん。下駄が鳴る。狐面は歩み寄る。細められる深紅の瞳から、少女は目を逸らせない。
「……? なんで、あたしの名前知ってるの」
彼女とは、今初めて会った筈なのに。少女の指摘にも狐面は表情を崩さず、妖しく笑ったまま。
「いつも、神社に野菜をお供えしてくれるだろう」
知っているよ。そう言って、手招きをする。深紅の瞳からやはり目は逸らせない。気付けば少女は、その手に誘われるまま踏み出した。
からんころん、からんころん。下駄の音は二人分。祭囃子の音に紛れてゆく。
「はい、美咲。おいしいよ」
狐面に渡されたのは、真っ赤なりんご飴。提灯の光を反射して煌めくりんご飴の紅が、少女の空色の瞳に映る。
少女の舌が、りんご飴をそっと舐める。甘い砂糖の味が口内を満たすと、きょろりと縁日に視線をやった。太鼓の音。下駄の音。屋台で人を呼び込む声。
———それだけ“音”に満ちているのに、浴衣を着て歩いているのが自分達だけなのは何故なのだろう?
「……!?」
屋台に人は居るのに、通りを歩いているのは自分達二人しか居ない。人混みの音はするのに、それに見合った客が居ない。
そもそも、この神社で縁日など開く予定があったか? 自分が行く予定だった祭りは違うものだったのではないのか? 最初にそれらを違和感なく思ったのは、どうしてか?
「美咲?」
狐面が少女の手を掴む。———冷たい。まるで、生きていないみたいに。どうして自分は、何故か自分の名前を知っているこの見知らぬ狐面の女性に、のこのこと付いてきてしまったのか。
からん。少女は後退る。ころん。狐面が歩み寄る。
「……離して。もう帰る……っ!」
首を振っても、狐面の表情は微笑みから崩れない。掴む手を思い切り振り払った少女だったが、逃げずにその場に固まった。金色の大きな尻尾が一つ、二つ――九つの狐の尻尾が狐面からゆらゆら揺れている。少女は、目を逸らせない。怯えの滲んだ瞳のまま、拒絶の言葉を吐き続ける。
「や、やだ……! 帰らせてよ、」
「帰る?」
狐面は首を傾げる。合わせるように、九尾の尻尾もゆらりと揺れた。少女の顎を掴み、りんご飴を持つ手を掴む。
「帰れないよ。帰れる訳ないじゃないか」
「なん、で、」
痛いくらいに掴まれた手首が、逃げることを許してくれない。りんご飴の紅に対して、少女の顔はみるみる蒼褪めていく。蒸し暑い夜なのに、少女の身体はぶるぶると震える。
恐怖に押し潰されそうな少女の様子に満足そうに、愉しそうに笑う狐は、唇を舌で舐めてからそっと口を開く。
「君は、何を食べた?」
びくり。身体を強張らせた少女の手から、りんご飴が地面へと落ちた。転がる砂の付いてしまったそれを、少女の空井の瞳が恐る恐る追い掛ける。
[黄泉戸喫]ヨモツヘグイ
あの世の物を食べると、
この世に帰れなくなると言う。
りんご飴は黄泉の味。少女を招く誘いの味。
「嬉しいよ、美咲。これからはずっと一緒だ」
ゆっくりと、視線が戻り。細められた深紅の瞳とかち合う。りんご飴と同じ色をしたその瞳から目を逸らせずにいると、狐の舌が唇を割って。少女の口内を犯す。
「ぁっ、あ……!? ふぁ、あ、」
好き勝手に這い回る舌は、ぬるぬるしているのに。何故か口の中は、甘い味で満たされていく。甘い甘い砂糖の味。林檎の味。
「行こう、美咲。“みんな”も一緒だよ」
「ぁ、やだ、やだ……っ、」
喧騒が消える。太鼓の音も、提灯の光も何も無い。縁日の屋台も跡形も無く、まるで最初から何も無かったかのように。静まり返った地面に、丸い物が落ちたような窪みだけが残っていた。
◆
「あら? 美咲ったら何処に行っちゃったのかしら?ここで待ち合わせって言ったのに」
「みーくん、もう先に行っちゃったのかな……?」
行ってみようよ。二人の少女は鳥居へと続く石段を通り過ぎて走り去る。その背中を鳥居の中から眺めるのは、真っ赤なりんご飴片手に頭に狐面を着けた、空色の瞳の少女。
からんころん。遠くに響く祭囃子に、二人分の下駄の音が背を向けた。