恵まれた秋空に色づく木々の合間から覗く空は、よく晴れて高く蒼い。
緩やかに歩ませる馬の背から眺める森の風景は穏やかだ。木々が陽光に向かい先を争って枝を広げ葉を茂らせる夏よりも、落葉樹が務めを果たした葉をいくらか放した今の方が森は明るい。暗がりを好む魔物は何処か他所へ去り、時折顔を見せる者達はおとなしく、冬支度にと落ちた木の実を集めている。
歩む蹄の固い音は厚く積もった落ち葉に吸われてしまう。今アグロヴァルを包む光景は信じがたいほど静謐だった。
午後から視察に出るとだけ言えば優秀な側近は事情を飲み込んだ。そもそも数日前に隣国の港に懇意の騎空団の艇が停泊しているという話を吹き込んできたのも彼であったので、特段驚くべきことでもないのだが、物わかりのよさが少々落ち着かない事案でもある。視察に行くと言いながら馬を引いてまで人出のある街と反対方向の森に来たのはそういう事情もあった。これから顔を合わせるだろう相手はどうせ、アグロヴァルがどこに姿を隠そうが勝手に見つけ出す。ただ察しのよすぎる側近には、どこかで示し合わせて落ち合うような気安さではないことを言い訳しておかなければならなかった。
主が気を抜いている間も淡々と歩を進めていた馬がふと足を止めた。それまで視界を塞いでいた木々が唐突に途切れたのである。主の意向をうかがうように一つ二つその場で足踏みをする馬はよく馴らされている。そこで背から降りたアグロヴァルは、労いの意をこめてその太い首を撫でた。賢い馬は手頃な背丈の若木に繋いでおけばおっとりと足下の落ち葉を鼻先でかきまぜて遊び始めた。
森をおおよそ円形に切り取ったようなその場所は、竜の昼寝場所、などと呼びならわされていた。なんでも隣国に住まう竜が時折この森に飛んできては薙ぎ倒した木々を枕に昼寝をするので、しまいにそこだけ若木が育たなくなったのだとか。ウェールズの民の多くが幼い頃に聞かされる寓話による名付けであってことの真偽は定かではないが、この森には同じような場所が点在しており、今は狩りに出る者の使う小屋や、樵の切った木の保管場所などに活用されている。アグロヴァルが今日訪れた場所は比較的浅い位置にあり、子どもの足でも入ってこれる場所だった。
大人しくしている馬のそばを離れ、円の中央に向かって歩く。四方から吹き溜まった落ち葉がふわふわと靴底を受け止めた。開けた頭上の空はやはり蒼い。屈んで触れた地面も乾いてほんのりと暖かかった。一面敷き詰められた葉が陽光を弾いて黄金色に輝く様は目映くも安穏として、なるほどここならば竜も午睡に訪れるかという様子である。
辺りを見回し未だ人影がないことを確認して、アグロヴァルは落ち葉の下へそっと手を差し入れた。そうして乾いた葉だけをすくい取り、側の葉に重ねる。幾度か繰り返すうちに積まれた葉がこんもりと盛り上がり、綾織りの敷物をかけたクッションのようになった。しかしそこへ座るでもなく、その傍らへ膝をつく。
まだ見立てで遊ぶことを好んだ幼い頃、弟たちが拵えた貴人の席へ、母の手を取って導くのがアグロヴァルの役目だった。上の弟はそういう格式張ったことを厭がり、下の弟はまだ幼く背丈が足りなかった。恭しく膝を折り、一度頭を垂れてから見上げる母はいつも楽しそうに微笑んでいた。目映い晩秋の光の中に懐かしく思い出す。
一つ、深く息を吐いた。
今祈りに伏した目を開けたとして映るのは変わらず美しい故国の秋の光景だけだが、だからと言ってそれを無価値と嘆く幼さはもう遠いものだ。記憶の中の母に変わり腰掛ければ、そこは今一時の玉座となる。
風が渡り、葉を散らす。その僅かな喧噪の中に、足音が混じるのを待っている。見上げる空は高く寂しいが、美しかった。