もうひとりじゃないのにまだ薄暗く朝とも夜ともいえない時分にううんとカインは大きく寝返りを打った。ボスンと腕がベットマットに弾かれる。
ふとした違和感。
ないはずがないもの。
その隣にあるはずのもの。
夢うつつのままカインは無意識に手を伸ばしてそのあるはずの何かを探した。
けれど見つからない。
何だろう…名前を思い出そうとしてその姿が先に目に浮かぶ。いつも傍にいるのが当たり前で、手を伸ばせばすぐに触れる事ができて、いつでもその熱を感じることができて、溶けるように一つになれたらと常に願っている、その感触を今は感じることができない。
「…アー…サー…?」
微睡みの中でカインは彼の名を呼んでみる。彼の親愛なる伴侶の名を。
厄介な傷のせいでカインは相手に触れない限りその姿を目にすることは出来ない。
朝目が覚めたときにお互いの顔が一番に見えるようにと選んだけして広すぎないベッドではある。けれど寝ているうちにいつの間にか離れてしまい隅の方でシーツに包まれてすやすやと眠っているのかもしれない。
カインはゆっくりとまばたきを繰り返しカーテンの隙間から入る宵明けの薄明かりを瞳孔に取り込む。
磁石のように今にもくっつきそうになる瞼と戦いながら目を開けてもう一度その名を呼ぶ。
「アーサー…?いるのか?」
アーサーの安眠を願う気持ちよりも少しばかり自分自身の不安を解消させたい気持ちの方が上回ってしまった。
けれど返事はなかった。
わずかな寝息の音でも聞こえないものかと耳を澄ます。
しかし窓の外の小鳥でさえまだ寝入っているのか、ツンとした静寂しか聞こえなかった。
カインは上体を起こす。
「どこに行った…?」
頭を掻きながらあたりを見渡す。
布団の中にはまだぬくもりと香の匂いが残っている気がする。
そんなに時間は経っていないのか?
用を足しにでも行っているのだろうか。
それにしても一人で使うベッドはこんなにも広かったっけ...?
少しずつ闇に慣れてきた目にはカインの横に人一人分ぽっかりと開いた空間が映った。
一人きりの布団はこんなにも寒かったっけ…。
戦場での野宿ですら慣れっこだったはずなのに。
カインは否応もない焦燥感に襲われ膝を抱えた。
目が覚めてからまだ幾ばくも経っていないのに随分と長い時間が過ぎたように感じられる。
―――あなたに与えられた愛を知らなければ夜はこんなにも長くなかった。
下を向くカインの頬を流れるものがあった。
「カイン、起きたのか。」
アーサーが不意に現れた。声とともに姿がみえる。
まだ寝起きのよく働いていない頭の中に驚きと喜びの感情が入り混じり、カインは思わずアーサーを抱きしめた。
「アーサー、アーサー。」
カインは頭をアーサーの胸にうずめたまま、子どもが母を求めるように何度も繰り返す。
「…?ああ、すまない。少し喉が渇いたので水を汲みに行ってきたんだ。その時、窓から月がみえて…。」
アーサーは一瞬息をのむ。
「キレイだなと思った時にはもう月に近づいていた。」
精霊のいたずらだろうか。月の夜は不思議なことが起こりやすい。
「吸い込まれそうなほど奇麗だった。だから少しだけ手を伸ばしてみた、そしたら…。」
「そしたら?」
「カインに呼ばれたような気がしたので戻ってきた。」
カインがアーサーから体を離すとアーサーの寝間着に二つの濡れた斑が残されていた。
「カイン…?泣いているのか?」
「さっきアクビしたから…。」
「カイン。」
「…いや、ごまかしてもだめだな。俺はあんたには格好いいところしかみせたくなかったのに。ちょっとあんたの姿が見えないくらいで、こんな気持ちになるくらいなら朝なんて来なければよいと、ずっと手を繋いだまま眠る夜が永遠になればよいと。そんなことを考えてしまった。」
弱さをさらけ出すような正直な言葉を吐く。
「……すまない。」
「?」
「私こそ嘘を言った。」
予想外の返答に俯いたままカインは眉を上げる。
「喉が渇いたと言ったのは嘘だ。夢を見たのだ。カイン、おまえが殺される夢だ。」
「俺が?」
アーサーは頷く。
「夢の中の私はカインを助けたかったのに恐怖に負けて足がすくんでしまって…。ただ見ていることしかできなかった。目が覚めて、おまえが目の前にいた時、とても安心した。けれども同じくらい怖くなってしまった。正夢になってしまったらどうしようか、再び眠りについたらまた夢の続きをみてしまうのではないか。悔しくて嫌な気持ちが抜けなくて少しだけ空を散歩してきた。出るときに祓ったつもりだったが部屋の中に私の不安な気持ちが残ったままだったようだな。すまない。」
カインは頭を振る。
「アーサーが謝ることじゃない。アーサーも不安だったんだな。」
二人は改めて抱きしめ合った。
「幸せすぎて不安になるなんてことあるんだな…。」カインはボソリと呟く。
「それって……今、幸せってことか?」
「ああ、そうだ!」
顔を合わせて笑いあった。
「カイン、もう離れないよ。」
呪文を唱えたわけでもないのにアーサーのその一言はシュガーが口の中でぱあと溶けるようにカインの心を満たした。
「起きるにはまだ少し早いだろう?手を繋いでくれないか。」
カインが促されるままに指を絡めると二人はお互いの額と両頬に一回ずつ口付けをした。
「今度は眠れそうだ。もう一度、おやすみのキスを。」