Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    なりひさ

    @Narihisa99

    二次創作の小説倉庫

    ☆quiet follow Yell with Emoji 🌠 🐣 🍩 💕
    POIPOI 274

    なりひさ

    ☆quiet follow

    ガンマト。爆速転生したマト(幼児)

    #ガンマト
    cyprinid

    待たせたな マトリフがこの世を去って十年が経つ。私はまだ彼のことが忘れられない。
     波の音は今日も絶えない。この洞窟にいると時間の感覚が麻痺していくようだ。人里離れた場所であるから人間はいないし、大渦があるせいか魔物も寄り付かない。
     ただ日々は穏やかに過ぎていく。昨日と同じようで少しだけ違う日々が、波のように無限に繰り返していく。そこにささやかな楽しみを見出すこともできずに、あれほど愛読した本すらも、最近では埃を被っている。
     旅に出るのも気晴らしになると勧めてくれたのはマトリフの愛弟子だ。だがその言葉もその場限り頷いただけで終わってしまった。いつの間にか少年から立派な青年に成長した姿を、マトリフも見たかっただろう。あれほど心配していた宮仕えでの苦労も杞憂に終わり、後進育成に力を入れているようだ。たまにこの洞窟へと訪れては、マトリフの思い出に付き合ってくれる。
     勇者もたまに洞窟を訪れるが、あまり会話が弾まない。勇者はこの洞窟にマトリフの存在の欠片を探しているかのように、ただじっと本棚を見つめたり、マトリフの愛用していた椅子を眺めたりする。私は勇者が何をしているのかわかる気がした。彼は自分の中にだけ存在するマトリフに、助言を求めているのだ。マトリフだったら何と言うだろうかと想像して、その答えに耳を傾ける。それは祈りのような思考だ。勇者はしばらくそうして考えに耽り、静かに去っていく。彼の働きは少しずつ世界を変えているという。
     私は彼らのように前を向けていない。マトリフが去った日から、時間が止まっているように思える。十年という時間は人間にとっては大きいから、私だけが取り残されている気がした。
     朝靄が晴れていく。だがどこへ行っても同じだ。この世界にマトリフはいないし、それで何かが大きく変わったわけでもない。私の悲しみばかりが大きくて、それを抱えたまま動けないでいる。
     ふと誰かに呼ばれた気がして洞窟の出入り口を見る。そこに誰かが立っていた。影からすると小さな人間だ。途端に懐かしい何かを感じて駆け寄った。
    「よぉ、待たせたな」
     淡い色の髪をした少年がいた。歯を見せて皮肉っぽく笑う顔に強烈な既視感を覚える。ただ直感で、彼がマトリフだとわかった。
    「会いたかった」
     膝をついて小さな体を抱きしめる。私の悲しみに気付いて神が贈り物をくれたらしい。二度と離すまいと腕の中に閉じ込める。マトリフは苦しいと言って私を叩き、小さな手で私を抱きしめた。

    ***

    「せんせー、ポップせんせー」
     可愛らしい声で呼ばれてポップは振り返る。魔法学科初等部の生徒がこちらに向かって手を振っていた。
     パプニカでは魔法使いと賢者の育成に力を入れている。そのために魔法学科が設立され、ポップは宮廷魔導士と魔法学科の先生という二足のわらじを履いていた。ポップが受け持つのは初等部のクラスで、魔法の基本を教えている。
    「おはようみんな」
     ポップはにこやかに笑いかける。先生としての手本はやはりアバン先生で、みんなに慕われる先生を目指していた。
     するとみんなから少し遅れて一人の少年がやってきた。
    「よぉ、ポップ先生」
     その少年は先生という言葉をいやに強調して言った。顔には意地悪そうな笑みを浮かべている。ポップは笑顔をひくつかせた。
    「おはよう、マトリフくん」
     このいたいけな少年がかつての師の生まれ変わりであることに、ポップはまだ慣れなかった。生まれ変わりというか、その少年はマトリフそのものなのである。姿こそ十歳の少年であるのに、以前の記憶も持っているし、性格だって昔のままだった。
    「じゃあみんなで教室に行こうか」
     子どもたちは元気よく返事をして我先にと駆けていく。ところがマトリフは制服である黒の法衣のポケットに手を突っ込んで大欠伸をしていた。
    「ほら、師匠も教室に行ってくれよ」
    「めんどくせぇな」
    「だったら何で学校なんて来てんだよ。魔法なら何だって使えるじゃん」
    「あいつが行けってうるせえんだよ」
     あいつとはガンガディアのことだ。そもそも、マトリフがこうしているのはガンガディアのためだという。マトリフはガンガディアを置いてこの世を去るのが不憫だとかで、禁呪法を使って即行で転生してきたらしい。
    「子どもは学校でお勉強だって言ってきかねえんだよ。同年代の友だちをつくれとか、太陽を浴びて運動しろだとか」
     マトリフは不満を言いながらも満更でもなさそうだ。ポップはマトリフの背を押して促す。
    「じゃあ今日はみんなでメラを練習しような」
    「せめてメラゾーマにしろよ」
    「初等部でそんな火力出したらオレが怒られるっての」

     ***

     唐突に感じた命の終わりにマトリフは焦りを感じた。
     近頃は発作も起こっていなかった。だが禁呪法を使ったために受けた身体への負荷は消えることはない。そんなことを忘れてしまうほどに体調は良く、つい遠出をしてしまった。
     マトリフは草むらに膝をつく。生い茂った宿根草には赤い血が飛び散っていた。突然の発作はそのままマトリフの命を刈り取ろうとしている。止まらない咳の合間になんとか息を吸うが、酸素の足りない頭は思考を止めようとしていた。張り詰めた糸が切れるようにマトリフは草むらに倒れこむ。
    「ガ……ン……」
     ガンガディアの名を呼ぼうとして、今ここにいないのだと思い出す。ここは洞窟から遠く離れていて、行き先も告げずに来てしまった。ここでマトリフが野垂れ死んでも誰も気付かないだろう。ガンガディアはあの洞窟で待ち続けるに違いない。憧れの眼差しを向けてくるあの好敵手はマトリフの死を受け入れられるだろうか。長い年月を生きるなかでいつかマトリフのことを忘れてしまうのだろうか。
     そう思うと死んでも死にきれなかった。
     マトリフは力の入らぬ腕をなんとか伸ばす。震える手がすぐそばにあった老木に触れた。マトリフは残った魔力を伸ばした手に集中させていく。この禁呪法は使ったことがなく、成功するかは賭けだった。だがやらないという選択肢はない。どんなに低い確率だろうが、必ず成功してみせる。
    「……待ってろよ」
     時間はかかっても、必ず戻ってくる。マトリフは禁呪法の詠唱をはじめた。この老木を依代として、新しい生命を生み出す。そしてその生命体に、今ある自分の記憶も魔力もそのまま移し込むのだ。
     詠唱は終わった。きっと成功しただろう。残りの魔力が少なかったから、新しい肉体の生成には何年もかかるだろう。だが必ず生まれ変わってガンガディアの元へと帰る。
     視界が暗くなってきた。どうやら本当に死ぬらしい。どこからかガンガディアの声が聞こえる気がする。心配するな。必ず帰ってくる。お前を一人にはさせない。

     ***

    「えっ……まさかあなたマトリフですか!?」
     アバンに顔を両手で挟まれてマトリフは頷けもしなかった。
     マトリフはいつもは学校までガンガディアのルーラで送ってもらっている。だが今日は校外学習があるとかで、集合場所は学校のそばの草原だった。マトリフはガンガディアとは学校の前で別れて、一人でその草原へと向かっていた。
     するとどんな偶然なのか、アバンとすれ違った。アバンはすぐさま足を止めてマトリフをガン見した。
    「マトリフ?」
     マトリフはその声に気付かないように通り過ぎようとした。マトリフは転生してからアバンには会わないようにしてきた。転生したことすら告げておらず、マトリフの転生を知っているポップにも口止めをしていた。
     アバンに顔を固定されたマトリフは冷や汗を浮かべながら必死で首を横に振る。
    「ぼくはマトリフじゃないよぉ」
     かわいらしい少年を演じてみるが、どうにも胡散臭いと自分でも思った。案の定アバンは疑いの眼差しを確信に変えた。
    「この姿……それにこの魔力……まさか禁呪法で?」
     聡明な大勇者は一発でマトリフの行いを見破った。こうなることを恐れていたからこそマトリフはアバンに黙っていたのだ。
     禁呪法は人間が使えば寿命を縮める。それ故に使用を禁じられていた。禁呪法の中には卑劣な呪文も多く、使えば外道扱いされるが、術者を守るために禁止されているものが殆どだった。
     その禁呪法の中でも、新たな生命を生み出す呪文が禁止されているのは、倫理の逸脱のためだった。元は古代呪文だったが、この呪文によって新たな生命を生み出して兵器として多用され、多くの命が失われた。そのために呪文自体の使用が禁じられていた。
     この呪文を使ったことが知られたら、どこの国であろうと牢屋に入れられて二度と出てこられないだろう。この呪文を使うということはそれほどの罪だった。
     この呪文を使ってもポップなら見逃すだろうが、アバンはわからない。そう思ってマトリフはアバンには隠してきた。
     いっそ呪文を使って逃げるか。それともシラを切り通すか。マトリフが一瞬のうちに考えを巡らせていると、ふとアバンがマトリフの顔から手を離した。このチャンスを逃すまいとマトリフはルーラで飛び立とうとする。
     しかしそれより早くアバンの腕がマトリフを抱きしめた。
    「お、おい」
     アバンの突然の行動にマトリフは固まる。すると啜り泣く声が聞こえてマトリフはぎょっとした。
    「どうして突然に逝ってしまったんですか」
     はらはらと涙を流すアバンに、マトリフは口をぽかんとあけた。アバンがなぜ泣いているのだろうと不思議に思う。
    「なに泣いてんだよ」
    「あなたのせいですよ」
     いくら覚悟をしていても別れは悲しい。それが突然であればあるほど、耐えきれないほどの衝撃になる。
     マトリフには泣いているのが十五歳の勇者のように思えた。あの旅の中でもこんなふうに泣くことはなかったはずなのに、あの旅での印象が強すぎて今でもあの少年が目の前にいるように思える。
    「とにかく泣き止めよ。遅刻してポップに怒られちまう」
     そこでアバンはマトリフの着ている制服に気づいた。パプニカの魔法学科の設立にアバンが一枚噛んでいたことはポップから聞いている。
    「まさかポップの受け持つクラスなのですか?」
    「そのまさかなんだよ」
     それからアバンはマトリフの手を引いてポップの元まで行った。ポップはアバンに手を引かれたマトリフを見た瞬間に天を仰いだ。
     その日の校外学習が終わってから、アバンはマトリフとポップ、それにマトリフを迎えにきたガンガディアの三人からみっちりと事情聴取した。

     ***

    「もう懲り懲りだ」
     マトリフは蚊の鳴くような声で呟いたが、トロルの耳はそれを聞き逃さなかった。
    「勇者の説教のことかね」
    「あいつ歳取ってしつこくなったんじゃねえか?」
    「彼は至極真っ当な事を述べていたよ」
     禁呪法で転生したことがアバンにバレて、長々と説教をされた。なぜか巻き添えをくってガンガディアとポップも怒られていたが、マトリフはアバンの話の半分も聞いていなかった。説教を聞き流す力はバルゴート師匠のおかげで鍛えられていた。
    「あなたが勇者の話をきちんと聞かないから話が長引いたのだよ」
    「悪い事を悪いと知らねえでやるほど馬鹿じゃねえよ」
    「馬鹿ではないが性質が悪いということかね」
    「そういうこった」
     アバンが怒るのは心配からだとわかっている。マトリフだってこんな禁呪法をもしポップが使ったなら説教どころでは済まさない。自分の一生を棒に振るような事を軽々しくするものではないし、させたくはない。だがマトリフは自分の行動に責任を持つし、覚悟だってしていた。
    「ダルいから明日の学校は休む」
     ベッドに潜り込めば嫌な事は大概失せていく。このまま寝てしまおうと思っていたのに、ガンガディアの手がベッドに入ってきてマトリフをつまみ出した。
    「今日は風呂に入ると約束していただろう」
    「ヤダ。面倒臭え」
    「身体を洗えば気持ちもサッパリするよ」
     そのままガンガディアの脇に抱えられて風呂まで連行される。洞窟の奥に作った岩風呂は湯気を上げていた。ガンガディアのことだから人間に丁度良い温度にしてあるのだろう。
     マトリフが棒立ちになっているあいだにガンガディアはせっせとマトリフの服を脱がせていく。親が幼児にするように、ガンガディアはマトリフの世話を焼いていた。ガンガディアの鋭かった爪は丸く削られ、割れ物に触れるかのように慎重にマトリフに触れてくる。
    「目を瞑って」
     頭から湯が流される。その後も大きな手がマトリフの全身を石鹸で洗っていく。それが心地良くて、つい目を閉じたままされるがままになっていた。
     本当は身体くらい自分で洗える。いくら子どもといえど十歳ほどで、そもそも前世の記憶を受け継いでいるのだから、たいていのことは自分で出来た。ガンガディアがどうも世話を焼きたいようなので色々とやってもらっているが、これで良いのだろうかとふと疑問に思う。
    「まだ寝ないで。もうすぐ終わる」
     抱えられて湯に入る。まるで雲の中にいるような心地だった。広がる青い肌を白い湯気が霞める。
    「なあ」
    「なにかね」
    「オレが大人になるまで、ちゃんと待ってろよ」
     今が十歳なのだから、それほど時間はかからない。百年生きたマトリフからすれば、数年なんてあっという間のはずだ。それなのに、子どもの体のせいなのか、その数年がひどく長い時間のように思える。
     するとガンガディアは言葉の意味がよくわからなかったかのように首を傾げた。
    「待つもなにも、ずっと一緒にいるつもりだが」
    「そうかよ」
     本当は大した覚悟もなく禁呪法を使った。マトリフだってあれほど突然に死ぬことになるとは思っておらず、焦りと昂った気持ちのまま転生を決めた。転生したところで、ガンガディアがすっかりマトリフの死から立ち直り、魔界へ帰っていたかもしれないのに。
    「……そうなってたら笑えたな」
     眠気に誘われるままに目を閉じる。どうせデタラメな人生で、それは何回生まれ変わろうが変わりはしないのだ。

    ***

    「こんなこと聞いたらアレなんだけどさ」
     と珍しく気遣わしげにポップが言ったのは、子どもたちはすっかり帰った教室でだった。ポップとマトリフは机を挟んで向き合っている。一見すると先生であるポップが生徒のマトリフに勉強を教えているように見えるが、広げられた古代魔法の魔導書はポップが勉強するために持ってきたもので、マトリフが指導をしていた。
    「師匠はさ、なんで転生したんだ」
    「なんでって……なんだよ迷惑だって言いてえのか」
    「そうじゃねえよ。オレだって師匠にはもっと教えてもらいたいことあったし、ていうか今まさに教わってるし、迷惑はかけられてるけど嫌じゃねえんだけどさ」
     ポップはバンダナの端を指で弄りながら言葉を探している。これは前から思ってたことを、言うタイミングを探していたのだろう。
    「師匠ってもっとあっさりした性格かと思ってたからさ。あんな呪文使ってまで戻ってくるって、なんでかなあって」
     この間のアバンの説教がポップには随分と響いているようだ。ポップはもともと禁呪法を忌み嫌う意識が薄い。だがアバンの言葉がようやくそれを変えたようだ。
    「ガンガディアのことを見てたならお前だってわかるだろ。ずっとあの洞窟に引きこもってたらしいじゃないか」
     マトリフが転生するまでに要した時間は十年。本来ならそれほどガンガディアを待たせるつもりはなかった。だが初めて使う呪文に足りない魔力が重なって、肉体の生成に十年もかかってしまった。
    「たぶんさ、ガンガディアは時間はかかっても師匠が死んだこと受け入れたと思うよ」
    「わかった口きくじゃねえか」
    「あんたが好敵手って認めた相手じゃん」
     ポップはそこで言葉を止めて、マトリフの反応を伺っていた。
    「何が言いてえ」
    「別に。ちょっとモヤモヤしてたっつーかさ。あんたがそんなふうに執着するなんて、なんでだよって思って」
    「こうなりたく無かったらお前は未練を残さねえこった」
    「反面教師かよ」
     大人になった割にはまだ拗ねて見せる弟子に、マトリフはつい手を伸ばしていた。その癖っ毛を撫でてやれば、嫌がりもせずに撫でられている。甘え方を覚えるくらいには大人になったのだと思うと、妙に寂しくもあった。
     ポップに言われたことはマトリフの痛い場所を確実に撃ち抜いていた。結局のところ、マトリフが転生を選んだのはガンガディアのためではなく、自分のためだ。ガンガディアを残していくことに耐えらえなかった。
    「マトリフ、迎えにきたよ」
     タイミングを見計らったように声をかけられた。ガンガディアが教室の入り口からこちらを覗いている。耳のいいトロルには話は全て聞こえていたのだろう。
    「まだ勉強があるのならうちへ来るかね」
     ガンガディアの手に抱き上げられる。それが強引に感じた。まるでポップから引き離されたように思える。
    「いや、オレも仕事がまだ残ってるから」
     ポップは魔導書を片付けて立ち上がった。

     ***

    「ねえマトリフくんってどこに住んでるの?」
     午後の教室。小生意気な子どもたちに好奇心の目を向けられて、マトリフは明後日の方向を見た。
    「遠いとこ」
     そもそもマトリフが学校に来ているのは、同年代の友だちを作ってほしいとガンガディアが言ったからだ。だがどう考えても百まで生きてマトリフが子どもと話が合うわけがなく、マトリフは教室で浮いていた。それなのに今日に限ってやたらと話しかけられる。
    「だからパパがルーラで送ってくれるの?」
     この学校の生徒は殆どがパプニカの城下町に住んでいる。そんななかでルーラでの送迎は目立ったのだろう。マトリフは人間にモシャスしたガンガディアに連れられて来ているから、ガンガディアが父親だと思われたようだ。
    「パパ……あいつは……まあいいか」
     ガンガディアを他にどんなふうに説明しても面倒だ。適当に話を合わせておけばいい。
     マトリフは学校では出来るだけ目立たないようにしていた。禁呪法で転生しただなんてバレたら一生牢獄で過ごすことになる。ガンガディアやポップが密告するはずがないし、アバンも黙認していた。だがこれ以上誰かに知られればまずい。そのためにマトリフは学校でも派手な呪文は使わずに、大人しく過ごすようにしていた。
    「マトリフくんは好きなひとはいるの?」
     急に飛んだ話題に重たい目を見開く。
    「あ、その反応はいるでしょ」
     今の子どもはマセてやがると思いながらも、否定するもの癪だったので「まあな」と言っておく。すると子どもたちは急に盛り上がり、どんなひとだこの学校の生徒なのかと矢継ぎ早にたずねてきた。マトリフはのらりくらりと質問をかわす。
     すると廊下の方からポップの声が聞こえてきた。まだ午後の授業が始まるには早い。それに何やらポップは焦っているようだった。
    「ちょっとだけ待ってくれって」
     子どもたちもポップの声に廊下のほうを一斉に見る。その子どもたちが壁になってマトリフからは廊下が見えなかった。
    「あらいいでしょ。視察よ視察」
     その軽やかな声に聞き覚えがあった。マトリフは咄嗟に椅子から転がり落ちて床に這い蹲る。モシャスで何かに化けようかとも思ったが、これほど大勢がいるなかでモシャスなんて呪文を使えば余計に目立ってしまう。
    「女王様だ!」
     誰かが言った。子どもたちの歓声が上がる。同時に足音がこちらへと向かってきた。きらびやかな靴の先がマトリフの視界に入る。
    「大丈夫、キミ」
     レオナは床に寝転ぶマトリフに手を差し出した。その後ろではポップが青ざめている。
     そうだな。これはまずい。逃げよう。
    「急に腹が痛くなってきた!」
     マトリフはそのままレオナの手を無視して逃げ出そうとした。だがマトリフの行く手にレオナが立ち塞がる。さすが大魔王に傷を負わせただけのことはある。
    「どこへ行くのかしら。逃げられるとでも思っているの?」
     むしろラスボスじゃないか。マトリフは観念してがっくりと肩を落とした。
     
    ***

    「メラとヒャドを合わせたらどうなるの?」
     手をいっぱいに上げて少女が言った。教室の子どもたちの目が一斉にマトリフのほうへ向く。
    「そうだな。説明するより見たほうが早いだろ」
     マトリフは両手を胸の高さまで上げると、ヒャドとメラを同時に手に生成した。もちろんわざと威力は違うようにしてある。
    「どうなると思う?」
     子どもたちに問いかければ、先ほどの少女が目を輝かせて言った。
    「爆発する!」
     すると子どもたちは口々に自分の意見を言い始めた。それが落ち着くのを待ってマトリフは手をかかげる。
    「じゃあ見てみるか」
     合わさったメラとヒャドは一瞬だけ溶け合ったように見えたが、メラの勢いにのまれたヒャドは一瞬のうちに消え去った。子どもたちからは感激であったり残念がる声が上がる。
     するとちょうどチャイムが鳴った。子どもたちはそれこそ歓声を上げながら教室から出ていった。
    「転けるなよ」
     誰も聞いていないと思いながらもマトリフは言う。数年前まではマトリフもこの教室で生徒として座っていた。あれから数年が経つ。マトリフは既に学校を卒業し、訳あって教壇に立っていた。
    「師匠」
     その声につられて見れば、教室の外にポップが立っていた。そういえばこいつは幾つになったのか。少年だった頃が懐かしい。
    「お前、サボってやがるのか」
    「書類出しに来ただけ。復帰は来月からだから」
    「やっぱりオレは先生なんてガラじゃねえよ」
     マトリフはポップが宮廷の仕事で抜ける授業を受け持っていた。最初は二、三日程度の約束だったのだが、それが何回も延長されて数ヶ月も続いている。
    「代わりの授業を頼めるのなんて師匠しかいねえじゃん。アバン先生は忙しいし」
     オレだって暇じゃねえよとマトリフは教科書をまとめる。そこには今から向う研究室の資料もあった。
    「お前も来たなら顔出していけよ」
    「無理無理。姫さん人使い荒いもん」
     ポップはいまだにレオナを姫さんと呼ぶが、正式には女王だった。その女王であるレオナから、マトリフは首輪をつけられ鎖で繋がれている。それはもちろん比喩で、逃げられないという意味だ。
     マトリフが転生に使った禁呪法は厳しく禁じられたものだった。レオナはマトリフがその呪文を使ったと知ったが、牢獄に入れようとはしなかった。
     その代わりに、とレオナは言った。タダより高いものはないように、お咎め無しというものは、より大きな代償を必要とする。
     レオナはマトリフの罪を問わない代わりに、知識を全て差し出すことを命じた。今回使った禁呪法も含めて、全てである。それはつまりギュータで得た呪文の知識も含まれた。
    「全て本に記して頂きたいの」
    「そりゃあ時間がかかるぜ」
    「あら、時間ならたくさんあるでしょう?」
     まだ十歳なのだから、とレオナは完璧な笑みで言った。
    「……なにやってんだか」
     禁呪法を使って転生しておいて、なぜ学校に通ったり教師の真似事をしているのか。毎日がそれなりに忙しくて、今夜も遅くまで研究室に閉じこもって書かねばならないのだろう。最近はガンガディアともろくに喋っていない。
    「師匠、なんかやつれてない?」
     言いながらポップが頭を撫でてくる。マトリフは成長したとはいえ、ポップより頭ひとつぶん小さかった。マトリフはポップの手を払いのける。
    「撫でてんじゃねえよ」
    「この前まであんなに小さかったのに、子どもの成長って早いなあ」
    「おめえに言われたくねえよ」
     大きなため息を吐いてから、ふと立ち止まる。マトリフが足を止めたとこに気付いてポップが振り向いた。
    「どしたの師匠」
    「サボる」
    「え?」
     どうも最近は真面目に働きすぎたようだ。こんなことにかまけていたら本末転倒もいいところだ。
     さっさと帰ろうとマトリフは廊下の窓を開けて足をかけた。するとポップの呆れた声がする。
    「姫さんに叱られてもしらねえよ」
    「じゃあ腹痛とでも言っとけ」
    「もうちょいバレない嘘にすればいいのに」
     マトリフは窓枠から大きく体を乗り出してルーラを唱えた。

     ***

    「おかえり」
     出迎えたガンガディアの笑顔に、そういえばこの顔が見たくてこの世に戻ってきたのだとマトリフは思う。
    「今日は早かったのだね。食事を準備しようか」
     ガンガディアはいつものようにてきぱきと世話を焼こうとする。マトリフは満たされる気持ちを感じながらも、ガンガディアの手を掴んで止めた。
    「話がある」
     マトリフのいつになく真剣な様子に、ガンガディアはすっと笑みを消した。そしてマトリフより畏まった様子で横に腰を下ろした。
    「……いつかあなたから話があると思っていたのだよ」
    「なら話は早いな」
    「ここを出ていくのだろう。わかっていたよ」
     泣くのを堪えるように小刻みに震えるガンガディアに、マトリフは言葉を失った。
    「は……なに言ってんだ?」
    「あなたは学校で楽しそうだし、私とここで暮らすよりも、勇者や弟子たちと暮らすほうがいい」
     ガンガディアは唇を噛み締めながら涙を堪えている。どうやら明後日の方向に勘違いしているらしい。
    「なに勘違いしてんだ。オレは全然そんなこと考えてねえぞ」
    「ではやはりパプニカ国に勤めるのかね。あなたほどの人材を放っておくはずがない」
    「それも違ぇよ。なんならあそこから逃げ出そうと思ってるくらいだ」
    「まさかまたあの国に嫌な思いを? 滅ぼしてくる」
     突然立ち上がって怒りを燃え上がらせるガンガディアをマトリフは慌てて止めた。
    「馬鹿言ってんじゃねえよ。全然違うから話を聞け!」
     ガンガディアの尖った耳を鷲掴みにして声を上げる。ガンガディアはようやく的外れなことを言っていたと気付いたようで、しゅんと気落ちしたように大人しくなった。
     マトリフは咳払いをしてからガンガディアの耳から手を離す。いざ言おうと思うと途端に口が重くなった。
    「オレが言いてえのはだな……そろそろいいんじゃねえかってことだ」
    「何がだね?」
     ガンガディアは今度こそ冷静に話を聞こうとしているらしい。真面目に傾聴する姿勢に、マトリフは急に羞恥心が込み上げてきた。
     セックスしようぜ、なんて言える空気ではない。そもそも、こういった誘いは雰囲気があってこそ成り立つものだ。マトリフはそわそわと視線を泳がせる。
    「だからアレだよ。オレだってもうガキじゃねえんだしよ。そろそろ……」
     マトリフはもじもじと指を突き合わせながらガンガディアを見上げる。
     するとガンガディアは不思議そうに首を傾げてマトリフを凝視した。
    「こんな事を言うのは失礼かもしれないが、あなたはまだ幼児では?」
    「誰が幼児だ」
     まさか煽っているのかと思ったが、どうやらガンガディアは本気でマトリフを幼児だと思っているらしい。
    「念の為に言っておくがな……今のオレはアバンが脳筋魔王を倒した時の年齢を超えてるからな」
     身近な人間の年齢を例に出せばわかりやすいかと思ったが、ガンガディアは疑惑の眼差しでマトリフを見つめた。
    「マトリフ、嘘はいけない」
    「嘘じゃねえよ! なんだよそんなにオレがガキに見えるってのか!」
    「背伸びをしたい年頃なのはわかるが」
    「そうじゃねえって言ってんだろ!」
     よしよし、と頭を撫でようとするガンガディアの手を殴って止める。だが殴った拳が痛かっただけで止められもしなかった。ガンガディアの慈しむような手の動きに、段々と情けなくなってくる。
    「オレは……ガキじゃねえ!」
     マトリフは飛び上がると無理矢理にガンガディアの唇に唇を重ねた。ガンガディアは驚いて目を丸くさせている。マトリフは呪文の力を借りてそのままガンガディアを押し倒した。
    「オレがガキじゃねえって……わからせてやる」
     ガンガディアの腹に跨ってマトリフは言った。法衣の首元をゆっくりと緩める。見せつけるように舌先で唇を舐めれば、ガンガディアの視線が釘付けになっているのがわかった。
    「本当はヤりたかったんだろ」
     前世でガンガディアと身体の関係を持ったことはなかった。マトリフの年齢と体調を気遣ったガンガディアはセックスをしたいとは言わなかったからだ。だが時々、ガンガディアがマトリフを見る視線に隠しきれない欲望が滲むことがあり、マトリフはそれに気付いていながら知らないふりをした。よくもまあこんな爺の身体に欲情できるものだと呆れながら、それに応えてやれない惨めさもあった。マトリフだってあと十年若ければ抱かれてやってもよかったが、無理をしてやった挙句に腹上死なんて目も当てられない。
     結局、やはり一回くらい抱かれておけばよかったという後悔を残して死んでしまった。だから生まれ変わった今度こそ、ガンガディアの望みを叶えてやりたかった。
    「どうした、怖気付いたか?」
     マトリフは法衣を脱ぎ捨てた。以前とは違う、若い身体のほうがガンガディアだっていいだろう。
     するとガンガディアはマトリフが脱ぎ捨てた法衣を拾って、あろうことかマトリフの肩にかけた。
    「いけないマトリフ。自分の身体を大切にしたまえ」
    「なっ……なんだよ。オレのこと抱きたくねえのか」
    「自分からそのように身体を差し出すものではない。あなたはまだ若い。これから多くの経験をすれば、私なんかより良い人と出会うかもしれない」
    「馬鹿言ってんじゃねえよ」
     こっちはとっくに覚悟を決めているのだとマトリフは下着に手をかけた。誘惑してガンガディアの理性などぶっ壊してやればいい。先ほどからマトリフの尻の下にあるガンガディアの棍棒が大きさを増していることはわかっていた。
     マトリフは下着を下ろして自身に手をやる。若いだけあって元気のいいそれを見せつけるように扱いてみせた。
    「オレとヤりたくねえのか?」
     こっちはもうその気になっているのだと示せば、ガンガディアの気配が一気に変わった。喰らいつくほどの勢いで身体を掴まれて押し倒される。やっとその気になったのかと思えば、途端に脚を掴まれた。
    「あっ」
     焦るなよ、と言う間もなく股間を舐められた。生暖かく湿った分厚い舌が尻の穴も竿も同時に舐めてくる。その感触に驚いてマトリフは大きな声を上げた。
    「お、おい驚かすなよ」
     ガンガディアのことだからすぐに止めるかと思ったが、舌は執拗にマトリフの股間を舐め続けていた。それが心地良いような怖いような、その両方だったのでマトリフも止めろとは言わなかった。やがて股間の薄い繁みがぐっちょりと濡れて、天井の蝋燭に照らされててらてらと光って見えた。
     するとガンガディアはマトリフの脚を引っ張り上げた。尻を突き上げる格好になり、マトリフは流石に恥ずかしさを覚える。
    「ガンガディア、おい」
     マトリフはまだ笑っていたが、ガンガディアの手がマトリフの腕を床に押し付けて縫いとめるように封じると、笑っていられなくなった。
     ガンガディアを見上げれば、完全に理性を失った目とかち合う。マトリフはさっと血の気が引いていった。
    「嘘だろ」
     煽ったのはマトリフだが、ここまで理性を無くすとは思っていなかった。これまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたガンガディアの優しさは見る影もない。ガンガディアの膨れ上がった欲望がその凶暴な姿を露わにしていた。
    「待て……まってくれ」
     濡れたマトリフの後孔にガンガディアの肉棒の先端が押し付けられる。その質量にマトリフは息を飲んだ。押さえつけられた腕は動かず、一本だけ自由な脚で蹴りつけるも、そんなものは抵抗にもならなかった。
    「あっ、痛ッ!」
     押し込まれた先端にマトリフは声を上げる。慣らしてもいない穴は固く閉ざしていた。いくら濡らしたところでガンガディアにものが入るはずがない。
    「ガンガディアッ!!」
     マトリフの腹の底からの一喝に、ガンガディアはようやくハッとして正気に返った。そしてマトリフが痛みに涙ぐんでいることに気付く。
    「ッ……すまない!!」
     ガンガディアが慌てて引き抜いた。拘束されていた手足も解放される。マトリフは慌ててガンガディアから離れて法衣を拾った。その怯えた様子を見てガンガディアは狼狽する。
    「すまないマトリフ。痛かったのかね」
     ガンガディアが言いながら手を伸ばしてくるが、先ほどの痛みのせいでマトリフは顔が強張っていた。ガンガディアは手を引き、深く項垂れた。
    「すまない。もうあなたには触れない」
    「落ち着いたならいい。ちょっと待ってくれりゃあ続きを」
    「続きだなんてとんでもない。私とあなたで性行為など無理だ」
    「なんでだよ。さっきは急ぎすぎただけで」
     それからマトリフが何と言おうがガンガディアはセックスに応じなかった。

     それから更に月日は流れた。マトリフはパプニカ城のバルコニーの手摺りに腰をかけ、大きな欠伸をしていた。
    「……ついにヤった?」
     背後からかけられた声が弟子のものだとわかっていたから、マトリフは首を横に振った。ポップもマトリフがそう答えるとわかっていたらしく、よっこらせと言いながら隣に腰を下ろした。
    「よっこらせだと? お前いくつなんだよ」
     じじ臭えなとマトリフは文句を言うが、弟子はいつの間にか壮年の男になっていた。そのことに毎度驚きながら、つい自分の残りの年月を頭で計算している。
    「師匠がまたジジイになる前にできりゃいいんだけどな」
    「うるせぇな」
     ポップは自分の恋愛には鈍いくせに、マトリフとガンガディアのことは見てきたように察してくる。マトリフがガンガディアに何度セックスを誘っても断られることも知っていた。
    「そういや、コレを書き終わったから姫さんに渡しとけ」
     マトリフは手に持っていた本をポップに押し付けた。それはレオナから言い付けられていた、マトリフの知識を書き記したものだった。
    「これが最終巻?」
    「そうだ」
    「マトリフの書の完成だな」
    「そんなダサイ名前付けんじゃねえよ」
     言ってマトリフは手摺りの上に立ち上がる。これを書き終えたということは、パプニカとの繋がりもついに終えたということだった。
    「どこか行くの?」
     ポップが見上げてくる。陽射しが眩しいのか、目を細めた表情に、少年だった頃の面影が見えた。
    「アバンにはよろしく言っといてくれ。たぶんお前らがくたばる頃には戻ってこねえ」
    「なんだよ師匠、魔界にでも行くってのか?」
     ポップは冗談めかして言ったが、マトリフは意味ありげに笑って見せた。
    「その本の最後にオレが転生に使った禁呪法について書いてあるんだがな」
    「え、師匠マジで魔界に行くの?」
    「あともう一つ禁呪法が書いてある。お前はどっちも使うなよ」
     ポップは本を開いて禁呪法の記述を探している。そして見つけたのか、長い溜息をついた。マトリフがつい最近に使った禁呪法は、寿命の延長だった。
    「……長期戦ってこと?」
    「まあな。せめてあいつくらいの寿命がりゃ、いつかチャンスもあるだろ」
    「そんなにガンガディアに惚れてんの?」
    「まあな」
     マトリフは呪文でふわりと浮き上がった。ポップは困ったようにバンダナをいじる。
    「また禁呪法使ったって知ったら姫さんがなんて言うか」
    「だから魔界に逃げるんだよ。ガンガディアも連れてな」
     と言いながら本当はとある島へ行くつもりだった。そこは魔物がたくさんいて、中々にいい場所らしい。ガンガディアの顔見知りもいるから、あいつにとっても良いだろう。そこでじっくりガンガディアを口説き落とすつもりだ。
    「達者でな」
     これが最後だと思って弟子の頭を撫でてからマトリフはルーラを唱えた。これから忙しくなる。島へ二人分の書物を移動させたり、馬鹿でかいベッドを組み立てたりするのだ。
     マトリフはルーラで洞窟の前に降り立った。着地音で気付いたのか、ガンガディアが本を持って出てきた。
    「おかえり」
     屈むガンガディアの頬に口付ける。そのまま待っていたらお返しにとガンガディアから口付けを受けた。日常の愛情表現はここ数年ですっかり定着している。このままいけばセックスする日も遠くないだろう。
    「皆とのお別れは済んだかね」
    「ああ。待たせたな」
     じゃあ行こうぜ、とガンガディアの手を取る。長い寿命を得たのだから焦りはしない。ゆっくりと愛を伝えていこう。




    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works

    kisaragi_hotaru

    DONE無自覚のままであろうとした両片想いガンマトが自覚させられるお話。欠損描写がありますが最終的には治りますけれど苦手な方はご注意くださいませ。謎時空なので深く突っ込んではいけない系です。魔王は祈りの間にて引きこもり中です。
     乱戦状態だった。一人ずつ探して回復していったのでは間に合わない。マトリフは冷静さを保ちながら素早く周囲を見回して、次いで傍らでモンスターを殴り飛ばしたブロキーナに視線を向ける。最近習得したばかりの回復呪文を使うにしても発動中は無防備になってしまう。詠唱のための時間稼ぎも必要だ。
     「よお大将! 全員を一気に回復させてやっからちょっくらザコどもの相手を頼むぜ」
     「いいよん」
     モンスターの大群相手にしながらもブロキーナは軽いノリで請け負った。
     そんな二人の会話を聞いていた一体のモンスターが不満をありありと孕んだ声色でもって割り込んだ。
     「ほう。君の言うザコとは私のことも含まれているのかな?」
     トロルの群れの向こう側から青色の肌をしたさらに巨大な体躯が現れた。眼鏡を中指の鋭利な爪で押し込んで歩み寄ってくるその理知的な動作とは裏腹に額には幾つもの血管が盛り上がっていた。
    4949