両片思い 魔界へ帰るというガンガディアを洞窟へと無理矢理連れてきた。あなたに迷惑はかけられないと言うガンガディアを宥めすかし言いくるめ、手狭だった洞窟を広げて大きな部屋も用意した。
マトリフはそこまでしてガンガディアを側に置きたいと思っていた。それは好敵手に抱く思いではない。ガンガディアへの好意をはっきりと認識してはいたが、告げるつもりはなかった。どうせ数歩先が墓なのだからこのまま持って行くつもりだった。
「また本読んでんのか」
巨体を見上げれば人間用の本を大きな手で持っている。この洞窟に来てからガンガディアは本ばかり読んでいた。
「どれも貴重な本ばかりだ。読む時間が足りないよ」
文字を追う純粋な目の輝きが眩しい。この顔を見れるだけでマトリフは充分だった。残り短い人生に不意に咲いた花を眺めるくらいは許されるだろう。
本を読み始めたガンガディアは数時間は動かない。茶に誘おうかと思っていたが、タイミングが悪かった。
マトリフは時間を潰すために釣り竿を手にした。外へ足を向けるとガンガディアに呼び止められる。
「出かけるのかね」
振り返って見ればガンガディアはどこか心許ないような顔をしていた。
「釣りだよ」
手にした釣り竿を振って見せる。するとガンガディアは持っていた本を本棚に戻した。
「私も一緒に釣りをしても構わないかね」
「本はいいのか」
ガンガディアは体を屈めながらこちらへ来た。何か言いたそうにしている。マトリフは催促せずにガンガディアの言葉を待った。するとガンガディアは決心したように口を開く。
「あなたと一緒のことがしたい。いいだろうか?」
まるで幼児が一緒に遊ぼうと誘うような可愛らしさを感じてマトリフは思わず笑みを浮かべた。まさかこれが魔王軍の幹部様だとは誰も思うまい。マトリフは冷静になれと自分に言い聞かせながら、笑みを抑える。ああ、まったく。これが惚れた弱みだとつくづく思い知らされる。
「だったらお前用の釣り竿を作るとこからだな」
「いいのかね?」
「好きにすりゃあいいさ。お前なら大物を釣り上げられそうだ」
「まさか、大魔道士なのか」
驚いているガンガディアを見下ろしてマトリフは笑みを浮かべた。殺風景な魔界でようやく見つけた青いトロルは、マトリフを見て目を疑っているようだった。
「オレのこと忘れたのか?」
そんなことはないとわかっていながらマトリフは言う。たとえ純粋な尊敬であろうと、ガンガディアに己の存在が強く刻まれていることをマトリフは知っていた。それを証明するようにガンガディアは緩く首を振ると嬉しそうな顔をした。
「忘れるわけがない。しかしなぜあなたがここに」
「野暮用だよ」
瘴気漂う魔界で人間は生きられない。そもそも、地上から魔界へ来ることすら人間には不可能に近かった。だがマトリフは人間には到底無理な壁を超えてきた。そのためにいくつもの新しい呪文を生み出して、秘法の応用で自分の身体に時が流れないようにしている。それら全て魔界にいるガンガディアに会うためにしたことだった。
「せっかく来たんだ。観光名所にでも連れてけよ」
「観光に来たのかね」
不可解そうにするガンガディアに、相変わらずだとマトリフは思う。
「冗談だっての」
「なるほど。よほど大事な目的があるのだろう。必要ならば私にも手伝わせてくれないか」
ガンガディアはマトリフがまさか自分に会いに来たとは思っていない。マトリフはガンガディアのすぐそばに降り立った。
「そりゃあいい。ちょうどお前の手を借りたいと思ってたんだ」
ガンガディアに会いたいという第一の目的はすでに達成されている。だが、本当の目的はまだこれからだ。
「お前の家って近いのか?」
「私の? ああ、むさ苦しい所だが、よかったら来てくれ。さぞ疲れているだろう」
望んでいた答えが返ってきてマトリフは悪い笑みになる。だがそれはガンガディアに見られる前に一瞬で消した。
「そうなんだよ。しばらく厄介になっても構わねえか?」
「勿論だ。実は見せたいものがある。魔界の秘術について記された魔導書を手に入れてね。ぜひあなたの意見を聞きたいと思っていた」
「そりゃあ楽しみだ」
時間ならたっぷりある。マトリフは恋愛ごとに疎そうなガンガディアをゆっくり落とすつもりだった。