Reproduce 誰かが洞窟内に入ってきた気配でガンガディアはそちらを見た。洞窟内にはガンガディアひとりきりで、逆光の入り口に立っていたのはマトリフだった。
「もう修行は終わったのかね」
「まあな」
マトリフはポップを連れて修行に出ていた。それは月に数回行われる修行で、いつもならガンガディアもその修行に同行しているのだが、今日は同行を断られていた。
「ポップ君は?」
「あいつなら帰った。用事があるんだとよ」
マトリフはいつもの安楽椅子にどっかりと腰を下ろした。あー疲れた、などとぼやきながら椅子を揺らしている。ガンガディアはそこに僅かな違和感を覚えた。
「食事もせずに帰るとは、よほど急ぎの用事なのだろうか」
いつもは修行が終われば食事をして帰るのが習慣だった。ガンガディアは昼食にと思って作ったスープに目をやってから、眼鏡に手をやる。ふむ、と胸中で呟いてからマトリフを見た。
「今日はどのような修行を?」
「基礎訓練だよ。あいつ最近怠けてたからな」
「だから私を連れていってくれなかったのかね」
「そうだよ」
ガンガディアはマトリフの前までいくと膝をついた。それでもまだガンガディアのほうが大きい。マトリフはじっとガンガディアを見上げた。
「なんだよ、じろじろ見やがって」
「疲れたのなら茶を淹れようか?」
「あー、どうせなら酒にしろよ」
マトリフが追い払うように手を振る。それでもガンガディアは動かずにマトリフを見下ろした。先ほど感じた違和感から、ガンガディアにはある考えがあった。それが正しいのか精査する。じっと見つめていると、マトリフが怪訝そうに見返してきた。
「……ガンガディア?」
マトリフの瞳に戸惑いを見つけて、ガンガディアは僅かに口の端を上げた。どうやら予想が的中しそうだ。ガンガディアはそっとマトリフの手を取る。
「まだ夜でもないのに、誘っているのかね?」
「へ?」
マトリフは気の抜けた声を上げる。やはり予想通りとガンガディアは確信した。ガンガディアは手に取ったマトリフの手を口元に引き寄せた。
「君が私をガンガディアと呼ぶのは、ベッドの上だけだからね」
「え……?」
マトリフはそこで完全に狼狽えた。ガンガディアがたたみかけるようにマトリフに身を寄せる。ガンガディアの影がマトリフに落ちた。
「大魔道士……」
マトリフは完全に顔が引き攣っていた。それを見てガンガディアは動きを止める。さらに後方からガンガディアめがけて飛んできた杖を掴んだ。その杖は普段マトリフが使っているものだ。
「いや、二代目大魔道士と呼んだほうが正確だね」
引き攣った顔のマトリフは、途端にガンガディアから逃げるように離れていった。そしてボワンと煙が上がる。それはモシャスが解けたときのものだった。その煙の中から姿を見せたのは二代目大魔道士ことポップである。ポップがマトリフにモシャスで化けていたのだ。
「なんでバレたんだよ」
「馬鹿野郎。まんまと乗せられやがって」
そう言いながら洞窟内に入ってきたのはマトリフだった。こちらが正真正銘本物のマトリフである。さっきガンガディアに向かって杖を投げたのもこのマトリフだ。マトリフはジロリとガンガディアを睨みつける。ガンガディアは杖をマトリフに手渡した。するとマトリフはその杖でポップの頭を小突いた。
「いてッ!」
「おめえはコイツに騙されたんだよ」
「え?」
「なーにがベッドの中だけで呼ぶだよ。んなわけあるか」
舌打ちを交えながら言うマトリフに、ガンガディアは笑みを浮かべながら眼鏡を押し上げた。ガンガディアはポップのモシャスを見抜いており、その正体を暴かせるために迫ってみせた。それを本物のマトリフが黙って見ていないことも計算済みである。弟子に危機が迫ればマトリフは必ず姿をみせると踏んでいた。
「大魔道士とポップ君にどのような意図があるのか探りたかったのでね。ポップ君、怖がらせてすまない」
ポップは自分がすっかり踊らされたと気付いた。マトリフはガンガディアに今日の修行がモシャスだったと説明した。そしてその成果を試すためにマトリフに化けてガンガディアに会わせたらしい。
「いつ気付いた」
「ポップ君が椅子に座ったところかな」
「なんで!?」
それはマトリフにモシャスしたポップが、洞窟に入ってからすぐに取った行動だ。
「君は椅子に座る前に飲み物を持ってこなかった。大魔道士はいつも飲み物を準備してから座るからね」
「そんなの忘れる時だってあるだろ」
「もちろん。それはきっかけに過ぎない。そこから私は君を観察した。はじめは修行と偽って街に遊びに出かけて酒でも飲んできたのかと思ったがそんな様子もない。近付いてよく観察したら誰かが大魔道士にモシャスしていると気付いてね。この完成度で大魔道士を真似れるのは君ぐらいのものだ。ではなぜそんなことをするのか。その意図を探りたかった」
「何が駄目だったんだ? モシャス自体は完璧だったし、師匠の真似だっておれは自信あったんだぜ」
「確かに君はよく大魔道士を観察して真似していた。だがミスをしたね」
「え?」
「私が茶を勧めたとき、君は酒を要求した。だが酒は昨夜にきれていた。その最後の一滴を飲んで不満を言ったのも大魔道士だ。昨日の今日で忘れたわけではあるまい」
「うっ……」
それは知らなかったとポップは悔しそうにする。
「それに、ポップ君は大魔道士を真似ようとしたが、それはあくまで君に見せている大魔道士の姿だ。大魔道士は君がいないところでは君を褒めるからね。君が多忙なのは知っているから怠けているなんて言わないよ」
その言葉にマトリフの目が厳しくなる。余計な事を言うなと視線が制してくる。しかしガンガディアは続けた。
「それに君は私に見つめられて戸惑ったね。大魔道士ならそんな反応はしない。それに」
「まだあるのかよ」
「匂いだ」
ガンガディアは言って眼鏡を押し上げた。心なしか目が輝いている。
「大魔道士の匂いがしなかった」
我々は人間よりも嗅覚が優れているのでね、とガンガディアは言う。ポップがちらりとマトリフを見れば、なんとも言えない顔をしていた。今すぐにぶん殴ってやりたい衝動を押さえつけて冷静さを繕っているような顔だ。これ以上にマトリフを刺激してはまずいとポップにもわかる。しかしガンガディアの言葉は止まらなかった。
「あとは嘘をついてポップ君のボロが出るのを待った。大魔道士がベッドの上だけで私の名前を呼ぶというのは嘘だ。大魔道士は素直になれないときによく私の名前を呼ぶ。その甘い響きが私は大変に気に入っているのだが、その声音を知るのは私一人だ。相手が本物か確かめるときに二人しか知らない情報を提示させるのはよくあること。このモシャスに大魔道士も加担しているか知りたかったので、大魔道士が反応しそうな話題を選んだ。これで納得してくれたかな?」
その言葉に答える者はいなかった。
そのあと三人で気まずい昼食をとった。ガンガディアにはなぜ空気が微妙になっているのかがわからない。ポップは早々に昼食を切り上げて帰っていった。
それを見送ったガンガディアの背後からマトリフが現れる。マトリフは杖でガンガディアを小突いた。不機嫌を隠さなくなったマトリフが見上げてくる。
「何がいけなかったのかね?」
ガンガディアとマトリフの関係をポップは薄々気付いていた。ならば言ってしまっても構わないだろうとガンガディアは思ったのだ。しかしマトリフはプンプンと怒気を発散させている。弟子に関係を知られたことがよほど恥ずかしかったらしい。
「それがわかるまでお前とは一緒に寝ねえ!」
「君たちの心は繊細すぎる」
まるで引いては返す波のようだとガンガディアは思う。眼前の海はいつも通りの静けさで、波が岩に当たって細やかな音を立てていた。
おわり