お前だよ ガンガディアは釣った魚を見て満足げに笑みを浮かべた。丁寧に針を魚の口から外す。それはガンガディアが初めて釣った魚だった。
ガンガディアがマトリフから魚釣りを教わったのは数日前のことだ。ガンガディアは釣りを効率の悪い行為だと思っていた。釣り糸を垂れて魚を待つより、素手で捕まえたほうが早いし確実だからだ。しかしマトリフはこれも修行の一環だと言った。
ガンガディアは己の短絡的な考えを改めた。そして自分で身を持って体験しようと思い、釣りをはじめた。しかし全く釣れないまま数日が経過した。気持ちが挫けそうになっていたが、さっきようやく最初の一匹が釣れた。
ガンガディアはその魚を早くマトリフに見せたくて、急いで釣具を持って洞窟へと戻った。きっとマトリフは喜んでくれるだろう。
ガンガディアが洞窟の前まで来ると、中から話し声が聞こえた。その声からアバンが来ているのだとわかった。アバンは時たまマトリフに会いにこの洞窟へと訪れる。二人の声は楽しそうに洞窟の外まで聞こえてきた。
ガンガディアは洞窟へと入るのをやめた。二人の邪魔をしては悪いだろうと思ったからだ。また釣りに戻って、アバンが帰った頃を見計らって戻ってこよう。
そう思って踵を返したガンガディアの耳にマトリフの声が飛び込んできた。
「な、可愛いだろ?」
アバンへ同意を求めるようにマトリフは言った。その声があまりに嬉しそうでガンガディアはつい聞き耳を立ててしまう。アバンも同意する相槌を打っていた。
「こないだなんてよ、あいつが拗ねて口をきかなくなってな。でもそれが一時間ももたないんだぜ。チラチラこっち見てくるからオレから喋りかけたらよ、嬉しそうにはオレの倍は喋るんだぜ」
マトリフの嬉しそうな声にガンガディアは血管が浮き上がるのを感じた。誰について話しているのかわからない。だがマトリフはその人物のことを可愛いと言って憚らない。アバンに話すということは共通の知人だろう。おおかたマトリフの弟子の少年のことだろう。
立ち聞きなどするべきではなかった。ガンガディアは後悔しながら立ち去ろうとした。だがまたマトリフの声が聞こえた。
「あいつ今は釣りにハマっててさ。まだ一匹も釣れてねえんだけどよ。あいつが真剣に釣竿を構えてるのを見ると可愛くてよ」
ガンガディアは踏み出した足がつんのめって前向きに倒れた。釣れた魚が手を離れて勢いで宙を舞う。それが地面に落ちる前になんとかキャッチした。
「すごい音がしましたね」
アバンの声にガンガディアは慌てて立ち上がる。服についた砂埃を払った。洞窟から出てきたアバンはガンガディアを見て会釈した。
「おかえりなさい。お邪魔してます」
「やあ。来ていたのかね」
ガンガディアは澄ました表情を取り繕う。するとマトリフも洞窟の中から出てきた。
「お、釣れたのか?」
マトリフはガンガディアが持つ魚に気付いて言った。途端にガンガディアはパッと顔を輝かせる。
「ようやく釣れたよ。あなたに食べてほしい」
「今夜は豪勢な夕食になりそうだな」
「まずこの魚について図鑑で調べたい。あなたが食べるものはきちんと調べておきたいからね。それからこの魚に最も適した調理法を調べるよ。そうだ。勇者はこの魚の調理法を知っているだろうか。よければ教えてほしい。君の料理は大変美味しとマトリフから聞いている」
ガンガディアは一息でそこまで喋ってから、マトリフがじっとこちらを見ていることに気付いた。マトリフはアバンを見ると「な?」と肘で突いた。アバンは苦笑する。
「あなたが惚気るようになるとは」
「平和な証拠だろ」
「ええ、いいことですよ」
ガンガディアはマトリフの惚気話が自分についてだったと気付いて込み上げる感情をなんとか抑え込んだ。その小刻みに震える手を見て、マトリフはまた愛おしさに笑みを浮かべるのだった。