エンドロールのあとで マトリフが立ち尽くしている。闘技場には彼しかいなかった。抜けるような青空が広がっているが、マトリフの表情は痛みに耐えるようだった。彼の体は傷つき血を流している。しかし彼の感じる痛みは体のものではなかった。
マトリフは何かを探すように空を見上げてから、胸に手を当てた。やがて力をなくしたように膝をつく。戦いに勝ったはずのマトリフだが、そこに喜びはなかった。
「カット!!」
その声が響いても彼は暫く立ち上がらなかった。どこからか拍手が湧き起こる。私も自然と手を打ち鳴らしていた。迫真の演技に心が引き込まれて、監督の声が無ければこれが演技だということを忘れそうだった。
「お疲れ様です!」
その声と同時にスタッフが彼に花束を持っていく。このシーンがマトリフを演じた彼のクランクアップだった。監督の手を借りて立ち上がった彼は花束を受け取ってにこやかに笑みを浮かべている。多くのスタッフが労いの言葉をかけに彼の元へと行った。
私はそれを離れた場所で見ていた。私の撮影はすでに終わっている。私はモーションキャプチャーで参加したので、これからCGで映像が作られるのだろう。今作は少年漫画の実写映画化なので、私のようなモンスター役や必殺技などに多くのCGが使われている。
ふと彼がこちらを向いた。今作で彼はマトリフ役を、私はガンガディア役を演じた。しかし私はフルCGなので彼と一緒に演技をすることは殆どない。しかし彼は演技の参考にと私を現場に呼んでくれていた。
彼は小さく手を上げるとまた人の輪の中へと戻っていく。今は同じく勇者一行の役を演じた若い俳優たちが彼へ話しかけていた。
彼は多くの作品に出演する名優だ。そんな彼と共演できたこと自体が光栄だった。私がこの作品に出演を決めたのも、彼がこの作品に参加していたからだ。
撮影期間は夢のようであった。彼は私が演技で悩んでいるときに声をかけてくれて、彼の撮影現場に連れてきてくれた。それは港町でのシーンで、マトリフとガンガディアにとっては二度目の邂逅のシーンだった。
彼はセットの中に私を呼んである場所を指し示した。本来ならCGを使うキャラクターとのシーンは、役者が向ける視線が迷わないようにとボールが付いた長い棒を高く掲げて、頭の位置を決めている。役者はそこに向けて喋れば後でCGを合成した時に自然に見えるようになっていた。
「……あれじゃあ雰囲気が掴めねえんだよな」
彼が忌々しそうに棒についたボールを見て言った。
「リハーサルだけでもお前さんが立ってくれりゃあ助かるんだが、頼めるか?」
「勿論です。やらせてください」
彼の演技を間近で見られるので私は舞い上がった。私は木箱の上に乗って彼を見下ろす。私は彼の背丈の二倍ほどもあった。
「じゃあ始めるぞ。セリフも言ってくれ」
その言葉と同時に彼の表情は変わった。もう彼ではなくマトリフになっている。私は慌てて気を引き締めた。
私は覚えているセリフを口にするが、緊張も相まって酷い有様だった。彼の演技の完璧さが更に私を焦らせる。
すると彼は私の前まで来た。手招きされて私は木箱から降りる。叱責させるかと思って冷や汗が出た。
「なあ、お前はガンガディアのことをどう思う?」
「どう思う……とは?」
「お前はガンガディアがどんな奴だと思う? オレはそれがよくわからねえんだ」
「私は……とても共感する部分が多いです。最初の場面の、あの激昂するところは私も似た経験があって」
私はこの体格のせいで多くの揶揄いを受けてきた。それに怒れば怒るほど笑われたのは苦い思い出だ。彼はひとつ頷くと更に質問をした。
「じゃあマトリフについてはどう思う」
「それは……」
私は言うべきか否かで一瞬迷った。気恥ずかしさに顔が熱くなる。
「憧れます。この後に同じセリフがありますが、私も同じ思いです」
キャラクターに同調し過ぎだと言われるかと思ったが、彼は笑いもせずに私をじっと見ていた。
「いい面するじゃねえか」
「え?」
「リハーサルもう一回な」
彼は立ち位置に戻ると準備しろと合図した。
その後にした私の演技を彼は褒めてくれた。緊張が解けたことと、彼の質問に答えることで自分の思いを整理できたからかもしれない。彼は意図して私に質問を投げかけたのだろう。
それからというもの、彼は私の撮影を、私は彼の撮影を見学することでお互いの演技を合わせるようになった。この最後のシーンでも、彼は私の撮影に立ち会い、食い入るように私を見ていた。そうすることで自分の中に取り込み、自分の演技の時に再現するという。
二人で演技する時間は私にとって夢のようで、私は無我夢中で演技と向き合っていた。
だが夢はいつか終わる。撮影もこれで終わりだ。彼と会う機会はもう無いかもしれない。私は彼に伝えたい言葉があったのだが、沢山の人に囲まれる彼の元に行くのは躊躇われて、撮影現場に背を向ける。設置された大きなモニターには先ほど撮影したシーンが流れていた。
画面の中でマトリフは呪文を放っている。それがガンガディアを消滅させるのだ。二人の勝負の決着がつくシーンだが、勝利に対する歓喜はない。マトリフは呆然とガンガディアが消えた空を見て、自分の正しさに疑問を抱く。それが次回作への伏線となる場面だった。続編の制作は既に決定している。マトリフ役の彼は続投だが、今作で死んだ私には出番はない。
「ちょっと待ってくれ」
その声に驚いて振り向くと、花束を抱えた彼が後ろに立っていた。
「おい、挨拶もなしかよ」
彼はマトリフのように皮肉げに笑って肘で私の腹を突いた。私は慌てて頭を下げる。
「すみません」
「冗談だっての。それよか連絡先を教えてくれねえか」
彼は持った花束を落とさぬように苦心しながらスマートフォンを取り出していた。
「私の?」
「他に誰がいるんだよ」
「なぜ……」
素朴な疑問としてつい口から出てしまった言葉に私は青ざめる。まるで連絡先の交換を嫌がっているように聞こえてしまったのではないだろうか。
しかし彼はなんでもないように言った。
「なぜって、撮影が終わっちまえば現場で会えねえだろ。連絡先を交換してりゃあいつでも会う約束が出来るじゃねえか」
ほらさっさとしろ、と彼は急かす。私は驚きと喜びで混乱する頭で何とか連絡先を交換した。
「じゃ、好きなときに連絡しろよ」
彼は言って去っていく。私はその背を見つめてようやく笑みを浮かべていた。
作品の中でマトリフとガンガディアの物語は終わってしまった。だが、彼と私の物語が始まったばかりかもしれない。