拳「マトリフ殿と手合わせがしてみたいなぁ」
突然のブロキーナの言葉に、その場にいた皆が顔を見合わせた。
勇者一行は旅の途中で立ち寄ったブロキーナの山小屋で昼食をとったばかりであった。
「そういや魔法使いと武闘家の手合わせって見たことがないな」
ロカが言ってマトリフを見る。アバンは興味深そうにブロキーナに向き直った。
「武闘家はどうやって呪文を防ぐのですか」
「いやぁ、マトリフ殿には呪文を使わないでほしいんだよね」
飄々と言うブロキーナにマトリフはギョッとする。
「それじゃあオレが殴られ放題じゃねえか」
「でもマトリフ殿って武術をやったことあるでしょ?」
それを聞いてマトリフは眉間に皺を寄せる。図星だったからだ。その反応にロカが驚いた顔をした。
「本当かよマトリフ」
「ちょっと修行でやっただけだ」
ブロキーナ以外はギュータを訪れているのでその壮絶な修行の一端を知っている。しかしマトリフが武術の修行をしていたとは聞いていなかった。マトリフは苦い顔をして腕を組む。
「うちの師匠の修行方針なんだよ。魔法使いも体力をつけて、体術の一つもできねえと役に立たねえってな。そんで武術と剣術をやらされるんだ。けどオレはどっちも師匠から落第だって言われたんだよ」
マトリフは面白く無さそうに口を曲げている。落第だと言われたことを今でも根に持っているからだ。だが真面目な若者たちは揶揄うこともなく、むしろ感心するように頷いていた。
「たしかにマトリフって魔法使いなのによく動けるよな。歳も歳なのによ」
ロカは悪気なく言ったのだが、マトリフは杖をロカの脳天に振り下ろした。
「最後のは余計なんだよ!」
怒るマトリフをアバンが宥める。ブロキーナは両手を合わせて首を傾げた。
「頼むよマトリフ殿。ギュータの武術を見せてくれないかな」
可愛らしいお願いのポーズをするブロキーナに、マトリフは掴んでいたロカを離してガリガリと頭を掻いた。
「……いいけどよ。ほんとにオレは武術は得意じゃなかったからがっかりするぜ」
「じゃあさっそく」
ブロキーナはぴょんと飛び上がるとマトリフの手を掴んで表へと連れ出した。
ブロキーナとマトリフは向かい合って立っていた。ブロキーナはにこやかで、マトリフは仏頂面だ。マトリフは少しでも身軽にしようと帽子もマントも取ってある。
「いつでもいいよ」
ブロキーナは言うと構えた。力を抜いて軽く構えているようだが、それが鍛え抜かれて技を極めた者の最適な構えであるとわかる。マトリフはその時点で力量差を悟ってこの手合わせが嫌になった。だが体に叩き込まれた構えをとる。それを見てブロキーナはにっこりと笑った。
「厳格で考え抜かれた構えだ。お師匠様の人柄が見えるようだよ」
「ちゃんと手加減してくれよな」
マトリフは言うと同時に飛びかかった。そのときにトベルーラの応用を使う。呪文は補助的に使うならいいとの取り決めだった。
マトリフの飛び掛かるスピードは並の武闘家ほどもあった。間合いに飛び込んだマトリフは拳をブロキーナの顔目掛けて振るう。だがそれは当然に躱された。
「いいね」
ブロキーナはまるで木の葉のように体をくねらせる。だが避けるだけでブロキーナは反撃してこない。マトリフはそのままの勢いで拳を連打するが、それらがブロキーナに当たることはなかった。
「がんばれーマトリフ」
ロカの声援に応えるようにマトリフは狙いをつけて拳を撃つ。その拳には真空呪文がかけてあった。通常の殴打よりも勢いも威力もあるが、それも難なく避けられてしまう。
ここまででたった数十秒。だがマトリフの体力は限界が見えてきていた。
「くっ……」
マトリフの動きが鈍る。するとブロキーナは軽やかに言った。
「じゃあ反撃しようかな」
ブロキーナは地面を蹴って拳を振り上げた。
だがそれはマトリフの計算のうちだった。マトリフはブロキーナが間合に入るタイミングを狙って極小の真空呪文を発動させる。それを盾のようにかざしてブロキーナの拳を防いだ。
ブロキーナの拳は呪文の盾によって大きく弾かれる。そこをマトリフは追撃した。最初からマトリフの狙いはこの一撃だった。呪文の防御がブロキーナにとって未知であるなら、わずかでも隙が生まれるはずだった。
だが大きく繰り出したマトリフの蹴りはブロキーナの腕で簡単に防がれてしまった。一瞬生まれた隙をカバーできるほどの速さをブロキーナがもっていたからだ。
「うわッ」
反動でマトリフは体勢を崩す。受け身を取る体力は残っていなかった。マトリフは衝撃を覚悟して目をきつく閉じる。
だがマトリフの体は硬い地面ではなくブロキーナの腕に抱えられていた。
「大丈夫?」
ブロキーナはマトリフの顔を覗き込んでくる。ブロキーナは倒れそうになったマトリフを抱き止め、横抱きにしていた。そのことに気付いたマトリフが顔を歪ませる。
「ジジイに抱っこされて大丈夫なもんか」
「可愛い子じゃなくてごめんね〜」
ブロキーナはまるで重さを感じないというふうにマトリフを抱きかかえている。マトリフはどっと疲れを感じて体の力を抜いた。ブロキーナの腕は老人のか細い腕に見えて、引き締まった鋼鉄のような筋肉がついている。
その感触がまだ幼い頃に触れた師の腕のようだと思えて、マトリフは懐かしさに目を細めた。