ハグの日「あなたを……抱きしめる?」
ガンガディアは虚をつかれたような顔をしてマトリフを見返した。マトリフは腕を組んで踏ん反り返っている。
「おう、ギュッとやれ」
「何故?」
「オレの頼みが聞けねえのか」
マトリフはガンガディアの質問には答えずに不遜な態度で言った。ガンガディアは眼鏡を指で押し上げてマトリフを見下ろす。マトリフは早くしろと言わんばかりな様子だ。
ガンガディアはハグという人間の習慣がよく理解できない。人間は身体を接触させることに意味を持たせるという。それは愛情だったり親愛だったりするが、魔族にはそんな習慣はなかった。
しかし本で読んだ知識によると、そのハグにはストレス軽減の作用もあるという。もしかしたらマトリフはストレスが溜まっており、それの対処としてハグを求めたのかもしれない。そうでなければこんな醜いトロルと抱き合いたいと思うはずがないからだ。
「どうした、早くしろよ」
マトリフが焦れたように言う。心なしか頬が赤みがかっていた。
「では、するよ」
「おう」
ガンガディアは屈んで床に膝をついて腕をマトリフに向かって伸ばした。マトリフの身体はガンガディアよりもずっと小さくて脆い。もし間違って傷付けてはいないと思うと腕が震えた。
ガンガディアは最小の力でマトリフの背に触れた。その背の感触が想像よりもか細くて手が止まる。敵対していた頃に力任せに殴ったことが今になって恐ろしく思えた。
「だ、大丈夫かね」
「なにがだよ。さっさと抱きしめろ」
そっと、そっとと己に言い聞かせながらガンガディアはマトリフを抱きしめた。しかしそれは抱きしめたと言うより、マトリフの身体の周りに腕を回したという程度で、ガンガディアは全く力を入れていなかった。
「……これのどこがハグなんだよ、もっと強くだ」
マトリフの不満そうな声が聞こえる。マトリフは俯いており、顔を見ることはできなかった。もし見えていたらマトリフの表情に寂しさが帯びていたことに気付いただろう。
「しかし、私が力加減を間違えばあなたの身体が傷付いてしまう」
「オレがそんなやわじゃねえって知ってるだろ。なあ好敵手」
マトリフの手がガンガディアの服を握っていた。どこか縋るような様子に、ガンガディアは今まで感じたことのない衝動を感じる。
「……わかった」
ガンガディアはマトリフの背を抱き寄せた。小さな身体を包むように抱きしめる。するとマトリフもガンガディアの身体に手を回した。マトリフの腕ではガンガディアの身体を全部包むことはできない。しかしマトリフの手は確かな感情を持ってガンガディアの身体を抱きしめていた。ガンガディアは湧き起こる衝動を抑え込みながらマトリフを抱きしめる。それが愛おしさだと気付いてガンガディアは目を見張った。心地よさと落ち着かなさが交互にやってくる。ずっとこうしていたいとさえ思えて、ガンガディアはそっと目を閉じた。
「……もういい」
しばらくしてマトリフはぽつりと呟いた。ガンガディアは腕を緩める。
「大丈夫かね。鼓動が速いようだが……それに顔も赤い」
「なんでもねえよ」
マトリフがそのまま離れようとするのでガンガディアはマトリフの腕を掴んだ。
「さっきのハグにはどのような意味が?」
ガンガディアはマトリフを引き戻した。俯くマトリフの顔を覗き込む。マトリフは赤くした顔を手で覆って隠した。
「ハグに意味なんてねえよ」
「本当にそうなのかね。そんな風には見えないが」
「わかって言ってんならお前も性格悪いぜ」
逃れようとするマトリフをガンガディアは抱きしめた。マトリフが驚いたようにガンガディアを見上げる。
「こうしていると私は嬉しい」
「……本気で言ってんのか?」
「あなたは私に抱きしめられて嫌ではないのかね」
「嫌だったら最初からハグしようなんて言うわけねえだろ」
マトリフは言ってから恥ずかしさを感じたのか、口を歪めて俯いた。耳の辺りまで赤くなっている。
「では、このままハグしていても構わないかね」
「もういい……いや、やっぱあと少しだけ」
ガンガディアとマトリフは長いこと抱き合っていた。
それから二人の間ではハグが交わされるようになり、それはガンガディアが己の思いをマトリフに告げた後も、もちろん続いた。